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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第3話:禁じられた美酒
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欲さざる人々

 そうして幾日か過ぎた。

 ルーリエが営む臨時の理髪店は相変わらず順調であった。好天が幸いに続いたこともあったが、何より彼女の献身の甲斐あって、貧乏伯爵の一行にあってはいくらかの路銀を蓄えることができた。

 この街の住民は依然として、親切にして親愛なる人達であった。理髪店の営業中、隅のほうで小さくなって火の番をやっているハゼムに対しても、数えきれない人々が話しかけてきては、彼がこれまでたどってきた旅路について聞きたがる。それは物見にやってきた男たちが多かったが、ハゼムが気まぐれに応じてやると、彼らは見果てぬ狭界での流浪譚に面白いほど一喜一憂して見せた。ハゼムとしても、それは決して悪くはない気分だった。

 しかしそれでも、ハゼムとしては長居はせずに当地を離れる心づもりであった。

 なんとなれば、駅亭主人の衷心からの説得のためでもあったし、毎日のように人ごみに紛れて現れる『熱心党』党員の胡乱な目つきが不穏の種として付きまとい続けたからである。

 であればこそ、溜まった路銀は早々に次の旅路に向けた食料品や備品に姿を変えた。

 ルーリエも少々残念がったが、荷背としての経験と勘に勝るハゼムの考えには、一も二もなく了承した。どうやら彼女も仕事をしながら、少し違和感を覚えていたらしい。


「そういえば、ハゼムさんはお気づきになられましたか? お客様のお召し物が、みんな奇妙に似たり寄ったりなこと」


 二三日が過ぎた日の夕食の席上、彼女は釈然としない表情でハゼムに呟いた。


「ご婦人方の衣装か。あまり意識はしていなかったが、どのように奇妙なのだ? 似たり寄ったりとはいえ、流行ということもあるだろう」

「いいえ、そんな感じではないんです。確かに女の人、特にこれだけの街の人であれば、流行に合わせた服を身につけます。そして同時に、他の人とは違うひと工夫をして見せたりする。例えば、髪飾りとか、袖の形とかですね。でも、この街は全然違うんです。みんながみんな、ほとんど同じ質素な服装なのです。まるでどこか人と違うことを恐れているようなほどに……」


 眉間にしわを寄せたハゼムの脳裏によぎったのは、この街に到着する前に見た光景だった。

 散乱するありとあらゆる生活の品々。些細な贅沢までもを野ざらしにした異様なる山。

『虚飾の墓標』。

 教団、特に『熱心党』が中心となって築かれたというそれは、今もなおその高さを増しているという。それはもちろん『熱心党』党員が摘発した品々によるものだろう。だが、かの『墓標』の礎であるのは極論してしまえば『差異』なのではなかろうか。

 自身と他者とを峻別するもの。人は何かにつけ、無自覚にそれを欲しがるものだ。

 それら一切を『虚飾』と断じてしまうのであれば、自然、他者との境界は薄れていく。

 思えば、ハゼム達が街に迎え入れられたときのあの熱烈なる好意の塊。

 それは教団の教義云々だけではなく、その内部に漂う空気が作り出した一体感だったのではなかったか?

 そんなところにまで考えが及び、ハゼムは嫌な予感が増したように感ぜられた。


「大丈夫ですか、ハゼムさん?」


 こめかみに手を添えて考え込むハゼムに、ルーリエは向かいから身を乗り出して様子を窺う。


「いや、問題ない。――ともかく、さっき言ったように準備ができ次第、この街を出る。そのつもりでいてくれ」

「ええ、分かりました。その分、残りの営業は頑張りますから!」

「ふふ、実に頼もしい限りだ」


 握りこぶしを作って張り切る従者に、主人は先ほどの懸念を忘れて、自然に笑みを浮かべていた。




 ルーリエの理髪店、営業はあと二日ばかリ――。

 そのように告知したためか、この日は朝から前日に増して待ちあう客で賑わっている。

 いつものように湯を沸かす火の番をしていたハゼム。出かかったあくびを噛み殺し、目元の涙を指先でぬぐった直後のことだった。

 まだ幼げな少女が一人、彼の目の前を通り過ぎて待合の列に加わった。どうやら前日にも並んでいたらしく、整理券として配っていた紙片を高く振りかざして列に割って入る。後ろの客から多少の文句は出たが、これは毎度見る光景だった。

 だがしかし。ハゼムはここでふと、引っかかるものを感じた。

 昨夕、あれほどの小柄な少女が列に並んでいたものか、と。

 ルーリエの客は皆、妙齢から初老のご婦人方である。それに比してあまりに幼すぎるように思えたのだ。

 子どもの悪戯か何かだろうか? ならば、先ほどの整理券らしき紙片は何なのだ?

