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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
プロローグ:今は綴られし、いつかの伯爵
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物語のはじまり

 文書蒐集館のキュリオーネより伝文が届いたのは、あの雨の日の訪問から一週間後の昼過ぎのことだった。

 その間のリダはというと、相も変わらず、編集長と教授にいいようにこき使われる日々ではあった。下宿のおかみさんの機嫌取りにも苦心した。けれども、気分はいつになくウキウキとして、晴れやかだった(敏感なフリックには訝しまれることとなった)。それは、単に仕事が首尾よく片付けられたからというばかりではない。きっとキュリオーネが決断し、連絡をしてくれると、根拠のない期待が彼にとって確かな支えとなっていた。

 ゆえに、キュリオーネからの伝文がわずか一週間で届いたのはちょっと意外なことであった。彼はひと月は待てる心持ちであったためである。そのため、まだ彼女の顔を見ないうちから、彼は期待半分不安半分の不安定な精神状態に陥ってしまっていた。

 仕事は幸いにも早めに切り上げることができ、彼は『白の通り』行き路面汽車に一週間ぶりに乗り込んだ。この日ばかりは気がはやり、最先頭の席に陣取る。そわそわと到着が待ち切れず、向かいに座った客からは不審の目で見られるほどに落ち着きがなかった。

 やがて、汽車は目的の停車場に至る。それより一路、文書収集館へ向かい、この日は開館時間終了までたっぷり三〇分の余裕を持って到着した。

 受付で正規の入場照会手続きを済ましていると、奥からアンネラット女史が顔を出した。


「いらっしゃい、マーガスタンさん。この間は風邪はお引きにならなかった?」

「どうも、アンネラットさん。問題なく元気にやっていましたよ」

「教授には、伝言していただけたかしら」

「ええ。事情も合わせてお伝えしたら、『今後とも変わらず、よろしくお願いする』との返事でした」

「まあ、それは安心しました。……それで、今日はどんなご用事でかしら。もしかして、また?」

「はい、今日は彼女から呼ばれまして。きっと今取り掛かっている書き物の件です」

「そうだったのね。彼女、それまでは館内をブラブラ出歩くことも少なくなかったのに、貴方がいらっしゃった翌日からはこもりきりで、何か熱心にやっているみたいだったから」

「本当ですか!」


 こもりきりという点は少々心配だったものの、リダの心はわきたった。それは、キュリオーネが『欠地伯』の物語執筆に取り組んでくれている証のように思えてならなかった。

 彼は後は期待ばかりを抱いて、キュリオーネの部屋の前に立った。その扉は一週間前と異なり、差し込んだ陽光に明るく輝いていた。

 はやる気持ちを抑えるように、深呼吸を一回。更にもう一回してから、扉をノックする。

 今日は、どうぞ、と部屋の中から声がした。キュリオーネの声にしてはやけにか細くも聞こえたが、本人には間違いないはずだ。


「失礼します。……え、キュリオーネ、さん?」


 あいかわらず書棚が窓を塞ぎ、薄暗い室内。その真ん中の床に座り込むように、キュリオーネはいた。毛布で首から下をすっぽり包み、やつれた顔だけをひょっこり覗かせている。目の下にはクマができ、眼鏡はズレたままになっているが一向に直そうともしない。髪の毛も今日は結わえておらず、長い黒髪が毛布の上に無造作に散らかっていた。

 まるで病人のような姿の彼女にリダはギョッとした。が、キュリオーネの方は、そんな自分の有り様に気がついているのかいないのか、リダに向かって毛布の端から呑気に手を振った。


「やあ、リダ君。今日は早かったね」

「どうしたんですか、一体? 何があったんです?」

「いやいや、どうしたもこうしたもないよ」


 彼女は心配顔のリダを面白がるように、しょぼしょぼした目で笑ってみせる。


「あれから一晩考えて、キミの助言に従ったまでさ。そうしたら思いの外、筆が進んでね。ほら、あのとおり」


 彼女がそう言って指し示したのは、机の上だった。そこには綴じられた原稿用紙の束がいくつか重ねてあった。


「あれは?」

「まずはキミに見てもらおうと思ってね。『欠地伯』の物語、その草稿をね」

「あんなにいくつも、1週間で仕上げたんですか?」

「なにぶん調子が良かったんだよ」


 リダは呆れ果て、ため息すら出なかった。前回会った時には「全然書けない」「物語は気がすすまない」といっていた人物は、誰だったというのか。この目の前にいる、書きすぎたためにグッタリうなだれている女性とはとても同一人物には思えなかった。

 狐につままれたような心持ちのまま、机の上の原稿と毛布の中のキュリオーネを見比べていると、突然キュリオーネはその場で横に倒れ込んだ。


「でもね、もう限界でねぇ」

「はい?」

「私、寝るから。だからその間にでも、草稿、見といてくれない? 講評は私が起きてからってことで」

「いや、ちょっと!」


 再び呼びかける間も無く、次の瞬間には、彼女の寝息がリダに聞こえてきた。相当な眠気だったらしい。この様子だと、前回会った時からほとんど寝ていないということすら考えられた。

 諦めて、彼は机の方へと向かった。彼女が使っていた椅子にどっかと腰を下ろす。部屋が薄暗いので、まだ早い時間帯だが、ランプにも火を灯した。


「さて、どう出るものか」


 彼の目下には、いちいち題名が振られ、話ごとに丁寧に綴じられている原稿が並んでいた。その数、八本。

 一週間で八本の話を書き上げるとは、彼女自身が語ったとおり、よほど筆が進んだらしい。しかし、筆の遅速と内容の巧拙とは必ずしも比例しないものだ。それに、彼女の『記述者』としての能力には信頼があるが、同じ人物でも物語小説となると、話は違ってくる。

 ともあれ、読んでみないことには始まらない。それも確かだ。

 彼は、番号が振られた順に読み進めていくこととした。

 まずは一番の原稿に手を伸ばす。

 その題名は、「その青金は、奇貨なるや」。

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