27話 幕間 元勇者の憂鬱1
今回ちょっと長いお話なので、二つに分けて載せます。地道に更新、がんばります。
「ダニエル様?」
「…はっ」
馬車の震動が気持ちよくて、ついうたた寝をしてしまっていた。気恥ずかしさをごまかすように、首元の黒いタイを整える。
「…もうすぐ到着いたします」
かすかに笑いをかみころしながら言うと、御者席の窓が閉められた。彼は僕の屋敷に勤めて数年たつが、こんな気の抜けた姿を晒してしまったのは始めてかもしれない。
あぁ…もう着いてしまうのか。馬車を可能な限りゆっくり走らせてもらったが、寝不足を解消するにはさすがに無理があったか。
今日の舞踏会は…バッテロン伯爵家、だったろうか?
ここ数年毎晩のようにあちこちへ招かれていて、もはやいつどこへ行って誰と会ったのか覚えるのは不可能に近い。礼儀を欠いては、と始めは必死に書き留めていたものだが、もはやそれも諦めた。家名と人名と、そういった事柄だけで本が何冊かできそうだ。
僕が昔勇者であったことから、色々な方が交遊を求めてくる。華やかな集まりに招待してもらえるのはとても嬉しい、しかしこう数が多いと辛い。だがこれでもそのほとんどを断っているらしく、執事達が悲鳴をあげていた。文句など言えようはずもない。
父も僕も断りの手紙を書く暇が取れず、ほぼ全て彼らに任せているのである。毎晩遅くまで、自室に持ち帰ってまで書いてくれているのだ。月に何通の招待状が来ているのかは怖くて聞けなかった。
「はぁ、疲れが取れませんね」
肩を回し、コキコキと鳴らす。腰も膝もだるいような気がする、これからダンスを何時間踊ることになるのだろうか。
仕事柄、身体はかなり鍛えている自信がある。だが、ああいった場では疲れ方が異なるというか、使う体力が違う気がするのだ。
これから行くのが格式の高い舞踏会でないのは救いだが、今から気が滅入る…
だけどげっそりした寝ボケ顔を見せる訳にはいかない、僕はこの国を護る騎士団の団長なのだから。
人々の夢見る元勇者という理想を壊さないためにも、今夜も頑張らないと。
…それにしても、疲れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
城下町の中央街、俗に貴族街と呼ばれる区域。そのやや東側、ひときわ明るく光に包まれた場所があった。
広大な敷地に広がる庭園の木々はみな、無数の小さなランタン型の魔道具で飾られ淡く優しい輝きを纏っている。一般に出回る魔道具のように強すぎる光と火事の危険がある代物ではない、ごく微弱な灯火のような光を安定して維持させる玄人好みの一品であり、これほどの数を惜しげもなく野外で使用していることからも、この屋敷の主が名実ともに上流階級であることが伺えた。
幻想的な光の森、石造りの道を進むと、立派な屋敷の前には多くの馬車が並び、華やかに着飾った男女が一人また一人と案内されていく姿が見えた。
今宵はバッテロン伯爵が仮面舞踏会を催すということもあり、社交界の主たる貴族のほとんどが集まる予定ではあった。が、そこにとある人物の出席する旨が伝わると参加者は倍増した。予定が合わず一度招待を断っていた某公爵までもが、今この場に降りたっている。
屋敷の前で案内の者達があまりの招待客の多さに内心慌てている頃、大広間では到着の早かった者達が思い思いに過ごしていた。
みな、その顔には目許だけを隠す小さな仮面をつけている。仮面をつけている事が参加者の証であり、使用人達はこれをつけていない。仮面だけでなく仮装をするものもいるため、区別するためにそうしているのだという。
猫足の大きなソファの前で羽飾りのついた仮面とドレスに身を包んだ令嬢が、黒と赤の禍禍しい仮面の紳士となごやかに歓談している。
