篤信者メラウ
それから、時は数刻ばかりが過ぎ。
迫る夕闇に急かされるように街路を人々が行き交う。そんな中、とある一本の路地から姿を見せたハゼム達は、溶け込むがごとくに人々の流れへ紛れ込んだ。
彼らは各々の手に手に、果物の詰まった網籠を抱えていた。溢れんばかりの新鮮なそれらは、アルコリケの名物であるところの葡萄に林檎、それに梨。
いかにも満足な土産を手に入れたという面持ちで、彼らは通りを闊歩する。
「――少しお待ちになって」
あと少しで駅亭にたどり着く。そんなところで、一行に声をかける者が一人。
「ふむ? 貴嬢は先刻の」
「ええ。先ほどは名乗る暇もなく、失礼いたしました。私はメラウと申しますわ、荷背の御方々」
振り向いたハゼム達にそう名乗ったのは、一人の女性。
泥棒少女をめぐる捕り物の最中、査問官とハゼムとの間に割って入った、あの白衣のたおやかなる女性であった。
「メラウ殿、あの査問官なる奴ばらは?」
「私がこの一件を預かる、つまりは貴方方の行動に関して責任を持つということで事を収めましたわ」
「それはそれは、ご厚意痛み入る」
ハゼムは頭を深々と下げ、礼を告げる。
と同時に、たった一人女人の身にして当地にて強権を振るう査問官(あるいは熱心党員ら)を抑えたという、彼女の素性に疑問を抱かずにもおれなかった。
「それにしても、どうやら窃盗の件は穏便に片付いたようにお見受けいたしますが?」
ハゼム達の後ろで身を縮こませていた少女に鋭い視線を向けながら、メラウは問う。
「いや、いかにも。事の次第を話せば長くはなるが――」
ハゼムはそんな少女とメラウとを見比べて、さてどのように乗り切ったものかと頭をかいた。
「あの後、我輩達で何とかひっ捕らえて事情を問いただしたところ、何のことはない。出来心でやったとの返事。更に詳しく話を聞けば、どうやら病身の妹が家にいるとか。その妹のためを思って精をつける品を探していたが、手元に金もなし。すると、駅亭で理髪商売をやっていた我輩の連れ、その身につけていた品が目につき、妹のための土産の費用代わりにと盗人を試みたという。我輩とて大事な従者を傷つけられ、怒りがないわけではないが、そのような話を聞き、頭を下げられればつい人情も沸くというもの。それに加えて、盗まれた当の本人も、盗品さえ手元に戻ってくれば此度の罪は許すと言い出した。実は、この連れの養母も似たような境遇があったがゆえ、似たような境遇に同情の念を抱いたのであろう。そのため、この件はもうお互いになかったこととして収めることとしたのだ」
「なるほど、それでは当件に関しては両者和解に至ったと?」
全ては嘘。即興の、真っ赤な大嘘である。それをハゼムは平然とした表情で貫き通す。
ルーリエも彼の横でわざとらしくウンウンと頷いて見せたが、また大法螺を吹いて……、と内心呆れていた。
それに対し、念を押すようにメラウは問う。
「そのように捉えていただいて結構である」
「それでは、その果物籠はなんでしょう?」
「これも連れの厚情によるものでな。病身の妹にせめて精がつくように甘味をと、連れが申して聞かぬ。とはいえ、当地での路銀はすべて連れが理髪商売で賄ったものであるがゆえ、我輩も強くは出れぬでな。したがって、こうして買い求めたものがこれである」
メラウは、それでもまだ疑うような目で少女が抱える籠を見つめていた。だが、やがてにっこりと微笑み、ハゼムとルーリエと視線を交わした。
「――そうでしたか、流石は荷背の御方々。盗人の事情を酌量されるばかりでなく、自らが路銀までかの者のためにお使いになるなんて。まさに私共の鑑となるようなお振舞です」
メラウは再び少女に向き直り、その視線の高さに合わせて身をかがめる。
「今回は良き方々に巡り合いましたね。けれども、一度犯した罪は罪。いかなる事情があろうと、それは変わりません。己の行動を顧みて、深く反省すること。よいですね?」
「……はい」
「今度また困ったことがあれば、次からは教会へ助けを求めるようにしなさいな。今は亡きタバヤ様の教えは、そこに息づいています。きっと貴女の力になってくれることでしょうから」
そのメラウの親切な言葉に、少女の表情はわずかに曇ったようにハゼムには見えた。
少女は今度は応えず、ただ黙って小さく頷くだけだった。
「――さて、荷背の御方々。この後、お時間は少しばかりありますでしょうか?」
「それは何故に?」
「貴方方は久々に我が街へ逗留されている荷背の御方々です。そのため、司祭様が是非旅立ちの前にお会いしたいと仰られていまして。せめてお一方、ハゼム様とお聞きしましたが、どうか貴方様、教会までご足労願えませんでしょうか?」
メラウの丁寧な申し出に、しかし、ハゼムは少々考えこまざるを得なかった。
