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10 策謀


 ***


 空には、細い月が浮かんでいた。


「上手くいっているようですね」


 報告書を差し出しながら、ゼネルが言った。

 その声は普段通り淡々として冷静だが、聞く者が聞けばわかる。珍しく上機嫌だった。


もとの魔力量が尋常じゃないからな」


 リシュリアは受け取った報告書に視線を落としながら、愛用の執務椅子に腰をおろした。ゼネルも長いローブの裾を払い、中央の応接用のソファに大柄な身体を沈める。


「ええ。ですが正直、予想以上でした。ここまでとは」

「ああ」


 リシュリアは、マリーの成績が記された表を眺め、頷いた。どの数値においても、軽く平均を上回っている。


「皆驚いただろうな」

「強い味方を得たと喜んでいるようですよ。シェンナなどは、特に」


 朗らかな明るい部下の笑顔を脳裏に浮かべ、リシュリアは笑みを浮かべた。やはり、彼女に任せて正解だった。


「マリーの世話もよく見てくれているしね」

「お節介とも申しますが。まあ女性は群れるのが好きな生き物ですから」


 ゼネルの軽口に、リシュリアは苦笑を返す。

 今のところ、策謀は順調に進んでいた。

 

 マリーを師団の仲間と引き合わせてひと月弱。

 最初こそ人間の生活と慣れぬ勉学とに戸惑いを見せていたマリーも、この頃はほどよく打ち解けているようだった。

 リシュリアがすでに手に入れている情報とも知らず、マリーは毎晩のように今日習ったこと、覚えたこと、できたことなどを幼い子供が親にするように嬉々として話してきた。

 その表情も声色も、日を追うごとに明るさを増し、リシュリアが部屋を訪れると笑顔で迎えてくれる。


 その全ては、シェンナのおかげに違いなかった。

 マリーは日に一度は「シェンナさんが……」と口にする。

 シェンナもシェンナで、マリーの勉強をリシュリア以上によく見てくれていた。

 頭を寄せ合い魔術書をのぞき込む姿などはまるで仲の良い姉妹のようで――しかしリシュリアは、それを楽観できる立場にはなかった。

 

 ゼネルの無表情が、こちらを向く。


「このまま教育を進めれば、あれはかなりの戦力になります――次の遠征に同行させてはいかがでしょうか」


 腹心が、近いうちにそう言いだすだろうことは予想していた。


 リシュリアはもう一度手元の報告書に視線を落とす。

 記されている数値は確かに高い――だがリシュリアの見立てでは、マリーの能力はこんなものではないはずだった。

 ゼネルの予測通り、マリーはもっと伸びるだろう。

 自分たちにとって、強い武器になる。 


 そして、だからこそ解せなかった。


 どうして悪魔共はマリーの能力を開花させなかったのか。


 マリーは『わたしは期待されていなかったから』と答えていたけれど、本当にそうなのだろうか、と今でも思う。


 リシュリアは頬杖をつきながら、思考を巡らせた。


 “魔力”は“胃袋のようなもの”と例えられることが多かった。


 誰の身体にも備わっているが、蓄えられる量は生まれつき決まっていて、許容量が大きければ大きなほど魔法の威力もあがる。また、魔力には限界があり、使い切ればしばらくは動くこともままならないほど疲弊してしまうのが常だった。

 消費した魔力を戻す方法は体力と同じ、休息と栄養を採ればいい。


 リシュリアはマリーに栄養価の高い食事を勧め、摂取させていた。

 人間と悪魔の身体の造りにどれほどの違いがあるかはわからない。しかし結果として、それは正しい判断だったのだろう。

 

 先日目の当たりにした、マリーの魔法。 

 あれほどの火炎を一度に放出させる実力者は、討伐軍にも数えるほどしか在籍していない。 

 ゼネルが目を付け、シェンナが喜び、エゼルが脅威に思うのも無理はなく、次回の遠征にマリーを同行させるのも、自然な流れといえた。


 けれど、リシュリアは迷っていた。

 マリーに同胞を討たせることを。


 マリーにはどこか臆病なところがある。

 リシュリアを狙いに来た夜もそうだった。

 彼女の実力があれば、リシュリアの隙をついて傷の一つを負わせることくらいは可能だったはず。


 けれど彼女は、そうはしなかった。


 正体を暴かれたとたん、全ての抵抗を止め、自分は無力だからといって、命を諦めようとした。


 聞き出した話では、マリーはこれまでも失敗続きだったという。

 怖くて、誰にも攻撃が出来なかったと。

 だから捨てられたのだと。


 そんなマリーをもう一度戦場に引きずり出し、かつての仲間を討たせることなど、果たして本当に出来るのだろうか。


 ――怖がるだろうな、やっぱり


 哀れに思う。その一方で、残虐な思考が頭をもたげる。

 言いなりさせるのは簡単だった。

 マリーはリシュリアの隷属なのだから。

 

 攻撃を()()すれば、マリーは従うだろう。

 自分たちはそういう関係だ。

 けれど、その後はどうなる?

 せっかく築いた友好関係は破綻――出会った夜のように、怯えた彼女に戻るだろう。

 

 そう思うと、決断が鈍った。

 

 ――どうせ相いれいない仲だ


 そう、割り切ればいいのだろうけれど。


 リシュリアはふと、自分の手を見つめた。

 マリーに触れられた、その手を。


『少しいいですか?』


 あれは、ちょうどマリーが魔術を覚えたての頃。


 言ったマリーは、覚えたての治癒魔法をリシュリアへと使った。

 その頃のマリーの魔法はたどたどしく、その魔法自体も初歩的なものだったから、これといった効力はなかった。ただ、ほんの少し眠気がとれた程度で。


 けれどリシュリアは、驚いた。

 自分を癒そうとした、彼女の悪魔らしからぬ行為に。


 なにか、罠なのかとも思った。

 警戒した。

 けれどそれは本当にただの治癒魔法に過ぎなかった。


 慈愛に満ちた眼差しに見つめられて、温かな手を重ねられ、リシュリアは心がほぐれていくのがわかった。

 もしもあれがリシュリアを内から陥落させるための罠だとしたら、高度すぎるくらいだった。


『リシュリア様には、よくして頂いてますから。お礼です』


 こんなことしか出来ませんけど。

 そう言ってマリーは、懸命にリシュリアの疲労を癒そうとした。

 なにを言っているのだろうと思った。

 自分たちは利害で結ばれただけの関係なのに。


 マリーはこれまで、魔城において苦しい境遇にあったと、言葉少なに語った。

 だから、リシュリアの親切が嬉しくてならないと。

 薄幸の悪魔を、リシュリアは見下ろした。


 彼女が忠実な限りは、守ってやりたいと思った。


「殿下?」


 黙り込んでしまった主君に、ゼネルが首を傾げる。

 リシュリアは思考の海から顔をあげた。


「同行はさせよう。けど、攻撃魔法はまだ安定していないから、索敵か治癒部隊に割り振って欲しい」


 ゼネルが何事か反論する前に、リシュリアは執務机から立ち上がり、マリーの様子を見るといって部屋を出た。

 細い月の光が、王宮の廊下をやさしく満たしていた。








誤字・脱字のご報告、閲覧ありがとうございます**

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