20 告白
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ミリートは震えていた。
先ほど、断末魔が聞こえた気がして。
その声が、あの悪魔のそれと似ていた気がして。
次はわたしかもしれない。
きっとそうだそうに違いない。
だってわたしはあの悪魔と抱擁したのだから。
歯の根が合わず祈るように絡めあった左右の爪の先は、力を込めすぎて白く変色していた。
この罪がどうしたら許されるのか、どうしたらなかったことにできるのか、わからなかった。
ミリートは教会の祭壇の前に両膝をつき、ただただ恐怖に震える。
そこは永遠の愛を誓う場所でもあり、死者に別れを告げる場所でもあった。神聖な力で清められたこの場所には、悪魔は近づけない。
「ミリート」
背後から、硬い声が届く。
少し前に扉が開く音は聞こえていた。
ミリートは胸の前で合わせていた腕を力なく下ろす。
終わりだった。何もかも。
ゆっくりと後ろを振り返る。
灯りひとつない空間は、青白い月の光りで満たされていた。
薄闇の中、天窓からこぼれる一筋の明かりに、リシュリアが照らされている。まるで、神の御使いのように。
ミリートが立ち上がるのを待って、リシュリアは言った。
「エゼルは無事だよ、シェンナも……マリーも」
ミリートは震えそうになる唇を噛み締める。
よかったと思った。
最悪の事態にならなくて。
何も良くはないけれど、自分勝手に安堵する。
「そう、ですか」
自分でも情けないほど小さな声が出た。
リシュリアは静かにミリートを見つめている。すべてを知ったのだろう。
哀れむような視線が痛くて、悲しくて、ミリートは顔をうつむけた。
「罰は受けます。如何様にも。申し訳ございませんでした」
「ミリート」
低い声が響いて、一歩、彼が近づいた。リシュリアの悪魔への憎悪は常軌を逸している。
待ち受ける罰に、萎縮した。
「どうしてこんなことを」
ミリートの瞳が見開かれる。どんな理由なら納得され、許されるのか。
少しだけ、自暴自棄な気分になる。
「あなたのことが、好きだったからです」
顔をあげれば、困惑した表情があった。
やっぱり彼はわかっていなかった。当たり前だ。気持ちを、伝えたことなんてなかったのだから。
苦い笑いがこぼれる。
「ここであなたと結婚式を挙げるのがわたくしの小さな頃からの夢でした。あの娘がいなくなれば、それが叶うと思ってたの。そんなわけなかったのに」
「どうして。僕たちの婚約はずっと前に解消されてる」
「でも好きだったの。愛してたの、あなたを。悪魔は望みを叶えてくれると言ったわ。誰もわかってくれなかった気持ちを、わかってくれた。助けようとしてくれた。だからわたくしは、悪魔の手を取ったの。
でもね、まさかあの悪魔が、エゼルを攻撃するなんて考えもしなかった。馬車の中で、エゼル、とっても苦しそうで。わたくし、助けようと思って、ちゃんと、治癒の魔法を使ったのよ?勉強した通りに。でも、手が震えて、馬車もすごく揺れて、全然、集中できなくて、少しも治してあげられなかった……。わたくしは無能なの。役に立たないの。元々魔力が少ないのだもの、王族のくせに。知ってたのに、認めたくなくて、魔術師団に無理やり入って、それで、エゼルを傷つけて。シェンナも、悪魔の前に置き去りにしてしまった」
じわりと視界が滲んだ。
リシュリアの顔がぼやける。
「努力すれば、いつかきっと一端の魔術師くらいにはなれるって信じていたの。でもそうじゃなかった。馬車の中で、わたくし思ったの。ここにいるのがあの娘ならエゼルはすぐに治ったのにって」
『ごめんなさい』
王城に帰るまで、謝り続けた。
王城についてすぐ、ゼネルに助けをこうた。
郊外に、まだシェンナとあの娘が残っていると、魔術師団を動かしてくれと頼んだ。けれど、エゼルの怪我を見たゼネルは城と城下の警護を強化し始めただけだった。
今の状況では太刀打ちは難しいと。
「ごめんなさい」
「うん。わかった……でもねミリート、謝る相手が違うよ」
リシュリアの手が、ミリートの手をすくいあげた。