現時点でのタバヤ教団の評価は、駅亭店主にここ数日吹き込まれた続けた内容からして判断するしかないが、やはりあまり芳しいものではない。
先刻の騒動もそうだ。荷背に対しては度が過ぎるほどに慇懃である一方、罪を犯した者には一切の容赦なく厳格な処罰を為そうとする、気味悪いほどの二面性。この街の置かれた事情に深く立ち入るべきではないという警告の声が、ハゼムの脳内ではずっと響き続けていた。
だがしかし他方で、今相対しているメラウというこの女性の、一貫して毅然とした物腰にも惹かれるところがあるのも確かだった。先ほど申し立てた偽りの和解の経緯にも真摯に耳を傾け、それを受け入れたうえで、今回の下手人たる少女にも戒めとともに許しを与えた、その物事に対する柔軟な姿勢。それは、先刻の査問官らとは大きく違う好ましき人柄に思われた。
そうした逡巡の末、ハゼムは「我輩でよいのであれば」と応えることにした。
「それじゃ、私はこの子を連れて先にいきますね」
事の推移を見守っていたルーリエは、そう言ってどこかせわし気に少女の手を引く。
「フム、家まで送ってやるのか」
と、ハゼムが問うと、
「ええ。ですがその前に、髪型だけは簡単に整えてあげるつもりです。さっきは理髪が途中まででしたから。きっちり最後まで終わらせないと、なんだか手が落ち着かなくて」
ルーリエは、どうやら少女の整えきれていない髪が気になってしょうがないようだった。
それに思えば、仮設の理髪店も小一時間あまり放置しているのだ。彼女の仕事道具も広げっぱなしで、荷背に親切なこの街で滅多なことは起きないだろうが、心配になるのは仕方がない話である。
ハゼムは彼女に許しを与え、ついでに手元の果物籠もルーリエに預けた。
だが、ルーリエが少女を連れて立ち去ろうとした時、
「ああ。貴女、ちょっと」
と、メラウが少女を呼び止めた。彼女の白く細い両手が、少女の持つ葡萄の籠へと向かう。彼女は探るように籠の口を広げ、一房一房葡萄の山をかき分けた。
「どうかされたかな?」
ハゼムは、あくまでも平静を装って問う。
その問いにすぐには応じず、メラウの視線はしばし籠の中へと落ちていたが、やがてふと顔を上げた。
「……いえ、少し痛んでいるものがあったように見えたものですから。けれど、どうやら私の見間違いだったようです」
「いやいや。度々のお気遣い、痛み入る」
そう応じながらも、ハゼムの背筋には一筋の冷や汗が流れた。
それは、もしもメラウの手が今しがたルーリエに手渡した梨の籠の方に伸びていたならば、その底に横たえた二本の小瓶に気づかれたはずだったからに他ならなかった。
ルーリエたちと別れ、先を行くメラウの数歩後ろをハゼムは追う。
教会までのその道すがら、ハゼムは彼女という未知の人物像について示唆しうる光景に接していた。
「メラウ殿。貴嬢は、街の人々から随分と慕われているようであるな」
「そうでしょうか? 人見知りの多い小さな街の中では、いつもこんなものですよ」
彼女はやんわりとそう答える。だが、それは多分に謙遜というものであろう。
なぜならば、メラウが街路を進み始めてからというもの、彼女に声をかけてくる市民が引きも切らないからである。そして、彼らはみな一様に尊敬の情を、ないしは親愛の情を隠すことなく彼女に向けるのだ。
査問官と対峙した時の件といい、彼女がただの一市民ではないというハゼムの推測をこの様子が裏付けているようであった。
「強いて言えば、私は教団の役職についておりますから。そのために、いささか他人よりは顔が広いといえるかもしれませんね」
釈然としない様子のハゼムを顧み、メラウはそう付け足して微笑む。
このアルコリケの街を支配するという、タバヤ教団の役職者。
その事実は、ハゼムの推測に一片の答えを与えていた。けれども、ハゼムはそれだけでは説明のつかない人望の厚さが彼女にはあるように感じられてならなかった。
やがて二人は、街の大通りの端に建つ一際大きな建造物の前に立ち至った。
「こちらがこの街の教会です。といって、胸を張ってご自慢できるほどのものでもありませんが」
そう紹介しながら彼女は、『教会』の門をくぐる。
近づいて見上げてみれば、その佇まいは確かに周囲の家々に比して、立派である。
だが、教会とはいうものの、ハゼムの想像に反してその建物の装飾は実に簡素なものだった。彼が抱いたその印象は、メラウに続いて教会内部に立ち入ってからも変化はなかった。
彼の短くない旅の経験上、宗教施設とは信仰の形を何らかの象徴・表象としてその造形に取り込むものであった。そこに立ち入る者の心象に、視覚的な感銘を与えるための装置とも言えようが、ともかく信仰の空間はそのように演出されることを免れえない。そういうものであるし、そうあるべきものなのだと経験論的に考えていた。
けれども、このタバヤ教団の教会は、まるで宗教施設らしき雰囲気を感じさせないのである。
