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2王子

「誰も通すな」


 扉を閉める寸前、衛兵に放ったリシュリアの言葉は低く冷たいものだった。

 マリーの腕を掴んだまま、入室した部屋を横断し、奥の続き間へ向かう。何度もその場に踏みとどまろうとするマリーを、リシュリアは無言で引きずった。


「ご、ごめんなさい……っごめんなさい!許してください」

「謝られてもね」


 乱暴にいれられた部屋で、マリーはようやく腕を放される。しかし、束の間の安堵も許されることはなかった。リシュリアの魔術だろう。壁にかけられたいくつかの蝋燭に、ひとりでに炎がともる。暗かった部屋がゆらりと照らし出され、マリーは小さく息を飲んだ。部屋のそこかしこに、大小様々な拷問具が点在していたからだ。用途がわかるものあれば、わからない、わかりたくないものもある。マリーは咄嗟に目をそらした。


 リシュリアは、そんなマリーを珍しい生き物でも観察するかのように眺めやる。


「……二重」


 呟きは独り言のようだった。

 続いたリシュリアの詠唱の前に、マリーにかけられていた魔法はいとも簡単に解かれる。


 現れたのは、マリーの頭部、左右対称に捻じれ生えている黒い二本の角だった。禍々しくそびえる、ざらりとした岩のようなそれを目にしても、やはりリシュリアが動じることはない。彼はそうした生物に慣れすぎていた。

 恐怖に凍り付くマリーに構うことなく、静かに問う。


「目的は僕か?あそこでなにをしていた?他に仲間は……いや、そもそも、どうやって城に入った」


 マリーは浅い呼吸を繰り返した。

 正体を暴かれた今、どう取り繕おうと迎える結末は同じだった。多くの同胞たちと同様、マリーも跡形もなく葬り去られるのだろう。その為の道具から目を背け、リシュリアの白い靴の先を凝視する。


「……わ、わたしひとりで忍びました。幻術で……」

「幻術?君の?」

「いいえ……魔王様の近侍の術です」


 リシュリアの声に、翳りが増した。


「それはまた随分と腕の立つ奴が残っていたんだな……ここまで侵入されたのは、君が初めてだ」


 そうなのか。

 さすがはマルクスだなどと感心するゆとりはなかった。侵入が成功したとして、マリーはまた結局、失敗した。あとは死を待つのみだった。

 絶望し、けれどすぐには運命を受け入れることが出来ない身体は、情けなくも小刻みに震える。

 無情なリシュリアの尋問は続いた。


「それで、その近侍が君をここに?」

「……はい。あ、あなたを仕留めるようにと、仰せつかりました」

「正直だね。それも作戦?」


 マリーは首を振って否定した。


「……わ、わたし自身の力はそう強くありませんから。こうなった以上、抵抗は……無意味だと」

「賢明だ。僕も無駄な労力は使いたくない……詳しく話してくれる?大人しくしてくれれば、ひどいことはしない」


 そんな言葉、信じられるわけがない。

 けれど抵抗が無意味なこともまた、事実だった。

 マリーは顔をあげ、頷こうとした、その瞬間だった。


「っ……‼」


 背中に走った激痛に、マリーはくぐもった声をあげうずくまった。

 焼き印だ。

 生まれてすぐに押された背中の焼き印が、たった今鏝を当てられたかのように熱をもってマリーを襲っていた。マルクスだと、すぐに分かった。マリーの失敗に気づいた彼の仕業に違いない。痛みは、ますます強くなる。