やさしく握りしめられ、ミリートの涙が止まる。
「殿下……?」
「まずはエゼル。それからシェンナ。それと、マリーにだ」
「……処刑は?その後?」
「それは僕が決めることじゃないし、そんなひどいことはさせないよ」
「でも」
「ごめん。僕が気づいてあげていれば、君はここまで追い詰められなかった」
「……違う、わたくしが勝手にあの娘を妬んで」
「誰だって人を妬む気持ちはあるよ」
「違います……!わたくしが弱かったから、だから悪魔に付け入れられたんです、悪いのはわたくしです」
「でも君は、後悔してるんだろう?」
「……でも」
「悪い悪魔はもう消えたよ。反省したなら、まずは謝って、罪を償おう、ミリート。僕も一緒に行くから」
「……許されないわ」
「それは彼らが決めることだ」
リシュリアの手が、ミリートの手を包み込む。
手を繋いだのは、何年ぶりだろう。
「あなたは、許してくれるの」
目の前で、リシュリアがゆっくりと頷いた。
ミリートはくしゃりと顔を歪める。
リシュリアの手を握り返して、そっと額を当てた。
何度も謝罪を繰り返した。
しばらくして、リシュリアは囁いた。
気持ちに応えられなくて、ごめん。
ミリートは、かぶりを振った。
もう十分だった。
*
泣きはらした顔を冷水で洗ったミリートは、リシュリアと共にエゼルの病室を訪れた。
全身に包帯を巻いたエゼルは、上半身を起こしていた。
「ひどい顔っすね」
エゼルが揶揄うように言って、見舞いに来ていたシェンナが小突く。
ミリートは両手を腹の前で握り合わせたまま、謝罪した。
「エゼル、シェンナ。本当にごめんなさい。今回のこと、すべてわたくしが原因です」
シェンナはきょとんと瞬きを繰り返し、エゼルはつまらなさそうに息をついた。
「だろうと思ってましたよ。様子がおかしすぎましたし」
「え?あの、何のことですか」
シェンナをまっすぐに見つめ、ミリートは言った。反応が怖くて、顔がこわばる。
「あの悪魔は、わたくしが引き入れたの」
「……え。引き入れた?」
それでも状況を受け入れらないシェンナに、エゼルが助け舟を出す。
「悪魔に付け入れられたんでしょう。おおかたマリーさんに嫉妬でもして」
ミリートは呟いた。
「お見通しなのね」
「付き合い長いので」
「わたしだって長いのに」
おろおろするシェンナに、ミリートが向き直る。
「処罰は受けることになるけど、先に二人に謝りたかったの」
「え、あの、リシュリア殿下?でも」
リシュリアは言った。
「悪魔は狡猾だから……特にあいつは上級魔だったみたいだ」
「それって」
ようやく理解し始めたシェンナが、ミリートを見つめる。
「ごめんなさい、シェンナ」
シェンナは立ち尽くしたまま、ミリートを見つめる。信じられないというように。
「……マリーさんにも、謝ってくるわ」
沈黙と視線に耐えられず、病室を出ようとする。
そこでやっとシェンナが声をあげた。
「ミリート様!気づいて差し上げられなくて、ごめんなさい」
驚いて振り返ったミリートに、シェンナは言った。
「おひとりで苦しまれていたんですよね」
ミリートは後悔に押しつぶされそうになった。
どうして悪魔の手を取ってしまったのだろう。
愚かすぎた。わたしは、こんなに恵まれていたのに。
「マリーちゃんのところ、わたしも一緒に行きます」
駆けてきたシェンナに手を握られ、ミリートは頬を赤くする。
エゼルは「俺は寝てます」とあくびして、ベッドにもぐりこんだ。
そうして、友人に手を引かれ、元婚約者に誘導されながら、ミリートはマリーの部屋を訪ねた。
全てを告白し、謝罪する。
するとどうしてか彼女の方が泣き出しそうに瞳を潤ませて言った。
「悪いのは悪魔です。わたしもっと頑張ってミリートさんの分も悪魔を倒します。悪魔を絶対に許しません」
やさしさと強さを見た気がしてミリートは微笑んだ。
リシュリアがこの子に惹かれるわけが、わかったような気がしていた。
「お願いしますね」
わたくしにはできないことだから。
ミリートは全てを託すようにマリーの手を握りしめる。
温かくて、柔らかな手だった。




