7愛弟子
マリーが王立魔術師団の精鋭達と対面したのは、その数日後のことだった。
「わたしが、魔術師団に……?」
早朝。
朝食を一緒にと誘われたマリーは、リシュリアと二人きりでテーブルを囲んだ。そこで提案されたのが、王立魔術師団へのマリーの入団だった。
リシュリアが食事をする手をやすめる。
「うん。彼らは皆優秀だし、知識も豊富だ。僕がいない間もいろいろと教えて貰えるよ」
そんな風に言われては、マリーに意見する理由はない。
けれど王立魔術師といえば、リシュリアの言の通り優秀な魔術師たちが集っているはずだった。マリーの正体に気づく者もいるのではないだろうか。
と、マリーの不安を読み取ったかのようにリシュリアが向かいで微笑む。
「大丈夫だよ。君にはとても強い魔法をかけているから」
「……はい」
「それに、なるべく僕も近くにいる。安心してくれていい」
それはやはり、“監視”という意味だろうか。
マリーは頷きながら、今朝も栄養面に気を配られた朝食を口に運ぶ。
好待遇も、ここまで来ると申し訳がなかった。
「昼に迎えに来るから、待っていて」
マリーより早く朝ごはんを食べ終えたリシュリアはそう言いおくと、立ち上がる。
マリーは「お気をつけて」とその背を見送った。
*
そうして、約束を少し過ぎた午後。
リシュリアに連れられて向かったのは、王城の敷地内に建てられた別棟だった。
魔術棟と呼ばれるその建物は、歴史を感じさせる石造りの城壁に蔦がはびこり、ところどころ色の違う煉瓦で補修されていて歪だった。
ここに国有数の魔術師たちが在住している。そう思うとマリーの足は竦みあがった。
近づけば近づくほど、ひりひりとした痛みが全身を襲う。
魔物除けの結界が特に強かった。
「リシュリア様……お待ちください」
棟に入る寸前、マリーはリシュリアの袖を引いた。
門扉を開こうとしたリシュリアは、マリーの蒼白の顔に、目を見開く。
「ごめん、マリー。気づかなかった」
すぐに治癒魔法をかけられ、マリーはやっと息をつく。
リシュリアは何度も謝罪し、マリーを心配そうにのぞき込む。背中が温かくうずき、隷属の印が発動しているのが分かった。痛めつけるのではなく、庇護するために。こんなことも出来るのか、とマリーは内心驚いた。
「ここの結界を弱めるわけには行かないから、別の魔法をかけたよ……まだ痛い?」
「いえ」
もう大丈夫です、とマリーが顔をあげた、その時だった。
「遅いですわ、殿下ったら!」
明るく幼い声が頭上から振ってきて、マリーは思わず空を仰いだ。
と、蔦のはびこる塔のひとつ――開いた窓から、小柄な少女が顔をのぞかせていた。
ハニーブロンド明るい巻き髪が印象的な、活発そうな少女だった。
リシュリアによく似た紅玉色の瞳と視線が合い、マリーは緊張する。
半眼の瞳に見下ろされていると、まるで女王様の前に立っている気分になった。
「その子が、例の孤児ですの?」
つんとした声に、マリーは慌てて頭を下げる。
「は、初めまして。マリー・ブラウンと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
ブラウンとは、姓を持たなかったマリーが不自然に思われないよう、リシュリアがくれた名前だった。マリーは表向き孤児で、リシュリアに魔法の才を買われて保護された娘――ということになっている。
「ミリート」
そばでリシュリアが声を張り上げる。
「ごめん。会議が長引いたんだよ!皆は、揃ってる?」
「待ちくたびれていますわ!」
ミリート、と呼ばれた少女は不機嫌を隠そうともせず「早くあがってらして」と怒鳴ると塔の奥へと消えてしまった。
とても一国の王子様への態度とは思えず、唖然とするマリーに、リシュリアは苦笑した。
「従妹なんだ……あの子も王立魔術師のひとりで、すごく頭がよくて……少し我儘で気難しいところはあるけど、仲良くしてくれると、有難い」
従妹。
ということはミリートも王族なのだろう。
横柄な態度に納得しながらも、同じ王族であるはずのリシュリアとのあまりの違いに、やっぱり驚いてしまう。魔族がそうであるように、人間にも色々な性格があるのだろう。
「行こうか」
気を重くしたリシュリアが言った。
「――へえ、可愛いじゃないですか。噂通りですね」
魔術棟の中は、その古びた外観からは想像も出来ないほど綺麗に清掃されていた。
本棚には整然と魔術書が並び、実験具らしき道具もきちんと整理整頓されている。
そんな広い部屋で、マリーは赤毛の魔術師に頭のてっぺんから靴の先までまじまじと見つめられていた。それも、至近距離で。
