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友人が婚約者と別れるかもしれないと泣きわめくので一肌脱ぐことになった

作者: りったん


 ガザールダ帝国は大陸のほとんどを掌握する巨大国家である。

 かの国がそこまで大きくなったのは、高祖が魔王ゼルデギャスと契約を結んだからである。大抵の人間は眉唾物と笑い飛ばす話だが、皇帝の直系だけはそれが真実と知っている。


 帝国の皇太子ファザリスの宮殿にたまに現れる御用商人こそ、魔王ゼルデギャスの一人息子、ヴェルディである。


 本来はパッチリとした目の美形なのだが、今の姿は歩く球体である。背丈と横幅が同じ長さなのだ。

 目は肉に埋もれてとても小さく、鼻はかろうじてわかる程度。分厚い口元だけがその存在を主張しており、かなりふとっちょのピエロのようだ。


「アハハハハ……アッハッハ! 素晴らしい……変装っ……ブッハ」

 人間の皇太子ファザリスは身をよじって大笑いする。

 本来なら金髪碧眼の品の良い美形なのだが、端正な顔を思いっきり崩してバカ笑いをしていた。


 その顔を見てヴェルディは拳を握って狂喜乱舞する。

「よっしゃあ!! やっとお前のすました顔をぶっ壊せたぜ! ようやく意趣返しができたってもんだ」

 ヴェルディの目の色は人間界にないもので、本来の姿を見せると悪目立ちしてしまう。そのため、ヴェルディは毎回いろんな変装をするのだが、ファザリスはクールな顔を崩さず、いつも余裕の笑みを浮かべるのである。


「いやいや、毎回楽しみにさせてもらってはいたよ。だけど今までは君の鍛えられた体格は変わらなかったけど、今回それが全くなくてさ、それとの差にブッフ……」

 ファザリスは再び笑い出した。



 娯楽に飢えていた彼は親友の意趣返しを大いに楽しみ、紅茶が冷める頃にようやく元の顔に戻った。


「はあ、久しぶりに笑ったよ。ありがとう」


「へへっ。喜んでもらえて何よりさ。あ、これ俺の親父からいつもの奴」

「おお、良質の魔鉱石だ! いつもありがとう!」

 長持から黒々とした石を取り出し、ヴェルディが見せるとファザリスは喜んだ。

 皇帝に直接持って行かないのは、魔界の存在を悟られないようにするためである。魔界と行き来できると知れれば、魔鉱石の価値が大暴落してしまうからだ。


 帝国の発展の礎は魔鉱石なくしてはありえない。

 五大元素の性質を持つ魔鉱石は井戸のない所で水をもたらし、極寒の地では炭の代わりになる。建築素材としても重宝され、あらゆる場所で使われているのだ。


 魔鉱石は人間界でも取れるが、龍の住処の近くだったり、煮えたぎるマグマの傍だったりと入手難度が跳ね上がる。

 だが、その実態は魔樹ダークツリーの実である。

 魔樹は魔族にとって非常になじみのある樹木で、市民の憩いの場の公園や並木道、遊歩道……と至る所で目に入る。

 基本的には樹園で取れたものを人間界に出荷するが、魔界の住人にとっては公園に落ちている木の実くらいの感覚である。 

 そのため、ヴェルディはこんなもんを喜ぶファザリスを見てなんとなく申し訳ない気持ちになるのだ。


「もっと欲しいならとってこれっけど?」

「いやいや、これで十分だよ。」


 ファザリスはありがたがりながら、側近に命じて長持を運ばせた。


 恒例の商談が終わった後、近況を語り合って美味しい紅茶と菓子に舌鼓を打つ。


「いやー。やっぱり、人間界の菓子は美味しいや。魔界で原材料が手に入らないのが残念でしょうがないよ」

 ヴェルディは美味しそうにケーキを頬張る。

 クッキーもマドレーヌもどれもこれも本当に美味しい。

 ここでしか楽しめない味に来てよかったと何度も思う。ヴェルディの側近も今頃街に繰り出して菓子を大量買いしている頃だろう。


「喜んでくれて何よりだよ。いっぱい楽しんでくれ」

 ファザリスはにっこりと微笑む。


 彼との付き合いはファザリスが10歳、ヴェルディも10歳のときだ。

 魔族の幼年期の成長は人間換算で1年で1歳であるため、背丈も体つきもほとんど同じである。人間の青年のように18歳相応まで年を取り、それ以降は2000年ごとに年を取るのだ。


