118・姉として
「よしよし、お腹いっぱいになりまちたか〜? ふふ、ほっぺぷにぷに〜」
お腹が膨れた赤ちゃんは満足気だ、こうして小さな子のお世話をしていると無性に孤児院の子供達に会いたくなるーーシェンさんにも。
でも多分、この子は私やウルトが居た国営の孤児院では無く、教会の孤児院に行く事になるんだろうな。
教会の孤児院か、あまり良い噂も聞かないんだよね……どうにか私達の孤児院に預けられないかシェンさんに相談してみようかな。
「……それにしても、さっきは全裸でいきなり迫ってくるから思わずバチーンってしちゃったけどーーああいう事はせめて時と場所を考えて言ってくれなきゃ困るよね…………って、それじゃあ時と場所を考えれば良いみたいになっちゃうっ!?」
自分で言った言葉に思わず赤面するクリミア、その背後から突然声が掛かけられる。
「ーーえっと、クリミア?」
「えっ!? わっ! びっくりした! 聞いた? 今の聞いて無いよね?」
いきなり現れた彼に動揺して赤ちゃんを思わずギュッと抱きしめた。赤面する様な事を考えていた相手役が急に現れたのだ、まともに顔など見る事など出来ようが無い。
ワタワタ目を泳がせていると、不意にこちらをキョトンと見上げる幼い顔と目が合ったーーその無邪気な顔にようやくクリミアは落ち着きを取り戻す。
「い、いいの! 聞いて無いならそっちの方が良いからっ! えっと、それで何?」
良かった、彼は聞いて無かったみたいーーあらぬ誤解を招く所だった! そうだ、それよりも彼には言いたい事が沢山あるんだった! ーー魔法も使えないのにひょいひょい敵の陣地へ侵入するなんて危険過ぎる、お姉ちゃんとしてちゃーんとお説教してやるんだから!
「一人で敵の陣地に潜入するなんて危ない事しちゃ駄目じゃ無いっ! まだ君は魔法使え無いんだよ? 今回の団長の魔法だって魔法無効出来たから良かったけど! 一歩間違えればーー」
お説教をしながら、私は腰にマントを巻いた砂だらけの彼を見て気が付いた。
(さっき、砂嵐の所為で耳に砂が詰まったって言った? と言う事は……靄の外じゃなくて中に居たって事!?)
今回の団長の砂塵嵐、何故か中途半端に終わってしまった。もっとも、あれだけの広範囲だ、いくら団長でも全てを飲み込む事は難しいのかもしれない。
だから集落の中心部には雷帝の影響はあれど砂塵嵐の影響は無かったのだ。てっきり、彼が砂塵嵐に取り込まれる前に魔法が消えてしまったのかと思っていたけど、あの体裁を見るとーーどうやらそうでは無さそうだ。
「君って……団長の本気の魔法を魔法無効したんだ……」
クリミアは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
団長の本気の魔法を魔法無効出来る人なんて王国ーーいや、この大陸には多分居ない。魔法を完全に魔法無効する為には相手の魔力を大幅に上回る事が必要だからだ。
『大海に垂らした一滴の毒薬に効果は期待出来ない』
魔力無効の説明として、学校の授業ではこんな表現をされている。数百人を殺せる毒薬も大海に流せばその膨大な容量に希釈され無毒化してしまうって事だーー理屈としては魔法も同じである。
勿論、これはイメージを掴み易くする為の例えで、実際にはそれ程の魔力差は無くとも魔法無効は成立する。それでもちょっとやそっとの差では如何にも成らない筈なのだ。
団長の魔力は王国の中でもトップクラスーーそれを凌駕する程の魔力持ちなど……人ではあり得ない、神の領域ーー。
「君って一体……何者なんだろうね?」
思わず口から漏れた言葉にハッと手で口を覆う。
(ーー私ったら、何て事を!)
忌子として山に捨てられ、たった一人でを生き抜いてきた彼だーー自分が何者かなんて事、きっと本人が一番気にしてるに違いない!
「え? 何だって? ごめん、ちょっと耳がまだ……」
まるで水抜きするかの様に頭を傾け、片足でトントン飛び回りながら耳の中の砂を取ろうとするその滑稽な姿にクリミアは胸を撫で下ろすーーとてもじゃないが、彼に「人智を越える者」の雰囲気など微塵も感じられなかったからだ。
(ーーうん、例え何者であろうと私は絶体に君を捨てたりしないから……そう、お姉ちゃんとして!)
「ううん、何でもない! ご飯ね……ご飯より私、君と一緒に行きたい所があるかなーー」
「おぉ、クリミアが行きたい所なら何処でもいいよ!」
(ご飯って、お金も無いくせにどうするつもりなんだろう? ーーまた無理して変な事に首を突っ込まない様に見てなきゃダメだよね!)
無鉄砲な彼の事だ、このままだとお金を稼ぎに勝手に街で依頼とか受けそうだ。まだ騎士団に入隊していない彼は登録さえすれば街のギルドで依頼を受ける事が可能なのだ。ただ、ギルドの仕事は怪しい物も多い。学の無い新人冒険者を陥れる様な、内容に合わない報酬の仕事や囮などの危険な依頼も有るのだ。世間を知らなすぎる彼ならすぐに騙されてしまうだろう。
さて、何処にしよう。別にお詫びなんて要らないんだけど、それじゃあきっと気が収まらないんだろうなぁ。
(男の子ってそういうとこあるんだよねぇ、うーん……そうだっ!)
「じゃあねーー訓練終わったら、私と一緒に教会に行ってくれる?」
「おう! って……教会? 教会ってあの神様が居る教会?」
もし、シェンさんに相談してもダメだった場合ーー教会の孤児院にこの子を入れる事になる。噂も気になるし、一度見にいくのも良いかもしれない。
(それに、もしかしたら彼の事も何か分かるかも……)
各地にある殆どの教会には孤児院が併設されている。あの身体付きから、彼はウルトと同じく純粋な人族では無さそうな気がするーー同じ様な見た目の子供が来た事が無いか聞く事で彼の出身地区が分かるかもしれない。
「ーーまぁクリミアが行きたいなら何処だってOKだ!」
「じゃあ、約束ね!」
抱いた赤ちゃんの小さな手をそっと掴み、彼に向かって小さく振るーーすると、はにかんだ様に顔を背けながら彼は笑っていた。
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