プロローグ
『魔城が落ちた』
その報せは瞬く間に国中に広がり、人々を狂喜させた
ある者はうずくまって咽び泣き
またある者は英霊たちに語り掛けた
長きにわたり彼らを苦しめてきた魔の王の最期を――
これでわたしの役目も終わった
人間たちの荘厳な城の中。
マリーはひとり、その歓声を静かに受け止めていた。
豪勢な酒宴から抜け出すと、与えられていた自室に戻り、荷物をまとめる。とは言っても、物欲に乏しいマリーにはこれといって持ち出すものもなかったのだが。
「マリー」
不意に呼びかけられ、驚いたマリーは背後を振り返った。
薄く開いた扉の内で、張り詰めたような顔の青年が佇み、マリーを見つめていた。
逆光に霞んでいても、見間違えるはずもない。
柔らかな金髪に、深い紅玉色の瞳。魔王討伐の最功労者であり、宴の主演であるリシュリア王子その人だった。
どうして、こんなところに。
ぼんやりとするマリーに、リシュリアが足早に歩み寄る。
「探した。急にいなくなるから」
「……すみません」
「いったい何を」
言いかけたリシュリアの瞳が、ベッドの上で口を開けている小さな旅行鞄を捉えた。
「……荷造り?」
低い声で問われ、マリーは迷いつつ、頷いた。
リシュリアが眉をひそめる。
「そんなに急いでるの?」
「準備だけは、と思って」
いつでも出ていけるように。
言葉を飲み込んだマリーの手を、リシュリアがそっと掴んだ。
「考え直す気はないのか?……ここにいればいい。今まで通りに。その方が、僕も助かる」
マリーは俯く。
それが出来るなら、どんなに幸せだろう。
けれどマリーは一度、彼に想いを告白し、断られている。
その傷が、未だに癒えない。
こうしてリシュリアを前にするだけでも、勘違いしそうになる。
「申し訳ありません、わたしは」
マリーの言葉を遮るように、リシュリアは「ごめん」と囁いた。
「僕もしつこいね。大丈夫、約束は守るよ」
マリーはやさしい主人を見上げた。彼は言った。
「けど、まだ残務が残っているし情勢も危うい。もう少しだけ待ってくれないかな」
彼を困らせたくはない、手を煩わせたいわけでもない。マリーは聞き分けのいいふりをした。
「わかりました。リシュリア様の良い時分に」
「ありがとう」
リシュリアはやっといつものように微笑んだ。
「じゃあこんなことは止めて宴に戻ろう?君の好きな林檎のケーキもあるんだよ」
「はい」
手を引かれ、マリーは自室をあとにした。
微笑みあうふたりは、はたから見ればそれは仲睦まじく見えたことだろう。それこそ、恋仲と噂されるのも無理からぬほどに。
実際は、主人と奴隷の関係でしかなかったが。
悪魔マリーと人間の王子リシュリア。
マリーはもうずっと長い間、この王子に片思いをしていた。
異種族の二人が契約を交わしたのは今から一年ほど前のこと。
出会いは、最悪だった。