 種族は違えどファザリスとヴェルディは気の置けない友人である。

 それゆえ、ヴェルディはあることに気が付いたのだ。

「お前、なんか顔色悪くないか? 目にクマができてるし、どことなくやつれてんぞ」

 ヴェルディの指摘にファザリスは苦笑する。

 完璧な皇太子を演じ続ける自負がファザリスにあったのだが、どうもヴェルディ相手だと内なる声が漏れてしまうらしい。


「はは。君に隠し事はやはり無理だな。そこまで指摘したんだから私の悩みを聞いてくれ、君にしかできない」

 ファザリスは悔しそうに笑うが、表情はどこか晴れ晴れとしていた。


「お、おう。俺で良ければなんでも聞くぞ」

 ケーキのお代わりを注文しようとしたが、ヴェルディは手をお行儀よく膝の上にのせて聞く体勢に入った。




「なあ、ヴェルディ。僕の婚約者、カトレアのことを覚えているかい?」

「えーっと、北方を治めるノーサドラ公爵の姫君だったっけ。遠目でしか見てないけど、銀髪の長いストレートの子だろ?」

 ヴェルディは記憶を頼りに思い出す。


 七年か八年くらい前、鹿狩りかなんかの場所ではるか遠くにいる女の子を差して、ファザリスが自慢げに言っていたのを思い出す。

『彼女が僕の婚約者なんだ。教養深いのにそれを鼻にもかけず、知的で優しくて所作が綺麗で笑顔が眩しくてちょっと気高い所が最高に愛らしい女性なんだよ』と得意げに語っていた。

 しかし、いくら自慢されても、こちとら馬に乗って移動中の上に婚約者とやらは遥か向こうのテントの中で銀髪しか見えない。後で紹介してくれと言うと、『お前に彼女が惚れてしまったらいやだ』という理由で却下されてしまった。


 甘ったるいノロケを思い出しながら、ヴェルディはうんざりした顔で言った。


「痴話げんかでもしたわけ? 言っておくけど俺は恋愛経験ないから相談されてもロクな返しができんぞ」

 自分で言っていて悲しくなるヴェルディであるが、変に期待をかけられても困る。

 なにしろ魔族は長寿。結婚適齢期は200歳ごろなので、婚約者も居なければ恋人もいない。人間界で絶世の美形でも、魔界に帰ればただの平凡顔。

 魔王の息子という肩書があってもヴェルディはモテない。お見合いを兼ねたお茶会も開かれず、パーティの招待もまったくないのである。

 ヴェルディがいじけるのも仕方ないことなのだ。


 キュと唇を噛むヴェルディの気も知らず、日頃のストレスが溜まりきったファザリスは声を荒げる。

「冗談じゃないっ。僕とカトレアが喧嘩などするわけないだろう! 悩みというのは聖光教団が見つけてきた聖女のことだ! 奴ら、聖女を僕の婚約者に据えろと言ってきてたんだ!! 僕には愛するカトレアがいるのに、彼女と別れろと言うんだぞ!!」

 ファザリスは激高してテーブルをドンと叩いた。

 普段は冷静沈着で上品な彼だが、婚約者がらみだと人間味をおびる。

 今まで我慢していた分、ファザリスの不満は火山の噴火のように盛大に爆発した。


「朝な夕な訪れては『魔王軍が人間界に侵攻すると予言が降りました。それを防ぐには聖女を娶るしかありません』と抜かすんだ。嘘八百をまるで真実のように連日連夜詰め寄られていい加減、ノイローゼになりそうだ!」

 荒れ狂うファザリスにヴェルディは若干引き気味になりながら、一生懸命なだめる。


「ま、まあまあ。実際に魔王軍が侵攻しているわけじゃないし、しばらく様子見をすればいいんじゃないか?」 

 

「そんな悠長にしている時間なんてない。カトレアが万一僕に愛想を尽かしたらどうするんだ? 彼女は優しい人だから『国のため』と言われれば潔く身を引くタイプなんだぞ!」

 ファザリスは頭を抱え始める。

 普段、澄ましている彼の珍しい姿にヴェルディは驚くとともに、それだけ深く愛せる女性と巡り会えたファザリスを羨ましく思った。


『いいなあ。俺も恋してみたいなあ……とまあ、それはさておき、このままだとファザリスが本当にノイローゼになってしまうから、なんとかしてやりたいよな』

 ヴェルディは腕を組んでふむと考えた。

 

