14 女の子
*
それから二週間後。
遠征は誰ひとりかける事なく終わりを迎えた。
マリーは後方部隊として治癒と回復役を担いながら、魔城探しも怠ることはなかった。
常に同胞の気配を探り、強い魔力を感じてはリシュリアとゼネルに報告を繰り返した。
しかし結局、折り返し地点を迎えても魔城を探り当てることは出来なかった。
帰路の船に揺られながら、マリーは遠ざかる故郷を見つめた。黒々とした森の塊が、だんだん小さくなっていく。
と、突然、生温い風が吹いて、マリーの全身にからみつく。
すぐそばで男の声がした。
帰ってこい。
出来損ないのマリー。
マリーは思わず周囲を見回した。
甲板の上、まばらに立っているのは数名の遠征員だけ。
マリーに囁ける距離の男はいない。
幻聴だ。そうに違いない。
マリーは、必死にそう言い聞かせた。
西の大陸に戻ってからのマリーは、以前にも増して勉強に没頭した。
いくら魔力量が多いとはいっても、役に立たないのでは意味がないと悟ったからだ。
索敵と治癒魔法だけではだめだ。
攻撃魔法ももっと覚えて、そうして体力もつけなければ。
マリーは睡眠時間を削り、つき動かされるように魔法を覚えていった。
そんなマリーを見かねたのだろう。
ある日、シェンナが街に行こうと誘ってくれた。
たまには息抜きも必要だと言って。
けれど、城下に降りるなんて、リシュリアとゼネルが許すはずがない。
そう思って断ったけれど、シェンナはどう言い負かしたのか、翌日には外出の許可が出た。それも給金までついて。
マリーは信じられず、公務に向かうリシュリアを探し、呼び止めてしまった。
「あの、リシュリア様。 本当にいいのですか」
息を切らし、頬を紅葉させたマリーに、リシュリアはいつもの笑みを浮かべた。
「いいよ。 けど街は人も多いから気をつけて」
「はい。 あ、あの何か、お土産を」
「そんな物いらないから、君は好きなものを買ったらいいよ」
「でも」
まごつくマリーに、リシュリアは口元を緩める。
「遠征についてきてくれたご褒美だよ。城下には美味しい菓子がたくさんある。シェンナに教えて貰うといい」
「はい……ありがとうございます」
マリーは腹の前で握り合わせた両手に力を込めた。
それじゃあ、とリシュリアが背を向けて遠ざかる。
生まれて初めての褒美に、マリーは駆け出してしまいたいくらいの喜びを覚えていた。
城下の街は、活気に満ちていた。
往来は人でごった返っており、あちこちから喧騒が飛び交ってくる。
客と店員との値切り合戦も凄まじく、突然聞こえて来た怒号に、マリーは首を竦めてしまった。
けれど、そのどれもがマリーには新鮮で面白かった。
あれは何、これは何とシェンナの腕を引き、尋ねて回る。
菓子店では甘いりんごのケーキを買い、服屋ではステキなドレスにうっとりした。
「女の子ですね」
とシェンナは笑った。
少し休憩してから城にもどろうと、ふたりは小さな喫茶店に入った。
窓際の席を選び、向かい合って腰掛ける。
若い娘の店員に、マリーは紅茶を、シェンナは珈琲を、それぞれ頼んだ。
静かな店内には、他に客の姿はなかった。
「楽しかったですか?」
シェンナが小首を傾げる。
「はい。とっても楽しかったです。ありがとうございました」
「どういたしまして。また一緒にきましょうね」
「はい」
「いい返事です」
シェンナは満足そうに微笑むと、珈琲カップを手に取り口元へ運んだ。
マリーも温かい紅茶のカップを握りしめる。
「シェンナさん、わたし、もっともっと勉強して、皆さんのお役に立てるように頑張ります」
意気込んだマリーに、シェンナは柔らかに返した。
「ゆっくりでいいんですよ。最近のマリーちゃんは頑張り過ぎです」
「そんなこと」
「もしかして、遠征で役に立てなかった、なんて思っていませんか」
唐突に図星を刺され、マリーは一瞬口をつぐんだ。
ややあって、唇を動かす。
「……実際、お役に立てませんでしたから」
シェンナは短く息を吐いた。
「そんなの、わたしも他の人達も一緒ですよ。税金を遣って、物資を消費して、なのに、何の結果も残せなかった。しかも、その責任を問われるのはリシュリア殿下です。心苦しくなる気持ちもよくわかります。でもね、殿下は大丈夫です。これまでの功績もありますし、国王陛下も貴族の方たちも皆さん期待を寄せていらっしゃいますから。焦らないで、ゆっくり頑張りましょう」
ゆっくり。
本当に、それでいいのだろうか。
マリーはぽつりと呟く。
「でも、早く魔城を見つけないと、また誰かが犠牲になるかもしれません。反撃だって、起こり得ます」
そうだ。
魔城にはまだ大悪魔達が残っている。
単独行動を好む彼らがまかり間違って集団で襲ってくることもあり得るのだ。悠長になんてしていられない。
「大悪魔の力は強力です。大陸にでた魔物とは比べ物にならないくらい」
「……ねえ、もしかしてマリーちゃんは、大悪魔にあったことがあるの?」
「はい。命を落としかけたところを、リシュリア様に救っていただきました。だからわたしは、リシュリア様に恩返しがしたいのです」
何度もかけてもらった治癒魔法は、今でもはっきりと覚えている。
とてもやさしくて、温かかったことも。
「リシュリア様には、頭が上がりません」
ふとシェンナが両目を細める。
「マリーちゃんは、リシュリア殿下が好きなんですね」
「え?」
「だから、そんなに頑張れるんですね」
好き?