まるで街の単なる公会堂と、その中の大講堂。言い切ってしまうならば、かえって無宗教的な空間に近いとさえ思える。
そんな奇妙な感触を抱きながら、ハゼムはメラウに続いて建物の奥へ奥へと進んでいく。
講堂奥の階段を上り、廊下を経て、ある一室の前にたどり着く。
その扉の両脇には、見覚えある深緑色の制服に身を包んだ男が二人控えていた。
「司祭様はご在室かしら? お会いしたいのですけれど」
「メラウ殿、此度はどのようなご用件で?」
メラウの問いに対し、男の一人が無感情な声音で問い返す。その目はメラウよりも、彼女の背後に立つハゼムをじっと見据えていた。
「先日よりご逗留されている荷背の御方をお連れしました。司祭様が是非お会いしたいとおっしゃっていたところ、本日、縁あってお会いすることができましたので」
「はて。我らはそのような件、聞き及んではおりませんが」
「一昨日の会議のあと、雑談の折に出た話ですから、貴方方が知らないのも無理はありません。さあ、司祭様がいらっしゃるなら、通していただけないかしら? こちらも荷背のお方に無理を言ってご足労頂いているの。時間がもったいないわ」
そこで、衛兵らしき二人の男たちは互いに視線を交わした。一人が頷き、持ち場を離れて、どこかへ駆け足で去っていく。
残った一人はメラウに向き直った。
「申し訳ありませんが、メラウ殿。保安上、事前の連絡なき司祭様との対面は、許可することができません」
「それが例え私であっても、ですか?」
衛兵のそっけない態度に、メラウは少しばかり語気を強めた。
「メラウ殿だけであれば構いません。しかしながら、今回は部外者をお連れのご様子。司祭様の身の安全のため、お通しすることはまかりなりません。どうかご容赦くださいませ」
「司祭様の身の安全、ですって? 貴方はこちらの荷背の御方が、司祭様に何か危害をなすとでもいうのかしら?」
「拝見するに、お腰に剣を佩いておられます」
「それならば対面の際、貴方がお預かりすればよいだけでしょう」
「他に短剣の類などお持ちでないとも限りますまい」
「それも必要ならば検めればいい話。それがあなたの仕事でしょうに」
「ともかく、今は一人をマリクス様の元へ遣わしています。しばらくお待ちいただき、マリクス様のお許しが出れば、司祭様との対面も叶うかと」
それは明らかに時間稼ぎが目的の、終わりなき押し問答。
しかし、マリクスなる人物の名が衛兵の口より出た途端、それまでは表面上平静を保っていたメラウの顔元が一転して険しくなった。
「そこでどうしてマリクス殿の許可が必要になどなるのですか! 彼はあくまで教理部の代表者に過ぎません。貴方、何か勘違いをしているのではなくて?」
「マリクス様は、この教会施設の管理責任者も兼務されておられます」
「それは言われずとも存じておりますわ。けれど、司祭様が誰とお会いになるかを決める権限までが彼にあるとはとても思いません! 今すぐそこをお退きなさいな。私が先に司祭様にお会いして、荷背の御方との対面の可否を直接伺います」
「ですが、メラウ殿……」
「くどい! そこを退きなさい!」
メラウは先ほどまでの穏やかさなどかなぐり捨て、衛兵が立ちはだかる扉に迫った。
衛兵も力づくで止めようと思えば可能であっただろう。だが、見るからにそれは憚られる様子で、彼の手は力なく、メラウの細腕によって振り払われた。
と、そのとき。
ハゼムにはかすかに聞き取れたほどの声がして、部屋の内より扉が開いた。
そこから顔をのぞかせたのは、白いひげをたっぷりと蓄えた片眼鏡の老人の顔だった。
「司祭様!」
途端、恐懼して飛びのくメラウ。
衛兵の方も、驚いた様子でその場で片膝をつく。
「何の騒ぎかと思えば君かね、メラウ君?」
「申し訳ございません。教会の静寂を乱し、大変な失礼をいたしました」
老司祭の視線はメラウを、衛兵を、そして棒立ちのハゼムを捉えて止まる。
皺だらけの彼の表情は、戸惑い、疑問と移り変わり、最後に何事かに気付いたハッとした表情に変じた。
「オオッ、これはこれは……。貴方様のその居ずまい、もしや荷背の御方では?」
「いかにも。我輩は、ハゼム・アルーシャ・クレイウォル・エ・ラ・ヴィスカシエと申す者。先日来、当地にて宿を借りたる荷背である」
ハゼムの返答を聞き、老司祭はその顔の皺をより深くして喜びを表した。
「わざわざ出向いていただけるとは、なんたる僥倖かな! この老輩めは、貴方様にどうかお会いしたいと祈念しておったところ! これも女神さまの御導きか! どうか是非是非お話がしたいが、いかがでありましょうか?」
「我輩で不足なければ、喜んで応じましょうぞ、ご老師殿」
その言葉に老司祭は一層の喜びを示し、ハゼムはメラウとともに老司祭の居室へと招き入れられた。




