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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第3話:禁じられた美酒
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路地裏の取引

 入り組んだ路地裏を、ハゼムとルーリエの二人は息を切らして駆け巡っていた。所々石畳の路面が剥がれ地面がむき出しとなり、道端の水路からは生活排水があふれて異臭を放つ。本来の活気が失われて久しいとはいえ、いまだ清潔さを保っていた表通りと一変して、ここは街の頽廃と疲弊の兆候を如実に示しているかのようでもあった。

 と、初めにそれに気が付いたのは、ルーリエの方だった。


「ハゼムさん、ちょっと! こちらから声がします。きっとあの子です」


 耳ざとい彼女はハゼムの手を引っ張り、彼を一本の細い通りへと導く。行き着いた壁の端から静かに様子を窺うと、果たして件の少女はいた。彼らの間近、路地のほぼ真向い。人気のない一角にて、誰か見知らぬ大柄な男と何やら言い争っているらしい。


「――だから、どうしてこれじゃ駄目なの? こないだやってきた噂の荷背から手に入れた品物なのよ? どう考えても値打ちがあるに決まっているじゃない!」

「そうは言ってもなあ、嬢ちゃん」


 大柄な男は頭を掻きつつ、しかし、その風体に似合わぬ情けなさそうな声で、憤る少女に応じる。


「他所の狭界の代物、特に装飾品なんてものは実際、本当に値打ち物かどうか判断が難しいんだ。この国で貴族の奥方様しか身に着けられないような宝玉も、異狭界では道端に転がった石ころ同然の価値なんてことさえザラにある。その逆もまた言わずもがな、だ。だから取引においちゃ、『ヨソモノ』はおっかないってな」

「じゃあ何よ。いつもはお金以外、物々交換でもいいって言っているくせに、この首飾りじゃ駄目だって言うの? こっちは必死の思いで、やっと手に入れてきたっていうのに、ルンルーモの一杯さえくれないって?」

「ああ、もう! とにかくな、嬢ちゃん。こっちもヤミとは言え商売なんだ。俺みたいな下っ端じゃあ、その首飾りの価値の判断なんてつかねえ。だから今回の取引は不成立だ。それで分かってくれねえか?」


 この少し弱気な大男も、後半は流石に声を荒げて少女の懇願を突っぱねた。

 けれども、少女の方もさるもので、歴然とした体格差など意にも介さず、負けじと食い下がる。首飾りを男の目の前に振りかざし、もっとよく見ろと要求する。

 そのすったもんだの経過を、ハゼム達は物陰よりジッと見つめていた。


「ふむ、あの少女、首飾りを何かの取引の材料にする魂胆であったか。しかし、気になるのは、あの男の口ぶり。ややもすると、これは――?」

「……行きましょう、ハゼムさん」

「ルーリエ?」


 少女と男の会話の内容から、思案に耽るハゼム。そんな彼をルーリエが促した。

 大丈夫なのか? 事の流れを理解しているのか?

 ハゼムがそう視線で問う。と、ルーリエは若干の緊張をにじませながらもコクリと頷いた。




「――その取引は最初から不成立ですよ」


 半ば軽い揉み合いになりかけている中。

 横合いから伸びた白い手が、少女の掌から瑠璃色の首飾りをサッとかすめ取った。


「あっ! って、アンタたちは……!」

「返してもらいます。この首飾りは私の大切なものですから」


 不意を突かれ振り返った少女の目の前には、今しがたまで掌の中にあった首飾り。そして、今は静かな怒りの表情をたたえる、首飾りの本来の持ち主の姿があった。

 とっさに少女は逃げの一手を打とうとした。だが、それを見越して待ち構えていたハゼムが彼女の逃げ道をすんでのところで塞ぎ、その片腕を軽くひねり上げる。


「くッ……、このっ!」

「無駄な抵抗はよすべきである。さもなくば、この程度の痛みでは済まなくなるぞ」


 それでも少女は拘束から逃れようと必死の抵抗を試みる。だが、ハゼムが力を強めると耐えきれず苦痛の呻きをあげて、ようやく大人しくなった。

 その様子を確認すると、ルーリエは大柄の男に向き直り、あくまで穏やかに話しかける。


「どうも失礼いたしました。実はこの首飾り、決して売り物ではなく、さきほどこの子に盗まれたものなのです。もう手元には戻らないものかと心配しましたが、どうやら幸運に恵まれたようです」

