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22 壁

 ***


 最悪だ。


 午後の陽光が射す廊下を行きながら、リシュリアは未だ狼狽えている己に焦り、苛立っていた。


 わたしは、悪魔ですからーー


 マリーの一言に、自分でも驚くほど動揺し、感情を剥き出しにしてしまった。 

 自身を律することは、何よりも得意だったはずなのに。 


 諦めたような、寂しげなマリーの笑顔が辛かった。

 心臓の深いところが締まるように痛み、気づけば、彼女の細い手首を力のままに握りしめていた。

 マリーが今にも消えてしまいそうに見えて。


「どうかなさいましたか?」


 隣から護衛騎士クインの声がかかった。

 余程顔が強張っていたらしい。クインの声は、いつにも増して硬く緊張気味だった。

 この若い騎士は遠征を共にしてからずっと、年の近いマリーに親近感を抱いているようだった。ここ二週間、見舞いこそ遠慮をしているものの容体を気にかけている。


「マリーさん、良くないのですか」

「いや」


 リシュリアは意識的に笑顔を浮かべた。


「大丈夫だよ。順調に回復してる。りんごも全部食べてくれた」


 クインが、ほっとしたように笑った。


「良かったです。ひどい怪我でしたから……早く復帰できるといいですね」


 リシュリアは「そうだな」と頷いて、顔を正面に戻した。


「急ごう。ゼネルにまた小言を言われてしまう」

「はい」


 やっと心が落ち着きはじめる。

 と同時に暗い思考が頭をもたげていた。これは、良くない兆候だと。


 対悪魔に際して、感情の抑制は一番と言っていいほど重要な事柄だ。

 悪魔は誘惑し、挑発し、心を揺さぶった後、その隙をついてくる。

 故にリシュリアは幼い頃ーー姉を奪われ、悪魔を根絶やしにすると誓ったその時から、自分を律することをなによりも優先してきた。

 食事も睡眠も勉学も体力づくりも、修道士よりも緻密な規律を作り、それを遵守し、感情を操る術を身につけた。

 奢らず、怒らず、悲しまず、喜ばず。

 自分との誓いを守るためだけに生きてきた。


 なのに、最悪だ。

 あの無様な姿はなんなのか。

 マリーの一言に狼狽え、苛立ちを露わにしてしまった。あの上級魔の前でさえ、荒ぶる感情を制御出来たというのに。


 もしもマリーが刺客のままだったら、簡単に籠絡されていたかもしれない。

 近づきすぎた。心を、赦しすぎたのだ。


 リシュリアはなに食わぬ顔でクインと談笑を続けながら、頭の隅で考え続ける。

 マリーを傷つけるつもりはない。出来れば今の通りに過ごして欲しい。

 けれど、感情をこれ以上揺さぶられるのは困る。


 少し、離れよう。


 それが最善策のはずだった。

 勉強はシェンナに頼めばいいのだし、監視は隷属の印とゼネルの腕輪で十分だ。

 どうしてマリーを相手にするとこんなにも動揺してしまうのか。根本の問題からは目を背け、リシュリアは自身の心を守ることにした。

 

 向かった執務室には、ゼネルが待ち構えている。

 とにかく、早く魔城を見つけなくては。

 リシュリアは深く息を吸い込んだ。





 ***



 この頃、リシュリアに会えていない。

 マリーがその事実に気づいたのは、それから数週間後のことだった。

 正確には、会うことは出来ている。魔術棟ですれ違ったり、王宮で出会したり。

 けれど以前のように二人きりになることはさっぱりなくなってしまった。

 会えたとしても2、3、言葉を交わしただけですぐに立ち去られてしまう。彼の護衛騎士クインが教えてくれたことには、あの悪魔の侵入により、結界の強化と諸外国との会談でリシュリアは寝る間もないほど忙しいのだそうだった。


