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昔々あるところに貴族の娘がいました。
お母さんは娘が小さいときに亡くなり、お父さんは別の人と結婚しました。
新しいお母さんの正体は、実はおそろしい魔女でした。
ある日お父さんが出かけているときに、魔女は娘を森に誘い、おそろしい魔法を使い、娘をカエルに変えてしまいました。
魔女は娘のことが邪魔だったのです。
ひと思いに殺すよりも、より残酷な方法で娘を絶望させたかったのです。
カエルになった娘は暗い森で生きのびました。
森にはミミズクやヘビなど、カエルの天敵がたくさんいましたが、食べられることはありませんでした。
なぜなら娘は普通のカエルではなく、毒ガエルだったからです。
おとぎ話風に語るなら、これが毒ガエルとなった私の物語。
カエルになったときには死んだほうがマシだと思うくらい辛く、魔女の思惑どおり死よりも深く絶望したものです。
しかし実際ヘビに飲み込まれそうになったときに、死にたくない!と強く思いました。
その瞬間ヘビは私を吐き出して、苦しみ出しました。
そして全身を震わせてあっという間に死んでしまったのです。
そのときは私の皮膚から染み出している毒のせいだとは分からず、天の助けだと思いました。
しかしある日、森へ探索にきた人間が私を指さして、「毒ガエルだよ。猛毒だから絶対に触っちゃ駄目だよ」と同伴者に注意しているのを聞いて、納得しました。
どうりで私を食べようとした生き物はみな、悶絶死するわけです。
説明を受けたほうの人間は、へえと驚きました。
「アーモンド型の大きな黒目で、こんなに可愛い顔をしてるのに、怖い子なんだね。ビビッドな体色も可愛いのに」
「この鮮やかな黄色は警告色なんだよ。触るな危険ってね、ちゃんと知らせてる」
彼らの会話を聞いて、私は自分の容姿に少し自信を持つことができました。
手足が派手な黄色をしていることは知っていましたが、水溜まりに映して見た顔はぼんやりしていました。可愛いと言ってもらえる顔で良かったとほっとしました。
ただし「触るな危険」です。このカエル、毒ガエルにつき。
私は最強です。この森に敵はいないと慢心していたある日、またヘビに捕まりました。
どうせすぐに吐き出されるだろうと思いましたが、今度のヘビは様子が違いました。
苦しみ出すこともなく、私を口内に収めようとしたのです。
慌ててもがきましたが、片足を咥えられたままです。チロチロっとした舌が体に巻きついてきて、ぞぞぞっとして気を失いかけたそのときです。
ざざっと草を踏む音がしました。ビックリしたヘビが思わず口を開け、私をぽとりと落としました。
現れたのは一人の人間でした。私を放したヘビは慌てて草むらへ逃げ去りました。
「わっ、蛇!……ん? 君は、猛毒ガエルちゃん……てことは、さっきのは毒耐性のマイマイヘビか。唯一の天敵にやられちゃったか」
しゃがみこんで私を覗き見る人間と目が合いました。
私も逃げたかったのですが、片足を怪我していて動けません。
「そんなに可愛いお目々で見られたら、助けない訳にはいかないなあ」
丸眼鏡の奥の瞳を細め、人間は言いました。そしてひょいと私を摘まみ上げて、腰に付けている虫籠にそっと入れました。
私に触っても大丈夫なよう、手袋をしていたのでした。
私を助けた人間は、クラレンスという名前の生物学者でした。
年齢は二十二、三でしょうか。灰色がかった茶色い髪にヘーゼル色の瞳、丸眼鏡が似合う優しい雰囲気の男性です。
自宅へ私を連れ帰ったクラレンスは、広い水槽を用意してくれ、生活環境を整えてくれました。
湿度たっぷりの土にコルクでできた隠れ家、水浴び用の容器に、密林を再現したような観葉植物。
「怪我が治ったら、森へ返してあげるからね」
クラレンスは毎日私に話しかけてくれます。
「おはよう」
「元気かな」
「お腹すいた?」
「今日は乾燥するから霧吹きしとくね」
「お仕事行ってくるね。良い子にしててね」
「レモンは本当に可愛いなあ」
クラレンスは私にレモンと名付けました。
ビビッドな黄色と、コロンとしたフォルムがレモンを連想させるそうです。
「でもミニミニレモンだね。プチレモンだ。こんなに小さくて可愛いのに、牛も殺せるほどの猛毒持ちとは恐れ入るよ。可愛いものには毒がある、女性も同じなのかな」
クラレンスは私に悩みを打ち明けました。
どうやら可愛い婚約者と上手く行っていないようです。
幼なじみの彼女と結婚を前提とした交際を続けているものの、彼女の浮気が原因で別れること二度。
しかし別れて二ヶ月もすると、泣いて謝りながら復縁を迫られ、つい許してしまうそうです。
「子どもの頃からの付き合いだし、二人での思い出がありすぎて。泣かれるとね、弱いんだ。けど、もう次はないよって言った。分かった、もう絶対にクラレンスだけだからって言ってくれたのに……多分またしてる、浮気」
ご主人様の悲しげな顔を見て、胸がきりりと痛みました。
「前回振られたときに、散々ダメ出しされたんだよね。浮気相手と比べると僕には華がなくて、雄としての魅力や雄々しさに欠けるって。彼女はとても綺麗で華やかな子だから、確かに僕では物足りないんだと思う。浮気相手は僕とは全然違う、フェロモンたっぷりで自信満々の男だったからね。正直お似合いだと思ったよ。でも、離れてみて僕の大切さが分かったっておいおい泣かれると、彼女の手を振り払えない。本当に女々しくて弱い男だよな。レモンもそう思う?」
それは女々しくて弱いのではなくて、優しくて心の広い男性ではないでしょうか。
もし私が喋れたらそう答えますが、カエルの私にできる精一杯は、首を横に振るくらいでした。
それを見たご主人様は目を丸くしました。
「レモン、『ううん』ってしてくれたのかい。凄いねお前、まるで僕の言葉が分かるみたいだ。お前は本当に可愛くて、僕の癒しだよ。けど、そろそろ森に帰さなくちゃな。怪我はもう良くなったし。離れがたいけど。彼女、カエルが嫌いだしなぁ」