✩龍族のククル
あれから、何度も書いては思った通りの現象が起きてくれず。
さすがに走り疲れ、また一本の木の後ろに身を隠していた。
「はぁ……はぁ……。あの、コツとかないの……?」
「んー、そうだなー。とにかく細かく正確に! これに尽きるなー」
「何の参考にもならない!」
そもそも、それができれば今頃とっくにドラゴンの撃退に成功しているはずだ。
僕的には詳細にちゃんと書いているつもりなのに、どうしてか必ず情報が足りていない状態なのである。
文章力以前に、発想力とか語彙力の問題な気がしてきた。
「あ、もう来たぞー。危ないから避けろ、ご主人ー」
「うぇっ!?」
思わず、素っ頓狂な声を漏らした途端、すぐ背後に強い衝撃を覚えた。
僕自身に、奴の攻撃が当たったわけではない。
ただ、背にしていた木にドラゴンの吐いた火炎が直撃したようで、メラメラと赤い炎が燃え上がっていた。
「あわわわわ、あわわわわ」
「大丈夫かー?」
筆が心配そうな問いを投げかけてくるが、もはや今の僕に答える余裕はない。
ひたすらドラゴンに背を向け、必死に逃走するので精一杯だった。
しかし、あくまで僕は人間だ。それも、かなり小さい女の子になってしまったことで歩幅も狭くなり、体力も明らかに落ちている気がする。
そんな状態では、当然ドラゴンに追いつかれてしまうのも時間の問題だ。
早く何とかしなければ、数分後には灰と化した僕の遺体が転がっているなどという状況になりかねない。
「飛んでいるのも厄介だよなー。何か重いものが落ちてきたりして、飛べなくなってしまえば逃げやすいかもしれないなー」
「重いもの……?」
逃げながら、筆の言葉に眉根を寄せる。
今の一言は、ただ思ったことを口にしただけなのか、それとも筆なりの助言なのか。
それは分からないが、おかげでとあるひとつのイメージが思い浮かんだ。
そうだ。さっきまでは、たくさんの情報を必要とする文章ばかり書いていたのがいけなかったのかもしれない。
大きさ、長さ、数、硬さや熱さ、位置、などなど。
この筆の能力に於いて、必ずそれらの情報は書き込まなくてはいけなくなる。
でも、書き込むべき必要な情報が、最小限で済むとしたら。
僕みたいに語彙力も文章力も皆無でも、何とかなるかもしれない。
急ブレーキし、足を止める。
そして振り返り、虚空に筆を走らせた。
『巨大な岩石が、赤いドラゴンの上に降った』
――瞬間。
何もなかったはずの空中に、途轍もなく大きな岩が出現し――ドラゴンの頭部に直撃した。
ドラゴンはけたたましい悲鳴をあげ、地面に落下する。
「や、やった……」
肩を上下させながら呟き、疲労や安堵で、思わずその場に座り込む。
正直、上手くいくかどうかは不安だったけど、何とかいったようだ。
先ほど、壁が現れた旨の文を書いたとき、数を指定しなかったため実際に出現したのはひとつだけだった。
つまり、数を書かなければ出てくるのはひとつだけになるというわけで、ひとつだけで充分の場合は数を指定する手間が省ける。
更に岩石とすれば基本的にかなり硬いものしかなく、硬さの情報を書く必要もなくなるだろう。
細かい描写を放棄し、必要最低限の情報だけで上手くいってくれてよかった。
それにしても、今のは我ながらいい出来だ。
個人的には、こんな危機的状況で咄嗟に『岩石』という単語を閃いただけでも自分を褒めてあげたい。
「やったな、ご主人ー。ご主人なら絶対できるって信じてたぞー」
「……はは、ありがと」
苦笑しながら返事し、僕は立ち上がる。
そして、おそるおそるドラゴンが落下したほうへと近づいていく。
奴の体は、僕より何百倍も大きな体をしていた。
地面に倒れていれば、当然すぐに気がつくだろう。どこら辺に落ちたかはしっかり見ていたし、見失うことなどあるはずがない。
なのに、ドラゴンの姿はどこにもなかった。
飛び去ったわけでもないだろうし、絶対ここら辺にいるはずなのに。
だけど――さっきまでいなかったはずのものが、そこにはあった。
炎のように赤い、サイドテールの髪。
背は低く、顔立ちは幼い。小学生か、中学生くらいに見える。
黄色い瞳には薄らと涙が溜まり、頭部を手で押さえていた。
この子は誰なんだろう。
ドラゴンが消えたかと思ったら少女が現れたわけだが、さっきのドラゴンと何か関係があるのだろうか。
全く、そんな風には見えないけど。
訝しみつつ少女のことを眺めていたら、彼女も僕たちに気づいたのか顔をこちらに向ける。
そして、途端にあわあわと慌てだしてしまった。
「あの、君はさっきのドラ――」
ゴンを知らないか、と訊ねようとしたら。
僕が口を開いた瞬間に、がばっと勢いよく土下座をしてきた。
「すすす、すいませんすいません! 違うんです! まさかそんなに強い方だとは思わなくて……ごめんなさい! 何でもしますから、許してくださぁいっ!」
何やら過剰なまでの怯えっぷりである。
完全に声は震えていたし、泣いているのかもしれない。
正直、初対面でここまで怯えられてしまうとちょっとショックだ。
でも、僕は聞き逃したりはしなかった。
いくつもの謝罪の中に紛れていた、決定的な一言を。
「そんなに強いとは思わなかった……って、もしかしてさっきのドラゴンは君が?」
君がドラゴンを使役していたのか、君がドラゴンに僕を襲わせたのか、といった意味の質問だったのだが。
返ってきた答えは、予想だにしていなかったものだった。
「ひぅっ! そ、そうです……わたしがドラゴンになって、あなたを襲いました……ごめんなさいでしたですぅっ!」
再度、地面に頭を擦りつけてしまいそうなほど低く土下座をする赤髪の少女。
ここまで頭を下げられて謝られてしまうと、怒るどころか何でも許してしまいそうになるけど……。
その前に、今の一言はどういう意味だろうか。
わたしが、ドラゴンに、なって、襲う。
心の中で反芻してみても、結局その言葉の意味はひとつしか考えられなかった。
だから、問う。
正確な真意を知るために。
「それって、変身したってこと?」
すると頭を上げ、若干の逡巡を見せたのち。
「は、はい……。私は、龍族のククル・クラーヴァと言います。わたしたち龍族は、ドラゴンの姿に変身することができるんです……っ!」
まだ少しだけ体や声の震えが治まらないまま。
そう、答えてきたのだった。