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欠地伯の迷宮放浪記  作者: 渡毛 継介
第3話:禁じられた美酒
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禁欲の教義

「着到早々出発せよとは、およそ尋常な物言いとは思われぬ。仮にも駅亭の主殿ともあろう者が」

「元より無理を承知で申し上げております」

「さては、他の荷背の姿が見えぬのは?」

「ええ。このように私が彼らの尻を叩き、なるべく早くに立ち去らせておりますれば」


 そこまで言って、しんと場は静まる。

 その静けさの中で、ハゼムはじっと耳を澄まし、壁天井に神経を這わせた。すると、遠くから街中のざわめきが忍び込んでくるのが分かった。人々が行き交い、互いに言葉を交わす気配。

 しかし、ただそれだけだ。もっと近く、例えば扉一枚隔てた帳場、そのそばのささやかな食堂、あるいは階上に並んでいるであろう居室のいずれからも、およそ人の気配は感じられない。もしかすれば、この館にいるのは、我々だけではないかとすらハゼムには思われた。

 ――こんなことでは主人とて、商売あがったりであろうに。

 そうも思われるが、この現状に主人の言葉の切迫度合いが知れるようだ。


「……なるほど。主殿の言、どうやら偽り事ではないようだ。それは理解した。その忠告に従うよう努力しよう」


 ただしかしながら、とハゼムは膝に手をつく。


「我輩達も思いのほかの長旅程で、諸々の物資が底を尽きかけている。ゆえに、いささか背荷を商って、次の旅支度をしたい。その程度のための滞在であれば、お目こぼしいただけるか」

「貴方方の背荷とは、如何様なもので?」

「先般訪れたる湖畔の街、かの地の名工の手により作られし、魚鱗細工の品々である。このようなものだが、いかがだろうか?」


 そう言ってハゼムは、懐より木箱を取り出して開き、緑色に輝く鱗で飾られた首飾りを披露した。これとて先述の地で親愛の証としてもらった品であるから、もとより売るつもりなどないが、見本代わりとして示したのだ。

 しかし、首飾りを一瞥した駅亭の主人は、力なく首を振った。


「重ね重ね申し訳ありません。このようなお品、私の手には余ります。どうかお戻しください」


 その言葉にハゼムは愕然とし、やがて憤懣たる表情に変じた。


「何故だ、主殿! 魚の鱗を用いた品など確かに馴染みの薄きものであろうが、工芸品・美術品としての出来は十分に保証できる。それに駅亭の主人を務めるほどであれば、好事家の小金持ちや珍品を扱う商人の手がかりくらいあるはず。なのに、一目見て拒むとは何事であるかや!?」

「いえ、いえ! どうかお怒りをお収めください! お品が悪いというわけではないのです。ただ、何と言いましょうか……」


 と、駅亭の主人が苦い顔をして言い淀んだのをハゼムは見とがめた。

 彼は一旦気持ちを落ち着けて、諭すように語りかける。


「先ほどから、主殿の物言いはどこか奇怪なところがある。このあたりでいい加減、本意を明らかにしてもらえぬか」


 主人は、上目加減にハゼムとルーリエの顔を見やり、しばしの逡巡を見せた後、


「――ええ、分かりました。ご納得いただくには、それしかありますまい。私がこれほどまでに貴方方をこの街より遠ざけようとする理由、お話することといたしましょう」


 かくして、かの主人が語りだしたのは、おおよそ以下のようなことであった。




 タバヤ教。荷背を崇拝するという、その珍妙な新興宗教。

 その興りについては、駅亭の主人も元々外来の新参者ゆえに、はっきりとは判らない。教義に関しても、信徒ではないこともあり、表面的なところはともかく核心部分についての理解は覚束ないという。

 しかしながら、その『宗旨』の実際については立場柄、身に染みるほど付き合わされてきたと、彼は語った。

 その経験が彼をして断言せしめるもの。

 それはすなわち、かの宗教が厳格なる『禁欲主義』を旨とするいうことであった。

 元来、当地アルコリケでは、山地由来の湧水と果実に恵まれたおかげで酒造業が興っていた。地産の銘酒の評判は遠く国都にも聞こえるほどで、アルコリケは辺境地にありながら、その産業によって長らく潤ってきた街なのだという。

 その状況はタバヤ教団が当地に至り、急速に勢力を拡大すると、たちまち様変わりした。

 教団と新たに信徒となった住民達の熱烈な活動により、酒の製造・移動・売買、そして飲用を禁じる法の成立が目指されたのだ。

 彼らが酒を禁じようとした理由。それは『酩酊が善徳を蝕み、悪徳を生み育てるため』というひどく教条的で抽象的な理由であったと、巷間には言われている。その実相はさておき、紆余曲折を経た末に、何とこの禁酒法は成立の日の目を見た。

