5話 賢者との出会い
蜘蛛の巣と埃の積もった狭い通路を駆け抜け、行き止まりに見せかけた壁を引き裂いて、とうとう真っ暗な森へと出た。俺の目と鼻なら灯りなどなくてもある程度は把握できる、騎士達も獣も、魔物もこの周辺にはいないらしい。あの遺跡の裏側に出たようだ。
しっぽをだらりと下げ、お頭達が出てくるのを待つ。
なにげなく目線を下へずらす。ずっと左手でおさえていたが、胸にしまった生き物は無事だった。耳を澄ますとかすかな寝息が聞こえる。
なぜ連れてきてしまったのだろう?落ち着いて考えてみたが、わからなかった。
大勢の足音と荒い呼吸音に、意識を背後へと戻した。盗賊達が通路を抜けてきたようだ。
静かに立っていると突然腰を蹴りつけられ、振り向いたところで肩口を切られた。それでも倒れない俺にお頭は舌打ちし、大太刀を脇腹へ突きたてた。鋭い痛みに耐えきれず体を丸め、うずくまるように地面へ倒れこむ。
「てめぇ、いったいどういうことだ?なんで卵が割れてんだ、何しやがった!」
こめかみに血管を浮かばせながらわめき散らすお頭に、盗賊の一人がつぶやく。
「…もしかして、俺たちの前に誰かが…キマイラもそいつらが連れてっちまったんじゃねぇか?」
「んなわけあるかッ!あの卵を見ただろ、乾いてもいねぇ、俺らが見る直前に割れたんだ!!」
もめている盗賊達の足元で、脇腹の傷口を手で確認する。血が止まらない。オレの体重でつぶしてしまわないよう、胸の生き物をかばうように肩を浮かせた。
目の端で辺りの気配をさぐった、オレだけにはわかるこの鉄の匂い、さっき嗅いだ彼らの甲冑や武器のものだ。じりじりと距離をつめ、こちらの様子をうかがっているのがわかる。これに気が付いているのはオレだけだ、命令に逆らい、無言を貫くのは苦痛だったが息を止めてこらえた。
俺が伝えなければ、こいつらの悪事をここで食い止めることができる。なぜ今まで逆らうことができなかったのか…吐きそうな痛みに顔を歪ませながら悔やむ。今日この日までこいつらの仲間だったという事実が呪わしい、たとえどんな理由があったとしても許されることではない。
口論している盗賊達の向こう、すぐ傍まで接近していた騎士達が一斉に立ち上がった。
盗賊達は一瞬の後それに気づき、たじろいた。お頭の怒声が聞こえ…俺は命令に従い先頭に立つ騎士に向かって走り出そうとしたが、ほぼ同時に放たれた数個の炎の玉が顔面にぶつかり、後ろへふきとばされていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
香草の匂い、かび臭い書物の匂い、水の匂い…ぼんやりと意識が浮上していく。
傍らで誰かが話をしているようだ。
「ほぉー、猫族にしても魔力が高いようじゃ。どうりで治癒魔法の効き目がいい、これなら新しいほうの傷は跡が残らんのぅ」
「…その、彼は危険はないのでしょうか?」
「当たり前じゃ馬鹿者!よってたかってこんな子供をいためつけて、この首輪を見れば戦闘奴隷だとわかるじゃろうが」
「し、しかしいくら彼の意志ではないとしても、獣人の力は侮れませんし、第一あの顔でしたから、部下がおびえるのも…その~…」
「まったく、情けないのぅ…外っかわだけ見て判断しおって」
耳元で水の流れる音が聞こえた。布をしぼっているのだろうか。水、と考えると喉が渇いてきた。そういえば、昨日飲んだきりだ…
昨日…今は、今日、なんだろうか?
「おお、気が付いたかの?痛むところはあるか?」
優しい声が聞こえたほうへ顔を向けると、金髪の青年がこちらを見下ろしていた。
俺は低い台…ベッドに寝かされていたらしい。天幕の中だろうか、明るいのは灯りの魔法具のようだ。ぼんやりと視線をさまよわせていると、あの小さい生き物のことを思い出し胸元を手でおさえた。い、いない…?
慌てて立ち上がろうとすると、青年に手で制された。彼が細く長い指で優雅に指し示した俺の腹の上には、あの小さな生き物が載っていた。意図せず、ほっと息を吐きだす。
「頑丈な奴だのう、いくらワシの治癒魔法を受けたとしても普通の人間だったら死んどるわい。のう、これを見い。もうなーんにも心配いらん、今は体を休めることじゃ」
ぽんと投げ渡された物を見て目を見開く、俺がつけていたはずの“隷属の首輪”だった。蝶番部分が砕けている。
「魔導師隊の連中がとっさに顔に当ててしまったようじゃが、逆に良かったかもしれんな。ほれ、あの傷だらけの顔がきれいに治って男っぷりが上がったぞい」
小さな手鏡を正面にかざされ、思わず見つめる。鏡…いつぶりに見るだろう?
