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一章 振り返ったって何もない昨日だから 3

 三


 俺は元々名古屋に住んでいた。リーマンショック後の就職難もあり、地元では仕事が決まらず、方々回って見つけた会社が今の会社だ。ギリギリのタイミングで決まった就職先がここだったわけだ。

一人暮らしははやくも六年。月三万五千円駐車場つきの物件は破格だと思ったけど、壁も窓ガラスも薄い。狭いワンルームならこの値段でこのクオリティなのかな、とも思う。部屋はあまり掃除が行き届いていないので汚い。

 でも俺はこの部屋が気に入っていた。ギターやベース、キーボード、撮影用の機材に囲まれたまさに男の趣味部屋。心のオアシスだと思っている。

 だから会社でどんな嫌な事があったとしても、家に帰ってくれば、心の傷を修復できる。逆にいえば、ここがなかったら、と思うと怖くなる時もある。

 今日もバットマンのポスターを上目づかいに見ながら思う。俺もバットマンみたいに苦痛や恐怖を克服した。

クリストファー・ノーラン監督の制作したダークナイトを見てから、俺はバットマンにドップリはまった。ノーラン監督のリアルなタッチが好きだ。バットマンというコスプレヒーローがその世界観にピッタリとなじんだキャラクター設定にしてある。

それだけでなく、現代アメリカ社会で起こりうる一つの事件として、物語は描かれている。登場人物も血の通ったリアルな人物像ばかりだ。

とても虚構の世界とは思えないリアリティだ。

代表作はバットマンシリーズ三部作やインセプション、メメントといった技巧的な作品ばかりだ。

 ファン層はアメリカには広く分布しているらしい。日本ではファンは多くないが、アメリカにはナード、オタク層以外にも熱烈なファンが多いと聞く。日本にもライトな映画ファンは注目しているが、一般層までは浸透していないのが現実かもしれない。

バットマンやノーラン監督の映画はすべてDVDで集めたし、部屋の壁にはポスターを貼った。ついでに言えば、バットマンのアメコミもすべてそろえようと考えて、収集を続けている。

 もう生粋のバットマンオタクだよなぁ、なんて思わないでもない。家に着き缶コーヒーを一息に飲む。この瞬間が一番心が安らぐ。

 昔はよかったと、長生きした人みたいな事を思う時がある。少なくとも大学生時代のころはもっと楽しかったはずだ。もっと人生を謳歌していた。

 大学の友人とはだいぶ疎遠になってしまった。二年に一度くらいの割合で、卒業生が集まって、同窓会をしている。俺も誘われていくことがあるが、なかなかタイミング良く会いたい人間と会えるわけじゃないし、会ったとしても自分との境遇の差にガッカリすることが多い。大学時代の友人はそれなりに成功している奴が多い。

手広く何でもやった自分と違い、一点集中型の人間の方がはるかに需要があったということかもしれない。

 結婚したり、仕事で出世したり、東南アジアで一旗揚げたり、誰もが目ざましい活躍をしているように見える。

 それにたいして、自分の境遇に情けなさを感じる。最近はメールくらいしかしないが、みんな頑張っている。

 まるで一人で動画を編集していたあの暗いワンルームに俺だけが取り残されてしまったような気分だ。俺だけがいつまでも足踏みをしているかのような。

 動画制作で食べていきたかった俺だったが、やはり夢はとんざした。当時は自分の活動の何かが身になると思っていた。

 ネットラジオや自主製作映画を撮って、ラジオ曲からテレビの制作会社にまでDVDを送った。でも返事はなしのつぶてだった。

 でも動画制作をしたいという情熱だけは燃え尽きなかった。自分の作詞作曲した歌ものせているが、どうにもうまく歌えない。俺の曲は誰かに歌ってもらってはじめて楽曲になる気がする。

 今はYOUTUBEに動画を上げている。ジムでの筋トレ動画がメインだ。

 市営ジムのスタッフにおねがいして、掃除時間中にカメラを持って乗り込み、筋トレの正しいやり方をレクチャーする動画を撮影していた。

 年にして収益は三千円から五千円ってところだろうか。労力の割に収益があがっているわけではない。だがやらずにはいられない。食べていくという夢はついえても、生きる上で俺は動画を撮り続けていかなければ、きっと俺は持たないだろう。そんなことを理解してはいたが、仲間が誰もいなかった。

 毎日が単調で、毎日が単純で、そして毎日、希望のない生活を送っていた。正規社員であったのが救いだったが、使えないやつだから契約社員にするとまで言われていた。

 自分でショートムービーの監督をしたい。そんなことを考えながら、就職して六年もたつと、周りにいたサブカルやオタクの連中も所帯をもったり、創作をやめたりして、仲間を集めるのも一苦労な状況になっていた。もう少しどこかで、人を集められないかな、とそんなことばかり考えていた。

 大学時代は「バンド部」の部室にこもって、ネットラジオばかりやっていた。

 いつもサークルの集まるクラブハウスには学生がいたから、毎日、決まった時間に配信できるように、録音スタジオを設けて、ネットにラジオを配信していた。

 俗にいうストリーミング配信というやつだ。一般的なラジオと同じくその時しかその内容の配信は聞けない。一度、配信が終わったらすべてが消えてしまう。そんな配信だった。俺はそういう一種のはかなさが苦手で、ポッドキャスト配信もやっていた。録音したデータをネットにおいて、聞いてもらうというサービスだ。

俺はストリーミングよりもポッドキャスト配信の方が好きだったから、ずいぶん、凝りに凝った編集をしてネットにあげたりしたものだった。あの大学時代は本当に熱かったなと今なら思う。ラジオや映像で食べていけないかな?とずっと考えていた。

 PV撮影のためにありとあらゆる映像技法を学んだ。大学生活は音声の編集と動画の撮影・編集に費やした4年間だった。

 少しでもいいものを作って認められたい。俺らのチームを売り出したい。才能にあふれているはずだ。そんな過信があったし、PVもある程度のレベルの賞をもらったこともあった。シナリオや脚本を書き、ラジオを録音したものをラジオ局にもって行ったりもした。だけど、ダメだったんだよな。

 プロになれなかった。

 結局、新卒を失うギリギリのタイミングで俺は今の会社への入社が決まった。

 もう一度。そう、もう一度。俺の目指す動画制作をしよう。

 でも俺の技術力だけでは未熟だし、高みには手が届かない。もう一度。仲間を集めて完成度の高い動画を作ろう。プチクリエイターでもいい。本業としてやらなくても、人の胸をうつものはできるはずだ。

 俺はもう一度だけ、仲間を集めて動画制作に本腰を入れることにした。試しにミクシィでコミュニティを作った。廃れ始めてはいるけど、まだネットでの交流のスタートはあそこが基軸のはずだ。

「動画制作サークル・パラドックス」のコミュの誕生だった。

 同時に、静岡県内の仲間募集掲示板に、動画作成仲間募集の広告書き込みをかいた。

ひとまず自分ができるのはこのくらいだろうか。後は反応があるのを待つばかりだ。

 俺が作りたい動画は、自分の曲のPVだ。作詞した曲もある。

青い鳥と言う曲だ。ストーリー性のあるPVにしたいと考えている。

 やりたい動画はたくさんあるが、一番やりたいのが自分の作った曲のPVなのだ。音楽PVを作って、世の中に配信していきたい。そんな思いを込めて、コミュと掲示板への書き込みを始めることにした。

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