勿論嫌いなわけがない。感謝もしているし、役に立ちたいと願っている。
シェンナは複雑そうに表情を歪める。笑いたいけれど、笑えない、そんな顔だった。
「前途多難ね」
最後に、そう囁かれた。
***
「少々甘すぎるのでは」
夕暮れに染まる執務室で、リシュリアに小言を向けるのは、決まってゼネルの役目だった。
書類に目を通していたリシュリアは、ひとつ息を吐いて顔をあげた。
正面にゼネルの渋面があった。
「あの悪魔を城下へ下ろしただけでなく、給金まで渡されたとか」
「そうだよ。マリーは帰ってからずっと働きづめだったから。たまにはいいだろ」
こともなげに言ってのけた主人に、ゼネルは眉間の皺を深くした。
「危険です。シェンナに何かあれば――」
「その“危険”を避けるために鎖をつけたんじゃなかったのか」
僕は反対したのに。
リシュリアは低く言って、書類に視線を戻す。
「大丈夫だよ。マリーは裏切らない」
「ですが……奴らは狡猾です。どのような抜け手を使うか」
「その時はその時だ――始末すればいい」
並んだ文字に目を走らせながら、淡々と告げる。あくまで彼女は道具で、手段で、敵なのだと、忘れてはいないと、言い聞かせるみたいに。
けれど。
『――リシュリア様』
あの可愛らしい笑顔の持ち主をこの手にかける。
マリーの顔が、痛みと恐怖に歪む。
出来たら、そんなことはしたくない。
呟いた瞬間だった。
執務室の扉が、静かにノックされる。
この時間、訪問の予定はないはずだった。
誰だろう。ゼネルと目線を絡ませたあと、リシュリアは扉へと視線を移した。
「はい」
「……マリーです。あの、少しいいですか」
控えめな声に、リシュリアは思わず顔をしかめた。
「マリー?」
まさか、今の話を聞かれたんじゃ。
焦りを隠しながら立ち上がる。
「どうぞ。空いてるよ」
「失礼します」
ぎっと扉の軋む音が鳴って、マリーが姿を現した。
「お忙しいのに、ごめんなさい」
「忙しくはないけど、どうしたの?シェンナと出かけたんじゃなかった?」
「はい。今帰ってきたところなんです。それで、これ」
マリーは歩み寄ってきたリシュリアに、小さな紙の包みを差し出した。
「クッキーです。試食させてもらったんですけど、とっても美味しくって。だからリシュリア様にも召し上がっていただきたくて……あの、他にも色々、お礼をしたくて考えたんですけど、いいものが浮かばなくて」
緑色の紙に白い線で花の描かれた、その綺麗な包みをリシュリアは受け取った。
「わざわざ僕に?ありがとう」
「いえ。あ、あの、ゼネル様もぜひ。甘い物がお嫌いでなければ……」
室内の奥にいたゼネルに、マリーがぺこりと会釈する。
どうやら話は聞かれていなかったようだ。リシュリアはほっと胸を撫でおろす。
「うん。ゼネルと食べるよ。ありがとう」
言って微笑めば、ふわりと微笑み返された。
小さな唇が弧を描き、丸い瞳はなんの打算もなくリシュリアを見つめてくる。
無垢で純真、無知で愚鈍――。
この娘が自分を裏切るとは到底思えない。思いたくない。
リシュリアはマリーの善意を、ゆっくりと握りしめた。
マリーが言った。
「わたし、必ず魔城を見つけます……だから、もう少しだけ時間をください」
「うん」
今夜も彼女は、遅くまで魔術書を読みふけるのだろうか。
「ほどほどにね」とリシュリアは労う。
背中に、ゼネルの強い視線を感じていた。
わかっていると、心の中で返す。
そのうちに実行する計画を、リシュリアはマリーに伝えなければいけなかった。
囮になってくれと言わねばならないのだ。
世界の平和のために。




