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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第3話:禁じられた美酒
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渇する眼

「どいてっ! 通してッ!」


 大声で怒鳴り散らし、駅亭前の群衆をその小さな身体で潜り抜けた、一人の少女。

 息を切らしながら走る彼女の胸元には、両手で大事そうに握りしめた首飾りがある。

 彼女は数日前から、この瑠璃色の首飾りを狙っていた。駅亭へ久々に来訪した荷背の一行が何か商売をして見せるといった、その日以来である。

 噂に惹かれてやってきた彼女は、はじめ荷背というのは屈強な男衆であると思い込んでいた。数多の狭界を渡り歩くのだから、そうに違いないと思ったし、彼女の数少ない経験上、荷背というのものは大概にしてそういう存在だった。

 ところが、今回はまるで違っていた。

 まるで厳しい旅には耐えられそうにないような、細身の年若い女性。

 そのしなやかな細い指で、女の命たる髪を意のままに整える理髪師。

 アルコリケ在地の大雑把な理髪人とはまるで違う、たおやかなる繊細さに少女は見惚れた。

 と同時に、その女性の首元にかかった瑠璃色の輝きにもつい目を奪われてしまった。

 それはきっと彼女が荷背でなければ、『虚飾』の証として官吏に取り上げられてしまったであろう、蠱惑的な煌めき。

 それが、欲しかった。少女はそれを心底より欲した。

 彼女にとって、その瑠璃色の輝きが彼女自身を置かれたる境遇から救ってくれる一筋の光に見えたがゆえに。


「ハァッ、ハァッ」

「――待て、そこの女」


 そうして息を切らしながら駆ける少女が、細い路地へ逃げ込もうとした時だった。

 突如として、彼女の行く手は黒に近い深緑色に阻まれた。それは彼女が今最も出会いたくない相手、『熱心党』の象徴たる色だった。




「ルーリエ! あれなるは、先ほどの少女ではあるまいか?」


 こちらも息を切らしつつ、何とか群衆より這い出ては見たものの、結局下手人の尻尾すら掴めなかったハゼムとルーリエである。四方を見やりながら内心途方に暮れていた両名であったが、左に伸びる通りの彼方先、路地裏手前と見える道端に、深緑色の制服姿3人に取り囲まれて暴れる、一人の小さな人影を見出した。


「この、放せっ! 放してよッ!」

「大人しくしろ、汚らわしい盗人娘めが」


 少女の絶叫にも似た喚き声に、冷ややかな罵りを浴びせる男のひとり。そこへ、ハゼムらは足早に近づいていく。

 すると、制服姿の男のひとりがハゼムに気が付き、振り返った。

 彼はハゼム達が先日来逗留している荷背であると認めると、恭しく会釈した。しかしながら、その目つきは必ずしも好意的なそれではないことを、ハゼムもすぐに察知した。


「これはこれは、荷背の御方々。此度は我が街の人間が大変なるご無礼をいたしましたようで。僭越ながら唯一、お手を直接煩わせることのなかったことだけは不幸中の幸いかと存じ上げます」


 慇懃無礼なまでの男の態度は、しかしかえってハゼムの心中をざらつかせる。

 それでもハゼムはあくまでも丁寧に、しかし半ばまくしたてるように要求を口にした。


「下手人の捕縛、当方としては大変感謝する。ただ我輩どもは盗品さえ直ちに無事で戻ってくれれば、それ以上求むことはない。全くの赦免というわけにはいかぬであろうが、下手人もまだ年幼く見ゆる。ついては、この街の法に則ったうえで、穏便に処置されることを望みたいが」

「それは大変ありがたいお言葉を頂戴いたしました。しかしながら、こちらとしても法に則り、ご希望に添えぬことが二点ございます」

「その二点とは?