「へ、へえ。そりゃあ、大変な災難でしたな。――となると、貴方方は荷背の方たちで?」

「はい、そうです。貴方がいらしてくださらなかったら、きっと彼女を見失っていたでしょう。ご協力、ありがとうございました」

「いやいや、わざわざ礼なんて言われる筋合いはありゃあしませんよって。むしろ、盗品を掴まされずに済んで、こちらがお礼を言いたいくらいで」


 大柄な男は展開の早さにどうにかこうにかついて来ながら、視線をキョロキョロと宙に泳がせていた。その男の腰は引けている。

 一刻も早くこの場を離れたい。

 見るからに、男の態度はそう物語っていた。


「じゃあ、俺はこのへんで失礼をば――」

「いいえ。ちょっと待ってください、お兄さん」慌てて踵を返そうとする彼を、ルーリエは鋭い声で呼び止める「もしかしてお兄さんって、ヤミ酒の売人なんじゃないんですか?」


 ルーリエの問いに、男の表情は明らかな変調を見せた。


「な、何を一体。何の証拠があってそんなこと」

「『ルンルーモ』。さっき、この子の口から出た言葉です。知らないとは言わないですよね」


 それは明らかなカマかけだと、ハゼムは感づいた。

『ルンルーモ』なる言葉は、先ほど少女が口走った一度きりしかハゼムは耳にしていない。ルーリエも今日までの数日間、在地の人間と理髪人として接する機会が多く、客との世間話で情報を得れば一日の終わりにハゼムとそれを共有してきた。だが、その会話の中でもその単語は俎上に上がったことはない。

『ルンルーモ』なるものは、しかし、この街の置かれている状況と先ほどの少女と男の会話を考えあわせれば、その正体が自ずと見えてくる。

 禁ずれば即ち滅する、などという都合のいい現実はおよそどの狭界にもないのだから。


「この街には禁酒令が布かれているはず、そうでしょう?」

「そ、そうさ。よく知っているじゃないか、アンタ。そうだとも、だから酒なんてありゃしない。俺は何も知らない!」

「……と、言っていますが? それでは、貴女はこんな陰気な路地裏で、何を買うつもりだったんですかね?」


 ルーリエは、ハゼムに拘束されたままの少女に水を向ける。

 腕の痛みに顔をゆがめる少女は、ルーリエと大男、両方をねめつける。そして、死なばもろともとでもいう心持になったのだろうか、自棄になったと見えて、


「そう、酒よ。私はこの男から、密造酒ルンルーモを買おうとしていた」


 と吐き捨てるように言った。


「だそうですよ、お兄さん」

「チッ、この小娘がっ!」


 男は歯噛みして少女を睨む。

 一方、ルーリエはといえば、まるで我が意を得たりという満足の表情をハゼムに向けた。

 そして、今にも少女に襲い掛からんばかりとなった大男に向かい破顔して、一言。


「良かった! でしたら、私にそのお酒、買わせていただけませんか?」


 呆気にとられたのは、大男のみならず、少女もまた同じくだった。




 ルーリエは滔々と大男に語る。

 私たちは用意していた物資が尽きかけるほどの長旅を経て、先日ようやくこの地にたどり着いた。せっかくの無事な到着、ささやかな祝杯でも挙げたいと思ったものの、当地は酒類厳禁だというではないか。

