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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第1話:その青金は奇貨なるや
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伯爵と嘲笑

 その時だった。


「その問いの返事、『応』である」


 と答える、凛として厳めしい男の声があった。

 声の主は、しかし、場を収めに向かったデッカー氏でも、もちろん不良連中の誰かでもなかった。


「はあ、誰だ?」


 全く思いがけない方向から答えが返ってきたために、ダンは不意をつかれたようだった。彼は訝しげな表情で、辺りを見回した。ジンナー他二名も立ち上がって、ダンに続いて四方を確かめる。

 彼らのさまよえる視線は、やがて彼らのすぐ隣、二人がけの席で酒を飲む一人の男の背中へと集まった。

 その男は、この抜き差しならない雰囲気の中でなお、落ち着き払った様子で杯を傾けていた。


「やい、お前か、今答えたのは?」

「いかにも、我輩である」


 問いかけに応えて、男は酒杯を卓上に置き、椅子を引く。立ち上がった彼に、衆目が集まった。

 彼は不良四人組に悠然として向き直った。と、そこであらわとなった男の姿に、四人組は思わず後ずさりせざるを得なかった。

 まず彼ら、ひいては人々の目に留まったのは、何と言っても立派に蓄えられた、黒々しい口髭・顎髭であろう。次いで、その装束と振る舞い。どこの国のものとも知れぬカーキの軍帽や軍服を身に纏い、灰色の外套を巻きつけていた。引きむすんだ口元に、目深にかぶった軍帽の下の眼光は、正面の4人組を見据えて動じず。内面の確固たる自信が表れているように背筋がピンと伸びており、胸を張って堂々とした姿に、不思議と虚勢は一片も見受けられない。

 しかし、一目見て判然なのは、対峙する相手方に比べて、この男の上背がいささか足りていないことだ。この点が、彼の威風堂々とした態度に由来する印象を大いに損ねているのは確かであった。小柄とまでは言わないまでも、四人組の中で最も背の低いダンと比べても、頭ひとつ分は低いのである。更には、身につけている装束にみな汚れや綻びが目立つのも痛い。しわも寄りに寄っていて、いかにも貧乏人らしく、冴えないのだ。

 ゆえに人々にとって、わざわざ声を上げた彼の思惑をにわかには見出し難いようだった。彼には大した期待もできず、さりとて失望もしきれないという、奇妙な共通認識だけが広がる。はてさてどうなることやらと、ただただ人々の興味がそそられた。

 そんな勝手に値踏みする目を一身に浴びながらも、軍服姿の彼は終始泰然自若の態を崩さない。四人組の方もまた、大勢の前で下手な格好は見せられないと気を持ち直したようで、互いに目配せしながら男ににじり寄りかけた。


「よお、旦那。女の子の前だからって、格好つけようとしたのかい? 悪いことは言わねえ、これは俺とこのドジした娘との問題なんだ。旦那はおとなしく、ひとり酒を楽しんでな」


 ダンが説くように言うと、他の男たちもニヤリと笑って同意を示した。


「否。その娘はきっと答えまい」


 軍服姿の男は、しかし、毅然として言い放った。


「貴公らには解らぬのか。彼女は、たいそう怒っているのだ。最早言葉では表すこともできず、酒を貴公に打ちやってしまわずにはいられないほどに、な」

「なんだと?」

「見るがいい。彼女の満身が、怒りに打ち震えているではないか」


 確かに年若い女給の身体は震えていた。しかし、その原因はきっと怒りではないのだ。女給を一瞥したダンは、鼻で笑って軍服男に向き直った。


「馬鹿か、オッサン。これは自分がお客に対して、大変なヘマをやらかしちまったもんだから、怖くて怖くて震えているんだぜ」

「否、だ。事の次第を、我輩は全て見ていたぞ。貴公が酒の勢いでお嬢さんに絡み、その細腕を掴んで離さなかった。しかるのちに、今の惨状を招いたのをな。それに貴公、先刻の自身の台詞を忘れたのか。自分は礼儀知らずの馬鹿者だと、その口で言ったではないか。だからこそ、貴公の目にはそのようにしか見えぬし、そのような戯けた嘘が吐けるのだろう。本来ならば、隣におわす大柄なご朋友の助言どおり、そこのお嬢さんに伏して教えを請うて、自身の過ちを正さねばならない。されど、貴公はやはり生来の粗野な気性を露わにしないではおれないようであるから、差し出がましいようだが、我輩が代わりに教えを垂れてやろうというのだ」