「ひとつは、この首飾りの処遇。重要な証拠品ゆえ、取り調べのため今すぐにはお返ししかねます。またいまひとつ、この小娘の処遇なのですが――」


 そこまで言うと、男は憐れんだような表情で捕らえられた少女を顧みた。


「『盗人は皆、原則として両腕切りの刑に処す』。これが当地の決まりのため、滅多な理由のない限り、この小娘もまたその法に準ずることとなりましょうな」


『腕切り』。

 その言葉に少女の顔は青ざめ、ハゼムとルーリエはしばし絶句した。

 そして次第にハゼムの表情が怒気を含んだ険しいものに変わっていくのを、ルーリエは傍らから見ていた。


「――あいや待たれよ! 当地の決まりとはいえ、首飾りひとつを盗んだばかりで両腕を断つとは、いかにも酷刑にすぎるように聞こえる。しかも、こんな年端もいかぬ子どもにも同じ刑罰を用いるのか」

「法は法ですから。それはたとえ、子どもだとて同じ事。善悪の判断に欠けた行動の報いは、すべからく相応のものであるべきなのです。そしてそれはこの街の皆が理解していることと思いますが?」


 男の言葉にハゼムは周囲を見回す。

 この捕り物の騒動のために、ハゼムらの周りにはいつのまにか野次馬が参集していた。

 ハゼムは黙したまま、その野次馬連中の目に問う。本当にこの男の言う通りでいいのか、と。

 ハゼムの強烈な眼光に当てられたものは、皆が尽く目をそらす。面倒事を見物はしたいが、関わることまではしたくない。そんな様子がありありと窺える。結局、少女を擁護しようという声を上げる者は誰もいなかった。

 その様子に、満足げに制服姿の男は笑みを見せる。

 だが、彼は知らなかった。

 彼が相対するハゼムなる自称伯爵が、そんなに軽々と周囲の空気になど流されるような男ではないことを。

 ハゼムは向き直り、髭を幾度かしごくと、再び『熱心党』の男をねめつけて毅然として言い放った。


「我輩は断固として、かの娘に対し穏便なる処遇を要求する」

「なっ!? ……失礼ですが、今しがたまでの話をお聞きになっていなかったのですか?」


 男は初めてたじろぐような様子を見せた。それを機と見て、ハゼムはさらに一歩進み出て胸を張り言い放った。


「聞いたうえでの回答である。我輩どもとしては、盗品さえ戻るならば、そのような酷刑を望むことは決してない、と!」


 ハゼムのその答えに、周囲の野次馬たちはいっせいに騒めき始めた。

 それは『熱心党』の男たちにも伝染し、先ほどまでのむかっ腹が立つようなすまし顔が崩れる。

 そして、その間隙を見計らったかのように対峙する両者の間にスッと進み出たのは、清貧なる白い衣服に身を包んだ一人の女性だった。


「査問官、これは一体何事ですか?」


 女性は努めて穏やかに、しかし決して有無を言わせぬ声音で男たちに問うた。


「め、メラウ殿。どうしてこのような場所へ」


 彼女が立ち現れた途端、査問官と呼ばれた『熱心党』の男たちに動揺が走った。

 その瞬間だった。


「あ、痛ッ!」

「チッ、しまった!」


 行動を起こしたのは囚われていた少女だった。自身から注目が離れた瞬間を狙い、自らを捕らえる男の腕に力いっぱい噛みつき、拘束を振り払ったのだ。

 もう一人の男も女性の登場で拘束が緩んでいたのか、あっさりと盗人少女を取り逃がしてしまったのだ。少女はそのまま路地裏へと忽ち駆け込んでいった。


「事情は大方察しています。貴方方は彼女を追ってください。この場は私が預かりますから」


 少女が逃げ出した。しかしそのことに対してほとんど驚きも見せず、白衣の女性は肩越しにハゼム達へそう告げる。


「誰だか存ぜぬがかたじけない!」


 お互い名乗る暇すらなかった。

 ハゼムはルーリエを引き連れ、姿をくらました少女を追って路地裏へと突入していった。

 背後からは『熱心党』の査問官達の叫び声だけが追いかけてきたが、最早振り返ることさえしなかった。

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