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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
プロローグ:今は綴られし、いつかの伯爵
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『記述者』キュリオーネ

 閉館後の文書館は、ひっそりと静まり返っていた。

 場所柄、開館中でも文書館の中とは比較的静かなものである。しかしそれでも、書棚の間を歩き回る足音や、気ぜわしくページをめくる音、時々の押し殺したような咳き込みや鼻かみ。そういった雑多な人の息吹が、そこかしこから聞こえてくるものだ。

 そういった雑音すら消え失せた静謐な闇の中に、階段を上る自分の足音のみが、耳障りなほどに高く響きわたる。静けさを意識すればするほど、いつもとは異なる妙な緊張感にリダは襲われていた。

 ランプの明かりを頼りに、やがて、彼は三階の廊下までやってきた。目指す部屋は、左右に扉が並ぶ廊下の先にあった。その扉は、廊下の端の窓から落ちる街灯の光に、青白く照らし出されていた。

 元々物置だという貧相な扉。その前に立ち、彼はまずは軽くノックしてみた。

 耳をそばだてる。しかし、反応はない。

 再度、次は強めに扉を叩く。それでも、中で人が動く気配すらしなかった。


「キュリオーネさん、いらっしゃるんでしょう?」


 扉越しの呼びかけも、虚しく廊下にこだまするだけだった。

 となれば仕方がない。

 リダは、ドアノブに手をかけた。力を込めるとそれは案に相違して容易く回り、ドアは自然に廊下側へと開きかける。わずかに開いた隙間から、しかし、光は漏れだしてはこない。


「失礼しますよ」


 いるはずの相手に向かって声をかけながら、扉をいっぱいに引き、真っ暗な部屋へと足を踏み入れる。

 その一歩目。彼の足元で、ぐしゃりと何か柔らかい物が潰れる音がした。びくりとして視線を落とすと、どうやら丸めた紙を踏んでしまったようだ。

 今度は、ランプを顔の高さまで掲げ上げてみる。その灯火が室内をぼんやりと照らし出していった。

 そして、目に映った光景に、彼はハッと息を飲んだ。

 はじめに彼の目に飛び込んできたのは、天井以外の部屋一面を埋める書棚と文書箱、そこに所狭しと詰め込まれた巻紙や紐綴された文書類だった。書棚の群れは当然といったように窓まで塞ぎ、外から入ってくる光の一切を遮っていた。床にも無造作に積まれた文書の山が連なっている。それがないところには、代わりに紙くずやら脱ぎ捨てられた服、筆記具やらが散乱していた。

 荒れ果てた室内に人の気配を探りつつ、彼はもう一歩二歩、なるべく床が見えているところを選んで歩みを進めた。すると、部屋の一番奥。闇夜に紛れこむような藍色の服をまとった人影が、机に突っ伏しているのが次第に見えてきた。

 それは、リダがこの二三ヶ月間、折に触れては探し続けていた女性だった。


「キュリオーネさん。起きてください、キュリオーネさん!」


 もう何を踏んでしまうかなど、気にはならなかった。ランプをスタンドに吊り下げ、リダは机のそばまで足早に寄って行くと、早速彼女を起こしにかかった。

 丈長のワンピース姿のその女性は、短い粗末な肩がけを羽織っただけで、机の上に組んだ腕を枕代わりに寝入っていた。見るからに、首でも痛めてしまいそうな寝姿である。長い黒髪を後頭部で結い上げたままのところを見ると、居眠りのつもりがそのまま深い眠りに落ちてしまったらしい。リダの呼びかけにも彼女はただウウンとうなり、眉根を寄せると、寝相を顔の向きだけ逆方向に変えてしまっただけだった。

 リダは苛立ちを隠さず、少し湿り気を帯びた髪をかきむしった。もうこのままの半端な起こし方では埒があかない。そう判断した。

 彼は、彼女の羽織着が乗った肩を強く揺り動かして、耳元で「キュリオーネさん!」と怒鳴った。


「ひゃえっ!? なに、何?」


 途端に、女性は素っ頓狂な声を上げて、飛び起きた。

 一体何が起きたのかといった様子で彼女は辺りを見回す。だが、途中何かに気がついたようで、今度は慌てて机の上の方々を手で探り始めた。


「眼鏡ならここにありますよ、キュリオーネさん」


 机の端から落ちかけていた彼女の探し物を、リダは先んじて手に取っており、冷静な声とともに女性に差し出す。

 キュリオーネと呼ばれた女性はそれを受け取ると、目に見えて安心したようだった。寝ぼけ眼を覚ますように何度か目をこすってから、彼女は眼鏡をかけ、それからようやくリダを見上げる。彼女の整った顔立ちからは妙齢の女性らしい不思議な色香が漂うが、それにもまして頬に残った本の跡が強烈に目を惹くものだから台無しである。


「ああ、どうもありがとう。ええと貴方は、……あっ」

「お久しぶりです、キュリオーネさん。半年ぶりですね」


 その言葉に、リダは皮肉をたっぷりと込める。

 ランプの灯に照らされたキュリオーネの表情が、次第に気まずそうなそれへと変わっていく。顔が青白く見えるのは、ずっと室内にこもりきりで不健康な生活をしていたせいだけではないようだ。その移り変わり様を、彼は間近にありありと見て取ることができた。