「それで仕留めたまでは良かったのですが、その魔獣のあまりの重さに侍従の馬が機嫌を損ねてしまいましてね」
「まぁ、ほほほ」
「それはすごいな」
狩りの自慢をする仮面の若者は、傍らで上品に笑う令嬢と知りあいの貴族青年の様子に気を良くしていたが、ふいに耳に届いた会話に苦々しい笑みを噛み殺した。
「…ねぇ貴方、お聞きになりまして?」
「もちろんよ、今日はあの方がいらっしゃるのでしょう?」
「やっぱりもう少し髪をあげたほうがよかったかしら、ねぇリボンは曲がってない?緊張してきたわ」
やはり彼が出てくるとなると、どの女性もまともにこちらを向いてくれなくなるな。若者がそう思い小さくため息をつくと、あちこちで似たような困り笑顔を浮かべた紳士がいた。
隣の青年貴族と目が合うと、互いに広間のドアを見て小声で笑いあう。
「ま、分かってたけどな。彼がいるとなると女性をくどくのは不可能になるね」
「そうですねぇ、これを見る限り、限りなくむずかしいように思えます」
周りを見回すと、ほぼすべての顔がちらりちらりと彼らと同じようにドアのほうをやたら気にしているのだ。自分の傍で会話に相槌を打っていた令嬢も、いわずもがな。
「…僕も彼には憧れているし、彼女らの気持ちもわかるよ。でも、なぁ」
「はい。出来れば隣に並びたくはないです」
二人して深く頷き合う。
意識するしないに関わらず、彼とうっかり並んで立とうものなら、その身長差もさることながら体格や服装諸々を比較されることとなる。
彼はこういった社交の場では極端に地味な格好でいることが多い。しかし纏うのがあの方ではどんなに地味な衣装でもみすぼらしくはなれないのだろう。
飾りの類いは一切ないが素材は一級品なそれらの衣装は、巷では「着るものを試す服」と呼ばれている。彼が着ているのを見て自分も同じ服をと仕立てさせたある青年が、実際に袖を通して鏡を見た後、自宅の最奥にそっと封印したというのがきっかけだ。ちなみにその青年というのは…
「今日もきっと、人々を試す服を着てらっしゃるんだろうな。ははっ、わかってるのに直に見るとすごく良い服に見えるんだよ、あれを着たらああなれるんじゃないか、って」
自嘲するように言ったその肩を抱き、慰める。
君だけじゃないよ、実はうちにも…若気の至りで仕立てさせた、彼とそっくりお揃いの夜会服がしまいこんであるのだから。もちろん、サイズは二周りほど違うけれど。
「あ!い、いらっしゃったわ…!」
「すー…はー…」
「お、落ち着くのよ私、淑女らしく悠然と…」
どよめきが聞こえてきた、どうやら彼の馬車が到着したようだ。
広間のあちこちで深呼吸する者が見受けられる。動揺しているのは年若い令嬢達だけでなく年齢も性別も家柄も様々な者達が、それぞれの思惑を胸に固唾を飲んでドアが開くのを待ち構えていた。
「今日こそ決まると思うか?」
「あぁ…どうでしょうか。この前噂になった姫君も結局婚約には至らなかったそうですし、やはり今は亡き聖女様を想ってらっしゃるのでは?」
「やはりその説が有力そうだな。でもそろそろ決めといてもらわないと、またどこかで争いになる」
「ですよね…誰を選んでも血を見るとわかってますし、早めに決めておいてほしいところですね。でないと僕らが一生結婚できそうにない」
「…笑えないな」
この国の、とくに貴族の女性の未婚率はちょっとしゃれにならないことになってきている。ここ数年で急激に進行したその事態だが、理由は一目瞭然だった。
彼に未だ決まったお相手がいないせいである。噂は無数にたつのだがそのどれもがただの噂の域を出ないものであり、年若い女性はみな、自分にもチャンスが!?と浮き足立ち、彼以外の男性など眼中になくなってしまっていた。
