184・悪口
「おーい、こっちに酒とツマミくれ」
「俺も酒、ケチケチしねーで樽で持って来てよ!」
「そう言う注文は貯まったツケ払ってからにしてくんなさいまし」
ガヤガヤと騒がしいイアマの大衆酒場。安酒とボリュームだけはあるツマミ目当ての……まぁ言ってしまえば、貧乏人達が集う安酒場である。
値段だけで言うならば貧民街の飲み屋が最安ではあるのだが、毛が浮くスープに獣の臭いが充満していては酔えないと人族が来るのは断然こっちである。だが、客層は何方も大差は無い。
そんな罵倒と下品な笑い声が渦巻く中、端の小さなテーブルで男が二人、実に辛気臭そうな顔でグラスを傾けていた。
「ハァ〜、なぁアンタはこれからどうするんだ? そして俺はどうすればいいと思う?」
まだ二十代の青年は、自らの短髪を両手で掻きむしりながらテーブルへと頭を打ち付けた。
何度も繰り返される深い溜息ーーもしコレが液体であったなら、とっくにテーブルから溢れ出し彼等の足下をビチャビチャと濡らしているだろう。
同席するもう一人の男は、自分も同じ立場ながら絶望に打ち拉がれる元後輩を酷く冷静に眺めていた。
年齢的に肝が据わっているのか? と言えばそうでは無く、自分が嘆くより早く青年の酷い落ち込みを見た所為で気持ちが萎えてしまったのだ。
飲み会で先にベロベロになった人を見ると、思わず介護役に徹してしまい、自分は酒に酔えなくなるーーあの現象と同じである。
「……だからどうもこうもあるかって。とりあえずイアマを出て違う街にでも行くしかないだろう? 俺も、そしてお前もだ……」
介護役であるならばしっかりと返事は返してやらねばと、男はもう三度目となる同じ言葉を青年へと返す。
「そうか、やっぱそうなるのか……チクショウ! 折角手堅い仕事にありつけたってのに一月も経たないうちにクビになるなんて!」
男達はイアマの街を取り締まる衛兵だーーいや、衛兵だった。
衛兵とは国に雇われる騎士とは違い、その地区を治める領主に雇われている。その領地にもよるが毎月決まった額の給金が払われる為に非常に安定した職業であるのと同時に衛兵と言う肩書きが手に入る。
この肩書きと言うのは便利な物で、大抵の無理は押し通す事が出来るし、不正をでっち上げて見逃す代わりに賄賂を貰うーーみたいな、ちょっとした小遣い稼ぎも出来ると言う優れ物だ。
しかし、男達はそんな誰もが羨むような理想の職場から解雇されてしまったーーそれもたった一度の失敗の所為でだ。
「俺達に全部責任を負わせやがって、何が『夫人への報告は俺が上手くやっておくから心配するな』だよ……」
「随分とお怒りだったらしいからな……まぁ、運が無かったとしか言いようが無い」
彼等は野良犬事件の時にルーナを追い詰めていたあの衛兵達だ。
結局あの後、犯人を捕まえる事も財布を取り返す事も出来なかった衛兵達は、夫人よりもその夫であるバルザック男爵からの多大な怒りを買い責任を取らされる羽目となった。衛兵のリーダーは降格、他二人は減給、そして盗人に騙され、まんまと無関係な者を追い掛けた挙句、警備隊長の友人が世話する少女達に怪我を負わせた責任で彼等二人には一番重い処分を下される事になる。
貴族の怒りを買った彼等がこの街で再度衛兵職に就く事は難しく、他の職に就くとしても目をつけられた彼等を快く迎えてくれる職場は無いだろう。
そうとなれば噂の届かない遠い街へと生活を移すより他無い。
「はぁ〜運ね。俺の運は衛兵に受かった時にすっかり無くなっちまったって訳だーーおい、酒だ!」
酒場に入り浸るくらいならサッサと違う街へ行けば良いのにと思う所だが、他の街へ行く旅費や当分の宿賃、食費などを確保するにはある程度纏まった金が要るーーしかし、彼等にそこまでの貯蓄は無い。
結果、ジリジリと残り少ない身銭を切りながらも安酒を煽るくらいしか出来ないのが現状なのだ。
「なぁ、それにしてもラルードル御婦人ってのは随分とケチ臭い女だと思わないか? 財布の中身なんてたかが知れてるだろう?」
「ーーおいおい、声を落とせよ。その意見には完全に同意するが、俺はこれ以上貴族に関わるのはゴメンだ」
辺りを見渡し声を落とす男に向かって青年は益々声を張り上げる。
「ハッ、こんな安酒場に貴族様は来ないだろ! それに聞かれたって構うもんか、これ以上状況が悪くなる事なんて無いんだから!」
「あのな、この場に貴族が居なくたって誰かにチクられたら不敬罪で投獄だぞ。元同僚に捕まるなんて恥ずかしいにも程がある」
「…………投獄、今より悪い状況もあったな」
「俺は愚痴すら吐けないのかよ……」と青年は嘆き酒を更に煽る。
「はぁ〜、あの大男が出てこなきゃ、餓鬼共をそのまま犯人に仕立て上げられたかもしれないのにな。隊長の知り合いは無理でも、あの孤児の餓鬼どもなら何とでもなっただろ?」
「ーー大男? あぁ、あの魔法が全く通じない奴か」
魔法を踏み潰し叩き落とす大男、それだけでは無い、あの距離を一瞬で詰める瞬発力…………あの時、周りが止めなければどうなっていただろうと男は肩をブルリと震わせた。
「あの魔道具、闇市に行きゃまだあるかな? あれがあれば何処の街に行っても何とかなりそうだろ?」
「どうだかな、あったとしたって今のお前にゃ買えないさ……しかし、あれは本当に魔道具の効果だったと思うか?」
「おいおい、アンタが魔道具だって言ったんだぜ先輩。……他に何がある? まさか、あんな場所に大魔法士様が降臨されたとか言うなよ?」
「いや、流石にそうは思わないがーー俺が聞いていた魔道具よりも実際の効果が高くてな」
男が闇市に流れてきていると聞いた魔道具は精々単発魔法が使える程度の物だ。よく考えれば魔法を無効化する魔道具が有るなんて話は聞いて無い。
「まぁ、仕組みは分からないが帝国ってのは大したもんだよな、魔法無効だぞ? あんな魔道具が沢山あるなら共和国側は直ぐに負けちまうんじゃないかね? それなのに共闘とか言ってる貴族様がいるんだろ、全く馬鹿だねぇ!」
「おいおい、またお前は……少し飲み過ぎだぞ?」
ーーガタッ!
貴族の悪口を聞かれたのだろうか? すぐ隣の席に一人で飲んでいた者が此方の言葉に反応してか急に立ち上がるのが見えた。
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