「なあ、ファザリス。いっそのこと魔王退治のパーティを作ってみるのはどうだ? 狂信者ってのはいくら説得してもムダだから、恐怖の象徴である魔王が倒されれば問題がなくなるだろ」

 ヴェルディの提案にファザリスは目を丸くした。

 彼にとって魔王は良き隣人で『討伐』という概念がまったくなかったのだ。


「た、確かにそうだが、そうなるとますます人間の魔族嫌いが加速しないか?」

 ファザリスは難しい顔をする。

 というのも、帝国に限らず、一部を除いて人類は魔族が大嫌いなのだ。

 有史以来、魔族は人類と良い関係でいようと努めているのだが、この世界に第三の勢力がいた。

 それは『牙鬼がき』と呼ばれる異形の存在である。鋭い爪と牙を持つ彼らの姿は様々であるが、どれもおぞましいものであった。

 知能はさほどないのだが、本能のままに人間だろうが魔族だろうが好き勝手に襲い掛かるのだ。


 人々は牙鬼がきを魔族の一派と考え、憎しみを募らせて今に至る。

 ちなみに人間の手に負えない牙鬼がきは魔王軍が討伐をしているのだが、一部の者以外は皇帝直属の騎士が退治したと信じている。


 歴代の皇帝は幾度となく誤解を解こうとしたが、魔王自身が『たぶん、一定多数は信じないだろうし、争いの火種になるから別にいいよ』と断って今に至る。


 ファザリスとしては恩ある魔王軍にこれ以上の不名誉を被せたくはないのだ。



「僕は……ずっと守ってくれてきた君たちに不義理をしたくないな」

 ファザリスは顔を曇らせる。

 最愛の婚約者も大事だが、そのために友人を利用するほど落ちぶれてはいない。

 

 ヴェルディはファザリスの言葉にじーんと胸が温まった。

 幾度となくノロケ話を聞かされ、恋愛至上主義に見えた友人がしっかりと自分のことを思ってくれたことに感動したのである。


 こんないい奴を苦境に立たせたままにするなんておとこすたる。


「気にするなファザリス。俺たち魔族は分かってくれる人がいるだけで十分なんだ。それに、友人のためになるなら泥だろうが雪だろうがなんだろうと被るさ」

 ヴェルディが言いきるとファザリスは感動したように潤ませた目でヴェルディを見つめる。


 種族は違えど彼らの友情は本物なのである。




 皇太子ファザリスが魔族の皇太子ヴェルディと友情を確かめ合っている最中、ファザリスの最愛の女性、ノーサドラ公爵令嬢カトレアは光教団の司教から婚約解消をせっつかれていた。


「カトレア嬢、いい加減に覚悟を決められたらいかがです? 民も臣下も聖女と皇太子の婚約を望んでいるのですよ」


「司教どの。いくら言われても困ります。この婚姻は皇帝陛下の決定です。わたくしの一存で婚約解消など決められませんわ」


「ハァ……まったくわかっておられないのですね。その皇帝陛下があなたに義理立てして承諾しないからあなたにお願いしているのです! それにこれはあなたのためでもあるのですよ。あなたが皇后の座に固執したせいで国が亡べば、あなたの名前は悪女として歴史に刻まれます。由緒あるノーサドラ公爵家も悪名を轟かすことでしょう」

 口ひげを揺らしながら、初老の司教は唾を飛ばして主張する。


 だがカトレアは首を振り、司教の退室を促した。色よい返事がもらえなかった彼は足を踏み鳴らし、不機嫌そうに出て行った。



「お嬢様。お疲れでしょう、あたたかいお茶をすぐにご用意しますわ」

 専属侍女のテオは痛ましそうに主を見る。


 顔に疲れが色濃く出ており、今にも倒れそうである。

「ありがとう。テオ。本当に疲れたわ。皆が皆、婚約解消を望むのですもの。仕方がないとはいえ、辛いわ」

 カトレアは額に手をあてて項垂れる。


 口さがのない者は『皇后の座を惜しんでいる』とカトレアを中傷するが、彼女は皇后の座に固執しているわけではなく、皇太子ファザリスの妻でありたい一心だった。

 ファザリスが深く彼女を愛するように、カトレアも彼をとても愛しているのだ。

 

 愛ゆえに憔悴しきったカトレアをテオは優しく慰める。

「お嬢様。きっと何か方法がありますわ。今日も図書室で文献を調べていたのでしょう? それに宮中の博士の方々も、何か手立てがないか必死に研究しております。皇太子殿下が主導されているのもそうですが、カトレア様がこれまで築いた功績はそうそう消えるものではありませんわ」