「何?緊張してるの?」
「いえ」
「エゼル。マリーを困らせるな」
リシュリアが庇うように言えば、赤毛の魔術師は「独り占めですか」とにやけた顔をさらににやつかせた。
「隠さなくたっていいじゃないですか。皆気にしてましたよ、殿下についに恋人が出来たって」
羞恥を通り越し青ざめるマリーの隣で、リシュリアは呆れたように首を振る。
「だから違うと何度も言ってるだろ」
「でも夜会でその子誘ってたんでしょう?そして朝まで帰ってこなかった。ミリート様の証言だから間違いないですよ。なあ?ミリート様」
呼びかけられ、豪奢な一人掛けのソファに座り込んでいたミリートが吊り上がった瞳をきっとエゼルに向けた。
「煩いわね、何度も言わせないでくださる?」
「はいはい。ごめんなさい」
降参するように言ったエゼルは、それでもまだ興味深そうにマリーを眺めていた。
「普通の子に見えますけど、そんなに魔力高いんですか?」
「ああ。経験を積めばたぶんお前より強いよ」
さらりと言ったリシュリアに、エゼルの表情が一瞬真顔に戻る。
「へえ。随分買ってるじゃないですか。マリーちゃんだっけ。俺と勝負しない?」
「勝負……?」
「うん。勝負。手加減してあげるからさ。何が得意?俺はね、雷とか炎とか、攻撃系」
マリーは咄嗟に嫌だと首を振った。
王立魔術師相手など、勝てるわけがない。
しかしエゼルは引かなかった。
「表に出ようよ。皆も君のこと知りたいだろうし」
「駄目だ」
リシュリアの低い声が割って入った。
ゆっくりとエゼルに言ってきかせる。
「あいにくだけど、マリーは攻撃より治癒が得意なんだ」
そうなのだろうか。
まだ勉強中のマリーには自分の不得手がなんなのか分からなかったけれど、リシュリアが言うのなら、そうなのだろうと思った。
「治癒かー……治癒はちょっとなあ」
悔しそうにエゼルが眉を寄せる。
リシュリアはそんなエゼルに一瞥をくれると、改めて室内を見渡した。
その日、魔術棟に集められていたのは王立魔術師団の精鋭部隊だった。
ミリート、エゼルをはじめ、他には三名の魔術師がそこにいた。
エゼルと同じ攻撃を主とする魔術師、イーガル・オールドと、パトリック・シェーバ。
女性はミリートの他に結界魔術師のシェンナ・アルハーニのみだった。
皆、魔王討伐軍にも名を連ねている実力者ばかりらしい。
そうして、そんな彼らを束ねているのがマリーの主人でもあるリシュリアだった。
「これからはマリーも師団に加える。皆には補助を頼みたい」
シェンナが「わかりました」と頷き、マリーににこりと微笑む。
薄茶色の波打つ髪と、それによく似た色のアーモンド形の瞳もやさしげな女性だった。年はリシュリアよりも上に見える。二十代の後半くらいだろうか。
「よろしくね、マリーちゃん」
「はい」
マリーは差し出されたその手を握り返した。
リシュリアが安堵したように息をつく。
「それじゃ、シェンナ。案内を頼んでいいかな」
「お任せください」
リシュリアは他の団員と話しがあるらしく、その場を離れようとして、しかしすぐに思い出したようにしマリーに耳打ちした。
「なにかあったら、すぐに僕を呼ぶんだよ」
いいね、と囁きを残し、エゼルたちの方へ去っていく。
と、マリーの隣でシェンナがくすくすと笑った。
「本当に、大切にされてらっしゃるんですね」
「え?」
「さっきエゼルが言っていたでしょう?恋人とかなんとか」
「あ……ちが、違うんです」
「わかってますよ。でもリシュリア様が弟子を取られるなんて初めてでしたから、皆噂してしまうんです」
「弟子、ですか」
そんな話になっているとは知らなかった。
「わたしも尽力しますから、ゆっくり覚えていきましょうね」
「はい、よろしくお願いします」
と、マリーの肩に、どんと何かが当たってよろける。
通りすぎようとしたミリートだった。
「そこ、通路でしてよ。新人なら新人らしく、もう少し隅に寄ってくださる?」
「ミリート様……!」
シェンナが責めるように声をあげても、ミリートは素知らぬ顔だった。
「わたくし見ましてよ。その娘、塔の下でリシュリア殿下に顔を近づけてましたわ。殿下のおやさしさを勘違いしているのか知りませんけど、はしたないことこの上ないですわ」
マリーは弁解しようと慌てて口を開く。
「あれは、わたしの具合が悪くなって」
「言い訳なんて聞きたくありません」
ミリートはそのままリシュリア達の方へ歩き去ってしまった。
シェンナが深いため息をつく。
どの世界にも、上下関係は尽きないものらしかった。