199・エンカウンター
眼下に広がる一変した風景に瞠目する。地面に広がる黄色や茶色の地味な枯葉模様に違いは無い、だが明らかに先程よりも地面が近い。
競技用の鉄棒位はあった枝の高さが、今じゃちょいと背を伸ばせば手が届きそうな距離になっている。
「ゲホッ ゲホッ、あー口にも鼻にも枯葉が詰まってるみてーだ。おい、アンタは大丈夫かよ?」
身体の半分を枯葉埋もれながら此方を見上げるシェリーを見て、その深さが尋常な量で無い事が把握出来た。
(こんな短時間でこんなに? ゲリラ豪雨……じゃなくて、ゲリラ落葉とでも言うのかな?)
異世界の不思議な気候に驚きながらも身体中へと張り付いた落ち葉に顔を顰める。
ザックリと荒く編まれた防御力ゼロの『麻の服』には、沢山の落ち葉が羽毛の様にチクチクと俺の肌を刺しているーー敏感肌に優しくない仕様でガックリだ。
「ブフッ、あはは、何だよその格好は!」
「デカい蓑虫がいる」と、馬鹿にした様な笑い声が下から聞こえる……自分だって枯葉だらけの癖に良くもそんなに笑えるものだ。
大口を開けて笑うシェリーに体に付いた枯葉を振り落としてやろうかと見下ろすと、その背後の先に呼吸をするかの様に浮き沈みする地面がある事に気が付いた。
「シェリー、そこから動くな」
「あぁ? 何でアンタなんかに命令されなきゃ……」
不機嫌そうに上目遣いで睨んだシェリーの耳がハッとした様にピクピクと動く。
どうやらシェリーも気付いた様だ……枯葉の中をまるで土竜の様にゆっくりと此方に向かって移動してくる存在にーー。
木の上からはシェリーの声や動きに合わせて枯葉が波立つ様に移動しているのがはっきり見えている。恐らく相手は音で場所を特定しているに違い無い。
そう気付いた俺はシッっと口に指を当て、目線でシェリーの背後を示す。
(……コクリ)
俺の意図を理解したのか、シェリーは音を立てぬ様にゆっくりと自身の腰に手を伸ばすーーが、ベルトに差していた筈の短槍が見当たらない。
(そういやアタシ、槍を構えたまんまだった。さっきの衝撃で落としちまったか?)
「ーーチッ」
慌てて枯葉に両手を突っ込み探る様にガサガサと足下を弄り出したシェリーを見て俺は小声で叫んだ。
「シーっ、シーって言ってるじゃん! ほら、もう来てるって!」
「うっせぇな! んな事言っても槍がーーう…わぁっ!」
上体を枯葉スレスレまで下げていたシェリーが短い悲鳴と共に仰け反った。直ぐ目の前に真っ黒な二つの目玉が現れたからだ。
(アレは……さっきの召喚獣だ!)
枯葉の海よりゆっくりと浮上した魔獣人、あの感情の無い作り物みたいな目がシェリーを捉える。
「うぁ……あ……」
蛇に睨まれた蛙の様にすっかり固まってしまったシェリーをギョロリと値踏みするかの様に凝視する魔獣人、今度はスンスンとその匂いを嗅ぎ始める。
確かにシェリー(肉球)からは焦げたパンケーキみたいな芳ばしい匂いがするからな。嗅ぎたくなる気持ちは分からんでもないが、あのシェリーがこのまま好き勝手にクンカクンカされ続けるとは思えない。
熊などに出会った場合はなるべく相手を刺激しない事が大事だと聞いた事がある。今は大人くしている魔獣人もシェリーの態度次第では凶変する可能性もあるのだ。
いつ手が出るかも分からないシェリーに向けて、俺は一応小声で忠告する。
「シェリー動くなよ。そのままジッとしてろ」
珍しく縋る様な目付きで俺を見ながらガクガクと頭を縦に振ったシェリー。嗅がれるのが余程嫌なのか、思い切り顎を引いてそのままギュッと目を閉じてしまった。
(それにしても召喚獣のヤツ、元ご主人様が居るってのに全然コッチ見ないのな)
シェリーにばかりお熱な事を少し不満に思うが、どうやら俺の服に纏わり付いた枯葉が上手い具合にカモフラージュになっているらしく、魔獣人は俺に気付いて無いらしい。
それはチャンスでもあるのだが……何せ魔獣人とシェリーの距離が近過ぎる。今俺が飛び出すのはかえってシェリーを危険な目にあわせるかもしれない。
一先ず様子見、直ぐに襲わないと所を見るにどうやらアイツはお腹が減っている訳じゃ無さそうだし、暫くしたら飽きて何処かへ行く可能性だってある。
(それはそれで、ガウル達が心配ではあるけど……)
アイツ……食ってないよな?
