12 護衛騎士
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柔らかな声がした。
『ねえ、リシュリア。 あなたは、悪魔を見たことがある? ……あるわけないわね』
遊び疲れ、半分まぶたを閉じかけていたリシュリアは、姉の居室の長椅子で、彼女の膝に頭を乗せていた。やさしく髪を梳かれるのが気持ち良くて、たまらなかった。
『会ったことはありません。でも、とても恐ろしいと聞きました。 僕らの姿を真似て、仲間を装って騙してくると』
うつらうつらしながら、教育係から習ったとおりの知識を口にする。まぶたが重かった。
『そうよ。 それにとても頭がいいの。 一番欲しい物をちらつかせて、手を差し伸べてくる。 人の心を読めるのかしら、彼らは』
リシュリアはみじろぎ、頭上の美しい姉の顔をぼんやりと見上げた。
姉は、まっすぐに窓の外を見つめていた。長い睫毛に守られた緑色の瞳が、宝石みたいに綺麗で、魅入ってしまう。自分も同じ色だったらよかったのに、と、何度も思った。
『姉様は、何が欲しいの?』
霞みがかったような思考で問うと、『秘密よ』と姉は囁いた。
姉が欲していたのは、ごくありふれた望みーー〝愛する者との結婚〟だった。けれど、彼女の婚約者はすでに決まっていた。高位貴族の、四十も年上の男だ。幼いリシュリアには、どうすることも出来なかった。そうて人の世に絶望した姉は、それから間もなく、悪魔の手をとってしまった。
*
生温い風が、頬を撫ぜた。
甲板に出ていたリシュリアは、しだいに大きく、鮮明になる東の大陸を見据え、紅玉色の瞳を細める。知らず、全身に緊張が走っていた。何度繰り返そうと、この感覚は慣れそうにない。
近づいてくる大陸の周囲は、侵入者を拒むかのような巨岩に囲まれている。灰色の岩を白波が激しく打ち、威嚇してくる。大陸の全体を覆うのは、鬱蒼と生い茂る木々の群れだ。あの、黒い森の何処かに魔城がある。
「いよいよですね」
隣で意気込んだのは、リシュリアの護衛騎士クインだった。
短い黒髪を潮風になびかせ、向かいくる大陸を見つめている。表情は、強張っていた。彼にとっては初めての遠征だから、無理もないことだと、リシュリアはその鍛え上げられた肩に手を乗せる。
「そう気負うな。深入りは禁物だ」
「はい」
下船の準備をするために、リシュリアはクインを連れて、船室に入った。
碇が下ろされ、船が停泊する。場に全員が揃ったのを確認して、リシュリアは上陸前最後の指示を下した。
「いいか。繰り返すが、単独行動は絶対に禁止だ。隊列から離れたら呼笛を鳴らすこと。無暗に動かないこと。人命を優先すること。これだけは何があっても守ってくれ」
はい、と返答が、不揃いに重なった。
そうして各々散らばっていく。
マリーはというと、リシュリアの言いつけ通りにシェンナとずっと行動を共にしていた。
先日支給したばかりの黒いローブを纏っている。すっかり王立魔術師の一員になりきっていた。
「殿下、ご準備を」
そばによったゼネルに促され、リシュリアも船室を出る。湿った空気が頬を不快に撫でた。
ついに始まった遠征には、王立魔術師団から7名、騎士団からは14名の精鋭が参戦した。
見知った顔ぶれの中、初参戦はマリーとクインの二人だけだ。
今年で20歳になるクインは、最年少の出世頭と持て囃されていた。その腕は確かで、今ではリシュリアの護衛を務めるほどになっている。
生真面目な彼は、忠犬のようにリシュリアに付き従う。今回の遠征でも、「絶対におそばを離れません」と意気込んでいた。
「殿下のことは、この身に変えてもお守りいたします」
リシュリアにぴたりと寄り添う彼もまた、肉親を魔族に奪われた一人だった。リシュリア同様、復讐に突き動かされている。
ーー悪しき魔族を根絶やしに。
それがクインの信念だった。
マリーの正体を知れば、形振り構わず斬りかかるであろう人物の一人でもある。
せっかく隷属に下したマリーを傷つけられてはたまらない。そう懸念したリシュリアは、極力クインをマリーに近づかせないようにしていた。
しかし、遠征中とあってはそうもいかない。
指揮を執るリシュリアは隊列の中央を征く。不測の事態に備え、マリーもそばにつかせることにした。無論、護衛を務めるクインもリシュリアのそばから離れることはない。
大陸を進む間、彼らの接触を断つことは不可能だった。
「俺もはじめてなんですよ」
一行が上陸して数十分。
ゼネルと進路を確認していたリシュリアの耳に、前方からクインの低い声が聞こえた。続いたのは、マリーのか細い声だ。
「はい。足手まといにならないように頑張ります」
「足手まといだなんてとんでもない。聞きましたよ。すごい魔法が使えるって。頼りにしてます」
「そうですよ。マリーちゃんは魔力量も多いですし、それにとっても勉強家なんですから」
何故かシェンナがいばっている。視線を彼らに移せば、クインが殊勝な顔つきで頷いていた。
「尊敬します。俺も精進しないと」
素直なクインに、シェンナは満足したようだった。
マリーも「わたしももっとがんばります」と囁くように言葉を重ねる。
リシュリアは、マリーの小さな横顔を見つめた。全く悪魔らしからぬ娘だと思った。彼女は、このところ毎晩、夜遅くまで自室で勉強をしていた。少しでも多くの魔法を覚えたいと言って。
マリーが、純粋な味方だったら良かったのに。
「殿下!魔獣二頭、右上空です……!」
最前列の騎士が声を張り上げる。
即座にエゼルが魔法を発動させ、クインが剣を抜く。
魔獣の迫りくる気配に、リシュリアは頭上を仰いだ。