「そうかぁ。ココ、バレちゃったのかぁ」


 どうやら事の次第を察したらしく、キュリオーネは気落ちした様にうな垂れた。そんな彼女の姿を見て、リダは今日初めて少しスッキリした気分になる。

 だが、彼女も彼女で、済んだことは気にすまいと思い直したようで。やがてケロッと、自若泰然としたいつもの面持ちに戻った。


「ま、仕方ないね。……でも、どうしてキミが? しかも、わざわざこんな遅い時間に」

「僕も本意じゃなかったんですが。まあ、いつものことです。教授からの指示に従っただけですよ」


 キュリオーネの至極真っ当な疑問に答えながら、リダを周りを見渡した。キュリオーネが腰掛けているもの以外に椅子は見当たらない。それでも幸いに空っぽの文書箱を見つけることができた。足元に散らかった紙くずを靴先で払いのけ、床が見えたところで木箱をひっくり返して腰を下ろす。


「教授の指示?」

「街を離れなかった貴女がここに身を隠し、何かやっていることがわかった。至急詳細を確認せよ、と」


 ひときわ筆圧強く記されていた「至急」という単語を、リダは思い出す。編集部室に届いた、あの伝文である。彼は、疲労が滲み出たような重たいため息をひとつこぼした。

 その様子を、キュリオーネは哀れみの目で見る。


「キミは相変わらず、あのお爺さんに振り回されてるみたいだね」

「とっくに諦めていますから。というか、今回については、完全に貴女のせいなんですけどね、キュリオーネさん?」

「もう放っておいてくれてよかったのに。教授もどうして、そこまでこだわるのかなぁ」

「あの人の面倒くさい性格は、貴女も重々承知しているでしょう? 丸二年も一緒だったんですから。しかし、貴女の方こそ、話が全然違うじゃないですか!」


 しれっと、まるで他人事の様に呟くキュリオーネに、リダの方はプッツンと堰を切ったように文句をぶちまけ始めた。


「前々から、あの仕事が終わったら街を離れるとおっしゃっていましたよね! だからこそ、教授もわざわざ送別会までやって貴女を送り出したんです。なのに、一体どういうことです? その後、ずっとこの街に残っていたっていうじゃないですか。教授からその話を最初に聞いた時には、また厄介なことになったと思いましたよ! どうせ、いいように使われるのは、いつだって僕なんですからねっ!」

「ちなみに、その最初の話っていつ頃?」


 怒気のこもった口調でまくし立てるリダ。対して、キュリオーネはひょうひょうとした態度を崩さず、話をぶった切って訊ねた。


「……んん、そうですね、送別会から2ヶ月ちょっと経ってましたかね」


 話の腰を折られ、リダは釈然としないものを感じつつも答える。

 こういう律儀な性分をキュリオーネに突かれたことに、彼は気がついていない。


「想定していたよりずっと早いなぁ。どこから漏れたんだろう?」


 キュリオーネは思案顔で天井を見上げた。


「教授もあれでいて、元高等学問所の教官ですからね。この辺りにも古いツテはあるんでしょう」


 この文書館だって学問所付属ですし、とリダが公然の事実を付け足す。

 すると、本当に失念していたのであろうか。キュリオーネはハッとした表情に変じた。それから、そういえばそうだったねと恥ずかしそうに顔を赤らめ、ごまかしにもならない苦笑いを浮かべた

 隠れていたという身の上にしては、随分と呑気なものである。

 ついつい彼は、さきほどまでの怒りを忘れ、呆れてしまう。同時に、その肝の座り様にも妙に感心してしまうのであった。


「――まあ、それはともかく。話を本題に戻しましょう」


 リダは咳払いして話を仕切り直す。そう、無駄話をしている暇はないのだ。


「お聞きしたいのは、この半年間、キュリオーネさんがここで何をやっていたのかということです。貴女の仕事は、――少なくとも、この狭界での仕事は、教授と一緒に書いた本が出来上がった時点で終わっていたはずです。そして、貴女には『記述者』としての仕事が、次の旅が待っている、と。貴女自身が、そうおっしゃったじゃないですか。なのに何故、貴女はこの街に留まったのですか?」


 そう訊ねておきながら。リダには、彼女が答えの一端が既に分かっていた。

 この部屋を埋め尽くす、山と積まれた文書群。それを目にすれば、理由は自ずと知れてくるではないか。

 彼女は、これらの文書のためにこの街にとどまったのだ。

 彼女の身には、言いようもないほどに巨大な責務が課されている。大げさな表現ではなく、文字通りに『世界を知る』という役割が。仕事柄、リダはそのことを、よくよく承知している。

 だからこそ、彼は気になった。『記述者』としての責務を一時投げ出してまで彼女が取り組もうとしている対象とは、一体何か?

 それは教授からの指令によるものばかりでは決してなく、単純に彼自身の好奇心から生じる問いでもあった。

 一方、キュリオーネはというと。急に真剣に問いただしてくるリダに困った風に、頬をポリポリとかいた。


「そんなに勢い込んで言わなくとも、答えるよ。別に隠し立てするようなことじゃないしね」

「貴女のことです。きっと、この文書の山が関係しているんでしょう?」

「まあ、そんなに慌てないで。順を追って話すから」


 きっと少し長くなるだろうし、と言うと、彼女は椅子ごと彼に向き直った。

 一拍の静寂が訪れる。そこで少し考え込んでから、キュリオーネは口を開いた。

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