28話 幕間 元勇者の憂鬱2
足早に客間へと去っていく大きな背中を見ながら、そろーっと視線を周囲へと巡らせる。
顔を赤くして立ちすくむ令嬢もあれば、真っ青になって人に支えられている令嬢もあり、なぜか顔を押さえて天井を仰ぐ紳士も見受けられる。なんだか静かだなと気づいて演奏席を見てみれば、楽師達も揃って顔を見合わせどよめいていた。
呻き声と啜り泣きとため息に満ちた静かな阿鼻叫喚と言える光景であった。
「さ…さすがですね。あれっていわゆる」
「お姫さま抱っこ、だよな。こりゃあしばらく荒れるぞ」
二人して戦々恐々としつつ呟き合う。彼に抱き抱えられて退場したのは、たしかエディドワール家の三女だったはず。これは強烈なデビューになってしまったものだ。
彼と踊る順番はいつもあらかじめ決められていて、その日が社交界デビューという令嬢は優先的に最初の相手になれる。むろん、屋敷で蝶よ花よと世間知らずに育てられた深窓の令嬢ばかり。僕達からすると一種の度胸試しのようにも見えるが、この国の女性の多くは社交界で彼と会うことを何より重要視している、なので件の令嬢もおそらく今日の日を指折り数えて心待ちにしていたであろうことは確実。家族と使用人以外の男とまるで接点がない状態から、いきなりあの美形と出会うのだ。
「また一人、未来の俺の花嫁候補が消えた」
「そ、そんな大袈裟な…」
「大袈裟だと思うか?」
諦めの混じった声とともに、近くにいた他の紳士がみんな沈痛な面持ちで遠くを見た。
僕もなんだかちょっと絶望的な気分になって、一緒に遠くを見てみるのだった。あー、一度でいいから彼に興味のない女性と出会いたいものだ。
気絶した少女を客間のベッドに下ろし、メイドに託して廊下へ出る。おや、珍しい…今この廊下には僕一人だ。
ちょうどいい、あの娘には悪いが、まだ介抱している風を装って少し一息ついていこう。あの広間に戻ったらまたダンスが続くのだろうから。
「はぁー…」
何故だろう、この頃いつも誰かしら傍についていて一人になる時間がまったくない。壁に肩を預けて数秒ほど窓の外を眺めていると、広間のドアがキィと音をたてた。
「よう勇者様、ずいぶんお疲れじゃないか」
静かにドアを閉じると同時に、耳に心地よい低音で僕を呼ぶ。彼は幼馴染みのギリアム、騎士団でも共に働いている親しい友だ。一瞬緊張したが、部屋から出てきたのが彼一人だけだったので少しほっとしてしまった。
ギルが両手に持っていたのはグラスだった。二つの内一つを僕に渡すと壁に背を当て、軽く寄りかかる。毎日見てる顔なのに、お互い仮面をつけているから少し違和感があるな。
薄く繊細な硝子でできたグラスに口をつけ、冷えたワインを一口飲み込む。ありがたい、いつも舞踏会では踊ってばかりでほとんど飲み食いできないのだ。
「こういう場所で会うのはひさしぶりだね、家はいいのかい?」
僕の言葉に照れたように頭の後ろを掻く。彼は少し前に結婚したばかりで、仕事が終わるとすぐ城からいなくなり自宅で過ごす日々が続いている。羨ましいくらい奥方と仲が良く、たまに仕事中でも惚気を聞かされることがあった。
「ま、新婚だがこういう招待は断れない時もあるのさ。家が落ち着いたら今度は夫婦で出席することになる、その時改めて嫁を紹介するよ。
それにしても相変わらずだな、見たぞさっきのアレ。ありゃまずいだろ」
「まずい?何がですか」
「お前…いや、まぁいい、そういう奴だったな」
無自覚だから始末に負えないとか、口の中で小さくぼやいている。
僕は何か失敗したのだろうか。広間で起きた変わったことといえば、倒れた女性を運んだくらいだが。無断で女性に触れるのは確かに宜しくないが、あの場合は仕方ないだろう。
「はぁ、助言してやるがお前は独身でいるから忙しくなるんだ。ちゃんと寝てるのか?目の下にクマができてるぞ。俺のように身を固めれば、招待状があり得ない程来たりあちこちから呼び出しをくらったり、ここまで引っ張り回されることはなくなる」
「そうなんですよね…ここ数年招待状がものすごいんです、おかげで他の時間がとれなくて。でも僕は、愛してもいない女性と結婚する気にはなりません、相手にも失礼でしょうし」
「いやいやお前が相手ならそういう結婚でも相手は幸せになれると思うが…話は山ほど来てるってのにもったいない。俺なんて嫁一人口説き落とすのにどれほど苦労したことか」
恨みがましく片眉を上げ目を細めてこちらを見る友人に苦笑で応える。
僕のような体が大きいだけのつまらない男、元勇者で騎士団長だから憧れを持って騒がれているのだろうに。家柄だけはいいから確かにそういった話はたくさん戴いている、しかし家のために無理やり熊のような大男の元へ嫁がせるなんて相手の女性が気の毒すぎるだろう。
ギルは大きくため息をついてから口を開きかけ、うーんと呻きながら首をひねり何か悩んでいるそぶりを見せた後、改めてこちらを向いた。
「よし、じゃ結婚までいかなくても一度婚約者とか選んでみたらどうだ。友人として付き合うのでもいい。
少しでも可愛いとか、いや、その気が合いそうな、趣味とか共通の話題がある女性に心当たりはないか?なんなら俺が紹介してやる。案外、一緒に過ごしてみたらお互い好きになるかもしれんぞ。馬に乗って一緒に駆けたり、舞台を見に行ったりな。ちょっと想像してみろ」
ほう、それは…うん、それなら確かに、こういった舞踏会や晩さん会で大勢と会うより、相手が一人なだけ気楽かもしれない。
