160・リスクとリターン
ーーザッザッ ザッザッ
野良犬は走る、何度も振り向き追手がこない事を確認しながら。
付近の木々が伸ばす小枝をかき分ける様に少し外れた道沿いを走るのは、いつでも暗い森へと逃げ込める様にだ。
雇い主であった男は顔を隠してはいたが貴族である事は間違いない。彼等が自分達貧民街の住人をどう思っているかなど分かりきっているーーこのまま無事に帰れるかどうか……用心に越した事は無い。
しかし、そう思いながらもポケットの中で踊る銭袋の重さに思わず頬が緩む。
今回、野良犬がリスクを冒してまで貴族を襲ったのはそれ以上の報酬があったからであった。
「とある貴族の財布を奪ってきて欲しい」
安い屋台、偶然隣に座った見慣れぬ長身の男にそう持ちかけられた野良犬は馬鹿な話だと最初は笑い飛ばした。
しかし、長身の男は真面目な顔付きで淡々と計画を語り始めた。当日のターゲットの動向・襲撃場所・逃走先の隠れ家ーー成功が約束された様なしっかりとした計画に…………いや、何より高額な報酬に目が眩んだ。
ーー計画は上手くいった、途中で些細なトラブルもあったが、そのおかげで衛兵を餓鬼共へと押し付ける事が出来たーーあまりに上手く物事が進み拍子抜けする程だ。
心配していた報酬も、難癖付けられケチられる事も無く全額しっかりといただいた。
(全く、貴族の考えてる事は分からねぇなーー)
それはそうだろう、盗んで渡した金額よりも報酬の方か遥かに多いのだ。何だってそんな事をするのかーー野良犬にはさっぱり理解出来ない。だが、野良犬にとってはそんな事はどうでもよかった。
元より貴族なんて理解し難い生き物なのだーー今更理解しようとも思わないし、もう彼等に関わるつもりも無い。
とは言うものの、あの貴族が今回の事をネタに脅しを掛け、何度も仕事を依頼してくる可能性もある。それに貧民街に戻っても餓鬼共がしつこく追ってくるだろうし、貴族に手を出したからには衛兵だって黙っちゃいない筈だ。
最早、このイアマの街に野良犬の居場所は無くなったと言っても良い、しかし対価は充分に得た。
(ハッ、別にこんな街に未練なんて無ぇしな!)
このまま街を出て王都へと向かおうーー人が多い王都なら、金さえ有れば獣人であってもそれなりの暮らしは出来るのだ。それに王都には闘技場もあればカジノもある。この金を元手に一発当ててやるのもいいだろう。
(上手い話にゃ裏がある、と思って念の為に金貨一枚くすねておいたがーー考え過ぎたか? まぁ手間賃って事でーー)
足先にある硬く丸い金貨の感触ーー銭袋の中にある金貨よりも踏み締める度に感じる一枚の金貨の方が貴族から騙し盗ってやったという「してやったり感」があるのか顔がニヤける。
くすねた金貨を取り返しに来やしないかと、暫くビクビクしていたが……どうやらあの長身の男は追っては来ない様だと少し安堵する。
金持ちにとって金貨の一枚や二枚など気にもならないと言う事なのだろう。
「まぁこれだけ離れりゃ、もう気付いた所でーー」
最後にもう一度と、今はもう見えなくなった小屋を振り向いた野良犬。その視界の先に映る景色と想定していた景色のずれ|に混乱する。
「はぁ?」
ーー目の前に地面がある??
草に足を取られ転倒しそうになったのかと慌てて体勢を立て直そうともがくが、手足の感覚が全く無い事に気が付いたーーまるで力が入らないのだ。
途端、警報の様な耳鳴りが頭の中にキンキンと鳴り響き、まるで蝋燭の灯りが急激に小さくなっていく様に辺りの闇が迫って来る感覚に陥る。
(な、なんだ? 何が??)
体は一切動かせず、呼吸も上手く出来ない。体中から熱という熱が外に流れ出したかの様な寒気の中、唯一動かせる視線の先に見えたのは地面に突っ伏した自分の体から誰かの手が銭袋を抜く場面だった。
(おい、それは俺の金だ! 俺の金だぞ……俺の……)
◇
「火葬」
ーー首の無い死体を青白い炎がパッと包む。
赤く燃える火魔法とは違い、より高温で燃える青い炎ーー赤い炎は約1400度なのに対して、青い炎の温度は約1700度〜1900度にもなる。
魔力量と周りの酸素の混合率を熟知しているから出来る上位の火魔法である。
瞬く間に炎に喰われて行く自分の体を酸欠の魚の様に口をパクパクと動かしながら野良犬が見つめている……いや、もうその目に光は無く、只々虚無を見つめているだけの様だ。
ーーバチバチッ パチッ
肉が盛上がり、弾け、体液が散乱するーー炎の中の死体は、まだ生きているのだと主張する様に起き上がり体を捻って見せるが、これは高温に熱せられた筋肉が縮む為だ。
濛々と漂うドス黒い煙を振り払いながら、長身の男は道脇に目を剥いて転がる野良犬の頭を炎の中へ蹴飛ばした。
「ーー獣人は臭くて敵わん」
体毛が多い獣人は、燃えると兎に角悪臭を放つ。
体毛にはイオウを含むケラチンが含まれる為に悪臭となるのだがーー殺された恨みなのか、はたまた取られた金への執着か……男が手で払っても払っても悪臭を含んだ煙はしつこく男に纏わり付いた。
「ウップ、次からは細切れにして魚の餌にでもした方が良いかもしれん……」
あまりの臭いに耐えきれなくなったのか、死体の全てが灰になるのを待たずして、長身の男は己が主人の元へと帰って行った。
残った死体をメラメラと貪る青い炎は、やがて全てを燃やし尽くしたのか、プスプスとその勢いを弱めて消えた。
野良犬だった灰の塊が夜風に飛ばされ暗い森へと消えて行く……溶け爛れ原型の無い金貨が一枚だけが残った。
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