◇
一向に攻撃して来ない魔獣人に段々と冷静さを取り戻したシェリーは、どうやら目の前の相手を観察する余裕が出てきた様だーーチラチラと薄目を開けているのが見える。
そうしているうちに、シェリーは魔獣人が自分と同じ虎柄である事に気が付いた。
「お前……もしかして…………」
驚愕に震えながらもそっと魔獣人の方へとその手を伸ばすシェリー、その手が魔獣人の頬に触れーー。
「あぶなっ!」
ーーガチンッ!!
間一髪! 差し出された褐色の細腕を当たり前の様に食いちぎろうとした大きな牙は、その直前で空を切った。
魔獣人の背を目掛けて、俺が飛び降りたのだ。
ーー互いの身体が枯葉の海に沈む。
そのまま押さえつけようとしたが魔獣人はヌルリと起き上がる。大量の枯葉がクッションとなり、大したダメージにはならなかった様だ。
「おいシェリー! 野生動物に迂闊に手を出しちゃ駄目だって!」
グニグニと掴み辛い魔獣人の後首の皮を両手で引っ張り、何とかその動きを封じながらシェリーを咎める。俺の判断が後1秒でも遅れていたならば、恐らくシェリーの腕は無くなっていたかもしれない。
「だ、だって、コイツは……そんな………」
強烈に顎を噛み合わせたあの歯音……決して甘噛みの類いでは無い事は明々白々である。
ーーガチンッ! ガチンッ!!
青ざめた顔で立ち竦むシェリーに向かい尚もその牙を剥き首を伸ばす魔獣人。
「ったく、ちょっと落ち着けって!」
「グァァルアアア!!」
怒った様に魔獣人が唸る。と、同時に魔獣人からブワッと強い風が巻き起こった。
「おっ、おっ、なんだぁ!?」
叩き付ける様な強風と荒波の様に巻き上がる枯葉。急な出来事に俺は思わず魔獣人から手を離す。濁流に飲み込まれる様に波打つ枯葉へと紛れ込んだ魔獣人の姿を俺は見失ってしまった。
「やっべ、アイツ何処いった? シェリー、危ないから木の上に登れ!」
「ーーわ、分かった」
シェリーは先程まで俺が懸垂をしていた木にしがみつく。普段のシェリーならあっという間に登りそうなものだが、渦潮の様な枯葉が邪魔をする。
枯葉の海は魔獣人のテリトリーと化している、飲み込まれればどうなるか分かったものじゃない。
ようやく枝を掴んだシェリーの足を枯葉から伸びる長い手が払った。
「ーーあぁっ!?」
ーーガッ!
危なく枯葉の海へと引き摺り込まれそうなシェリーを救ったのは、木に刺さった一本の短槍であった。
一瞬膝まで飲み込まれたシェリーだったが、既の所でその短槍を掴み難を逃れたのだ。
「シェリ坊、そのまま登れ! 兄弟気を付けろ、奴は風を纏ってやがる!」
「ヘ、ヘイズの兄貴!!」
振り向けば、必死の形相で駆けて来るヘイズが木々の合間に見えていた。
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