もぐり酒場
先導役の大男に従い細い路地を抜けていくと、やがて、一軒の民家らしき建物に行き着いた。男はその扉を数度、奇妙な調子でノックする。数秒の暇を置いて内より返事があると彼は扉を押し開き、その中へ人目をはばかるように姿を消した。
ハゼム達も少々のためらいののちにその後に続くと、そこは煙草の煙とアルコールの芳香漂う闇夜の空間だった、
ハゼムの目が慣れてくると、室内の様子が次第に明らかになってきた。雨戸を締め切って日光を遮ったその空間は、殺風景なカウンター席といくつかのテーブル席が並ぶ、小酒場の趣を見せていた。
「おい、そんな人数引き連れてくるとは、話が違うじゃねえか」
カウンターの向こう側で煙管をふかしながらグラスを磨いていた老年の男が、視線だけをこちらへ寄越し、大男に対して責めるような口調で言った。どうやら、この老人が大男のいう『大将』なる人物らしい。あるいはこのもぐり酒場の店主とでも言おうか。
老店主はあからさまに不審そうな様子でハゼム達を眺めてきた。
「大将、申し訳ねえ。だがしかし、これには事情があるんだ。取引がごちゃついちまってな。――いや、誓って査問官どもの目に留まったわけじゃない。ただ、このお人らが、俺には判断がつかねえヨソモノを持ち込んで、それでルンルーモを取引したいっていうもんで」
大男はこの小柄な老年男性に頭が上がらないようで、彼の視線が厳しくなると身を縮めつつ、言葉を選んで事の経緯を話した。
「ヨソモノだって? じゃあ何だい、アンタらは荷背のお方かい?」
そこで老人は初めて瞠目してハゼム達を見た。
「いかにも、我輩とここにいる我が従者ルーリエは荷背としてこの地に参った。我が名はハゼム、全名をハゼム・アルーシャ・クレイウォル―」
と、ハゼムがまたいつもの長ったらしい名乗りを始める前に、ルーリエが彼の肘を強くつねった。薄ぐら闇の中で視界を得られない彼女はずっとハゼムに引っ付いていたのだが、彼が更に話をややこしくしそうな貴族としての名乗りを始める前に掣肘するのが自分の役目であることは認識していた。
「――ゴホン。ともかくも早い話が、貴殿らとの取引を所望する、というわけだ。名刺代わりと言っては何だが、例えばこういう品であれば、取引に応じてはくれぬだろうか?」
そういって、ハゼムはルーリエの手より魚鱗細工の簪を受け取り、そのまま、カウンター越しに老主人へ手渡した。
老主人は、カウンターから出てきて、締め切った雨戸の隙間から差し込んでくる外光に翳しては透かし、受け取った品をしげしげと検分する。その目の色がたちまちのうちに変わっていくのをハゼムは目撃した。
「おい、小童!」
「へ、へえ」」
店主の鋭い声に、大男は身を固くした。
「この旦那にルンルーモを注いで差し上げろ。大杯に湯と半々、縁ギリギリまでだ。ついでに連れの嬢ちゃんらにも、好きな飲み物を一杯ずつ」
「え、いいんですかい?」
「それでも足りねえくらいだぜ、小童。俺はちょいと出てくる」
「一体どこへ?」
「タッケンの旦那のところへ話をつけてくるに決まってらぁ。それまでお前が場をつないでいろ」
そう言うが早いか、老店主は簪片手にカウンターの裏へと姿を消してしまった。あとに残された大男はしばし唖然として突っ立っていたが、やがて言いつけを思い出したのか、慌ててカウンターの中に入り酒器を棚から取り出した。
「俺ぁ、大将のあんなに驚いたところ見たことねえぞ。なんてもん持ち込んだんだい、旦那」
男はそう言いつつ、陶器製の上等な酒器を卓上に置く。深さのあるそれに湯気湧きたつ湯を注ぐと、奥に隠すように置いてある甕から柄杓一杯を加える。細い匙でぐるりとかき混ぜて、男は杯をハゼムによこした。
ハゼムは席に腰を下ろし、杯に口元を寄せる。
たちまち強い酒精のぷんとした香りが彼の鼻腔を満たした。
温い酒杯を手に取ってグビリと呷る。と、独特の芳しさと甘苦さが舌先から喉元へと駆け下りていく。そして、引き換えのようにふわりとした軽い酩酊の兆しが背筋から脳天へ登ってくるのだった。
「旨い、実に旨い酒だ」
ハゼムは熱いため息とともに、率直な感想を口にした。
「そうでしょうともさ。ルンルーモはヤミとはいえ、本物の職人が作ってる。酒都とも称されたアルコリケの名に恥じない銘酒ですからね」
カウンターの向こうの男は実に誇らしげだ。
その言葉には、何の誇張もない。それはハゼムがようやっと垣間見た、当地アルコリケの実相のような気さえした。
この職人が作り出す味わいに、誇りを持つ街の人々。
それこそが本来のアルコリケの人々ではなかったのか?