 

 事実、カトレアは未来の皇后としていくつもの語学を習得し、現皇后の補佐として政務に深く貢献していた。彼女以外、皇后などありえないと考えるものはとても多く、聖女エラが出現しても支持は変わらなかった。


 

「ありがとう、テオ。でもね、わたくしが悩んでいるのは司教の言葉も一理あるからなの。わたくしが身を引かないせいで魔族が侵攻してきたら、あの方は暗君だとそしりを受けてしまうわ。ファザリス様と離れるのはつらいけれど、あの方の名が汚れるのはもっと辛い……」

 カトレアの緑の目が揺れる。

 涙がぽろりと頬を伝って滴りはじめた。


「お嬢様……」

 テオも目が潤みだした。


「テオ、わたくし、ファザリス様との結婚を解消するように皇帝陛下にお願いしてみるわ……」

 カトレアはそう言うと声を上げて泣き始めた。肩を震わせてしゃくりあげるカトレアをテオは泣きながら抱きしめた。

「お嬢様……お嬢様ぁ……」

「テオ……テオ……」

 二人の女性はお互いを抱きしめあい、悲しみに打ち震えた。



 一方、ファザリスは聖女エラの失脚大作戦を至急まとめあげ、父にサインをねだりに向かった。なお、ヴェルディは久しぶりに本気で頭を使ったため、疲れ切ってテーブルに顔をべったりとくっつけ、そのまま寝た。




 皇太子ファザリスとの別れを決意したカトレアは、真っ青な顔で廊下を歩く。

 その後ろを歩くテオも表情が暗く、どんよりと重い雲を背負っているようだった。


 皇帝の侍従に取次ぎを求め、カトレアは震える体を叱咤して中に入った。

 謁見の間は100人が同時に入っても十分な広さを持ち、天井も三階分の高さがある。その広い空間に君臨するのは中央にいる皇帝である。


 高台からカトレアを見下ろす皇帝は威厳に溢れているが、その眼はとても優しいものだった。カトレアの父、ノーサドラ公爵は皇帝の知己なのである。


「カトレア嬢。訪ねてきてくれて嬉しいが、一体何があったのかね。顔色が悪くて今にも倒れそうじゃないか。誰か椅子を持ってきなさい」

 皇帝は優しい声でカトレアに言った。

 側近がすぐに椅子を運んでカトレアを座らせた。


「恐れ入ります。今日はその……ファザリス様との婚約を解消して頂きたく、お願いに参りました。陛下もご存じの通り、魔王軍が帝国を滅ぼすという予言が降りました。聖女様を皇后に据えれば災厄が免れるとのこと、わたくしが婚約者のままでは聖女様を皇后にできません。どうか、婚約解消をお願いいたします」

 カトレアは立ち上がると深いお辞儀をした。

 泣きそうになるのを必死にこらえ、カトレアははっきりとした口調で言う。


 真剣そのもののカトレアだが、当の皇帝は大変困った。

 なにしろ魔王は長年の友人だし、聖女の予言はまったくのでっちあげである。教団に密偵を送って内偵を進めている最中なのでカトレアが婚約解消をする必要が全くない。それに、皇帝と皇后は彼女をとても気に入っているので婚約解消などぜったいにしたくないのだ。


『ううーむ。カトレア嬢に魔族のことを話したいけれど、ファザリスがカトレア嬢にフラれるかもしれないと反対しているからなあ。ヴェルディくんに限らず、人型魔族の皆さんは卒倒するような美形だから、あいつが不安がるのも仕方がないか』

