29話 子猫、ちょっと考えてみる
お、このへんがいいな。
背の高い草むらの下へ、ずりずりと潜り込んでいく。
程よく乾いた土の地面を探し肉球で念入りにふみふみふみ。おもむろに姿勢を正し気合を入れる。
…ちょー…
ふう、すっきりした。
うーむ、だがやりっぱなしというのはやはり落ち着かないな。猫らしくせめて砂をかけて埋めておきたいところだ。早く大きくならねば。
そんなことを思いながら、また這い這いと今来た方向へ戻っていく。距離にして30センチくらいしか離れてないとか、そんな現実は見ないふりである。
「ジャック、もういいのか?」
「ミー」
這い這いしていって草の影から顔を出すと、しゃがんでこちらを覗きこんでいたクルルに呼び掛けられた。
ちょいと抱き上げられ、その肩に乗せてもらう。この、持ち上げられる瞬間のふわっと浮く感じがたまらない。
クルルの顔と並んで清清しい気分で風にふかれる、やはり高い所はいい。地面に足をつけていると全く見えない景色だ。
また落ちそうでちょっと不安ではあるけれど、この見下ろす感覚には代えられない。いつも自分以外のあらゆる者から見下ろされてるんだもん、俺。
クルルの肩の上、バランスのとれるポイントを確認しちょこんと座り、隣をしげしげと眺めた。
あのボッサボサだった髪がすっきりさっぱりしたお陰で、今までろくに見えなかった顔がよく見える。じろじろ、ふむふむ。
鼻が結構高いのがちょっと気にくわないですね。睫毛も長めですね、くそぅ。
でも髪の毛切る前はどこまでが身か分からなかったけど、これならいざって時落ちないようにしっかりしがみつけるな。主に教会のちび悪魔達に捕まりそうな時とか。
それに気のせいかもしれんが、臭いも薄くなったようだ。すごく臭かったって訳じゃないんだけど、いややっぱなんかこいつ泥臭かったわ。
そういやこの世界って風呂とかないのかな?こいつもエルフのじいさんと兵士達も、みんな濡らした布で身体拭いてただけだし。でも旅先だったからかもしれないなぁ。
うーん。
スリスリスリ…
「くすぐったい、ぞ」
…は。
無意識にクルルの顔に身体をすり付けていた、なんか俺の匂いつけなきゃいけない気がするんだよね。これって猫の本能?
スリスリ、ぐりぐり。
顎や頬や首に必死に臭い付けをする俺を撫でながら、クルルはなんだか嬉しそうだった。
獣人の少年と小さな子猫の仲睦まじいじゃれあいを見た村人達が口許を緩ませる。そして誰ともなしに優しく呟いていた。
「シンシア様、今日も村は平和ですよ…」
春先の暖かな日差しが降り注ぐ場所、彼女の見守る小さな丘を見上げながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コポート村から程近い森の中を、ある冒険者の一団が歩いていた。うっそうと生い茂る木々から漏れる日射しが、その泥で汚れたブーツを照らす。
皆一様に表情は暗く、その動きにも疲れが見える。
そろそろ中年に差し掛かるであろう弓を背負った男が、ふいに眉をピクリと動かした。
「なんだ、どうした?魔物か」
「いや、なんか…肉を焼くような匂いがしないか?」
彼らのリーダーを務める青年が腰の剣に手を掛けると、弓を持った男が鼻をひくつかせた。大きな盾を背負った大男がキョロキョロと周りを見回す。
「どっかで野営でもしてんじゃねーか」
「違う、パンを焼く匂いもする。それにこりゃ焚き火じゃねえ、竈の匂いだ」
その言葉を聞き皆で周囲を見回す。目には期待と不安が半分ずつ、もう歩きたくないくらい疲れきっているのは全員同じなのだ。
前方へと続く踏み固められた土の街道に、分かれ道があるのが見えた。その細い道の方向から匂いがするらしい。
ここしばらくの彼らは散々だった。
新しくパーティーに加わった若い魔法使いが数日で突然出て行ってしまい、それにより大幅に戦力が下がったせいでオークの群れの討伐に失敗して。逃げる途中でグレイウルフに追われ二人が怪我を負った。
やっとの思いで町に戻るも、期限内に依頼を達成出来なかったお陰でかなり高額の賠償金を払う羽目になり。おかげでまたすぐ依頼を受けて休む間もなく出発となって、先程からくも依頼された魔物を仕留めたばかり。
彼らは年季も入りそれなりに名の知れたパーティーなのだが、ちょっとしたミスや見落としが重なった末のこと。巡り合わせが悪かったとしか思えない。
冒険者と一言で言ってもやることは様々で、その懐事情も千差万別。
ギルドからの信頼も厚く実力を備えた普段の彼らであったら、こんな金に困るような事態はあり得ず、例年通りならこの時期は慌てることもなく淡々と依頼をこなしてきたはずだった。そんな毎日を疑問に思うこともなく。
ふと、思った。
こんな失敗がもうないと誰が言える?今回は軽い怪我で済んだからいいものの、もし動けないような重症や命を失うようなことがあったら?その時、自分達は満足して女神の元へと旅立つことができるのか?
