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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第3話:禁じられた美酒
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ルーリエの手仕事

「――なるほど。やはり持つべきものは機転の利く従者であるな」


 翌日、駅亭に隣接するように建てられた店舗棟の軒先。石柱に背を預けつつ、実感を込めてそう呟いたのはハゼムである。彼の視線の先、そこには椅子に腰かけた婦人に愛想を振りまきながら、巧みな鋏捌きを披露するルーリエの生き生きした姿があった。

 あのときのルーリエの提案。それは駅亭にて、即席の理髪店をやらせてはくれないかというものだった。

 今のアルコリケの街では、たとえ荷背であったとしても物の売買をするのは憚られる。とりわけ、今現在ハゼム達が抱えている鱗細工のような『華美』なものなどは特に。

 けれども、そうであるならば、物ではなく技術を売りにすることで路銀を稼ぐことができないか?

 ルーリエが考えたのはそういうことだった。

 彼女には理髪の技術がある。それも厳しい叔母から幼いころより叩きこまれ、多くの客の相手をすることで磨かれた、確かな技術が。あるいは、未知なる地でその腕を試す機会が訪れたということも、彼女を積極的な行動に駆り立てたのかもしれない。

 それにしても、とハゼムは思う。

 手に職をつけていること。そこには何事にも代えがたき心強さというものがある、と。

 それは彼自身、長い旅の中で数えきれないほど見聞きし、経験したことでもある。

 荷背の旅路とは、行く先々の狭界で物を売買しながら続けるもの。それが基本中の基本だ。

 だが、己の技術のみで日銭を稼ぐ者もいないではないのだ。彼らにとっては、必要な仕事道具ばかり鞄に詰め込めば、あとは身一つそれ自体が品物となる。それは並の荷背以上に極めて身軽な生き方だ。

 とはいえ、狭界を渡りながらの商売とは常に不確定要素が付きまとう。売り物が様々な理由により需要されないこと、それが往々にしてあり得るからだ。常識が狭界ごとに異なるように、人々の欲求の対象もまた多様な姿形を描く。

 その点において、今回ハゼムを感心させたのは、ルーリエの思い付きがただ場当たり的なそれではなかったためだ。彼女は二つばかり、商売として成立させるための工夫をした。

 一つは、「サクラ」だ。街の人々にとって理髪屋とは行く先が大抵決まっているものである。そんななか、どのようにして人々の興味関心を引き、金を払って利用させるところまでこぎつけるか。そこで大事となるのは、最初の勇気ある数人だ。そこでルーリエ自身の技術と、その仕事に満足する客の顔を見せることができれば、あとは見ていた者、噂を聞いた者が次なる客になってくれる。だからこそ、最初の数人となってくれる「サクラ」が必要なのだ。少々狡いようだが騙すわけではないし、目的上、背に腹は代えられない。この「サクラ」となる女性は一応のところ、駅亭主人の知り合いの婦人方に声をかけてもらうことにした。

 もう一つは見本である。彼女は駅亭の主人から紙とペンを借りると、一夜のうちに何種類かの髪型を簡単な絵として描いた。あとから聞くところ、ルーリエはあの群衆に取り囲まれながら駅亭に向かう道中、当地の人々の髪型や装束をつぶさに観察していたのだという。一つ前の狭界レ・ラーゴでも、あまり意識しないうちに同じようなことをしていたのだというのだから、それは彼女の一種の職業病なのかもしれない。

 ともかくも、見本絵という目に見える形で完成形が示され、しかもそれが当地の通念にそったものであれば、客も安心するだろう。そういったルーリエなりの配慮であった。念のためといって先述のサクラとなってくれる女性陣に確認してもらっていたが、ルーリエが描いた見本は彼女たちも太鼓判を押す出来だった。

 そんなルーリエの作戦は、駅亭主人の心強い協力もあって、翌日の昼頃には一応の体裁が整った。

 果たして、その思い付きと工夫の結果は、――実に上々たるものであった。

 駅亭主人と彼が「サクラ」として囲い込んだご婦人方の発信により、荷背の理髪店期間限定開業の報は口伝えで近隣住民に広がった。その証拠に開店時刻に相前後して、老若男女問わずの物見客が駅亭のある通りに参集したのである。


