106・泣き声
「……何だ、何が起きてる?」
漂う魔力の気配と騒がしさに目が覚める。もっとも、元より熟睡などしていない、何かあればすぐに起きる程度の浅い眠りでも身体と精神はある程度回復するもんだ。
起き上がろうとして思わず顔を顰めるーーあの回復魔法士め、ちっとも治ってねぇじゃねぇか。
外側からの凍結であれば回復も期待出来たかもしれないが、ゾレイが受けた氷結束縛は同期を使い体内から凍らされたものだ……回復魔法を用いても、そう簡単には治らない。
「今日はもう魔力使いたくねぇんだがな……鉄鎧」
ゾレイは魔法で地面から砂鉄を取り出すと、動かない両足へとそれを纏う。動かない膝下を砂鉄で固定する事により、何とか歩く事くらいは出来る様にしたのだ。
重い足を引き摺りながら窓外の様子を覗いたゾレイが見たのは、防御魔法を付与した堅い壁をガリガリ削りながら近づいて来る黒い靄だ。
その靄は空にまで達し、あの雷球すら呑み込む勢いだ。
ここまでの広さと高さをカバーする広範囲魔法とは一体どれ程の魔力を必要とするものなのか……。
「これが『壊滅』の広範囲魔法かーー想定を遥に越えてきやがったな……」
ーー思えば確かに強者の雰囲気はあった、暗闇で黒棘をあっさり防がれた時に気付くべきだった。
「あのままトンズラかましときゃ良かったぜ……」
だがそれも今更だ…………さて、どうするか。
改めて窓から周囲を確認するーー黒い靄はまだ外壁辺りだが徐々にその規模と速度は増している様に見える。多分、黒い靄に呑み込まれた物が同化し、威力が増しているんだろう。と言う事は、時間が経てば経つほど危険が増すと言う事だ。
最早、魔法で如何にか出来るレベルじゃ無いのは一目で分かるーー恐らくアレには防御も攻撃も意味が無い。
(巻き込まれりゃ無に還るかーー鉄鎧ぐらいじゃどうにもならねぇな……となれば)
ゾレイは倉庫の場所を確認する、崩れては居るが倒壊しているわけではない。
「ーー熱りが冷めるまであそこに隠れてるしか手は無さそうだな、流石にあの靄も地下までは入っては来ねぇだろ……」
ゾレイは懐から非常用に隠し持っていた魔力ポーションを取り出すと一気に飲み干す。魔力ポーションは高価な物だけに、魔力の丸薬などとは比較にならない効果があるーー高価な消耗品は使うタイミングと度胸が大事だ。駆け出しの傭兵などはその高価さ故、使い渋った上にやられる事も多いものだ。
「あ〜あ、飲んじまった……これで今回の稼ぎはパーだ。まぁ命有っての物だから仕方ねぇんだがーーそういやネビロスはやられちまったのか?」
いや、あの人形がそう簡単にやられる訳が無い。あそこにゃ予備が沢山あった筈だしな……アイツもこの状況なら地下室だ、とち狂っても工兵達と正門で戦ってるなんて事は無い。
ゾレイは回復した魔力で凍結した足の動きをサポートする。地面にある砂鉄と足に纏った鉄鎧、互いの磁力を操作する事で駆け足ぐらいは出来る様になった。
「未だ懸命に壁を作っている工兵達には悪いが俺はサッサと避難させて貰うぜ」
◇
ゾレイが倉庫に近付くにつれ、微かに声が聞こえ出す。
(あん? これは……ガキの泣き声か?)
地下室には確かにガキが閉じ込められてはいるが、人形創作者であるネビロスによって仮死状態にされている筈だ。仮死状態にする事でいつでも新鮮な素材として活用出来るとかーー飯だの糞だの世話しなくても良いのは助かるが……良い趣味とは言えねぇな。
倉庫へと入ったゾレイは辺りを見渡して目を見開いた。
(おいおい、何が暴れりゃこんな事になるんだよ……)
崩れた壁、飛び散った木片、何に使うのか分からない大型の機械までが床に転がっているーーまるで室内で特大のハリケーンでも発生したかのような荒れ様である。
一瞬、地下への入り口が瓦礫に埋もれてしまってるんじゃ無いかと焦ったが、何とか無事の様だーー見れば地下室へと入る床の扉が開けっ放しで、泣き声は中からする様だ。
「何だよ、お先にご到着ってか? おい、ネビロス! 人形弄りする前に俺の義足を作ってくれ!」
そんな事を言いながら梯子を降りてゆくと、そこにネビロスは居らず、代わりにデカい身体の兄ちゃんが泣き叫ぶガキを抱えながら狭い部屋をオロオロと歩き回っている所だった。
「ーー誰だお前はっ!」
ガキを抱えた兄ちゃんは俺を見るとパッと目を輝かせて言った。
「おぉ!! 助かったーーあんたオッパイ出るか?」
「………………はぁ? んなもん出るかっ!」
何だコイツ……目腐ってんじゃねぇか? 俺が女にでも見えるってんなら、かなりの重症だ。何者かは知らねぇが工兵じゃ無ぇのは確かだ、だとすればーー
「……兄ちゃん、お前もしかしてーーあのネビロスを倒したのか?」
ネビロスは予備がある限りどうやったって死ぬ事は無ぇ……そいつを倒したとなりゃこの兄ちゃん、油断ならねぇ相手だ。って事は、倉庫の惨状もコイツがやったのか?
俺は素早く構えるーー他の魔法士はどうだか知らねぇが、俺達傭兵は近接戦闘も念頭に置いてるんだ、例え狭い室内でも戦う術は心得ている。
「ネビロス? あの人形野郎の事かーーまぁそうだな、倒したというか人形に戻ったと言うか……いや、そんな事よりオッパイどこよ!?」
ーーガキの泣き声が五月蝿くて「オッパイどこ?」しか聞こえねぇ……。
交渉か、はたまた命乞いか、例え何を言ってたとしても不安材料で有る事には違ぇねぇーーやっちまうか。
「ーー黒棘!」
四方八方から一斉に飛び出した黒棘が男を串刺しにするーー完全なる不意打ちだ。
此処は地下室だーー地面だけじゃなく、壁や天井にも黒棘の材料である砂鉄が含まれている、まさに俺の磁力魔法が得意とする場所だ。
「……悪いな兄ちゃん、オッパイは来世で探してくれや」
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