188・視線
「何と言うか、普通の森って感じだな……」
準備に忙しそうな二人と離れ付近の散策へと繰り出した俺は、特に何を見付ける訳でも無く……見慣れた森の中に少々落胆していた。
これまで人里を求めて山道を迷ったり、騎士団の訓練で森を散々歩き回った経験を既にしている俺にはどうにも見慣れた光景だったからだ。
勿論、木々や草の種類、虫なんかは前の世界では見られない種類ばかりの様ではあるけれど、元々あまり興味が無い分野なので然程心には響いてこない。
特に洞窟付近などは一角兎に食い荒らされたのか僅かな草も無く、在るのは大量の枯れ草と折れた木の枝、そして石くらいなもので殺風景この上無い。
俺は洞窟の頂上付近を確認する為、岩だらけの斜面をよじ登るーー軽いロッククライミングだ。
この「岩壁を登る」と言う行為、全身の筋肉を使うので普段の筋トレとは違う刺激が入り中々良い感じである。特に背中、前腕、肩が重点的に鍛えられるので、漢らしい逆三角形の上半身に憧れを持っている男子にはお勧めだ。
「ふぅーー。此処が丁度、巣穴の真上辺りか?」
こちらも草は無く土肌が捲れている、剥き出した岩肌の一つ一つを繋ぎ止める様に木の根がガッチリと絡み付いているのが見えた。
岩肌に所々見える小さな隙間が先程洞窟内を照らしていた光源みたいだが、とても兎が這い出せる様な大きさでは無かった。
ここから分かる事は、一角兎はこの割とキツい斜面を登りながら辺りの草を食べていたと言う事。つまり、万が一一角兎に囲まれた時、崖上は安全地帯では無いと言う事だ。
熊などもそうだが、人がやっと登れそうなキツい斜面でも獣達はスイスイと登ってくる。山羊なんて信じられない程の傾斜を飛び回っているからな……つくづく人間ってのは自然に適して無いと思う。
「ーー付近に逃げ場無しか。夜が来る前に討伐する必要がありそうだな。う〜ん、この木の根を如何にかすれば洞窟自体を崩せそうではあるけど……まぁ、それは無しだな」
この巣穴自体を崩してしまえば、討伐依頼は直ぐに完了するだろう。だが、今回一番の目的であるタンパク質(肉)が手に入らなくなってしまう。素材を手に入れつつ、兎共を手っ取り早く一網打尽にすのは中々の難題だ。
「ーーん?」
ーーふと、誰かの視線を感じ耳を澄ます。
風が枝を揺らす音、小鳥の羽ばたき、虫の鳴き声ーー様々な音が犇く中、俺の耳は森の奥からパキ、パキッ、と枝を踏折る様な小さな音を捉えた。
余談だが、虫の鳴き声を『声』として認識出来るのは日本人とポリネシア人だけらしい。他の人種は虫の鳴き声を雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめているからだそうだ。
いまいちピンと来ないが、外国人には鈴虫の音色を聞く事と、エアコンの室外機がゴーゴーと回る音を聞くのは同等だと言う事なんだろう……風情などあったもんじゃないな。
ーーそれは兎も角、今は先程聞こえた音だ。
(……奥に、何か居る?)
森の中だ、何か居るのは当然なのだが問題はソレが此方に敵意を持っているか、いないかーーである。
音がしたであろう場所をジッと見つめる。事前に魔獣人の話を聞いていた所為か、俺は自然と拳を握り込んでいた。
(動かない……俺が見てる事に気付いて居るのか?)