 果たしてそれは真実だったようで、ダンは痛いところをつかれたように一瞬顔をしかめた。だが、すぐに不敵に笑ってみせた。


「ほうほうほう! たいそうな口を叩くじゃねえか! 正義漢づらして、立派に説教垂れるってか? オッサンこそ、常識と冗句の基本くらいわきまえたがいいぜ。じゃないと長い人生、痛い目を見ることになる。なんならば、今、俺たちが教えてやってもいいんだが?」

「開き直ったか、下郎ども。――仕方あるまい。身体に躾けてやらねば解らぬと見える」


 軍服の男は、呆れ果てたようなつぶやくと、腰を軽く落とし、身体に巻きつけた外套を手で払う。

 すると、捲れ上がったその下から現れたのは、彼が腰に佩いた剣の柄の白さであった。繊細な装飾の施されたそれは、彼を貧乏人と侮って見ていた人々の意外を突く。その白さは、誰もが場の剣呑さすら忘れて魅入ってしまうほど、鮮烈な輝きを帯びているように思われた。

 乱暴狼藉上等な四人組にとってさえ、それは例外ではなかったらしい。彼らは図らずも、一瞬の怯みをみせたのである。


「……テメエ、何者だ?」

「ほう、気になるか。しからば、貴様らが正気であるうちに名乗りをあげさせてもらおう」


 男は剣の柄に手をかけたまま、不敵にほほ笑んだ。そして、大音声を上げて次のように朗々と名乗りを上げた。


「――我輩の名は、ハゼム。ハゼム・アルーシャ・クレイウォル・エ・ラ・ヴィスカシエ。ゆえあって旅人に身をやつしてはいるが、偉大なる家祖アルーシャの名を継ぎ、ヴィスカシエ伯爵家の十二代目に連なる者である!」


 店内がざわと揺らぐ。四人組はポカンと呆気にとられた顔をした。

 軍服姿の男、ハゼムは、自身の名乗りがもたらした効果に、フンと満足げな息を吐く。

 しかし。

 人々の内、誰彼ともなくクスリと小さな笑いが上がった。みるみるうちに、それが店中に広がりを見せる。笑いは、嘲りの気色を帯びていた。

 その異変を感じ取り、ハゼムは表情を変じた。

 今や、店中をみなぎっていた緊張は消え去っていた。その代わりに好奇と嘲りの目が、遠慮会釈なく、ハゼムの方へと向かっていた。彼を指差す者すらいたし、隣近所のものと陰口を叩く者は諸方にいた。先刻まで皆だんまりを決めていたのが嘘のように、ひどく能弁であるらしい。

 眼前の四人組もまた笑いを堪えかねている様子であった。その隙を見計らい、給仕の女は逃げていった。が、彼女ですら、吹き出さないように手で口を覆っていた。

 ハゼムはついに堪えかねて、不快感を顔ににじませた。


「何か、おかしいかな」

「――おかしいとも! アンタ、果たして正気かい。貴族様だって?」


 ダンが笑いを噛み殺して、苦しそうに口を開いた。


「オイオイ、貴族様がこんな場末の盛り場にやってくるだと? いや、そんなのはどうでもいい。どうやったら『明星』持ちのお方が夜の街においでになることができるっていうんだ。その秘術、こちらが是非とも伺って見たいもんだ。なあ、お前ら?」

「『明星』持ち?」


 ハゼムの問いは、他三人の弾けたような馬鹿笑いに紛れた。

 彼は眉間の皺を深めた。剣の柄を握る右手に力を込め、一寸、刃を抜いて凄んでみせる。

 と、四人組連中はそれを見咎めて、やっと笑い声を収めた。


「『明星』持ち、とは何だ?」

「まさか知らんわけがあるまいに、仮にも貴族を自称する人間が」


 答えたのは、ジンナーだ。


「言ったはずだ。我輩は旅の者であると」

「関係ないさ、そんなもの」


 大柄なジンナーは、軍帽の下を覗き込むように腰を落とした。


「青き血を引く者、皆その瞳に『明星』を宿す。常識じゃねえか、そんなことは。よっぽどの辺境から来たように見受けるが、旦那、この街で貴族を騙るならこの程度の基本は押さえておくべきだと思うぜ」


 ジンナー、よく言った! と、ダンが叫ぶ。


「さあ、オッサンよぉ。貴族というならば、そのへんちくりんな帽子を取って見せてくれよ。貴族の証、『明星』を!」

「……その『明星』とやら、一向に分かりかねるが。貴様らが我輩の目を見れば満足するというなら、見せてやろうではないか」


 ハゼムが左手で軍帽をずりあげていく。

 その影から明らかになった彼の両目に、四人組の、そして店中の注目が集まる。

 彼はその目に、ダンの口角が愉悦につり上がっていく様をありありと見た。見た、と思った瞬間、彼は爆笑・苦笑・嘲笑の渦に巻かれることとなった。


「なんだ! やっぱり、騙り貴族じゃねえか!」


 笑いの渦に乗って、ダンの得意げな憎まれ口が飛んでくる。

 喧騒のうちに、一人沈黙を保っていたのは、ハゼムである。彼は軍帽を直した。その手には無意識に力がこもり、クシャリと皺がよる。帽子の下の表情には、急速に赤みがさしていくが、誰も気づくものはいない