「久しぶりですよ、この通りに駅亭目当ての客がこんなに集まるなんて」


 今回の功労者のひとり、駅亭主人はその光景を目を細めて眺めていた。聞けば、やはりここ暫くのところ、駅亭はまともに事業が営めていなかったらしい。その原因とは『熱心党』なる者達のためかとハゼムが問いかけたところ、


「……ええ、奴らですよ。ほら、早速お出でなすった」


 と、顎で指し示す。その方向をハゼムが見やると、物見客の中に交じって、一揃いの制服に身を包んだ三人の男たちが胡散臭げな視線をこちらによこしていた。


「ハゼム殿、どうかご注意を。連中は、荷背を敬う一般の人々とは違います。常にこちらに落ち度がないか、探りを入れてくるような不躾な奴らです」

「ご助言、肝に銘じておこう。我輩とて、大切な従者をみすみす危険な目に合わせるつもりはない」


 さて、そんな不穏の種はあったけれども、それ以外の点でルーリエの想定通りに事は運んだ。

 事前の取り決め通り、物見客の中に紛れていた「サクラ」が、あくまでも恐る恐るといった態で、最初の客に立候補した。物見客たちは、そんな勇気ある彼女の髪が、一体どのように荷背の理髪人によって仕上げられるのか、固唾をのんで見守っていた。

 多数の視線が集中する中、ルーリエも流石に緊張の色を隠せてはいなかった。だが、「サクラ」女性の髪がパサリパサリと椅子の下に落ちていくたび、ルーリエの手さばきは次第に軽やかなものへと変化して行くのが、ハゼムの目にも見て取れた。

 髪を櫛で梳き、鋏で切り揃え、当地アルコリケ風に結いあげていく。その一連の滞りない流れは、とても昨日到着したばかりの荷背の仕事とは思われない。物見客の間からは、感心のため息が漏れ聞こえてくるのを、ハゼムは確かに耳にした。

 そして、最後に女性のうなじを整えて、これで無事に終わったと皆が思ったころ。ルーリエが「サクラ」女性の前に回って跪き、その両手の指先に手を添えたのを見て、今度は人々の頭に疑問符が浮かんでいくさまが、ありありとハゼムには見て取れた。

 ルーリエは、適温の湯を汲んだ桶を小さな台に乗せ、そこへ女性客の両の手を導き入れる。そして、毛先の柔らかなブラシで、彼女の指先を、まるで繊細な陶器を扱うような手つきで洗い始めた。

「サクラ」とはいえ、理髪だけで済むものと思っていた女性客は目を丸くしていたが、ブラシの毛先が指先をこすると、耐えきれないかのように肩をすくめ、フフっとこそばゆそうに笑い声をあげた。

 それを見ていた人々は呆気に取られていた。一体何をしているのだろう、と。女性の指先が桶の中にあることも相まって、とりわけ後ろの方の者は、何が今行われているのか余計にわからないようだ。前の方の者に、口々に今何をやっているのか尋ねている。

 ようやく多くの者にルーリエの行動の意味を悟らせたのは、ルーリエの次の行動だ。女性客の指を桶から取り上げると、それを清潔な布でぬぐい、ブラシをやすりに持ち替える。

 それはルーリエにとって、狭界は異なれども、当然提供すべきサーヴィスだった。なぜならば、彼女が理髪術を学んだ地ツムガヤは、多くの女性たちが染織業に従事する街だからだ。仕事終わりの彼女らは、身ぎれいにして帰宅するため、あるいはそのまま飲み屋街に繰り出すために、理髪店を利用する。そこではごくごく当たり前のこととして、彼女らの青く染まった指先を洗い、擦り切れた爪を整える過程が存在していた。

