129・イリス攻略作戦
星も見えない濡羽色の夜空から、サァーと音も無く降り注ぐ細やかな水滴が地面をジットリと濡らしてゆく。
雨を避ける為にフードを目深く被ったヨイチョとジョルク、そんな二人が待ち受ける橋の対岸に現れた人影はこちらに向かって大声を張り上げた。
「どこの分隊か知らんが、ここまでだ!」
橋の長さは凡そ5〜60m、しかしこう暗くては対岸に居る相手の顔までは確認は出来ない。出来た所で最下位であるジョルク達の顔をリャクが知っているかどうかは微妙な所だが……。
「リャクは下がってろよ、俺一人でやる」
「またお前は! お嬢が二人でって言ってたろ!」
そんな言葉に一切耳を貸さず、ジャンはリャクを押し退け一歩前に出た。
「何だお前ら二人かよ? まぁ良い、俺がお嬢に褒められる為にーーお前ら、そこで潰れろ!」
ジャンが魔法を放つ為に両手を構えたその時、背後から足早に駆け寄る足音にリャクが振り返る。
「うん? あれはーーお嬢とテオ? あんな必死な顔で……何かあったのか?」
「何、お嬢だって!? もしかして俺の活躍を見に来たのかっ?」
ジャンは発動寸前の詠唱を破棄すると背後を振り返り目を凝らす。もし、彼に尻尾があったなら間違い無くブンブン振り回しているだろう。
「ーー二人とも、橋よ! 相手の狙いは拠点の攻略じゃ無くて橋を壊す事よ!」
イリスの声にリャクは不機嫌そうに対岸を睨み付けた。
「ハッ、拠点到達すら無理だと攻略を諦めて、やる事は俺達の減点狙いか? 気に食わねぇな!」
◇
(よし、イリス含めた四人が橋の反対側へと集まったーーヘルムの言ってた通りになったね)
ヨイチョとジョルクの混合魔法によって降り出した雨は視界を奪う程の効果は無く、雨と言うよりは霧に近い、じっとりと服を濡らす程度の物であった。
「ジョルク!」
「あぁ! それじゃ、そろそろ俺の新しい詠唱を見せてやるぜ、なぁ! いくぜッ風斧!」
ーーガリガリッ!!
可視化したジョルク特有の風斧が橋中央の側面へと激突する! そのすざましい勢いに橋を支えるアーチの一部が削り取られガラガラと音を立て闇へと落ちていった。
「す、凄いよジョルク! いつの間にこんなに素早い詠唱が!」
シュバシュバとポーズを取りながら魔法を撃つジョルク、その詠唱速度は以前と比べ物にならない程に速い! この速度で魔法が発動出来るのは上位分隊レベルじゃないだろうか。
「カッコ良いだろう、なぁ? ギュスタンから教えて貰ったんだぜ!」
「ギュスタンに?」
あのムスっとしたギュスタンがこんな派手なポーズを取りながら魔法を撃つ姿がイマイチ想像出来ないけどーー本当だろうか?
(それにしても、魔法の速度も威力も以前に比べて段違いだ! ヘルムは橋の崩落はイリスに止められるって言ってたけど、これならもしかしてーー)
しかし、そんなヨイチョの憶測はテオの魔法で打ち砕かれる。
「修理!」
何処からとも無く現れた粘土状の土が、風斧が削り取った部分に絡み付くとそのまま硬化し修復してしまった。
「あぁっ! いけそうだったのに……」
ガックリと項垂れるヨイチョの肩をポンと叩きジョルクが言う。
「何言ってんだ? こうなるのは分かってただろう? さっさと次の準備しないとヘルムに怒られるぜ、なぁ」
「そ、そうだったねーーじゃあそろそろ僕も仕事しなきゃな」
気を取り直したヨイチョが発動した魔法、それは彼の得意な生活魔法だった。
「ーー漆黒の闇をも照らせッ、照明!」
◇
(ーー危なかった、結構時間ギリギリだったわね)
橋が壊れる未来は見えたが、まさか一撃であそこまで橋が削られるとは思わなかった。
あのまま二発、三発と撃ち込まれていたとしても簡単には橋は落ちないだろうが、重力魔法士であるジャンが魔法で応戦してしまえば、脆くなった橋が崩落してしまう危険性があったーーいや、イリスが見た未来ではそうなっていた。
「中々の威力じゃないか! この実力がありながら正々堂々攻めて来ないってのがーームカつくよな!」
リャクは炎球の詠唱を始める。魔力を込めたいつもより長い詠唱は、リャクの怒りの表れだろう。
「喰らいやがれっ! 炎……何……だ?」
ーー対岸にボッと光が灯る。
それも只の光では無いーーこれ程の距離があるにも関わらず、思わず目を細める様な物凄い光量である。
「あれは照明か? 何でわざわざーーお嬢、こりゃ一体……」
この暗闇に照明だ、此方にとっては好都合ではあるが相手の意図が全く分からない。
「いいから撃っちまえよ、リャク!」
「あ、あぁ……そうだな」
取り敢えず光の方へと魔法を放とうとするリャクをイリスは手で止めた。
「…………待って、今見てみるから」
燃費の悪い未来視はあまり頻繁には使いたく無いのだが、余りの予想外な攻撃? にイリスの予測が追いつかない。
(あれ程の風魔法を扱う魔法士……バルト? いえ、彼なら橋を壊すなんてしない。私が知らない下位の分隊の可能性が高いわね)
優秀な魔法士が一人居るだけではどうにもならないのが戦闘訓練だ。個人戦なら兎も角、チーム戦であるこの訓練では上位に食い込めない哀れな者もいるのだろう。
そしてそんな分隊が今回、偶々此処まで来れたと考えれば、この場で意味のない照明を使い出すのも納得がいくーー様は相手はテンパっているのだ。
(だけど、用心に越した事はないわ)
どうせ最終日だーー格下とはいえ、魔力を節約するよりも確実に対処した方が良いだろうとイリスは目を瞑り魔力を流す。
「ーーえっ!?」
突然発せられた素っ頓狂な声に、全員がイリスを振り返る。
「お、お嬢? 一体どうしたんだい?」
「だ、だ、だ、大丈夫かお嬢!!」
「おいジャン落ち着け、オロオロしすぎだ!」
『先見の目』に絶大な信頼を寄せている分隊メンバーにとって、イリスの動揺はダイレクトに各自の不安へと直結する。何故ならそれは、未来に良く無い事があったと言う事を指しているからだーー。
「だ、大丈夫、ちょっと驚いただけーーもう一度やってみる」
(魔力を使い過ぎた? いいえ、まだ余力は残してるーーなのにさっきのは何?)
なるべく皆の動揺を誘わぬ様に努めて平気なふりをするイリス。今度はゆっくり丁寧に魔力操作をしながら目を閉じた。
「ーーッ!! な、何…………どう……して?」
再び目を開けたイリスは愕然とした表情で目を両手で抑えた。
「お嬢! 大丈夫か?」
「一体何が見えたんだい?」
「まさか俺達が負ける……未来?」
心配する仲間達の中で両手で顔を覆ったままのイリスはポツリと呟いた。
「……違うの…………見えないの」
「?? 見えないって……何がーー」
「ーーお嬢?」
「ーー未来が……未来が……何も見えないのっ!」
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