「おい、どうした」


 驚いたリシュリアが、そばに膝をついた。

 冷や汗を浮かせたマリーは、縋るように片手をのばす。


「せ……なか」

「背中?」


 怪訝な顔つきをしたリシュリアは、マリーの背に目を向ける。


「背中が、どうしたんだ」


 と、リシュリアの顔が険しく歪んだ。

 じゅう、と腐ったような悪臭が鼻をつく。


「……っしっかりしろ」


 もがくマリーの手をつかみ、リシュリアが何事かの呪を唱える。一瞬だけ痛みが和らぐが、しかしすぐに激痛は戻ってきた。

 リシュリアの舌打ちが聞こえ、マリーのドレスが音を立てて破かれた。

 そして現れたマリーの背の有様に、リシュリアは目を見張る。


「これは」


 マリーの背の中央で、魔王の印が赤々と浮かび上がっていた。

 従順なマリーはこれまで一度もそうした仕置きをされたことがなく、あまりの痛みにのたうち回ることしか出来ない。

 血の滴り始めた傷に、リシュリアの手がかざされた。


「死ぬな。君にはまだ、聞きたいことがある」


 マリーの中で、リシュリアの治癒魔法と魔王の印がせめぎあっていた。

 波のように引いては舞い戻る痛みが、マリーを苛む。だがそれも時間の問題だった。幼い頃から心身共に植え付けられた服従の印は、深くマリーに根付いていた。リシュリアの魔術も虚しく、呪いはマリーの肌を焼き骨に達していく。頭も腕も足も、すべてが重く、思考は淀み、瞼が落ちた。


 混濁する意識の中、死に誘われるマリーの耳に、いやに切迫したリシュリアの声が届く。


「悪魔の娘、目を開けろ。……僕の、隷属になると誓え。そうすれば……助けてやれる」


 わたしを助ける……なぜ?

 言葉は音にならなかった。唇さえ動いていなかったに違いない。

 けれどリシュリアは声をかけ続ける。マリーをこの世に繋ぎとめるために。


「契約をしよう。魔の王に代わり、僕が君の主人になる。救ってやる。だからかわりに、力を貸してくれ」


 焼き印が、マリーの命を覆いつくそうとしていた。リシュリアの体温と声が近づく。

 

「名前を教えてくれ」


 強く手を握られ、マリーは身じろいだ。

 都合のいい夢を見ているとしか思えなかった。

 あのリシュリアが、自分に懇願するなんて。


「……頼む」


 一筋の希望に縋る祈りのような声が、すぐそばで繰り返された。

 おかしなことだ。長い戦いにあって、彼は優位に立っていたはずなのに。捨て駒の自分に頭を下げるだなんて。


 マリーは深い眠りに落ちていきながら、過去を彷徨った。

 鞭の音がした。

 耳障りな悲鳴があがった。

 上位の悪魔が下位の自分たちを見張り、遊び半分に鞭を振り下ろしていた。

 幼いマリーは強者の振るうそれに怯え、黙々と付き従った。彼らの玩具にされないよう、魔城の隅でひっそりと息を潜めて。

 それなのに、そんなマリーをマルクスは目敏く見つけだした。部下に引き上げられ、何度も何度も人間を襲わされた。子供ひとり殺せないマリーは、無能と罵られ、そうして、捨てられた。


 マリーの目じりを、熱いしずくが伝う。

 悔しかった。利用するだけされて終わるのだと思うと、悔しくて悔しくてたまらなかった。けれどマリーに抵抗する術はなかった。


 けれど、この手の主なら――リシュリアなら、マリーの屈辱を共にはらしてくれるかもしれない。

 自分を必要としてくれる大きな手を、マリーは懸命に握り返した。

 最後の力を振り絞り、喉を動かす。

 それが限界だった。


 背中に、リシュリアの掌が直に押し当てられる。

 痛みはない。

 かわりに彼の体温が肌を伝い、マリーを内から癒していく。


「ありがとう、マリー」


 意識を手放す寸前、マリーはやさしい腕に包まれた。力強く、温かく、大きなそれに、全身をゆだねる。


 安堵の中、マリーはゆっくりと眠りへ落ちていった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 捨て駒にされたマリー。命を救うために隷属にしたのですね。とにかく助かってよかった… リシュリア王子の冷酷さの中に垣間見る優しさがとてもいいです。
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