30話 女3人寄ればかしましい
今回はちょこっと長めです。
ここは村の憩いの場、食堂『森の木陰亭』。
マリーがクルルの髪を切り終わって、仕上がりをじっくり見る暇もなくジャックちゃんが鳴き始めた。クルルが言うにはトイレに行きたいらしい、急いで抱えて外へ走って行った。
どうして同じ鳴き声にしか聞こえないのにあいつには違いがわかるんだろう。ご飯もトイレも「ミー」としか聞こえない、ほんとジャックちゃん可愛い。
それにしても…
「まさか、あんな顔だったなんて」
「ん?なに、どうしたのぉ?」
「なっ、なんでもないわ!」
つい声に出てしまいマリーに不審がられた、いけないいけない。
あいつと初めて会った時は、ちょっと色々あって混乱してて。あいつは何も悪くないのに思いっきりひっぱたいてしまった。何故かここ数日の記憶がぐるぐると頭を回る。
かすかに水色がかった、透き通るような薄い灰色の目。まだ子供っぽいんだけど野性的な強さを感じさせるその瞳は、昔絵本で読んだ王子様にちょっと似ていた。
でも…あの自信のなさそうな顔。たしかにあれはクルルなんだ。
何だ、何も変わってないじゃないか。なにを動揺しているんだろう、あたしらしくもない。
うん、大丈夫。第一、人間は顔じゃないって言うもの。あんな間の抜けた奴が王子様に見えたとか気の迷いでしかないだろう。
一人で悩んで結論を出していると、マリーが隣の椅子に座ってきた。この食堂の椅子は木製で背もたれがついているが、カウンター席だけは背もたれがない。マリーは両手を挙げ背中を反らして伸びをした。
「はー、切った切ったぁ。久しぶりに集中して切れてすっきりしたわぁ」
「お疲れ様ー」
シャティが明るく言い、最後の一つだったアコの実を渡す。これはマリーの好物なのだ。
「あら気が利くわねぇ、とっておいてくれたのぉ?食いしん坊な貴方達がよく残しておけたわねー」
「失礼だなぁ、ボクはちょっと成長期で多目に食べてるだけだよ」
「成長期ねぇ」
アコの実をかじりながら、マリーがシャティを上から下まで繁々と眺めた。そしてふいとこっちを振り返りあたしをじろじろ見る。
「なによ」
「んー、シャティが成長してないのはともかく。それに比べて貴方は、この前見た時よりかなり成長したみたいだわぁ」
感慨深げに笑みを浮かべ、もぐもぐと咀嚼する。マリーの食べ方はかなり上品だ、見ていてちょっと羨ましい。あたしも一口分を小さくすれば上品に見えるのかな。
「あんた達が前に来てから一月以上経ってるでしょ、そりゃ育つわよ。もうちょっとでママより背が高くなるわ」
少し得意になって胸を張る。ふふん、これでも村の同い年の娘達の中では育ちがいいほうなのだ。急にぐんと背が伸びたせいで足が痛くなったけど。
「ちょっとー、ボクだって育ってるよー!」
「横にぃ?」
「ち、ちがうよ!ほら、並んで座っても同じくらいになったでしょ?」
「んー、でもそれって足じゃなくて胴体が伸びただけかもよぉ」
「そ…そん、なことないっ」
あー、やっぱりシャティって口ではマリーにかなわないのね。見てる分には面白いけど、すっごく悔しそうだわ。
椅子でだらだらする私達の向こう、カウンターの奥では大きな鍋で野菜が煮込まれていた。人参、玉ねぎ、芋、キノコ。優しい香りのする湯気がふわふわと漂い、オーブンの中にはパンが次々と並べられていく。相変わらず手際が良すぎて、何をどうして作っているのかがわからない。この食堂もそのうち見習いを雇うと言っていたが、これでは料理を覚える人は大変そうだ。
厨房で忙しく動き回っていた女将さんが、エプロンで手を拭きながらカウンターへ戻ってきた。
「ふぅ、夜の仕込みはこんくらいかね。マリー、あんた達しばらくは村にいるの?それとも、今回もすぐ出発しちまうのかい?」
「そうねぇ、あと二、三日はのんびりして行くつもりぃ。小金も入ったことだしね」
「そうかい、じゃ出る時は声かけとくれよ、弁当作るからね」
「いつもありがとぉー」
そ…っか、ずっと村にいるわけじゃないんだった。久しぶりに会えたのにまたいなくなっちゃうのね。
知らずに頬を膨らませてしまっていたらしく、マリーにほっぺたを摘ままれた。
「ほっぺた柔らかいのは変わってないわねぇー」
「あ、ボクもっ」