 皇帝は悩む。


 カトレアはビクビクしながら運命の言葉を待っていた。

 そんな中、息を切らせたファザリスが中に入ってきた。急いでいる彼は取次ぎが扉を開けた瞬間、イノシシのように飛び込んできた。


「父上! この書類にサインを……って、あれ、カトレア?」

 ファザリスは思いもよらない場所で恋しい女性に会えたので目を丸くする。

 カトレアも同じく驚くが、その拍子に目に溜まっていた涙がぴょんと飛び出る。


「カトレア? どうしたの? 大丈夫かい?」

 ファザリスはここに来た目的をすっかり忘れてカトレアの心配をした。

 凛々しい眉毛を下げ、心配そうな視線がカトレアに降り注ぐ。


 カトレアは別れを決心した矢先に大好きな人にやさしい声をかけられ、恋心がぐっちゃぐちゃだった。

『ファザリス様。本当にお優しくて素敵な方だわ……。この方と別れなければいけないなんてつらい……』

 カトレアは我慢していた涙が再びぽろぽろとあふれ出した。


「カトレア? 泣かないでカトレア。誰かに虐められたのかい?」

 ファザリスはカトレアの傍に跪くと、頬にそっと触れて親指で涙をぬぐう。

 だが、悲しくてたまらないカトレアは言葉がうまく出てこず、ぽろぽろと泣くだけである。



 恋人たちの純情劇を見ていた大人たちは、くすぐったくて仕方がなかった。


「ファザリス、お前の用件を先に聞こう。おそらくその方がカトレア嬢の慰めになると思うからな」 

 ここのところ気落ちしていたファザリスが元気はつらつで飛び込んできたとき、現状の打開策が見つかったのだと皇帝は察した。カトレア嬢にいくら言葉をかけたところで、国が亡ぶと信じている彼女は身を引くことしか考えないだろうが、打開策があればその限りではない。


 皇帝の言葉にファザリスは動揺した。

 泣いているカトレアを放っておくのは絶対に嫌なのだが、ヴェルディと考えた作戦を早急に実行する必要がある。

 身を削る思いでファザリスはカトレアから視線を外し、皇帝に向かい合った。


「父上。昨今、心無いものが聖女を皇太子妃にせよなどど暴言をまき散らしております! それどころか、皇太子妃にしないと魔族に国が滅ぼされると世迷言を声高に叫び、人心を惑わしております。そこで、私は魔王討伐隊を結成し、国の憂いを取り除きたく思います!」

 ファザリスの目は真剣そのものだった。

 勇気溢れるその言葉は皇帝ですら鳥肌がたったのだが、魔王は家族ぐるみの付き合いである。討伐などとんでもない話だ。


「ファ、ファザリス。お前の勇気ある言葉はとても嬉しいが、魔王の討伐など人間の身でできるわけがない。そんな危険なことはやめてもっと違うアプローチをだな」

 魔王は友達だからと口に出せない皇帝は別の切り口でファザリスを宥める。

 ファザリスはそこで不敵に笑った。

「ご安心ください。私の大親友ヴェルディが協力してくれます。彼が用意してくれたメンバーで魔王を倒しに行きます」


 魔王の息子の名前が出て皇帝はやっと事態が飲み込めた。

 きっと情に厚いヴェルディがファザリスのために一肌脱いでくれたのだろう。牙鬼がき退治といい、彼らには本当に頭が下がる。


「そういうことならもちろん構わない。すぐに触れを出して大々的に出陣セレモニーを行おう!」

 皇帝の言葉にファザリスは満面の笑みで返した。


 カトレアはぽかんと目を丸くしていたが、次第に表情が和らいでいく。

 

「ファザリス様。わたくし、お別れをせずにすむのですか……?」

 期待を乗せたカトレアの声を聞いたファザリスはカトレアの傍に行くとぎゅっと抱きしめた。

「そうだよ。僕の妻は生涯君だけだ。大好きだよ、僕の憧れのカトレア!」

 弾むファザリスの声は喜びに満ち溢れている。

 カトレアは嬉し涙を溢しながらファザリスに何度もお礼を言った。ファザリスが奔走したからこその結果だとカトレアも十分わかっていた。


「でも、魔王退治だなんて心配ですわ。ファザリス様の武勇は存じておりますが、相手は恐ろしい怪物ですわ。お友達の方だけで大丈夫でしょうか」

 カトレアは不安げにファザリスを見る。

 教養深い彼女は文献を調べ、過去の魔族の蛮行がすべて頭の中に入っていた。本当はすべて牙鬼がきの仕業なのだが、カトレアはそれを知らない。


 ファザリスは言いたいのをぐっとこらえ、にっこりと微笑む。

「大丈夫さ。ヴェルディは各地を股にかける大商人でね。荒事なんてお手の物、僕が1000人いても勝てっこないんだ」

 言っていて悲しくなるが事実である。

 

「まあ、凄まじい方ですのね。一度お会いしてみたいですわ」


「え!」

 ファザリスは固まった。

 真実のヴェルディの姿は目がくらむような美丈夫である。頭も良くて優しくて武勇に秀でている彼をカトレアは一目で惚れてしまうだろう。絶対に会わせてなるものかとファザリスは思った。