 生業の形は一定の習慣を生み、習慣は価値観をはぐくむ。


「ねえ、何をやっているのか見えないじゃない! 今はどうなっているんだい?」

「ええと、私にもよく分からないのだけど、どうやら爪を磨いているらしいのよ」

「爪を? あの年若い荷背様は、理髪人じゃなかったかい?」

「ええ、もちろんそうだけれど……」

「じゃあ何? あの荷背様は、髪だけじゃなく、手先まで綺麗にしてくれるのかい?」


 けれども、ここは異狭界アルコリケである。自明のこととして、人々の生業も、習慣も、価値観すらも異なる。それはしばしば諍いのもととなるものの、今この時に限っては、ある種の感銘を多くの見物人にもたらしていた。

 ルーリエにとって、それは当たり前の仕事の流れであるために、かえって盲点だったのかもしれない。だが、その些細な差異が、この時確実に人々の心をつかんでいたのだ。

 その証拠に、一人目の「サクラ」女性の施術が終わると、


「か、荷背様! 次は私めもお願いできませんでしょうか?」

「あたしも、あたしも! いくらでも待っているから、頼むわよ!」

「その次でいいわ。私もお願い」


 念のために控えていた2人目の「サクラ」女性が名乗り出るまでもなく、次々と好奇心旺盛な女性たちが幾人も、我先にと名乗りを上げた。


「だ、大丈夫! 順番に伺いますから、皆さん、そんなに慌てないで!」


 思わずルーリエもたじろぐほどの女性たちの勢いを遠目に、ハゼムは愉快気な笑みを浮かべた。早くも今回の試みの成功を確信した、そんな表情だった。


「素晴らしい腕前ですな、貴方のお連れ様は。昨日の今日なのに、もうアルコリケの女たちの好みをご理解されておられる」

「我輩もここまでとは思わなんだ。正直なところ、心配になるほど驚いている。――では、ルーリエが殺到するご婦人方で押しつぶされぬうちに、少々手助けに行ってやるか」


 と言って、ハゼムは駅亭主人のもとから離れ、渦中の人となった連れ合いのもとへと足早に歩を進めていった。

 ――さて、この朝のちょっとした騒動は、ハゼムの介入によって一旦収まりを見せた。

 落ち着きを取り戻したご婦人方は静々と順番を待ち、ルーリエもまた仕事人の眼差しで粛々と彼女らの施術にあたった。

 ハゼムは念のため、彼女の店の用心棒を務めていた。『熱心党』を警戒する駅亭主人の助言もあるが、それ以外の悶着もあるかもしれず、事前の用心に越したことはない。

 とはいえ、事前に駅亭の主人を介し、数日の営業という条件で近場の理髪屋には根回ししていたし、客も元々ご婦人方がほとんどであるので、ほとんど手持無沙汰であった。試しに客寄せとして声を出してもみたが、彼の大仰な口上ではかえって客を遠ざけてしまうのがわかり、以後はルーリエの頼みもあってダンマリすることと相成った。

 昼休憩が過ぎ、暖かな日差しについ微睡んでしまう彼の相棒は、傍らの焜炉で蒸気を上げて煮える薬缶ばかりであった。




「――どうだルーリエ、久々の仕事で随分とくたびれたのではないか?」


 夕刻が迫るころ。

 そろそろルーリエの体力も限界ということで、店じまいを宣言した。まだ順番を待っていた客はいたが、明日、優先して施術するという約束を取り付けて帰ってもらう。

 あれだけいた客がほとんど捌けてしまった今は、ハゼムと二人、仕事道具の片づけの最中だった。


「正直なところ、疲れました。久しぶりの仕事で調子に乗って、少し張り切りすぎたかもしれません」

「明日の約束を取り付けていたが、大丈夫なのか? 無理は禁物であるぞ」

「大丈夫ですよ。自分の限界は判っているつもりです。仕事は毎日元気に続けてこそ、ですから」

「なるほど。ではすまんが、明日も頼むぞ」

「ハゼムさんこそ、今度は火の番、しっかりやっていてくださいね

「……善処しよう」


 やり込められて閉口するハゼムと、疲れを見せながらも明るい表情のルーリエ。

 そんな二人のやり取りを向かいの建物の影から覗く小さな人影があったのだが、二人ともそれに気が付く由などなかった。

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