シャティまで手を伸ばしてきた、なんなのよもう。
「やめへよ、二人とも」
むにむにとほっぺたを伸ばされるが、とくに抵抗はしない。あたしの頬はけっこう伸びるし、痛くもないのだ。
「はぁ、こうしてこの村でのんびりしてるとぉ、こういうのもいいなって思うわねぇ」
「ボクも。きままな旅も面白いけどさ、地に足をつけた生活っていうのかなー」
「そうそう、平和よねぇー」
そんなものなのかな?村の皆も似たようなこと言ってたっけ。主におじいちゃんとかおばあちゃんが。
つーか二人ともほっぺた離してよ。
「ふふ、顔に出てるわよーぅ?それじゃつまらないって思ってるんでしょぉ」
ぎく。
ああまた、すぐ顔に出るのなんとかしなきゃだわね。
お、やっとほっぺたが開放された。まったく会うたびに何が面白いというのか。
「お嬢様が冒険者として旅立つまでにはまだかかりそうだけどねぇ。聞いたわよぅ、ゴブリンのこと」
ぎくぎく。
マリーの口からその言葉が出ると、女将さんの顔が少し険しくなった。やっぱり村中に知れ渡ってたのね。昨夜パパとかにみっちり叱られたのだけど、この分だと彼女はまだ怒ってるっぽい。
一般的に、成人前の子供は一人で集落を出てはいけないことになっている。人の住む場所として壁に守られている村や町と違って、外には魔物が闊歩しているからだ。戦う術を持たない子供は村の外で生きていくことはできない。
あたしは14歳、もうすぐ誕生日が来て成人の歳を迎える。だから今はまだ一応子供なのだ、ほぼ大人でいいと思うんだけど。
「キャシーちゃん、あんたまだ冒険者になるつもりなのかい?」
「うっ…」
女将さんの声がいつもより低い。この村の大人達はみんな、子供が冒険者になりたいと言うと嫌悪感を隠さず反対する。どうしてだろう。
でも、誰になんと言われようとあたしの決心は揺らがないわ。
「まったくもう、どうして若い子はみんなして冒険者になりたがるんだろうね。人には向き不向きってもんがあるのに」
女将さんがため息まじりにぼやくと、マリーとシャティもうんうんと言いながら頭を上下する。
「ほんとよねぇー。勢いで冒険者になってからいらない苦労するより、自分に合った仕事を若い内から探しといたほうが堅実だわよー」
「キャシーだったらさ、将来はやっぱり可愛いお嫁さんとかいいんじゃない?せっかくお貴族様とも結婚できる身分なんだから」
うえー、言うにことかいてなんてこと言うのよ。貴族なんてろくなもんじゃないし結婚なんてまだ先の話でしょ。
「そういうのやめてよね!あたしにはまだ早いでしょ、そういうシャティこそいい年なんじゃないの?」
「うぐっ」
「あらぁ、そういえば私貴方がいくつなのか知らないのよねぇー。いつも「永遠の16歳」ってごまかすしぃ」
「ボ、ボクは16歳だよっ」
「えー?じゃ、私より年下?私今年で18よぉー」
「うぐぅっ!」
ん?今の話からすると、こいつマリーより歳上ってこと?女の年はわからないってよく聞くけどほんとね。見ためは私と似たりよったりなのに、これで18歳超えてるのか。
「あっはっはっ!何歳だっていいじゃないか。あたしから見れば皆ちびっこだよ」
「あー、そりゃ女将さんと比べるとねぇ…」
笑う女将さんを見て二人とも複雑そうな顔になった。大変失礼だと思う。
「でも実際問題、キャシーが冒険者に向いてるかっていうと微妙だよ?たしかに魔法は上手だし体力もけっこうあると思うけど」
「あんた言いにくいことはっきり言うわよね…」
「ありがとー、よく言われる。なんでだろ?」
「いや、誉めてないから」
ううう気にしてるのに。
でもまだ若いんだからこれから強くなるはずだし、いい杖が手に入れば魔法の威力も上げられる。なによりも大切な「やる気」は誰にも負けない自信があるし。
内心で必死に考える私を横目に、マリーは椅子の横のフックに引っ掻けてあった杖を手に取りそれを鋭い目で見つめる。
「まぁ、魔物や犯罪者を相手にするのに攻撃手段は確かに重要だけどぉ…問題はそこじゃないかもねぇ」
どういう意味だろう、いつになく真剣な顔をして言われて疑問が湧いた。
なんだろ、冒険者といえば物理的か魔法かの違いはあっても戦うことが重要なのは変わらないはず。攻撃手段より大切なことって、なに?
