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6善人

「駄目ですね。日が経ちすぎたのでしょう」


 片膝をつき、深紅色の絨毯を撫でていたゼネルが言った。


「弱ったな」


 リシュリアの呟きに、背後にいたマリーは俯いた。

 居たたまれなかった。


 わたしがもう少し早く目を覚ましていれば魔力の痕跡を見つけることができたかもしれないのに……。


「まったく高度な魔法ですね」


 言いながらゼネルが重い腰をあげる。

 そこは、パーティー会場前の大回廊だった。

 あの夜、気づけばマリーはそこに立っていて、難なくリシュリアのいたホールに侵入することが出来たのだった。

 しかし今、その地点をいくら調べても転移魔法のあとは見当たらない。

 

 ゼネルが顔を下げているマリーに向き直る。

 矢継ぎ早の質問が続いた。 


「転移の際、詠唱などはありましたか?陣は?あったとしたらどの様な?」


 マリーは委縮しながらも、震えそうになる唇を動かす。

 

「詠唱も、陣もありませんでした。ただ、手をかざされて」

「本当に?嘘はわかりますよ」

「嘘なんて……っ!」


 突然だった。

 鋭い痛みが左手首に走る。

 マリーは驚いてそこを見た。先刻貰った金色の腕輪に、微量の魔力が纏わっている。

 マリーは、愕然とゼネルを見上げた。そこにある無表情が恐ろしかった。


「正直に申しませんと、次は悲鳴ではすみませんよ」


 痛みがこの人間にもたらされたものだと理解してマリーは硬直した。

 嘘じゃないと言いたいのに次はどんな仕置きが待っているのかと思うととても言葉を紡げない。


 と、見かねたリシュリアがマリーの視界からゼネルを隠すように割って入った。


「ゼネル、今のはやりすぎだ」


 言ってリシュリアは振り返り、マリーの手首をそっとつかみ上げた。そうして怪我はないかと確認する。まるで彼自身が魔法を受けたかのように顔をゆがめていた。


「大丈夫?痛かっただろ」

「いえ……一瞬でしたから」 


 マリーの身体に傷がないのに安堵して、リシュリアはゼネルを宥めるように見上げた。


「不要な魔法は使うな」


 しかしゼネルは悪びれた様子もなく、むしろ自分こそが正しいといった風に胸を張った。


「お言葉ですが、殿下。その娘は我々の道具であって仲間ではありません。調教は最初が肝心です。獅子に火の輪をくぐらせるのに必要なのは鞭と痛みです。餌は少量でよろしい。抵抗は無意味だと教えなければ」

「そんなこと彼女は十分知っている。逆らえばどうなるかも。彼女の言葉は信用していい」


 言い切ったリシュリアに、ゼネルは細長い目を伏せる。


「……ですが、このままでは何の成果も」


 わずかに寄せられた眉と掠れた声に、リシュリアも苦しげに彼の名を囁く。


「ゼネル」


 落胆するふたりを前に、マリーはやはり場を離れたくなった。


 ゼネルは、リシュリアよりもずっとマリーに期待をかけていたのかもしれなかった。

 だからどんなにささやかな情報でもいい、手に入れたかったのだろう。その必死な思いが、マリーへの攻撃となったのだとしたら。

 誰が彼を責めることが出来るというのか。

 気落ちするゼネルの肩を、リシュリアがとんと叩く。

 

「大丈夫だ。次の方法を考えよう」

「はい」 


 彼らはそうやって、手掛かりを見つけては消沈し、その度に次の策を考え、手法を変え、挑んできたに違いなかった。


 そうして今日こんにち、魔王の脅威とまで成長したのだろう。


 マリーは、痛みの消えた左手首を握りしめる。

 胸の方のそれはまだ、しばらくマリーに残り続けていた。



 *


 

 それから数日間を、マリーはあてがわれた客間で過ごしていた。


 魔法の勉強をしてみようと思ったのは、リシュリアに勧められたからだった。

 そんなことはないと思うのだけれど、マリーに秘められている魔力は相当な量があるようで、実用出来ればかなりの戦力になると、彼は言った。


「僕も教えるし、君の知識が増えれば魔城の場所だってすぐにわかるかもしれない」


 リシュリア様が渇望するものを与えられるかもしれない。


 そう思ったマリーは、貸してもらった魔術の入門書を読み漁り、簡単な魔法から覚えていった。

 勉強は楽しかった。

 リシュリアの補助を受けながらではあるけれど、風を起こしたり、水を動かしたり、蝋燭に炎を灯してみたり。

 そうして魔法を理解すればするほど、マリーはリシュリアの優秀さを理解した。

 詠唱の簡略化も、幻術の看破も、相当の鍛錬を必要とする。

 それをこの若さで会得したリシュリアの努力にマリーは頭の下がる思いだった。



「すごい、満点だよ」


 ある夜。

 リシュリアはマリーに出しておいた課題を採点し終えると、ふわりと笑った。

 答案を返してもらいながら、マリーもつられるように微笑む。

 

「お疲れなのに、すみません」

「いいよ。これも仕事だ」


 マリーが借りている客間の四人掛けのまるいテーブルが、ふたりの勉強の場所だった。

 マリーがテキストとノートを片付ける隣で、リシュリアがあくびをかみ殺す。

 王立魔術師のひとりであると同時、第二王子でもあるリシュリアは無論公務も任されていた。その空いた時間にマリーの勉強も見てくれるのだから睡眠不足になるのも仕方がないことだった。


「リシュリア様」

「ん?」

「少しだけ、いいですか」

「なに?」


 マリーは、テーブルの上に置かれたリシュリアの手に、自分のそれを重ねた。リシュリアに警戒はない。意識を集中して魔力を掌に集める。

 覚えたばかりの癒しの魔法。

 リシュリアにしてもらった痛覚を和らげるのとは違う、疲労を緩和するための初歩的な魔法だった。


「……君はやさしいね」


 リシュリアが囁く。

 目と目があって、手が触れあっていることが、マリーは急に恥ずかしくなった。

  

「ありがとう」


 柔らかく微笑まれ、心臓がきゅっと締まる。


 その気持ちの名前を、マリーはまだ知らなかった。


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 嘘をついても真実を述べても罰を与えられる。信頼を得なければそれが続く。けれどその信頼を得るには悪魔であるマリーには厳しすぎる。 それなのに、自分の事よりも相手の心情を思いやるマリー。悪魔なの…
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