「そうだね、機会があれば会わせるよ」

 ハハっと乾いた笑いを浮かべるファザリスに何も知らないカトレアはにこにこと微笑む。


「ヴェルディ様が討伐隊に加わるのでしたら、出陣式でお会いできますわね。楽しみですわ」

 何気ないカトレアの一言だったが、ファザリスは石像のように固まった。


『ヴェルディに変化してもらおう……』

 最悪を逃れるため、ファザリスはそう思った。

 


 ヴェルディが宮殿で転寝をしている間、皇太子が討伐隊を結成して魔王を打ち滅ぼすというニュースはすぐさま各地へ伝えられた。

 大多数は喜び、皇太子一行に武勇あれと祈ったが、ある者たちは舌打ちをした。


「くっそぅ……まさか魔王を討伐しに行くなどと馬鹿な真似をするとは思わなかった。」

 光教団の教祖デラダはぎりぎりと歯ぎしりをする。

 彼らの狙いはエラを皇太子妃につかせ、影響力を強めて光教団を国教にすることである。そして教祖が教皇となり、最高の名誉と財産が手に入れるのだ。


 第二皇子はまだ幼く、いきなりエラを婚約者にするのは中々難しい。


「どうしたらいいものか……魔王の侵攻はまったくのデタラメだし、万が一、我らの嘘がバレでもしたら……ううむ困った困った」

 部屋の中を行ったり来たりする教皇を側近たちは心配そうに見つめている。


「猊下、恐れながら申し上げます。エラ様に討伐隊に加わって頂くのはいかがでしょう。エラ様の美しさにかかれば皇太子も即座にカトレアを見限るでしょう」

 一人の側近が言った。


「ううむ。エラは最後の最後まで隠しておきたかったが仕方がない。明日の出陣式にエラを出席させよう」

 教皇は難しい顔で言った。


 聖女エラが表舞台に出てこないのは、彼女の突出した美しさにある。

 野盗に襲われていたところを教祖の護衛が助けたことから縁ができたのだが、ほとんどの人間がのきなみ心を奪われてしまった。

 色より金を愛する教祖デラダですらクラっときてしまうので相当である。

 欠点は言葉遣いがなっていないのと、夢物語を信じているところだろうか。デラダも話してみたが、話がかみ合わない。


 しかし、エラの美しさを利用できると確信し、今回の騒動を起こしたのである。聖女を疑う輩にはエラを見せればすぐさま信者に様変わりした。

 神々しさすら感じる美貌とうっとりするような品が彼女にはあるのだ。



「皇太子がエラに惚れてしまえばこちらのもの。最初っから引き合わせておけばよかったわい」

 教祖デラダは気味悪く笑った。




 怒涛の準備期間が過ぎ、皇太子ファザリスの出陣式がようやく開催された。

 広間には貴族たちが礼装で集まり、皇太子たちのお出ましを今か今かと待ち望んでいる。


 楽隊の盛大なラッパの音と共に、檀上の幕がするすると上がり、優雅な笑みを浮かべた甲冑姿のファザリスが現れる。

「今日は私の出陣式に集まってくれてありがとう。私は心強い仲間と共に魔王討伐に出かける。皆の者、武運を祈っていてくれ!」


 皇太子の言葉に万雷の拍手が湧き起こる。


『次に、討伐隊の方々をご紹介いたします。まずは大商人ヴェルディ様、世界を知り尽くしている水先案内人でございます!』

 進行役の声で壇上に上がったのは球体……のように見えるでぶっとした人間である。

 ファザリスに頼まれ『なんでもいから、カトレアが惚れない程度に変化してくれ』と泣きつかれたので、ヴェルディはファザリスに一番受けたふとっちょ大商人の姿を選んだ。



 筋骨たくましい商人の姿を想像した貴族たちの目が点になる。

「あ、あの体躯で旅が務まるのかしら……?」

「いやいや、あれは脂肪ではなくて筋肉かもしれないぞ。魔族がでれば俊敏な動きで次々となぎ倒していくんだろう!」

「な、なるほど……!! それならば納得できるな」」

 勝手に納得した彼らは力強く手を叩く。



『最後に、聖女エラ様の登場です!! 花もしおれる絶世の美女、この方の美しさに魔王も膝をつくことでしょう!!』


 教皇はニヤニヤが止まらず、今後の展開を想像して心が躍る。

『ふはは!! 愚民ども、エラの美しさにひれ伏すがいい!!』

 壇上に上がったのは花びらを映したようなピンクの髪、雪のように白い肌の超絶美女だった。長いまつ毛に縁どられた大きなバラ色の瞳、ふっくらとした唇は蠱惑的でクラクラとしてしまう。