カウンターに置いた食べかけのアコの実を杖の尻でツンとつつきながら、マリーはゆっくり話しだした。
「お嬢様が目指してるぅ…えっと、魔物を相手にする冒険者って、いわば宿無しなのよぉ。そこわかってるぅ?」
「何よ改まって。わかってるわよそんなこと、町の外にいることが多いんでしょ?」
「んー、本当に分かってるのかしらぁー?」
マリーの言い方は要領を得ない、何か言いずらそうな顔をしてるけど。
冒険者を目指すにあたって何年も調べまくったし、どういった依頼があるか、魔物を相手にする時何に気を付けるか、とかは多少知ってる。
「魔物を倒すにはぁ、魔物がいるとこまで行く必要があるわよねぇ?」
「うん、そうね」
「で。魔物ってだいたい人里から離れたとこにいるでしょお?だからそこに村とか町を作ってるんだしぃ。ギルドで依頼があるような魔物は珍しいのが多いから、さらに遠くに行かなきゃいけないのよぉ」
「あー確かに」
あたしの返事を聞いて顔を傾けるマリー。なによ、その目は。
眉を寄せてこっちを見るマリーをちょっとにらんでいたら、その横で目を閉じて思案していたシャティが口を挟んできた。女将さんは何故か薄笑いを浮かべている。
「んー、じつはボクらも最初はすっごくキツかったんだけどねー。魔物を探しながら何日も外で寝泊まりするんだよ?」
「まあ、そうなるわよね。あれかしら、荷物が多くなって大変とか?」
シャティはゆっくり首をふった。マリーと女将と三人で交互に見つめあい、揃ってため息をつく。
「あのね、お嬢様。よーく考えてみて?」
「外にはねぇ、家も井戸もトイレも何もないのよぉ?探索魔法でも使えない限り、周りに何がいるかわからない状態で食べたり寝たりしなきゃいけないの」
「…そうね」
うん、そっか、そうなるわよね。外で、寝る…トイレも…
「もっともーっと想像して。自分の今の生活を考えてみるのよぉ。朝ベッドで起きて、顔を洗って着替えてご飯食べて。掃除したり家の仕事手伝って、またご飯食べてベッドで寝るとかぁ」
「で、それが冒険者の場合は。硬い地面に寝袋一枚で寝る、慣れないと朝起きる時しんどいんだ。しかも夜は魔物が活発になるし交代で見張りをしてなきゃいけないから、朝までぐっすりとは寝られないよ?」
「そぉよー、しかも蚊とか虫もいっぱいいるしぃ。私ムカデが未だにダメ、一度寝袋の中に入られてねぇ」
「ひっ!?」
思わず想像して背筋が冷たくなる。
ム、ムカデ!?い、いっぱい虫が…そ、そうだ確かに、しかも横になるのは地面…
「もちろんお風呂なんて洒落たものないわよぉ。お嬢様はおうちにお風呂場があって毎日入ってるんでしょおー?」
「そうそう、そもそも外で服を脱ぐのって勇気いるんだ。隠す物も何もないし、川で水浴びとかしてると魔物が水飲みに来たりしてね。ボク鉢合わせしたことあるよ、素っ裸で」
「あーあれねぇ。私はやめろって言ったのよぉ、ちょっと汗かいたぐらいで命かけて水浴びすることないでしょうに。あの時は大変だったわねぇ…主に私が」
「あっはっはー、だって咄嗟に剣掴んで走ってこうとしたらマリーが止めるから」
「当たり前でしょ!若い女の子が裸で魔物と戦ってどうするのよ、そんなの誰かに知られたらお嫁に行けなくなるわよぉ」
「そんなことしてたんかい…それ、他の連中には絶対言うんじゃないよシャティ」
「い、言わないよ!いくらボクだって恥ずかしいしっ」
女将さんが呆れた顔で肩を落とした。あたしはそんな話を聞きながら、脳みそをフル稼働させている。
こ、これが冒険者の生活なの?想像の上を行っているわ、いやでも彼女達がしてることが一般的じゃないのかもだし、うぅ、でも、いや…
ぐるぐるとマリー達の会話が頭の中を回っている、あんなに固く決意していたはずなのに、なんだか気持ちが揺れてしまう。
「やっぱりそこまで現実的には考えてなかったようねぇ、顔に全部出てるわよぉー」
「ボクら、けっこうすごい生活してるでしょ?なのにこんな可愛いんだからー」