 酒が飲めない自分は別に苦ではないが、連れのハゼムは異狭界に着けば当地ならではの品を肴に地酒をたしなむ性質たちである。同行者として日頃お世話になっている分、酒を用意できればと奔走したものの、やはり禁酒令の布かれた街では、荷背という立場と言えど酒など手に入らずじまい。

 しかしながら、今まさに光明が見えた。

『ルンルーモ』。

 密造酒とはいえ、それはこの酒造の街アルコリケの地酒に違いない。

 ここで巡り合えたも何かの縁。だから是非とも、今手持ちの品物を対価にルンルーモを譲り受けたいのだ、と。

 聞いているハゼムにとっては、少しむずかゆくなるような虚実入り混じった講談話である。

 ルーリエは話の終わり、ポカンと口を開けたまま話に聞き入る大男へ、自らの髪にさしていた魚鱗細工の簪を抜き取り差し出した。とどめの一撃と言わんばかりである。


「お願いします。これでどうか、ルンルーモを買わせてはくださいませんか?」


 大男は掌に半ば押し付けられるように渡された簪を見下ろし、ううむと唸っていた。

 そしてしばしののち、観念したように、かぶりを振った。


「いやあ、やっぱり俺じゃあヨソモノの価値は判らねえ。――仕方ねえや。荷背の嬢ちゃんや、他言無用に一回こっきりっていう条件でいいなら、俺について来な。俺の大将のところへ案内してやる」


 そう言うと男はぶっきらぼうに背を向け、路地の奥へと歩みだした。


「――上手くやったな、ルーリエ」

「正直、冷汗が止まらなかったです」


 称賛の声を投げかけるハゼムに、ルーリエは青白い顔で振り返る。どうやら、渾身の一芝居だったようだ。しかし、その成果は、彼女が思う以上に大きいとハゼムは感じ入っていた。


「それで、この娘はどうする? 言ってしまえば、もう用済みではあるが」


 そう言ってハゼムが未だ腕をひねり上げている少女を見下ろすと、彼女はびくりと身じろぎした。


「そうですね。この際、ついてきてもらいましょうか。もしもあの簪が高く買い取ってもらえて、ハゼムさんが一度に飲み切れないほどだったらば、残りのお酒の処分に困りますからね。この子に引き取ってもらうというのも悪くない話です」


 ルーリエのそんな予想外の提案に、少女は心底驚いたような表情を浮かべた。


「……どうして」

「はい?」

「どうして、私に酒を譲ってくれるなんて言うのよ? 私は、その、アンタから大事にしている首飾りを盗みとったのに」


 彼女を放してください、と言われ、ハゼムは少女の拘束を解く。

 ルーリエは、未だ痛む腕をかばう少女の首筋に手を伸ばした。


「貴女だって、お酒を持ち帰らないと、この痣が増えていくんじゃないですか?」


 その言葉に、少女はさっと身を引き、身をすくめるようにして首元を隠した。その刹那、中途半端に切り揃えられた髪の隙間から、まるで手で絞められたような紫色の痣が覗いた。

 少女の背中が震えているのが、背後に立つハゼムにははっきりと分かった。


「行きましょう、ほら」


 そんな少女の手をとり、ルーリエは促す。その様子をハゼムは関心の眼差しで見つめていた。

 ルーリエは施術の際、少女の首元の痣に気が付いていたのだろう。

 それはおそらく、彼女に酒を持ち帰るよう命じた人物、――彼女の親によってつけられたものだ。どんな手段を用いても酒を持ち帰れ、と。盗みを働かせるまで少女を追い詰めた戒めの首輪。

 おそらくきっと、今回彼女を助けたとて、悲劇は止まることはないであろう。

 それでも、と。

 たとえ偽善であろうと、たとえ街の決まりを破ろうと、今目の前の少女に手を差し伸べる。

 それはハゼムの信念にとっても、決して好ましからざるものではなかった。

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