鏡の中には、ぼさぼさの白髪の下から見つめ返してくる銀色の目の少年が映っていた。
オレの、顔…?こういう顔、だったんだっけ?
傷、そういえば何度もお頭に切りつけられた記憶がある。顔と言わず全身どこもかしこも傷だらけ、だったはずだ。
思わず顔を手でなぞる。古い傷は残ったままのようだが、たしかにあれだけ切られたというのが嘘のようにきれいになっていた。治癒魔法、というものは知っていたが、ここまで効果が高い魔法があるとは知らなかった。
「ここはワシのテントじゃ、遠慮はいらん。それは…あまり質の良いものではないのう、意識がしっかり戻るまで時間がかかるかもしれん。ワシの見立てではお主、ずいぶんと長い間付けられてたじゃろ?自我が残っとるのは奇跡かもしれんの」
「そんな…隷属の魔法具とは、そんなに酷いものなのですか」
青年とは別の声がして、目をやると甲冑を着た中年の男が反対側に座っていた。先ほどからいたのだろうが、この金髪の青年に意識がいって気が付かなかった。俺の視線に気づくと、気まずそうに頭を下げる。
「すまん、君を盗賊の一味と誤解してしまった。許してくれ」
真摯な目で真正面から見つめられ、心からの謝罪を受ける。記憶にある限り生まれて初めてそんな目で見られ、それにどうこたえていいかわからずたじろぐことしかできなかった。
「…ミィ」
小さな、甲高い鳴き声が聞こえて下を見ると、毛布の上にいた生き物の目がぱっちりと開いてオレを見上げていた。
黒い体に黄色い丸い目、これは…やはり猫だったのか?
「ミィー!ミィー!ミィー!」
すぐに始まった絶叫に心底驚く。いまにも死にそうだと言わんばかりに子猫は鳴き続けている。この小さな体で、ものすごい声だ。
「お、おお。それは猫じゃったのか。ねずみだとばかり…」
「賢者様、こいつ腹が減ってるのでは?えー…と、子猫は何を食べるんでしょう、何かあったかな…」
「それは干し肉か?んー…そんなもん食えるかのぅ」
慌てふためきながら荷物をあさる二人、オレもどうしていいかわからずおろおろしていた。
天幕の入り口には異常に気付いた騎士が何人も集まってきている、しかし皆当惑するばかりで、子猫の絶叫は静かな夜の森に響き続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、騎士達は近くの民家におもむき、雌ヤギを譲り受けたらしい。小さな小さな子猫はちゅっちゅっと音を立てながら、寝そべったヤギの乳を飲んでいる。
まさか彼らが野営している傍に集落があるとは思わなかった。
「まーったく情けないったら!大の男がこれだけいて何やってんだい」
厩舎の前で丸い体躯の女性がバンバンと騎士の一人の背中を叩く。まだ若い騎士は恥ずかしそうにうつむいていた。亭主らしい痩せた男もいるのだが、青い顔をして女の肩をおさえている。
「すまんのぅ、こんな夜更けにこんなことを頼んでしまって」
「いいんですよーこのっくらい。騎士さん達にはいつも世話になってるからね」
「お、おいお前、そのへんで…す、すいません賢者様!俺からしっかり言っときますから」
青ざめてプルプル震える男と、笑いあう騎士達を見ながら、俺は不思議な気持ちになっていた。騎士と言えば威張り散らし庶民を見下すものと思っていたのだが、彼らは違うらしい。
自分の頭でふと考えてみれば、俺が覚えているのはクラレンス王国で奴隷として生きてきたこと、その内いつのまにか盗賊の一味に入っていて、あちこちてんてんとしていた…どうにもうろ覚えで思い出せない部分が多い。
記憶はあまりないが、そういえば国境を抜けるとか言っていたような…考えのまとまらない頭がもどかしい、えーっと…国境…今いるここは、平和主義で奴隷制がないと噂のウェスリー王国の領地かもしれない。やっと思いあたり、少し納得した。
一生懸命に記憶をたどっていたオレは、ライアットが気遣わしげにこちらを伺っていたことに気が付かなかった。
必死にお乳を飲んだ後ぱたりと静かになった子猫を抱え、騎士達と野営場所へ戻るために歩いていた。
夜道は暗かったが、騎士達が持っている松明のおかげで足元は明るい。獣や魔物もいくつかいたようだったが、この人数と彼らの持つ武器を警戒したのか皆離れていく。
匂いと気配、かすかな葉ずれの音をなんとなく探っていたが、ふいに気が付いた。
俺は、もう“命令”されることはない。今までのように盗賊に命じられて人や魔物と戦ったり、やりたくないことをやらなくてすむ、ということか。
自由…子供の頃何度も夢見た記憶がある。
手の中の子猫の毛並はゴワゴワだったが、とても暖かかった。