名前がほしい
ククル・クラーヴァという龍族の少女と出会い、なぜか僕の弟子になったあと。
僕は筆を内ポケットに仕舞い、ククルと一緒に歩き出す。
きっと僕一人だけだったら迷って大変だったに違いないが、何とかククルのおかげで森から抜け出すことができた。
森の外は、大きな草原が広がっていた。
既に、僕より遥かに有能な気がしてならない。
やっぱり僕の弟子って、色々と間違っているのではなかろうか。
「そう言えば、リオンさん。ちょっと気になってたんですけど……その筆、何なんですか? 喋ってましたけど」
ふと、僕の胸部――正確には、上着の内側を見ながらククルが問う。
何なのか、と聞かれても、僕自身よく分かっていないため、特殊な筆だとかそういうことしか言えない。
困った僕は筆を取り出し、本人に直接説明を促してみる。
「わたしはわたしだぞー。ご主人の相棒であり、ご主人の心の恋人だぞー」
「な、なるほど……。さすがリオンさんです」
何がさすがなのかは分からないが、妙に感心してしまっている。
相棒というのはまだいいとして、心の恋人とか恥ずかしいことを平然と言わないでほしい。
「ご主人が困ったら、いつでもいくらでも力を貸してやるぞー。わたしはご主人のことが大好きだからなー」
いきなり大好きとか言われて、少し照れてしまう。
くう……人生で初めて好きと言われた相手が、まさかの人間ではなく筆だったとは。
もちろん好意的に思ってくれるのは嬉しいが、逆にどうして僕のことを慕ってくれているのか疑問でもある。
まあ、父親が亡くなって以来、僕が所有者だったからとか単純な理由かもしれないけど。
「……汝、力が欲しいかー?」
「さっきから、それ何なの?」
「かっこいいだろー? 力ほしくなるだろー?」
「……いや、いらないです。それより文章力が欲しいです」
この筆の能力からすると、文章力も立派な力ではあるのだが。
文章力を向上させて能力をもっと上手く扱えるようになりたいし、たとえ異世界であっても作家になるという夢は捨てられない。
こっちの世界でも、作家になれたりするのかな。
そのためにはまず、この筆を使って、もっと文章力を磨き上げなければ。
僕の目標が決まった瞬間である。
「なんか、いいですね。相棒っていうの、少し憧れます」
ふと。僕たちのやり取りを見ていたククルが、どこか寂しそうに言った。
落ちこぼれだと蔑まれていたらしいから、同じ種族の仲間に友達はあまりいなかったのかもしれない。
でも、たとえそうだったとしても――それは、もう過去の話だ。
「ククルも、もう僕たちの仲間だし友達と思ってるよ。それじゃ、不満かな」
「……っ、そ、そんなことないです。ありがとうございます。やっぱり私、リオンさんの弟子になれてよかったです」
僕の答えに、ククルは嬉しそうにはにかむ。
素直に喜んでくれてこっちとしても嬉しいが、弟子と言われる度に違和感が拭えない。
僕的には、弟子とか師匠とかじゃなくて、普通に友達でいたいんだけども。
「なー、ご主人ー。わたしにも、名前を考えてほしいぞー」
ククルと肩を並べて草原を歩いていたら、不意に筆がそんなことを言い出した。
思わず立ち止まり、首を傾げる。
「……名前?」
「わたしには名前がないからなー、わたしを呼ぶときとかも大変だろー?」
「必要なの? そもそも、名前を呼ぶときがあるのかな……筆で充分な気が」
「わたしだって、名前がほしいぞー! ただの筆じゃないってところを見せるから、刮目してるんだぞー!」
僕の返答が納得いかなかったのか、何やら筆はムキになって叫ぶ。
書いた文章を具現化できるというだけで、ただの筆じゃないことは分かりきっているのだが……どうやら、そういうことを言いたいわけではないらしい。
訝しむ暇もなく、突如として筆は淡く眩い光を放つ。
その眩しさに思わず両腕で顔を覆い、筆をその場に落としてしまう。
筆はコロコロと地面を転がり――やがて。
小さな筆から一転、今の僕の背丈より少し大きな影を生んだ。
僅か数秒程度で光は治まり、顔の前から腕をどけ――思わず絶句する。
そこにはもう、筆の姿などどこにもなく。
代わりに、見知らぬ一人の少女が立っていた。
結んでいる箇所の毛先だけが少し黒く染まっている、銀髪のポニーテール。
白い和服や白いニーソックスに身を纏っている。
開いた口から覗く八重歯が、無邪気な様相を醸し出していた。
「ほら、わたしはこうやって人間の姿にもなれるんだぞー。なー? 名前くらいあったほうがいいだろー?」
「……え、あ、うぇ?」
口調や声色、そしてこの状況から、目の前の少女がさっきまでの筆だということは察しがつく。
だけど、突然筆から人間の姿へと変貌を遂げ、僕の口からは無意識にそんな情けない声が漏れてしまった。
「す、すごいです……っ! 私としては、今の姿のほうがいいと思います!」
「えー、そうかー? ご主人はどうだー? 可愛いかー?」
ククルは予想以上に順応力が高く、大した驚愕も見せず素直に感心している。
自分自身がドラゴンへ変身できるから、そういった姿が変わることに対してそこまでの驚きはないということだろうか。
しかも……なんか、結構可愛い。
外見年齢的には、十代半ばの中高生くらいに見える。
「ご主人ー? 聞いてるかー?」
「……えっ? ああ、うん、いいと思うよ」
「にしし、そうかー。じゃあ、しばらくこのままでいるなー」
僕が適当に頷くと、和服の少女は僅かに頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。
こうなっては、僕も名前を考えるしかないか。
確かに人間にもなれるのなら、どう呼べばいいのか分からなくて困るときはくるだろうし。
とはいえ、僕だって別にネーミングセンスに優れているわけではない。
納得がいかなかったり、気に入らない場合だってもちろんあるだろう。
そう思って、念のため訊ねてみると。
「大丈夫だぞー。ご主人がつけてくれた名前なら、どんなものでも気に入る自信があるからなー」
と、屈託のない笑顔で、そう答えてきた。
そこまで言い切られてしまうと余計にプレッシャーがかかってしまうが、できるだけいい名前を考えてあげよう。
「――シールってのは、どう?」
悩み抜くこと、およそ数分。
気がついたら、その一言を発していた。
「シール? いいなー、それじゃあ今からわたしはシールなー」
「よかったですね、シールさんっ!」
一瞬だけ怪訝そうに首を傾げたのち、すぐに笑顔に戻ってククルと喜び合う。
由来は、単純なもので。
父親が亡くなった幼少期。父親の形見として入手した筆の筆管に、生きていた頃に母親から貰った当時好きだったアニメのシールを貼っていた。
あれからもう十年以上は経っているものの、未だに剥がれることなく残り続けている。
筆と同じくらい、大事にしている両親の形見と言っても過言ではない。
形見である筆の名前にするには、最も相応しいと思ったのだ。
変な理由だし変な名前だと自分でも思うくらいだけど……まあ、喜んでくれているならそれでいいか。
「そう言えば、僕たちはどこ行けばいいんだろう……」
「行くあてがないなら、まずは街に行きませんか? ちょうど近くに、大きな街があるんですよ」
この世界のことなど何も知らない僕に、ククルはそう説明してくれた。
ククルは僕が異世界人であることは知らないだろうが、特に疑問には感じていないらしい。
僕、ククル、シールの三人は。
ひとまず、その街とやらを目指して再び歩を進めた。