二度三度と酒杯に口をつけるたび、ハゼムはそう思わないではおれなくなった。
「――しかし、かの老店主。あの簪に一体いかほどの価値があると見込んだのであろうか?」
酒杯の中身が残り少なくなったころ、ハゼムはふと独りごちた。
「どうなんでしょう。本当に呑み切れないほどの量だったらどうします?」
「とうに決まっていよう、ルーリエ。そこなる少女へ土産にくれてやるまでよ!」
当地でお気に入りになった乳入り紅茶のカップにちょびちょび口づけるルーリエの問いに、酔いが回りだして少々気が大きくなったハゼムは応えた。
かの泥棒少女も、今はルーリエと同じ紅茶を恐る恐る口にしている。
「ひゃいっ? さっきの話、本気で……?」
「案ずるな。このようにうまい酒と巡り合わせてくれた礼でもある。遠慮など必要ないぞ!」
「ハゼムさん、ちょっと度が過ぎていませんか? 声が大きいですよ」
酔いが回って上機嫌に顎髭をしごくハゼムに、ルーリエは俺となく釘をさす。
しかし、ハゼムはそんな指摘など意に介さないかのように残った酒を天を仰いで飲み干した。
「もう、ハゼムさん!」
「……それに、どうやらいよいよお出でなすったようだ」
「はい?」
「大将の大将、総大将といったところか。この闇酒の元締め殿が」
酩酊に些か淀んだハゼムの視線の先、店の奥の勝手口の前。戻ってきた大将こと老店主の傍らに、ハゼムの飲みっぷりを見て口元を緩ませる壮年の男が一人。
「いかがかな、秘密の酒の味は?」
「実に美味い。技と誇りを感じる味わいと思ゆ」
ハゼムが大仰にそう答えると、男はクックッと満足げに笑った。
「いや、失敬。それでアンタかい、取引したいって言う荷背の旦那は」
その男は愉快気に、しかし抜け目のない瞳でハゼムら一行を射すくめた。
「荷背のお方、――ハゼムさんと言ったかい。アンタに是非、こちらタッケンの旦那を引き合わせたかったんだ。実は、旦那には探しておられるものがあってな。きっとハゼムさんの商売ともかち合うはずと見込んだんだ」
もぐり酒場の老店主は本来の持ち場に戻りつつ、連れてきた男を恭しく店の上席へと案内する。ただその仕草振る舞いだけで彼らの年齢を超えた上下関係がわかるといったものだ。
ハゼムが渡した簪は、そのタッケンなる男の掌中にあった。
「この簪、今しがた見せてもらったぜ。女の飾り物に関しちゃズブの素人だが、一目簡素にして、実に細かいところまで気の利いた見事な品と感じ入った。ハゼムの旦那、この名品にはどんな由来があるんだい?」
ズブの素人と彼自身は言うが、それはおそらく謙遜交じりのものだろう。こういった商売、ものの本質的価値を見抜けないものが上の立場に居座れるはずがない。
軽い酩酊の中にあるハゼムも、これは重要な交渉の場とみて襟を正した。
「先に訪れたる巨大な湖のある狭界、その岸辺の街にて仕入れた品である。その街に住む職人衆は、湖で獲れた魚の色形様々な鱗を用いて、ありとあらゆる細工物を飾り立てる名人であった。貴殿の掌中にあるそれも、同様の技術によるものである」
「ふぅん、これがみな魚の鱗でできている?」
タッケンは、指先の簪を近くの蝋燭の火にかざし、少々疑ってかかる眼で覗き込んだ。
「下地は木やガラスだが、表面の装飾はみな魚鱗で間違いない」
「宝石や金属の類は?」
「基本、使ってはおらぬはずだ。その必要がないほどに、かの狭界の湖で獲れる魚類とは色鮮やかなものが多かった」
ハゼムの説明を聞き、タッケンは改めてしげしげと簪を見つめた。次いで鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。
「……生臭さもない。むしろ花のような良い香りがするな」
「そのようなことがないよう、適切に処理し、磨きをかけるのも職人衆の手腕である。玉虫色という言葉があるが、光の当たり方によって輝きを変えるように魚鱗を配するその繊細なる技術、実に感嘆すべきものであったと我輩は記憶している」
タッケンはハゼムの説明を聞きつつ、未だその真贋を確かめんがために簪を覗き込んでいたが、やがて観念したように、
「なるほど。こりゃあ、どうやら本物のようだ」
と、仰け反りながら独りごちた。
そして、再度商売人の顔に戻り、ハゼムに向き直る。
「――ハゼムの旦那、こちらへ。早速だが、商談といこう」
「是非とも。我輩とて、願ってもなし」
伯爵は、酔いどれ足を叱咤して、いざ交渉の席へと赴いた。