「なんて美しさだ!!!」


「聖女とはまさにこの方の事!!」


 大衆は突如現れた美女に即座に心を奪われた。カトレア派の貴族ですら、エラの魅力にあらがえなかった。


 そして、ファザリスですらもエラから目を離すことはできなかった。頭では魅入られてはだめだと理解しているのに、心が騒ぎ出している。


 そんな中、ヴェルディは真っ青な顔で叫んだ。

「ば、ばあちゃん!! こんなところで何してんだよ!!!!」



 ヴェルディの叫びに一同時が止まった。

 およそエラとは結びもつかない言葉に人々は言葉を失ったのである。 


 教皇はポカーンと口を開けていたが、すぐに目を吊り上げて怒声を響かせた。

「おいキサマ!! 聖女エラ様になんたる無礼!! 早く謝らんか!!」

 しかし、ヴェルディが答える間もなくエラが口を開いた。


「教皇さんや。ウチの孫にそんな怒鳴らんでくださいな」

 おっとりとした声で窘める。


「ま、ご?」

 教皇が目を見開くとエラはにっこりと微笑む。

 

 一方、ファザリスはこそこそっとヴェルディに尋ねた。

「ば、ばあちゃん? 君の?」

 ファザリスが尋ねるとヴェルディはこくんと頷く。


「うんそう、俺のばあちゃんだよ。御年おんとし一万とんで八百歳」


 ファザリスは衝撃を受けながら、もう一度エラを見た。

 相変わらず絶世の美女がにこにこと微笑んでいる。


「ばあちゃん、いきなりどうしたんだよ。なんで人間界にいるのさ」


「それはのう……お前に人間界の友達ができたと聞いたからのう。ご挨拶に来たんじゃよ」


 高齢のヴェルディの祖母はゆっくりゆっくりしゃべる。声は鈴のように高いので、どこかの国の訛りのように聞こえる。


「そ、それならそうと言ってくれれば……。教皇のトコにいたのはなんでさ」


「それがのう、道に迷ったところを助けて下さったんじゃ。皇太子殿下に会いたいと言ったら会わせて下さるというんでな、やっかいになっとったんじゃ」


 にこにこと微笑む祖母にヴェルディはがっくりと項垂れる。


『ハァ、ばあちゃんは細かいこと気にしない性格だからなあ。教皇の企みもまったく気にしていない……というか理解してないんだろうなあ』



「ぶえるでい。どうかしたんか?」

 哀愁を帯びた孫の態度にエラは心配して声をかける。

 その声が優しくてヴェルディはなんとなく泣きそうになった。


「大丈夫だよばあちゃん。そういや最近遊びに行ってなかったよな。ごめんよ」


「いんや。元気でいてくれたらそれでええんよ。こっちの子がお友達かのう。えらい男前の、いい子そうじゃ。孫をどうかよろしく頼んます。これ、つまらんもんですが、一生懸命わしが作りましたんじゃ」