「自分で言うことかい。でもそうか、だからあんた達は村につくとすぐ宿に走ってって最初に風呂なんだねぇ。いつもお腹ぐーぐー鳴らしながらうちの店素通りしてくから不思議だったんだ」
「あはは、やっぱ女の子だしね。ていうかそんなにボクお腹鳴ってた?」
「今日も鳴ってたわよぉ貴方のお腹。食事して2時間もするといつも鳴り始めるの、どうなってるのよぉ」
そんな話も耳を通り過ぎていく。長年の夢が、決心が、根本からぐらぐら揺れてなんだか泣きそうな気分になってきた。
あたし、お風呂もトイレもベッドもない生活に…当たり前だと思っていた安全な暮らしがない場所に行くの?ううん、でも冒険したい…Sランクの冒険者になる夢が…
「おー悩んでる悩んでる、分かりやすいねお嬢様は。さらに過酷な現実があったりするんだけど、続けて大丈夫かな?」
「そうよ、冒険者ってのは移動が大変なだけじゃないのぉ。ギルドってあるでしょ?あそこで登録してぇ、冒険者として活動するにあたってまず最初にすべきこと。どんなに強くて頭がよくても一人で出来ることは限られてる。どれだけ信頼できる人とチームを組めるかにかかってるわよぉ、この仕事は。
変なのと組んじゃったりするととんでもなく苦労するはめになるわぁ」
女将さんが何か言いたそうにシャティとマリーをちらちら見る。さっきの話聞いちゃうと、シャティのこと信頼できてるのかなって疑問が湧くわね。なんかこの娘トラブルばかり起こしてる気がするし。
あたしと女将さんの視線に気づいたシャティがちょっとムッとして口を尖らせた。
「なんだよー、ボクって優秀なんだからね。剣の腕はちょっとしたものだし、手先も器用で色々できるんだよ!魔物を探す時とかも勘が鋭いっていつも褒められてるしっ」
「そうよぉ、ただのおまぬけさんじゃないのよね。私は、ぶ…不器用だし、本当にいつも助かってるわぁ。それにこの娘お料理もけっこう上手なのよ?意外でしょ」
「へぇ!そりゃ初耳だ、なんだいシャティあんたいつもは馬鹿なふりしてるだけかい」
「ちょっとー!女将さん酷すぎっ!」
うわ、意外すぎる。普段こんななのに、外ではちゃんとマリーに頼られてるんだ…
あたしは、じつはマリーに憧れていたりする。美人で大人っぽいし、強力な魔法をたくさん使う優秀な冒険者ってところにどうにも惹かれる。いつもからかわれちゃうけど、あたしみたいなおてんばな子供の言うことも馬鹿にしないでちゃんと聞いてくれるし。色々相談にも乗ってくれる、姉がいたらこういう人がいいなって内心ちょこっと思ってもいるのだ。
将来はあたしも、こんな人になりたい。この村で彼女に憧れてる女の子は実はいっぱいいる。もちろん男の子達にとっても憧れのお姉さんである。彼女が冒険者だからマネしたいって子も多分多いと思う、他にもたくさんの冒険者が村に出入りしてるけど、彼女は別格なのだ。
そんなマリーは長い髪を指先に巻きつけながら、ぽつりとつけたした。
「まぁ、でも。信頼できる仲間が見つからなくても、テイマーの才能がある人なら自分一人で全部賄うこともできるかもねぇ。使い魔を上手に育てる必要があるけどぉ、使い魔は絶対に裏切らないし忠実。聞いた話だけど、高ランクの人にはテイマーも多いんですってぇ」
「あ!パーティーメンバーがいらないと言えば大金持ちの貴族様だね!高ランク冒険者を専属で雇って移動はもちろん自家用の馬車!自分はたいして苦労しないで難易度高い依頼をばんばん受けてさー」
「そういう人達はお金でランクを買ってるってことよぉ、趣味が悪いわぁ。自分の実力で勝負しないと本物とは言えないでしょおー?」
ふーむ、貴族はともかくテイマーはいいな…あら、たしかクルルってテイマーになるんじゃなかった?ジャックちゃんを使い魔登録する予定だったはず。
テイマーかぁ…冒険者を目指す子供達が一度は憧れる職業の一つ。もちろんあたしも憧れて、ちっちゃい頃は村の猫を捕まえては首にリボンを巻いて使い魔ごっこをしていた。一度もあたしの命令なんて聞いてくれたことないけどさ。