 それは恥辱であったか、憤怒であったか。あるいは、そのどちらでもあったか。

 彼には、人々が自身の目の検分を行なった理由が未だ判然とはしなかった。けれど、彼は決してうつけではないのだ。自分が嘘つきであると断じられたことまで解らないではない。

 彼は、音もなく、剣を抜き払う。


「――貴様らは、我が先祖の名を嗤った!」


 大喝。一瞬、場内は騒然となり。

 瞠目した四人組の目には、一点の曇りのない剣の煌めきが映った。その白銀の向こうには、殺気に満ちたハゼムの血走った眼があった。


「ヒッ!?」


 一団の先頭にいたダンは、想定以上の抜き身に速さに身構える間も無かった。刃は一閃、彼の身を襲うかに思われた。

 せめてもの抵抗で、目を閉じる。そこかしこで上がった女のつんざくような悲鳴が、彼の耳にも届いたはずである。哀れ、彼には最期を待つほかに仕様がなかった。そうであるはずだった。

 しかし、ついにその時は訪れなかった。彼の身に、剣は切っ先さえかすりはしなかったのである。

 それは一人の男の介入による。

 剣を目一杯に振りかぶり、立ち竦む相手に一足にて間合いを詰めたハゼム。その横合いから、間一髪のところで、男が当身をくらわしてきたのである。

 この者は、振りかぶって無防備になったハゼムの横腹へ、駆け出した勢い任せに突っ込んだ。体当たりは急所を射止め、ハゼムはガハッという呼吸を絶たれたような苦しい呻きをあげる。そのまま二人はドッタンバッタンと絡み合い、無関係の席を巻き込んで床を転がり、ようやく壁際にて止まった。

 一体、何が起きたのか。一触即発の間にまに待ったをかけたのは、誰なのか。

 四人組連中も含め、店内の誰もが事態を飲み込めないまま、一瞬の空白が生まれる。

 その間隙をついて、その体当たりをかました男がいち早く復帰する。立ち上がった彼の腕は、不意打ちに丸まって苦しむハゼムを遠慮なしに引き起こしていた。


「おい、自称伯爵とやら、さっさと来やがれ!」

「ゴッ、フ……、貴殿、……くっ、何奴……?」

「てめえの同類さっ。とにかく今はついてこい。重いんだから、自分の足で立てよ、トンマ!」


 半ば引きずるようにして、男はハゼムを連れ出そうとする。ハゼムの右手には、体当たりの衝撃にも意地で手放さなかった剣がしっかと握られていた。それが彼の弱々しい抵抗のもがきにより、てんでバラバラの方向へ振れるものだから、店の客たちは剣先を恐れて自ら二人に道を開けた。


「主人!」


 男がふと思い出したように振り返り、遠くのデッカー氏に呼びかけた。


「は、はい?」

「店を荒らして悪かった。こいつは俺の知り合いなんだが、したたかに酔ったがため、こんな荒事をやらかしたみたいだ。今晩は早々に退散するよって、勘弁してくれ」

「あの、しかし、お客さん。お勘定は?」


 商魂たくましきデッカー氏はこの騒ぎにも、飲み代のことは決して忘れない。


「俺の卓の上。二人分は何とかあるはずだ。足りなかったら、川上の駅亭のジュートを訪ねてくれ。少なくとも明後日までいるつもりだから」

「――ま、待ちやがれ、てめえら!」


 退去しようする二人を呼び止めたのは、ダンだった。威勢は良いが、しかし、彼は腰を抜かして床にへたり込んでいて、まるで控えめに吠える犬のようであった。果たして、呼び止めたとして、彼にどれほどのことができるであろうか。ジンナーなど他の連中にしても、まだダンに比べてしゃんとしている足で、二人を追うでもなく突っ立っているというのに。


「兄ちゃんらも済まんかった。邪魔したな、許してくれよ」

「……謝する必要などあるものか。連中は、我が先祖を蔑ろに――」


 男のとりなしに、ハゼムは堪えきれず口を出す。


「まだ言うか! ほら、とっとと行くぞ」

「や、待て、そう引かれると先ほど打ったところが、……ウウッ!」


 引きずる男と引きずられる男。

 二人が去って行く姿を、客たちは呆然として見送った。ただ、へたり込んだ男の、恨みがましい罵声のみを別として。

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