193・反抗期
(あれ、聞こえてない?)
意気揚々と告げた俺には目もくれず、シェリーはヘイズの胸ぐらを掴み唾を飛ばしている。俺の言葉なんて耳に届かないくらいの腱膜だ。
「そりゃぁ黙って付いて来たガウルにも責任があるけどさ、ガウルはアタシらの身内だぞ兄貴! 身内は見捨てないのがカーポレギアじゃなかったのかよ!」
ヘイズの言う事にはいつも割と素直に従うシェリーが、こんなにも反抗的な態度を取るのは珍しい。思えばこの討伐の話が出た時から妙に強情だったなーーもしかして反抗期だろうか?
「大丈夫! 俺が……ねえ? アイツは俺が何とかするって! おいってば! もしもーし!!」
「ーーうるせぇ!! 分かってる! 俺だって助けに行きてぇのは山々なんだ!」
「だったら今すぐーー」
ーー気持ちが良いくらいの無視である。
「もしかして、今俺が発してるのはモスキート音なんじゃないか?」と、そう勘違いしそうな程の無視加減。
モスキートとは言わずと知れた『蚊』の事だが、某国で開発された超高周波を使った音響機器の商品名でもある。これはこの機器が出す高周波数のブザー音が、蚊の羽音の様に聞こえる事に因んだものらしい。
このモスキート音、個人差はあるが年齢とともに聞こえ難くなると言う特性があるので…………おや? それじゃあ、この場で聞こえないのはオッサンの俺だけと言う事になるな……俺の声が聞こえないのが俺だけとは如何に?
「あのさー、取り敢えずそっちの話が終わったら教えてくれるかな?」
こんな時は無理に割って入ると余計拗れるものなのだ。俺は大人しく白熱する二人の会話が終わるのを待つ事にした。
(近場に水が無いからな、一先ず埋めてしまおう)
手持ちぶたさを誤魔化す様に、目の前で燃え盛る焚き火に土を被せていく。
行くにせよ、帰るにせよ、ここ離れるのは確定だ。枯葉だらけのこの場所で火の処理を怠れば、あっという間に燃え広がり山火事になってしまうからな。
「これで火の始末は大丈夫だな。それにしてもガウルは大丈夫だろうか?」
掛けた土の隙間より、薄っすらと立ち上る青白い煙を見ながら大きく息を吸って心を落ち着かせる。
一見冷静に見えるかもしれないが、内心はそうでは無い。出来れば今すぐにでも森へ飛び込んで、ガウルを攫ったアイツを追いかけたい気持ちを必死に堪えているのだ。
付き合いの長さはシェリーやヘイズには劣るが、ガウルは同じ教会で暮らす仲間である。
生意気で、意地悪で、時に俺にまで食事が行き渡らない様にワザと必要以上に食べる嫌がらせを……。
(良い思い出が一個も浮かばないな)
まぁ、これはしかしガウルの性格もあるが、ヘイズの所為でもある。ヘイズが必要以上に俺に気を使うものだから、同族としてヘイズを本当の兄の様に慕っているガウルが嫉妬で俺を目の敵にしているのだ。
そんな訳で正直ガウルとの関係は良好だとは言えない。だがそれでも、ガウルを助けたいと言う気持ちに偽りは無い。そもそも、目の前で弱っている子供を助け無い漢など居るだろうか? しかもそれが、寝食を共にする顔見知りであれば尚更である。
しかし、俺は感情のままに動く事が悪手であると分からない程子供では無い。痕跡を辿れない俺が一人で森へ入った所でガウルの場所まで辿り着ける可能性は低い。ここは多少の時間をロスしても、鼻の効く獣人に先導してもらうのが正解なのだ。
「今は焦っても仕方が無い、アイツだってガウルを直ぐに食べたりはしないだろう……しないよな?」
何だか段々不安になってきた。こんな時、心を落ち着かせるにはやはり筋トレが一番だ。
俺は足下に落ちていた石ころを二つ拾い上げ握り締める。石を繰り返し握り締める事で前腕を鍛えるのだーーこのトレーニングによって俺の握力は更に進化を遂げるのだ。
ーーゴリッ、ゴリッ
次第に崩れ小さくなっていく手の中の石ころが、ふと、ガウルの命の様に思えて思わず手から溢れた。