テイマーの才能がある人は稀で、それも能力にはかなりばらつきがあるという話。
魔物と目があっただけでなつかれる人もいれば、戦って無理矢理契約しなきゃ使い魔に出来ない人もいる。
ちなみに才能が全くない人だと、よほど波長が合う魔物でない限りなつくことはない。なついたふりをして襲いかかってくる魔物さえいる。奴等は基本的に人間を餌としか見ていないのだ。
はーいいなぁ、テイマー。あたしにも少しくらい才能があればいいのに。
「テイマーといえば、クルル君戻ってこないわねぇ。どこまで行ったのかしら?子猫のトイレくらい店の脇でもいいと思うけどぉ」
「そういや遅いねー、ここに来るのは初めてだし道に迷ってなきゃいいけど。今朝聞いたけどさ、あの子猫は魔物なんだって?ありゃどのくらい大きくなるんだい?なんだかえらく小さいじゃないか」
女将さんが指をジャックちゃんの大きさに広げて見せた。たしかに、手のひらより小さいわよねあれ。何度見ても原種の子猫にしか思えないけど、賢者様が言うんだから間違いないはず。
でも、聞かれると不安になるな。
「ねぇ、あたしも気になるわ。マリー、ああいう魔物どこかで見たことない?」
今はひたすら小さくて可愛いジャックちゃんだけど、もしかしたらあたしより大きくなったりするのかな。
マリーはこめかみに指を添えて目を細くしている。物知りだし、似たような魔物の噂でも知らないかしら。
「猫っぽい魔物ねぇー。ケットシーっていうのが有名だけどぉ、あれってまず毛が白いのしかいないらしいわぁ。猫、猫…何かいたっけぇ?」
「ボクも聞いたことないなー。案外新種だったりして、これは育つのが楽しみだね」
「あり得ない話じゃないわねぇ。あの猫、妙に頭がいいし赤ちゃんのくせに大人しすぎるわぁ」
「それ!そうよ、猫の赤ちゃんてあんな静かじゃないわよね。あたしがしゃべってることも分かってるみたいだし」
「おや、噂をすれば。帰ってきたみたいだよ」
女将さんに言われて、ドアをノックする音に気がついた。みんな自然とドアに目がいく。
ノックなんかしないで入ってくればいいのに、あいつ案外行儀正しいのかしら。
「女将、入るぞ」
ドアを開くと同時に聞こえた声はクルルじゃなかった。うげ、この声は。
「キャシー!やはりここにいたのだな、迎えに来たぞ」
見たくもない顔が現れてうんざりする。マリーとシャティも目付きが険しくなってる、女将さんだけは笑顔だわ。
重そうなレースがびらびらと着いた派手な服のこいつは、あたしがこの村で一番嫌いな奴。
うっとおしい金髪をわさわさ揺らし芝居がかった動きでこっちへ歩いて来る。後ろには腰巾着達が控えていた、こいつらも服の趣味が悪い。
「やぁロドリック、今日はずいぶんとかっこいいじゃないか。その服は王都の流行りかい?」
「さすが女将!これは今王都で最も新しいデザインなのだよ。ウェスリーニューズでも特集を組まれていてね、これをここまで着こなすことが出来るなんてボクは自分の美しさが恐ろしい」
「へー、さすがだねぇ!いい男ぶりだよ」
感心したようにレースだらけの衣装を眺める女将さん、なんで彼女にはあいつがかっこよく思えるのか理解に苦しむわ。
なんでか知らないけど、こいつは年上の女性にはやたら可愛がられている。年の近い女の子達からは避けられているが。
笑顔の女将さんと得意気なロドリック。対照的に冷えきった目のあたし達。
奴の服を嫌そうな顔で見ていたマリーが、その後ろのお取り巻き達の格好を見てさらに顔をしかめる。
「ねぇお坊っちゃまぁ?ウェスリーニューズの記事、ちゃんと読んだのぉ?」
「ボクも先週のなら読んだよ。それってナントカっていうデザイナーの服だよね?あの特集に出てたやつでしょ、「ダニエル様に着てもらいたい服トップ10」!あれの1位だっけ」
「あー、それそれぇ。貴方よく覚えてるわねぇ」
「いやー、ものすごい服ばっかりだったから目に焼き付いちゃって。ちなみにそれ、ダニエル様以外には着てもらいたくない服っていうランキングにも入ってたよー」