 エラは何もない所から光る宝石を召喚するとファザリスの手を取って握らせた。

 人外の技にどよめきが起こる。誰も逃げようとしないのは、その光がとても温かいものだったからだ。


 目を見開くファザリスにヴェルディは補足する。


「魔生石っていうんだ。身に付けとくと無病息災の効果があるんだぜ。ばあちゃんしか作れなくて、一個作るのに300年かかる。」

「え、そ、そんな貴重なもの頂けません!!」

「いいからいいから、とっておきなさい」

 エラはぎゅっぎゅっとファザリスの手に押し付ける。


『ああ、思えば僕のおばあさまもこうしてお菓子を僕に渡してくれたなあ。忙しさにかまけて中々伺候できなかったけれど、明日にでもお会いしに行こう』

 ほんわかと温かい気持ちになったファザリスは思った。


 エラはにっこりと微笑んでファザリスを見た後、目を丸くしているカトレアを見た。

 強力な魔女である彼女は誰と誰が赤い糸で結ばれているか一目でわかるのだ。

「あっちのめんこいお嬢さんが、ふあざりすさんの嫁御かえ? 気持のいいオーラを持っとるのう。強くて優しいいい目をしちょる」

 エラがそう言うとカトレアの真ん前にいきなりキラキラ光る宝石が召喚された。

 超常現象にカトレアは戸惑うが、エラの温かいまなざしは不安も恐れもすべてを吹き飛ばしてしまう。


「厄除けのお守りじゃ、末永く幸せになれるようにのう。結婚祝いとして受け取っておくれ」

 カトレアはゆっくりとお辞儀をしてありがたくもらい受けた。

 気高くて美しいカトレアの姿はエラと並んで一枚の絵のようである。


 その厳かな雰囲気をぶち壊したのは教皇である。

「ま、待て待て待て!! エラよ!! お前は一体何者なのだ!!!」


 ヴェルディとファザリスは顔を青くするが、エラはあっさりと答えた。

「言わんかったかの? 魔女じゃよ」


 エラの発言に教皇は泡を吹いて倒れた。

 聖女と祭り上げた女がよりによって魔女だったのである。不祥事どころか聖職者の資質すら問われる案件だ。


 バッターンと倒れた教皇にエラはゆっくりと駆け寄ると治癒魔法を施した。子供をあやすように頭を撫でてやる。

「もう大丈夫じゃよ。疲れているようじゃから、よく食べて睡眠をしっかりとることじゃ」

 優しい顔で癒すエラはまさしく聖女そのものだった。



 そこからは質問大会になった。

 ファザリスとヴェルディは止めようとするのだが、興奮しきった人々は止まらず、矢継ぎ早に質問を繰り出した。

「魔女……ということは魔族なんですか?」

「魔王が復活するというのは本当なんですか?」


「わしはもちろん魔族じゃよ。魔王の復活? ウチの息子は元気に趣味の刺繍をやっとるぞい」

 しかも、鷹揚なエラはホイホイ答えていくのだ。

 さらには牙鬼のこと、魔王のことも答えていくのでヴェルディとファザリスは真っ青になって止めに入った。

 しかしエラは気にせず話し続ける。


 人々は意外にも怖がるでもなく、気味悪がることもなくもっともっと質問してきた。それはエラの人となりが良かったからである。


 最終的には『魔族=いい奴』と納得し、口々に誤解を詫びた。

「申し訳ありません。ずっと魔族は恐ろしいものだと思っていました」

「いやはやほんとうにお恥ずかしい限りです。今まで守って頂いたのにもかかわらず、恩を仇で返すような真似をしておりました」

「ええんよ、ええんよ。生きてりゃ間違いも誤解も必ず出てくるもんじゃ。これからも、末永くよろしゅう頼んます」


 ワっと歓声が上がり、「もちろんです! わたくしどもで力になれることなら何なりと協力いたします!!」と人々は口々に言った。

 キラキラした目で褒めたたえる彼らはまさに狂信者である。

 一歩離れたところにいるファザリスは顔をひきつらせながらヴェルディに尋ねた。



「な、なぜ彼らはあれで納得できるんだ? 長い間魔族は恐怖の象徴だったのに……。いやもちろん、誤解が解けて嬉しいけれど!」

「あ……きっとたぶん。ばあちゃんの『魅了』の術のせいかも。ばあちゃん、昔はコントロールできてたらしいけど、今は細かい制御ができなくなっちゃったみたいで……」

「なるほどね……。術ならば納得が行くよ。にしても君のおばあ様。すごいね……」

 人々の称賛を浴びながら、にこにこと質問に答え続ける美女(ただし一万越え)を見てファザリスは感嘆のため息をついた。



 式典はもはやエラを囲う会へと移行した。

 最終的には、教皇も自分の非を認め、罪を自白してカトレアに謝った。もちろんカトレアを非難していた司教や貴族たちもカトレアに謝罪した。


こうしてカトレアとファザリスが別れることもなく、また誤解がすっかり解けた魔族と人間の国はより強い絆で結ばれることになった。


 教皇は魔教皇と名乗り始め、魔女エラを崇める新興宗教を立ち上げた。信者もそこそこいるらしい。


 カトレアとファザリスは相も変わらず仲睦まじく、愛を二人で育んでいる。

 


 ヴェルディはというと、例の変装が魔界でも大ウケして、「ヴェルディ殿下ってなんとなく近寄りがたかったけど、ユーモアもあって面白いのね」と女性からデートのお誘いを受けるようになった。


めでたし、めでたし。

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― 新着の感想 ―
[一言] ワロタw
[気になる点] 『』内の文章は別の言語を話していたりする時に使われることが多く、 心中で思っていることを文章で表現する場合は 「( )」 カギ括弧内に括弧を入れてそこに文章を入れた方が分かりやすくて読…
[良い点]  完璧か!!! 私にとって完璧なハピエンがここにあった!! ばあちゃんの姿と魅了と年の功と歳を重ねた魅力が正解を平和にした!!! ファザリスとヴェルディの友情。
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