ーーパキンッ
「あっ……」
足下で二つに割れた石を見て、俺の焦燥感は更に募っていった。
◇
「だからッ!」
「そんな簡単な話じゃねぇんだ!」
仲間を見捨てる事を良しとしないシェリーと冷静に状況を判断し安全を優先しようとするヘイズ。
二人の結論がどちらになったとしても、俺の中でガウルを助けに行くのは決定事項ではあるのだが、二人の話し合いが終わらない限り先へは進めない。
俺が助けに行く派のシェリーに肩入れすれば、ヘイズの事だ、納得はしなくとも強く反対はしないだろう。
(だけど、ヘイズの言っている事も分かるんだよなぁ……)
ヘイズの実力はまだ知らないが、中級冒険者なのだからそれに見合った実力はある筈だ。けれどシェリーは何だかんだ言ってもまだ子供。頭数にならないどころか足を引っ張る可能性だってあるーー正直戦力にはならない。
何かを守りながらの戦闘は難易度が上がる、安全を優先するヘイズとしては許容出来ないだろう。
ーーかと言って、シェリーをこの場に残して行く事も出来ない。何故なら、日が落ちれば目覚めた無数の一角兎が一帯を支配するからだ。
個々としては大した脅威では無い一角兎だが、百を超える大群となれば話は別だ。小さく弱いからと侮ってはいけない。熱帯雨林地域に生息する軍隊蟻は小さいながら、その恐るべき集団性で牛などの大きな動物までを捕食してしまうというーーつまり、数とは力なのだ。
俺とヘイズの帰りが遅くなった、もしくは最悪帰れなくなった場合、残ったシェリーだけで対処は不可能。そして魔獣人の所在が明らかになっていない森の中をシェリー一人で街に返す事も出来ないーーこれは相手が一体だけだと言う保証は無いからだ。
つまり、三人で一度街へ戻り応援を連れて来ると言うヘイズの主張は決して間違ってはいないのである。
「助けにゃ行きたいが、その為に仲間を犠牲にする訳にはいかねぇだろう!」
遂にヘイズから決定的な言葉が放たれたーーいや、うっかり本音が洩れたと言うべきか。ヘイズの言葉にシェリーの顔が一気に青ざめる。
「……それってもしかして、アタシの所為で助けに行けないって意味なのか?」
「そ、そうは言ってねぇ! 言ってねぇ、けど……兎に角、今は一刻も早く応援をーー」
顔面蒼白なシェリーを見るなり、ヘイズは誤魔化す様に言葉を濁すが、その言葉を遮る様にシェリーが叫んだ。
「ーーい、嫌だッ!」
「シ、シェリ坊?」
「確かにアタイはお荷物かもしれない……けど、ガウルはアタシの弟分なんだ! こんな時に身体張らないで何が姉貴だ! アタシは一人だって助けに行く、助けてみせる!」
「おい待てっ、勝手な行動は許さねぇぞ! おい、シェリ坊!!」
ヘイズの静止を振り切ってシェリーは森へと駆けて行く。
「ーー待てって! お、おい兄弟何してる!? 今は遊んでる場合じゃーー」
「俺達も行くぞ、ガウルを助けに!」
俺は立ち上がったヘイズの腰に手を回し、ベルトをがっちりと掴むと、まるで二人三脚でもしてるかの様な体勢でヘイズを連れ森へと走り出した。
こうする事で、腰を押されているヘイズは自分の意思とは関係無しに前へ前へと進むしかなくなるのだ。
「な、何言ってる? 兄弟だって目の前で見ただろアイツを! ……いくら腕が立つからってアレは無理だ!」
「なぁヘイズ、一体何の為に俺を雇ったんだっけ?」
「あぁ? そりゃあ…………」
そうだ、ヘイズは俺を魔獣人対策の為に雇ったのだーーだから
ーーだから、俺は俺の仕事をしに行くだけだ!
「言ったよな、魔獣人の対応は俺に任せろって!」
俺はザックリとしたガウル救出作戦の概要を語りながら、シェリーを、そしてガウルを追って、深い森の中へと入って行った。
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