「あらぁ大変、王都には着ていかないほうがいいわよぉー。ダニエル様ファンクラブのご令嬢方に囲まれて冷たい目で睨まれちゃうわねぇ、むしろ離れた場所からヒソヒソ噂されながら指さされて嘲笑われちゃうかもぉー。たいしてかっこよくもない奴がそれ着てたら皆の大切な勇者様のイメージが傷つくものねぇー」
「………」
お、ちょっと堪えたみたい、珍しいわ。笑顔のまま固まってるし肩がちょっと震えてる、こいつにもそういう感情あったのね。お取り巻き達も何か言いたそう、頬が赤くなってる。
あら、ちょっとロドリックったら…なんか目尻にキラッと涙が…な、なんか可愛そうかもしれない。確かに趣味悪い服だけど、そこまで言うことなかった、かも。
「マリー、あの、ちょこっと言い過ぎかもしれないわ、人の好みはそれぞれだし」
「またお嬢様はぁー…そういう甘いこと言うからぁ」
呆れ顔で頭を掻くマリー。あ、しまった、そうだった!
「あぁキャシー、今日も君はメガミのように麗しい…そんな君に釣り合うのは、この美の化身たるボクしかいない。こうして目を閉じるとキミのウエディングドレス姿が目に浮かぶようだ、結婚式は王都の教会で盛大に祝おう、新婚旅行は大型船を貸し切って聖都に行くのも楽しそうだね」
さっきまで青くなってぷるぷるしてたくせに、一瞬で満面笑顔になったロドリックが恍惚としながら叫んだ。あたしに向かってひざまずいて両手を広げてる。
「はぁ!?何言ってんのよ馬鹿じゃないの!あんたいつも気持ち悪いのよ!」
「はっは、照れることはないマイハニー。さぁこのボクの胸に飛び込んでおいで!ウェルカム!」
うわー話通じないモードになっちゃったー、この状態のロドリックは心底気持ち悪い!
いつもこうなんだ、うう、マリーとシャティが「あーあ」って顔で見てる。
昔からこいつがアホなことやって皆に冷たくあしらわれてるのをつい可哀そうになって庇うもんだから、いつのまにかあたしはこいつに好かれてしまっていた。こっちはそんなつもりサラサラないのに。
「君の瞳は星の瞬き、その髪の美しさは女神さえ嫉妬させる…ああ、どうしてこんなに美しいんだキャシー」
「寄るな!正気に戻れ馬鹿、あああもう気持ち悪いことばっか言わないでよもー寒気がするー!」
胸に手をあてた後あたしに右手を差しのべつつ頬を赤らめこっちにじりじり近づきながら痛いポエムみたいなのを呟いてる、聞きたくないのに聞こえてくるそのキモい言葉に鳥肌が立つ。あたしのことを褒めてるつもりなんだろうけどひたすら気持ち悪い。
カウンターの前で奴から距離を取ろうとわたわたしている私の横から、にゅっと何かが差し出された。見ればマリーの杖がロドリックの胸に向けられている。
「おいっ!坊ちゃまに武器を向けるな、無礼だぞ!」
「そうだそうだ、たかが冒険者風情がなんということをするんだ!」
それを見て奴のお取り巻きが騒ぎ出す。
「冒険者風情、ねぇ。嫌がる女の子追い詰めてる変態に言われるのは心外だわぁー」
「そうだよこの顔見てみなって、心の底から拒否ってるじゃん。ほら正気に戻れー、戻ってこーい」
シャティがあたしの横に立って庇ってくれる。た、助かる、こいつに手とか握られると寒気がするのよね。油断すると肩とか抱きかかえてくるし、もはやセクハラだわ。
シャティの言葉にロドリックがはっとしてあたしの顔を見た、すかさず睨み返す。
あ、また悲しそうな顔になっちゃった、でもやっぱりああいうこと言われるの嫌だしもうほっとこう。
意気消沈したロドリックに気づいたお取り巻き達が慌てて群がる、こいつらも本当に暇なのね…
「まったくぅ、いつも懲りないわねぇ。でも、もう貴方がキャシーにちょっかい出すのはダメよぉ、彼女には素敵な護衛が出来たんだからぁ」
「そうだぞ!もうキャシーにはクルル君がついてるんだからね」
「え!?ちょっと何の話、あいつはただのお客さんよっ」
マリーとシャティが変なことを言い出した、一体何を言ってるの?
