148・カーポレギア
路地裏の狭い道、その両側には朝露を纏った石壁が聳え立つーー不安気に見上げた空は酷く狭く見えた。
(村の空はいつも広かったんだけどなぁ)
二人は服が濡れぬ様にと肩をぎゅっとすくめながら狭い石壁の間を進んで行った。
時折、自信なさげに周囲を見渡し歩いていたマルリだったが、アフェルに教えてもらった目印を見つけた事で安心したのか、やや興奮気味にルーナを振り返って言った。
「あっ、ここ! この黒い格子が付いた扉のお家を曲がるとねーー」
新しい住処であるこの街で、しっかり者の姉よりも先に秘密の近道を知った事が余程嬉しかったのだろうーー少し自慢気にルーナの方を見ながら道を曲がったのが悪かった。
ーードンっ!
「ーーキャッ!!」
「マルリ!?」
マルリは突然飛び出してきた男に弾かれ、その場に尻餅を着いた。
「チッ、邪魔してんじゃねぇぞガキがッ!」
背の低い痩せた男が恐ろしい目付きでマルリを睨み付ける。
「ご、ごめんなさい……」
男は辺りをぐるりと見回して、他に大人が居ない事を確認するとニタニタといやらしい笑みを浮かべ二人に近寄って来た。
「いーや、ダメだな。見ろ、服が破けちまった! こいつの落とし前はどうしてくれるんだ、あぁ?」
男は服に空いた穴に人差し指をグリグリと回し入れて見せる。半泣きのマルリを庇う様に前に出たルーナは男の服を見て呆れ顔で言った。
「その服……穴が沢山、空いてるじゃないですか!」
穴に破れにほつれーー既に男の服はズタボロなのだ。あの穴だって今空いたものでは無い事はすぐに分かった。
「沢山穴が空いてる? お嬢ちゃん、だからって新しく穴を空けても良い訳じゃねーだろうがッ! この穴は……あん、コッチの穴だっけな? まぁどの穴だっていいんだ、要は金目の物を出せって話なんだよーー分かるだろ?」
男はドスの効いた低い声で唸ると、ふと傍に転がるカゴに目を向ける。
「まぁ……今は急いでるから、コイツで勘弁してやるっ!」
チラリと覗く銭袋の存在に気付いたのか、男は素早くカゴを拾い上げると路地の奥目指して駆け出した。
「ま、待って! それが無いとお使いがーー」
慌て止めるルーナを他所に男は路地の闇へと走り去ってしまった。
「おねぇちゃん、どうしよう……」
直ぐに宿屋に戻り、ケインに言うのが正しいのだろう…………が、ルーナは自分を信用してお使いに出したケインにガッカリされたくは無かった、「こんな事も出来ないのか……」とーーそれに行ってはいけないと言われていた路地裏での出来事だ。
(あぁ、絶対怒られるーーもし、村に帰れって言われたら……)
かと言って、男を追いかけ取り押さえる事など出来やしない。ルーナはペタリとその場に座り込んだ。
そんなガックリと項垂れたルーナの様子を見て声を掛ける者がいた。
「よぅ、そんなに大事な物だったのかよ、アタシ達が取り返して来てやろうか?」
「ーーえっ?」
振り返ると、そこにはお日様みたいな色の目をした少女が立っていた。
声の主は、裏路地に屯するカーポレギアと呼ばれる貧民街の子供達だった。
◇
「……えっと?」
いつから見ていたのか、自分と然程変わらない年頃の子供達がいつの間にかルーナの背後に立っていた。
(もしかしてこれがカーポレギア? カーポレギアってこんなに若いの!?)
ボロボロの衣服を身に付けた何処か荒んだ目付き、恐らくルーナやマルリと同世代の子供達だ。学校で会う友達とは明らかに雰囲気が違う。
「だから、アタシ達が取り戻してやろうかって言ってんだよ!」
再度尋ねる琥珀色の目をした女の子、彼女がリーダーなのだろうか?
ルーナは村に居た頃に想像していたカーポレギアと余りにかけ離れた彼女達の印象に混乱する。カーポレギアはギャングと同じく、盗みや喧嘩に明け暮れるならず者達の集まりではなかったのか?
「あ、あの……どうして、助けてくれるの?」
ルーナはマルリの手を握りながら、恐る恐る女の子に尋ねた。
「ーー助ける? アッハッハ、違う違う!」
女の子はルーナの問いに弾ける様に笑い出す。褐色の肌に金色の髪が揺れるその笑顔は、まるで満開の向日葵みたいに見えた。
一通り笑った女の子は急に真面目な顔付きでこう言った。
「これは仕事さ、勿論タダじゃ無いよ」
「でも私、お金無いよ……」
働いているとはいえ、家賃や食費に学費までもケインに払ってもらっているのだ。これで賃金まで寄越せなんて事は決して言える立場で無い事をルーナは良く理解していた。
「そんな事分かってる。あんた達、最近あの緑の看板掲げた洒落た宿屋で働き出したヤツだろう?」
「えっ、どうして知ってるの?」
「この街でアタシ達が知らない事なんて無いさ」
ーー少女は胸を張って答えた。
「お前らが来た所為で、あそこの残飯がガッツリ減ったからな!」
「この辺じゃ、あの店の残飯が一等だったのに……」
「一等だったのに……」
「あ、あんた達、余計な事言うんじゃないよっ!」
折角カッコ良く決めたのに、周りの子達の言葉で台無しであるーーそんな彼等のやり取りは、ルーナの警戒心を少し薄れさせた。
ルーナが働く緑燕亭は、日々残飯を漁っている彼女達のお気に入りの店だったのだ。ところがある日を境に急に残飯が少なくなったーーお客の入りが悪くなった訳じゃない、寧ろ最近ではその食事の美味さが噂になり客足は増える一方だ。
残飯は残り物だけじゃない、調理過程で必ず出る端材や焼き過ぎたパンなどは客が増える程多くなる物だ。
客は増えるのに残飯が減る、これはどうにもおかしいと不思議に思った彼女達は宿屋を観察、見慣れぬ従業員が増えた事を知ったと言う訳だ。
「お前らの賄いは端材を使ってるんだろ? だから俺たちの取り分が減ったんだ」
「えっと、それは……ごめんなさい?」
「ま、まぁ、あんた達を知ってるのはそう言う事さ。ーーそれでだ、もしアタシ達が盗まれたあんたの荷物を取り返してやったらーー」
「ーーやったら?」
「あの店の黒パン10個でどう? 難しい事じゃ無いだろう?」
姉妹の食事にも必ず付いてくるおかみさん特製の黒パン、二人が二日程食べるのを我慢すれば渡せ無くはない数だ。
「う〜ん、分かった! 良いよねマルリ?」
「…………うん!」
「よし、じゃあ取引成立だな! さぁ、皆んな聞いただろう? さっさと動きな、働かなきゃ飯はあたらないよ!」
少女の号令に、子供達は一斉に石壁をスルスル登って行くと裏路地に散っていった。
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