23 出来損ないの悪魔
マリーには、およそいい思い出と呼べるものがなかった。
リシュリアに出会うまでは。
物心がついた頃にはもう、彼女は魔城の最下層で上級魔達に虐げられて生きていた。
強者だけが権力を持つ魔城でのマリーの地位は、下層も下層、奴隷同然の扱いだった。
上級魔達の身の回りや食事の世話はまだいい方だ。
気まぐれで残忍で加虐性の強い彼らは、時にマリーでひどい遊びをした。
マリーが泣いて許しをこうと、満足した彼らはの遊びはすぐに終わる。
だからマリーには、すぐに許しをこう癖がついた。
痛む身体を引きずって、魔城の隅でうずくまり眠る。
そんな日々が当たり前だった。
両親の記憶はない。
そもそも魔族は人間達のように血の繋がりを特別視したりはしない。
快楽をむさぼり、命を産み落とすだけ。
マリーのような弱い魔族は虫と呼ばれ蔑まれ、命が尽きるまで使われる。
使い捨ての、駒だった。
生来、怖がりで臆病なマリーは、魔城では異端な存在だった。
拐ってきた人間を上級魔が痛めつける時も、同胞達が嬉々として観覧する中、あまりの残虐さに耐えきれず、マリーは一人逃げ出した。
どうしてあんなにひどいことが出来るんだろう。
どうしてみんなはあれをあんなに喜ぶのだろう。
同列の下級魔でさえ、拷問にも殺戮に躊躇はなかった。
彼らは「あんなに楽しい見せ物はない」と笑っていた。
マリーはだから、自分がおかしいのだと思っていた。
魔力を使うのが怖い。
苦痛の声が怖い。
血走った、恨みがましい視線が怖い。
そうしていつしかマリーは、魔城の最下層で目立たぬようひっそりと過ごすようになった。
魔王に命を縛られているため、逃げ出すことも自害することも叶わず、絶望の中、ただただこれ以上の苦しみがないように、それだけを祈って生きていた。
そんな日々が十数年続いたある日。
マリーはとうとう、大悪魔マルクスに目をつけられてしまった。
ある人間の王子の活躍によって、魔王が窮地に立たされていることは知っていた。
仲間の数が日に日に減り、上級魔達の機嫌が悪い日々が続いていたからだ。
どうせなら、このまま魔城が滅んでしまえばいいのに。
そうしたら、わたしも解放される。
そんなマリーにとって都合のいい望みはしかし実現することはなかった。
「お前、わたしの配下に降れ。戦場に出るんだ」
マルクスにより無理やり魔力を測らせられたマリーは、彼の直属の部下に召し上げられた。
人間の群れの前に突き出され、殺せと命じられた。
人間の王子、リシュリアの本陣の近くに飛ばされたこともあった。
だけれど、マリーはそのたったの一度も、魔法を使うことが出来なかった。
殺気立った人間達の瞳と怒号と熱が、マリーを竦み上がらせたのだ。
「悪魔だ、悪魔がいたぞ!」
「殺せ、殺せ。俺は娘を奪われたんだ!」
矢を射られ、魔法を放たれ、マリーは身を翻した。
同胞達の屍が、無残な姿で転がっている。
人間も狂気の塊だと思った。
魔族となんら変わりない。
その動機が憎しみか楽しみか、それだけが違っていたけれど。
逃げ帰ったマリーを、マルクスは「やれやれ」と見下ろした。
「お前の怖がりも困ったものだな。ああ、そうだ、やさしいマリー。どうだろう、街を焼き払って見るというのは。騎士や魔術師が戦にでた隙を狙うんだ。無抵抗な女子供だけなら、お前でも殺せるだろう?」
駄目だった。
マリーの出現に、母親達は悲鳴をあげ、子供を抱き抱えて反乱狂で泣き叫んだ。
「殺さないで殺さないで殺さないで、お願い神様」
母親が抱き抱える幼子の、つぶらな黒い瞳と目があった。
何も知らない瞳は、不思議そうにマリーを見つめていた。
こんなに小さくて、頼りなくて、可愛い生物を殺すなんて、わたしにはできない。
このまま逃げ帰れば次こそマルクスに殺されるかもしれない。
そうわかっていても、マリーには出来なかった。
わたしはきっと、出来損ないなのね。
マリーは、ゆっくりと街を後にした。
そうして数々の失敗を繰り返したマリーは、とうとうマルクスに見切りをつけられ、人間の城に送りこまされた。
そこで終わったと、思っていた。
けれど。