女将さんもびっくりしてる、あいつがあたしの護衛?なにそれ?
ロドリックが目を丸くしてこの世の終わりみたいな顔になった。
「あ!?坊ちゃんきっとあれですよ、教会に新しく引き取られたっていう獣人のガキ!」
「そうか、教会で預かるにしちゃ大きいと思ったんだ!村長が根回しして連れてこさせてお嬢様の付き人にするつもりなんだ!きっとそうですよ!」
お取り巻き達がまた訳のわからないことをヤツに吹き込みだした、ほんとこいつら何なの。
案の定それを聞いたロドリックの顔がみるみる赤く染まっていく。
「なんだと…それは本当なのか!?そんな、よりによって獣人など!」
「いやあのちょっと、そんな話ないから」
「許さん!獣人の分際で愛しのキャシーの傍にはべるなどと!あんなみすぼらしい不潔な野暮ったい美しくない奴なんて、俺のほうがずっと彼女にふさわしいはずだ!」
むっ。
みすぼらしい?不潔?野暮ったい?
その言葉を聞いてなぜかムッとしていると、マリーとシャティが目を見合わせてにやりと笑う。
「ミー…」
「は!?ジャックちゃんっ!」
か細い鳴き声が聞こえたと同時に食堂のドアにシャティがはりつく。い、一瞬でそこまで。
バーンと音をたてて開かれたドアの向こうには、肩に子猫を載せたクルルが唖然と立っていた。
「誰だか知らないが今取り込み中なのでね、すまないが遠慮してくれたまえ!それよりその獣人は一体何のつもりなんだ、もしや護衛だなどと理由をつけてキャシーにつきまとっているのではないか!?許さんぞそんな不埒もの!」
開いたドアをちらりと見ただけですぐこちらに向き直ったロドリック。でも後ろのお取り巻き達は気づいたらしい、驚愕の表情でクルルの頭からつま先までを二度見している。そっか、髪型変わったから別人みたいになってるんだっけ。
あたししか見えてないロドリックと背後を振り返ったまま固まってるお取り巻き達。肘に顎を載せてニヤニヤしてるマリー、シャティは…ジャックちゃんに威嚇されて悶えてた。
「お坊ちゃま、噂の彼は後ろにいるわよーぅ?」
「なに!?」
グルンと腰を回して真後ろを振り向いたロドリック、その不自然な動きにクルルは驚いたらしくビクッと肩を震わせていた。足場が揺れて落ちそうになったジャックちゃんが慌てて首にしがみつく。
「んがっ…?う、に?」
ロドリックはクルルの顔を見てショックを受けたように全身固まってしまった。目線だけぐるぐる動かし、口の中でわけのわからない言葉を飲み込む。
見つめあって動かない二人を嬉しそうに眺めながらマリーがぼそりとつぶやいた。
「…お嬢様はぁ、ちょっとワイルドでぇ、野性的な男が好きなのよねぇー?お上品な貴族然とした優男より頼れる肉体派がお好みよぉー」
「…!?」
なぜか落雷に打たれたようにビクビクとロドリックが震え、そのまま崩れ落ちた。慌てて背中を支えるお取り巻き1号(仮)。
「ぼ、坊ちゃま!?お気を確かに!」
「ワ、ワイルド…っ野性的…うぅ、ぐふう!わあああああん!!」
「あぁ坊ちゃま!?ど、どうなさったのです、お待ちくださいー!!」
なんか涙をキラキラさせながら一目散に店から飛び出したロドリックを追って、お取り巻き1号2号も走っていってしまった。
咄嗟にドアの前を譲ったクルルとジャックちゃんが、ドアの外とあたし達を交互に見て唖然としていた。
 