そんなことを鷹揚と考えながらも、彼らの足は森の小道を進んでいく。
村があればいいのだが、この森にそんなものがあるなど聞いたこともない。もしくは誰か物好きな奴が隠れすんでいるのか。だがしかし、この森は魔物が多く危険が伴うはずだ。
ふと思い返してみれば、こんな道は今まで見たことがなかった気がしてきた。この広大な森を通るのは一本道であり、分かれ道などなかった。
もしや疲労の余り幻覚を…まさか気づかぬ内に魔物の眩惑魔法にかかっているのでは…不安がどんどん大きくなっていく。
だが、ふいに風向きが変わり今度こそ全員がその気配を感じとっていた。
怪しむ気持ちと期待する思いが一瞬せめぎあい、誰からともなく足を速め歩き出していた。鼻孔をくすぐるような、香ばしい香りのするほうへ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食堂でクルルが髪を切り終わると同時に俺が尿意をもよおしたため、道から少し離れた草むらでいつものように致した訳だが。
ちょっと思ったんだけど、この世界って…皆ちゃんとトイレ行って用を足してるっぽいんだよね。なら、いくら今は猫の身とはいえ、中身は人間なんだから俺もトイレに行きたいなーって。これ、なんとかジェスチャーで伝える術はないものか?
今までは仕方ないと思って原っぱとかで野グソしてたけどさ、クルルはウロに俺が人間だってことを聞いたはず。なら、人間として扱えるとこはちゃんと人間として…あ、いや待て。
仮に、俺がトイレに連れてってもらえるようになったとする。
でも、んー、和式にしろ洋式にしろ俺が便座でふんばるとなると…なんか命の危機or尊厳の危機な気配がする。
もし万が一そんなとこに落下してしまったら、もう誰もだっこしてはくれないだろう。うん、小動物としてそれは困る。
よし、今まで通り野グソでオッケー!安全第一だ。
「ジャック、さっきからどうしたんだ?何か、悩んでる…のか」
すぐ真横から声が聞こえて一瞬怯む、そうだ、肩の上にいたんだった。やべ、もしかして俺百面相してた?
大丈夫だぞー、もう自己解決したぜー。スリスリスリ。
俺がごまかすようにまた身体を擦り付けると、微かに口の端を上げるクルル。俺の頭はふわふわだろー、ほーれスリスリスリ。
なんてことしてたらもう食堂に戻ってきたぞ。うーんいい香り、夜の分の仕込みかな?
来たときは開け放たれていた店のドアだが今は閉ざされ小さな木の札が下がっていた。「準備中」とか書いてあるんかな、これ。
俺を乗せたクルルがドアの前で立ち止まり、なんかそわそわしだした。なに止まってんの、入って問題ないんだぞ、俺らは事前に許可とってるんだし。
「ミー」
肩の上で励ますように鳴くと、クルルはちょっと驚いたように俺を見た。なのでとりあえず力強く頷いてみる。クルルは唾を飲み込んで口をぐっと引き結びこくりと頷いた。なんでドア開けるだけでそんなに緊張してんだ。
かなりの及び腰でゆっくりとドアを開くケモ耳少年。
まったくもう、俺よりビビりな時があるなこいつは。こういうドアに嫌な思い出でもあるのか?
ガチャ
「あぁキャシー、今日も君は女神のように麗しい…そんな君に釣り合うのは、この美の化身たるボクしかいない。こうして目を閉じるとキミのウエディングドレス姿が目に浮かぶようだ、結婚式は王都の教会で盛大に行おう、新婚旅行は大型船を貸し切って聖都に行くのも楽しそうだね」
「はぁ!?何言ってんのよ馬鹿じゃないの!あんたいつも気持ち悪いのよ!」
「はっは、照れることはないさマイハニー。さぁこのボクの胸に飛び込んでおいで!ウエルカム!」
…パタン。
ドアの向こうの光景を一目見て、クルルはそっとドアを閉めた。
えーっと、今の何?
上着にもズボンにもレースがびっちりついた舞台衣装みたいのを着たくるくる金髪ロン毛のにーちゃんが、ひざまずいて何か叫んでた、ような気がするんだけど。
「ミィ?」
「………」
クルルと二人、無言で見つめあう。どうしよう、中に入りたくない。棒立ちする俺たちの前で、ドアに吊るされた小さな木の札がカラカラと音をたてていた。