話のわかりそうな女性がいたら訳を話して、お互いに相手が見つかるまでの隠れ蓑になってもらうのが理想的だ。家柄や肩書きだけなら僕もそれなりのものだと思うし、悪い話ではないはず。
貴族というのは家の繋がりを重要視する、見合いの話に辟易しているのは男も女も同じだろう。こう毎日次から次へと多くの人に会うより、落ち着いて婚約相手を考える時間が持てる。
「お、乗り気みたいだな。頼むぞ、せめて二、三人は相手を選んでおいてくれ。でないと紳士諸君に嫁のあてができないからな」
「?」
なんの話だろう。
しかしいい事を聞いたものだ、さすが悪友。女性と親しくなることイコール結婚だと思い込んでいたが、目が覚めた気分だ。
さっそくダンスの合間にでも…うーん、なんと声をかけたものか。とりあえず僕と同じように独身で、親や親戚からの見合い攻勢に困っていそうな、出来れば頭の回転の良さそうな女性がいいかな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ざわざわと落ち着かない空気の漂う広間の隅で、カナッペをつまみながらワインを飲む。給仕の者達は顔に出さぬよううろたえ、棒立ちで震えていたりトレイを持って右往左往したりしている。あまりに気の毒なので大丈夫だよ、と笑顔で目配せすると安心したようにそれぞれの作業へ戻っていった。
さて今日の宴の主催者は…あ、反対側で大勢の令嬢と紳士淑女の質問攻めにあってる。気の毒に。演奏は中断したまま、もはやダンスどころじゃないこの雰囲気、さてどうなることやら。
キイイ…
ドアが軋む音がして広間中の物音がピタリと止む。彼が戻ってきたらしい。
「おや、どうなさいましたみなさん?」
低く色気のある声、これはギリアム様だろう。びっくりした、彼も一緒にいたのか。
しかしさすがはギリアム様、この微妙な空気を察して目線だけであちこちへ指示を出すと、演奏はゆるやかに再開され場のムードも穏やかに変わった。動揺していた人々も、彼とギリアム様に笑顔で話しかけられると我に返ったように慌てて優雅に装いだす。この分ならもう大丈夫か。
「さて、せっかく来たんだしもう一曲くらい踊っていかないか?」
「そうですね」
人の波が動くのに合わせ、僕らもソファから離れ歩き出す。
ギリアム様に誘われ、彼がダンスを再開するようだ。さっきまで泣きそうな顔で(泣いてる者もいたが)どよめいていた令嬢達だが、もう立ち直り互いに目線でダンスの順番を確認しあい…順番は前もって決まっているはずなのだが、一番手前の女性たちがものすごい笑顔で睨みあっているように見えるな。
彼の前を譲らず笑顔で見つめあう二人の美女に、ギリアム様が何事か囁く。美女二人は悔しそうにすごすごと彼の前を離れ後ろのテーブルのほうへと移動していった。
そうか、あんな事件があった後だし手段を選んでいられないというところか。女って怖い。
そしておっかない美女二人が大人しく引き下がったところで、本来の順番通りと思われる一人の令嬢が優雅に歩を進めてきた。おや、ハイヒールではないらしい、靴音がしない。若い貴族の女性にしては珍しいな。
大柄な彼の正面に立って嫣然と微笑んだのは、黒い仮面に見事な黒髪の素晴らしい美女だった。
「イザベル…」
「まさか、あの方が…?」
周りで息を潜めて様子を伺っていた人々が、口々に囁きあう。
彼女の名は僕もよく知っている。氷のイザベル、どんな男が相手でも全く相手にしないことからそう陰口を言われているが、その勝気そうな翠の瞳、長く豊かな漆黒の髪、化粧が濃い訳でもないのに真っ赤に濡れたようなふっくらした唇。なんというか、目を惹かずにはいられないほど魅力的な女性なのだ。
「聞いていないぞ…あの黒薔薇が彼を狙っているだなんて」
「僕も知りませんでした、彼女は今まで彼のお相手になったことはなかったはずですが」
なんてことだ、隣の青年貴族が泣きそうに顔を崩してわなないている、僕も相当ショックである。
彼女だけは、彼女だけは彼に夢中になっていないと思っていたのに。どう間違っても僕らのような平凡な男のものにはならないけれど、彼以外の男性にも淡い期待を持たせてくれた救いの女神が、まさか。
白い仮面の青年が、黒い仮面の美女と優雅に踊り始める。わぁ、僕らも驚いてちょっとひどい顔をしてしまったが、少し離れて周りを囲む少女淑女達の顔はもっとすごかった。扇で隠してるのにけっこうわかる。
それにしても大柄な彼と並ぶとたいがいの女性は子供のように見えてしまうものだが、このイザベルは相当背が高いようだ。踊る姿が、すごく絵になる。それが余計に彼女らの心を掻き見出し、赤くなったり青くなったりさせるのだろう。
時間が経つのが長く感じられたが、そろそろ曲が終わる。次に踊る令嬢が決死の覚悟を感じさせる表情で、かすかに震えながら一歩前へ踏み出した。
その時、踊り終わったイザベルが胸元の扇をさっと広げ口元を隠し、正面にいる彼に何事か囁く様子が見えた。彼の水色の目が驚きに見開かれる。
「………」
彼は真剣な顔で何事か囁きイザベルの手を取ると、皆に一言断り広間の端のバルコニーへ向かって歩いていった。唖然と見送る人々をそのまま置いて。
「…何が起きた」
「僕にもわかりません」
唯一わかるのは、少し離れた場所で踊っていたギリアム様が頭を抑え天を仰いでいることだけだった。