地面に落ちている小石をそっと拾い、物音がした方へと軽く放るーーが、無反応。
(……気の所為だったか? いや、誰かに見られてる感覚はあったからなぁ)
異世界に来てから人の視線や気配には特に敏感になった気がする。
暫く様子を伺ってみたが、どうやら此方に近付いて来る様子は無いーー音の大きさから赤熊や大猪では無さそうだけど……もしかしたらヘイズが先程言っていた鹿かもしれないな。
「ーー逃げたかな? まぁ大丈夫だろ。兎のお陰で付近の見晴らしは良好だし、何かが近付いて来たら直ぐに分かりそうだ。どうやら俺も見張りよりも兎狩りの方を手伝った方が良さそうだな」
一通りの散策を終え、斜面を勢い良く滑り降りて行くと、丁度テントを貼り終わったヘイズが槍を手に洞窟へと入る所だった。
「おぉ、兄弟ーーどうだった?」
「あぁ、特に何もーーあれ、シェリーは?」
「もう、中で始めてる」
「へぇ! やる気満々だな。付近に危険は無さそうだし、俺も中の方を手伝おうか?」
あの数だ、反撃は無いとはいえ一羽づつ狩るのは大変だろう。それに俺だって魔獣の討伐とか異世界チックな経験してみたい!
しかし、そんな俺の提案を聞いたヘイズは少し困った顔で手に持った槍を俺に見せる様に軽く上げた。
「悪りぃ、槍は二本しか持って来て無いんだ」
済まなそうにヘイズは言うが、元々二人で狩る予定だったのだから仕方が無い。
そもそも探索などには極力持って行く荷物を減らすのが常識であるーー登山家なんかはグラム単位で荷物を厳選するって聞くしな。
「そうなんだ……じゃ、じゃあ俺は見張りがてら火でも焚いてようかなー」
「あぁ、そうしてくれると助かる。朝飯は一角兎の丸焼きといこうや」
ヘイズは狼獣人らしく犬歯を剥き出し笑うと洞窟へと入って行った。
◇
(アイツ、只の雑役夫じゃなかったのかよ……)
この距離で気付かれるなどと思ってもいなかったガウルは、只々身体を縮め、盛り上がった巨大な木の根の影でジッと固まっていた。
まだ狩りは素人なガウルではあるが以前教えられた通り、自分の臭いが届かぬ様に風向きに気を遣い、三人との距離だって必要以上に取っていたーーそれは経験豊富な冒険者であるヘイズに対しての用心である。
それがまさかヘイズではなく、そしてシェリーでもない、人族の新入りに気取られるとは完全に予想外だった。
(クッソ、なんだ……身体が動かねぇ……)
周りの空気が妙に重く感じるのと同時に、耳鳴りがガンガンと頭を鳴らす。
おかしいーーあそこに居るのはいつも幼年組から食べ物を恵まれてはヘラヘラしている様な、そんな情け無い人族な筈なのに……。
ーー今はその視線が酷く恐ろしいモノに感じる。
どれくらい時が経っただろうーー暫くそうやって固まっているうちに、いつの間にかさっきまでの重い空気感が消えていた。
「ぷはっーー、はぁはぁ」
ねっとりとした脂汗が一斉に身体中から吹き出す感覚にガウルは自分が無意識に呼吸を止めていた事を知る。先程までの酷い耳鳴りと頭痛は、自ら呼吸を止めた為の酸欠が原因であった。
「な、なんだってんだよ! あんなのにビビるなんて……どうしちまったんだ俺様はよ!」
どうにも腑に落ちないが、ガウルはそれをコッソリ付いてきた背徳感とヘイズへの恐れが極度の緊張をもたらした結果だろうと考えた。
「アイツにバレりゃ、ヘイズの兄貴にもバレるからな。きっとそれでビビっちまったんだ。さて、これからどうやって合流するかが問題だな……」
ここまで付いて来たは良いがこっから先は全くのノープラン。後先考えずにまず行動ーーこれはガウルの良いところでもあり欠点でもあった。
「うーん、偶然を装って? いや、シスターから伝言が……ってすぐにバレちまうな。あ"〜もう面倒臭ぇ!! 取り敢えず行けば何とかなるだろ!」
ーーこの時ガウルは全く気付いて無かった。森の奥からジッと此方を見詰める、もう一つの視線を。
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