 以来、街の活況を支えてきた酒造業が崩壊し、街の経済状態を大きく損ねたことは疑いようもない事実である。

 この経緯こそが、タバヤ教が『禁欲主義宗教』だと主人に断じさせる所以の一つだ。

 しかし、この成功体験は、その後のタバヤ教をより過激な方向へと向かわせた。

 かの教団内には急進派、俗に『熱心党』と称される一派がある。彼らは禁酒法の成立後、教団自体の伸長と軌を一にするように勢力を伸ばしたが、遂には教団の主導権すら掌握するに至った。やがて街の規制当局や自警団など種々の執行機関にも浸透を果たし、現在のアルコリケの施政は、教団組織が、ひいては『熱心党』が実質牛耳るという構造になっているのだという。

 このように街の事情を語ることですら、『熱心党』の耳に入るのを恐れるという窮屈な事態になっているのだ、と。駅亭の主人は、窓掛けのかかった窓を見やりながら、そう嘆息してみせた。

 さて、『熱心党』はまた、目に見える形でも教義の徹底を試みた。

 その象徴ともいえるのが、『虚飾の墓標』。すなわち、ハゼム達がアルコリケの道中に行き会った、あの不自然な塵山のことである。

『熱心党』は、最早教団組織と一体となった街の住民たちに対し、欲望の象徴たる『虚飾』の品々を放棄するよう迫った。つまり、日々の生活を彩る調度品や装飾品、品位を周囲に示すためだけの美術品や書籍、実用ではなく鑑賞のために堕した武器等々を、である。多くの人々は躊躇い、些かの抵抗を示したが、最終的にはその脅迫じみた要請に従わざるをえなかった。

 そして件の『墓標』は、今なお成長を続けているという。それは熱心党員が入り込んだ執行組織が、日々『虚飾』の摘発を繰り返すからに他ならない。

 ただでさえ主要産業であった酒造業が死に絶えた上、人々の些細な欲望すら抑圧する現状である。そこにかつての活気など戻ってこようはずもない。

 今となっては、市井にて行われる日々の経済的営みすら憚られる状況に立ち至ってしまった。それは本末転倒なことに、教団信徒らが崇拝する荷背にとって必要な営為、すなわち背荷のやり取りすら危うくしてしまっているのは、さて一体何の皮肉であろうか。




「――かくいう事情のために、私は先ほどのご忠告を申し上げました」


 駅亭の主人は、まだやはり背後の窓を気にしながらも、街の背景を話し終えたことで表情には安堵の色をにじませていた。


「この街は表面上、荷背である貴方方を歓迎します。しかしながら、その実、歪んだ教義はいつ何時いかなる理由で貴方方に牙をむくかもしれない。ゆえに、早々のご出立を判断されるのが最善である、と」

「なるほど。我輩達の背荷の引き受けを拒んだのも、それが理由であったか」

「ええ、そうです。先ほどお見せいただいたお品、確かに珍品ですが、平時ならば喜んでお預かりして捌き先を手配しましょう。ですが、『熱心党』の目を光らせる昨今、物の価値を『虚飾』の一言で切って捨てる彼らの手にかかれば、たちまち取り上げられて『墓標』行きとなりましょう。それが例え、彼らが尊崇する荷背のもたらした品であっても、です。しかしそれでは、あまりにも貴方方の旅の苦労が報われないというもの。失礼なこととは重々承知しておりますが、どうかご理解とご寛恕のほどを」

「いや、そういう事情であれば仕方があるまいに、こちらも無用に貴殿を責めた。どうか容赦いただきたい」


 理由を聞き、すっかり落ち着いた様子のハゼムは一言詫びの言葉を差しはさんだ。そして続けて、このような状況でも駅亭の運営を続けている主人の労苦を思い、ねぎらいの言葉をかけた。


「まあ、このような時と場所に立ち至った私への女神様のお導きと思って、観念するしか仕様がありません。これでも私が駅長となった数年前までは、まだここまで深刻な状況ではなかったのですがね」


 主人は苦い笑みを浮かべながら、唇に人差し指を添えて祈りの仕草をして見せた。

 彼の中では、彼の神が与えたもうた試練として、現実を受け止めようとしているのだろう。困難な現状におかれていること。信仰は異なっていても、そこに彼とアルコリケの住民とで違いは何もない。

 さて、さりながら、と。

 そんな主人の様子を横目に、別なことに思いを巡らすハゼムがいた。街の不可思議な事情背景が判明したところで、彷徨えるハゼム達の寂しい懐事情が変わらないこともまた、一片の現実であったのだ。


「――あの、ハゼムさん?」


 と、それまで交渉の場にあえて沈黙を守ってきたルーリエが、唇を噛んで物思いにふけるハゼムに声をかけた。


「どうしたのだ、ルーリエ?」

「もしかしなくても、悩まれているのは路銀のことですよね?」

「……ああ、情けない話だが、その通りである」


 その返事を聞き、ルーリエは覚悟を決めたような凛とした表情で拳を握った。


「それでしたら、私にひとつ考えがあります。上手くいくかは分からないですけど」

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