 身体も全快し、魔術師団に復帰したマリーは主人の身を案じながらも、今度リシュリアに会えた時、新しい魔法を披露できるようにと勉学に打ち込むことにした。

 それが、今自分に出来る最善の策だろうから。

 マリーは、いつまた上級魔が襲ってきてもいいように、攻撃魔法の演習にも力を入れていった。


 その頃には、エゼルもベッドを抜け出せるようになり、彼からも実践のコツや恐怖をどう克服するかなどを教えてもらうことが出来た。 


 マリーはひとつずつ魔法を覚えながら、人間たちの生活慣れ、溶け込んでいく。


 エゼルに魔法を習い、シェンナに勉強を見てもらい、稀に城下に降りてステキなドレスに見惚れた。


 贅沢すぎる日常の中、マリーはいつもリシュリアを思っていた。しかし会いたいという望みは叶わない。


 よくよく考えてみれば、それは当たり前のことだったのかもしれない。

 彼は一国の王子様で、マリーはただの魔術師にすぎないのだから。これは普通の距離だとも言えた。そう。今までが、近すぎたのだ。



 そんなことを考えていたある日。

 魔術師棟の一室で書き物をしていたマリーは、窓の外にリシュリアの姿を見つけて思わず腰をあげた。


 柔らかな日差しの中、演習用の屋外広場でエゼル達と何かを話している。


 わたしも降りようかな。


 思いながら、けれど用事が思い浮かばない。


「あら、殿下いらしてたんですね」


 向かいで本を読んでいたシェンナも気付いて、窓辺による。そうして窓を開けると、身を乗り出した。


「殿下!お久しぶりです」


 シェンナの朗らかな声に、最初にそば付きのクインが気づいた。続いてリシュリアもこちらに顔をあげる。


「……っ」


 幾日ぶりかの紅玉色の瞳と目があって、マリーの心臓が跳ねた。柔らかな金髪が陽光を受けていて、いつもより幼く見える。


「お茶でもいかがですか?」


 シェンナが声を張り上げると、視線が横に流れた。少し迷ったようにして、リシュリアは首を横に振る。


「すぐに戻らないといけないんだ」


 ごめんね、といつものように微笑まれる。

 マリーはシェンナに寄り添った。

 リシュリア様と話したい。

 欲望が湧いた。


 しかし、リシュリアの瞳が再びこちらに向けられることはなかった。クインと共に魔術棟から離れていく。

 シェンナが窓辺から離れた。


「残念。断られてしまいました」

「……お忙しそうですものね」

「じゃあ、二人でお茶会しましょうか」

「はい」


 マリーが頷くと、シェンナは早速紅茶を煎れてくれた。ほうっと一息つくと、シェンナが囁くように口を開く。


「……ミリート様の処遇が決まったそうですよ」

「え?」


 マリーは思わずシェンナに詰め寄った。


「どう、なられたんですか」


 あの事件から、ミリートは王宮の鍵付きの部屋に入れられていた。頑丈な魔物避けが張られ、常に魔術師と騎士に見張られているのだそうだった。


「リシュリア殿下とゼネル様が大分掛け合ってくださったみたいで、実刑は免れました」

「……それで」

「……特権階級の剥奪。それから魔力の永久発動停止……死ぬまで魔法を使ってはいけない制約が課せられました。ちょっと、厳しいですよね」


 特権階級の剥奪、つまりは王族ではなくなる、ということだ。

 それに、魔法を使ってはいけないなんて。ミリートはこれまで、その為にずっとずっと努力し続けてきたのに。


「そんな。悪いのは、あの悪魔なのに」

「悪魔に唆される人間もまた、悪とみなされるんです。心が弱くて、狭くて、人を憎む気持ちがあるから、悪魔の声が聞こえてしまう。悪魔学の本、マリーちゃんも読んだでしょう?」

「……はい。でも」


 弱気になることは誰だってあるはずだ。

 誰だって、憎い相手の一人くらい、いるはずだ。

 

「どうにか、出来ないのでしょうか」

「無理ですわね」


 突然加わった声に、マリーとシェンナは目を見開いた。

 開いた扉の向こうに、話題の当人、ミリートの姿がある。


「ミリート様!」

「わたくしにもお茶、煎れてくださる?」

「は、はい……っ」


 マリーは戸棚からカップとソーサーを取り出し、紅茶を煎れ直す。

 その間に、ミリートは空いている椅子に腰を下ろした。


「さっき軟禁が解かれたの。と言っても、まだ監視役付きですけれど」


 そう言って、鬱陶しそうに扉に目をやる。

 演習場から上がってきたエゼルが「俺もお茶ください」と入り込んできた。そばにはもう二人、屈強な騎士が番犬のように構えている。


 マリーはカップをもう一つ用意しながら、ミリートの声に耳を向けた。


「二人とも心配してくれているところ悪いけれど、国の決定は覆らないわ。寛大すぎる刑だとも思うし。わたくしは、受け入れるつもりよ」

「でも、平民になるんすよ」


 言ったエゼルを、ミリートは軽く一瞥した。


「お父様には娘じゃないと言われてしまったし、お母様には泣かれたわ。でもいいの。わたくしは貴方達や皆を危険に晒してしまったんだもの、当然の報いだもの。こんなわたくしが王族だなんて、許されることではないわ」


 エゼルは眉を顰める。


「ミリート様がいいのなら俺はいいですけど……殿下にも、おいそれと会えなくなりますよ」


 ミリートはそれにも「わかってるわ」と取り乱すことなく返した。

 二人分のカップに紅茶を注ぎながら、マリーは、シェンナのいつかの言葉を思い出していた。


『……報われると良いのですが』


 シェンナは知っていたのだ。ミリートのリシュリアへの恋心を。

 その隙をついた悪魔を、マリーはますます許せない気がしていた。もっと自分に力があれば良かったのに。

 

「まあ、殿下には会えなくても、貴方達には会おうと思えばいつでも会えるでしょ。それにわたくし、魔法は元々得意じゃなかったのだし」


 マリーが煎れた紅茶を受け取りながら、ミリートは言った。


「マリーさんがいればきっと魔城もすぐに見つかるわ。そんな気がするの」


 そうして、満足そうに微笑む。

  

「市井に部屋を用意してもらったの。絶対に遊びにきてちょうだいね。シェンナにはビスケットを焼いて欲しいの。もちろん、窯は用意するわ」

「いいですね。マリーちゃんも一緒に作りませんか?楽しいですよ」

「ええ、作りたいです」

「決定ね」


 笑い合う女達を尻目に、エゼルは熱々の紅茶を口にする。

 

 上手く焼けたら、リシュリア様にお持ちしよう 

 きっと喜んでくれるはず


 マリーは、期待に胸を膨らませた。



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