 いくつもの疑問が湧いたが、しかし、直接確かめるのもまた憚られた。

 というのも、ルーリエから「ハゼムさんはちょっと威圧感があるので、少し離れて見ていていてください」ときつく言いつけられていたからだ。初日、客の呼び込みで出した大声のために、客が連れてきた子供を泣かしていた前科がある以上、彼としても言い返せはしない。ハゼム自身、この一見平和な街において、剣を佩いている自身の姿が浮いていることもまた自覚していたのだ。

 訊ねに行こうか、行くまいか。そんな逡巡を長々しているうちに、早くも順番は少女に回った。

 ルーリエは小さなお客さんにににこやかに笑いかけ、腰を落として席へと誘導する。一方の少女は緊張しているのか、少し硬い表情だ。

 ルーリエは席に着いた少女の髪を霧吹きで濡らし、その湿り気を髪全体へとなじませた。

 と、その瞬間、ルーリエの表情がわずかに曇った。彼女らしくない、わずかな目元口元のしかみ。

 すぐに彼女の顔元は営業向けの微笑みに戻り、手つきは流れるように少女の髪を櫛で梳いた。だが、ずっと少女に注目していたハゼムには何らかの異変がはっきりと見て取れた。

 ルーリエはハゼムの方を見なかった。ということは、助けがいる事態ではないのだろう。

 けれども、何か事が起こる前触れかもしれない。そんな胸騒ぎがどうにも抑えきれず、ようやくハゼムを突き動かした。


「すまぬ、少し道を開けてくれ!」


 視線の先にルーリエの姿を捕らえながら、人波をかいて進む。

 そして、ようやくルーリエと髪を切ってもらっている少女、二人の表情がはっきりする距離まで達した時だった。


「ッ痛!」


 響き渡った悲鳴。それは間違いなくルーリエのものだった。

 鋏を取り落とし、首元を抑えてその場にうずくまるルーリエ。


「どいてっ!」


 その一方で、客の少女は脱兎のごとく群衆の只中へと駆けこんでいったのだった。その両手に握りしめた何かを決して落とさないように大事に抱え込みながら。


「ルーリエッ! 大丈夫か?!」


 あっという間の出来事に誰もが騒然とする中、ハゼムは最早強引に目の前の人垣をかいくぐってルーリエのもとへと走った。視界の端には逃げていく少女の後姿を捕らえていたが、まず心配なのはルーリエの状態である。


「痛たたっ……」

「おい、ルーリエ。今しがた、客に何か仕掛けられたな? 首元を見せてみよ」


 目尻に涙を浮かべているルーリエの傍らで跪くと、ハゼムは彼女の肩に手をやった。そして、彼女が首元を抑える手にそっと触れると、それをゆっくりと除け、うなじを隠す後ろ髪をかき上げる。

 すると、その下からは一直線状の赤いミミズ腫れが姿を現した。所々血が滲み、見るからに痛々しい。

 ハゼムはその傷跡を端から端まで目で追う。そして必ずしも深手の傷でないことを確かめる。


「心配するな、傷は浅いと見える。だが、この傷跡は――?」


 と、そのとき、待合の一人の客が両者のもとに歩み寄ってきた。


「私、近くにいたので見ていました。さっきの女の子が、荷背様が顔元に近づいたとき、首元にかかっていた何かに手を伸ばして、強引に引きちぎったのを!」


 ハゼムにはそれにピンとくるものがあった。

 反射的にルーリエの首元に目をやると、あるはずのそれはやはりそこにはなかった。


「狙われたのは、魚鱗細工の首飾りか」


 ルーリエは表情を歪めながらもかすかに頷く。


「……これだけの群衆である。下手人もそう遠くまでは行けてないはず。ルーリエ、貴嬢はここで休んでおれ。我輩が後を追い、首飾りを取り返してくるゆえ」

「――待って、ください」


 少女が逃げていったほうを睨み、今にも追跡を開始しようとするハゼム。その彼の腕を掴み、ルーリエはかすれる声で言う。


「あの子、きっと事情があったんです。こんなことをする事情が。だから、足手まといかもしれませんが、どうか私も連れて行ってください、ハゼムさん」


 怒気を漲らせたハゼムの表情は、途端困惑の色に変じた。

 どうしてルーリエは、少女をかばうような物言いを言うのか。

 問いただしたくはあったが、しかし、余計な問答は、盗人を逃がす時間を稼いでしまう。今は一刻も時が惜しい。


「分かった。ルーリエよ、我輩の腕をしっかりつかんで離れぬようにせよ。もし傷が痛んだり、道中はぐれた時は迷わず駅亭へ引き返せ。良いな?」


 はい、と返すルーリエの声に少し力が戻ったことに若干安堵しつつ、ハゼムは彼女を連れて駆けだした。

 ハゼムの一喝で群衆が左右に割れていく。やはり、盗人少女の背中は既に見えなくなっていた。

 だが、あの首飾りとて異狭界で関わった人物から贈られた大事な品である。どうしても取り返さねばならない。その一念が、ハゼムの脚を動かしていた。

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