「ま、彼がいない場所でなら、なんとかいい雰囲気に持ち込めるやつもいるんだがね。ギリアム様みたいに」
「ええ、僕らも早く麗しい花嫁を迎えたいものですね。あの結婚式は素晴らしかった」
悲しいかな、そんなわけで我等は未だ独身である。先日式を挙げられたギリアム様のような、運命の出会いを得るべく祈るばかりだ。
広間に満ちたどよめきが消え、静まりかえった。皆が見つめる中、ドアがゆっくりと開かれていく。彼女らの動きで彼がどのへんにいるかすぐ分かる、さすがだ。
ほぅ、と嘆息が聞こえた。扇で口許を隠した令嬢達の頬がさあっと朱に染まっていく。以前、これで倒れた令嬢も何人かいたっけ。
広間に入ってきたのは、この場にいる誰よりも長身の青年であった。
そしてやはりというか、いつものように夜会服は極シンプルなものだった。皆と同じく顔には小さな仮面をつけているが、その仮面もただ白一色のあっさりしたもの。透き通るように白い肌に溶け込み、まるで違和感がない。
全体的に質素とすら言える装い。だがその淡い色をした艶めく金の髪、整った美貌、逞しく均整のとれた身体、なによりその顔に浮かべた柔らかな微笑みが人々の目を捉えて離さない。
瞳を潤ませてじっと見つめる令嬢達、ああ、この分だと自分達はすでに彼女らの視界から消えているんだろうな。その令嬢の類縁と思わしき方々も、熱い目で彼を注視している。
「ま、今日は軽い気持ちで、な」
「…そうですね、また次の機会があるでしょうから」
今日は仮面舞踏会のはずだが、いまさら互いの正体を当て合うゲームなど、はたして…もうただの舞踏会でいいんじゃないかなー、とも思った。
広間の中央、豪奢なドレスに身を包んだ麗しい少女の腰に手を回し、静かにゆっくりとステップを踏む。
この少女は随分と小柄なようだ、踵の高いハイヒールがステップを踏むたび音を立てている。これは踏まれたら痛そうだ、慎重に踊らなければ。
僕の広げた両手の中にすっぽり収まった華奢な少女は、潤んだ瞳を震わせながらこちらを見上げていた。この身長差だ、年若くダンスなど慣れていない身ではさぞ踊り辛いことだろう、なんだか申し訳ない気になる。こちらとしても大変踊り難い。
自分も十年前に勇者として旅をしていた時は、この少女と変わらない身長だったのだが…あの人に釣り合う強さを求めて鍛え続けた結果、ここまで育ってしまった。こんな大柄な者は社交界ではあまり見かけない、こういう場に出るたび自分が場違いな気がして少々不安になる。騎士団として鎧を着て馬に跨がっているほうが、ずっと気楽だ。
そろそろ曲が変わる、それに気がつくと腕の中の少女をふわりと開放し、次に踊る女性と向かい合いお辞儀をする。
うぅ、また小柄な方だ…腰が辛い…
心の呟きをひた隠し、出来るだけ優しく微笑みかける。こんな大きな男に突然正面に立たれたら若い女性はきっと恐ろしいだろう。それに僕と最初に踊るということは彼女らはまだ場数を踏んでいない社交界の初心者だ、だから動きもゆっくりと、優しくソフトに、紳士にと心がけている。
音楽に合わせて、軽やかにステップを。相手と僕の腰の位置が違いすぎてかなり辛い姿勢で踊ることになる。途中で一度彼女の上に覆いかぶさるようになってしまった、まるでクマが人を襲っているように見えることだろう、体が大きいのも気を遣うものである。
「あっ…」
共に踊っていた少女が小さく喘ぎ、突然崩れ落ちるようにもたれかかってきた。とっさに支えるも、細い体はぐらりと揺れるだけでまったく力が入っていない。足をくじいてしまったのだろうかと思ったが、違うようだ。
背を支え声をかけてみたが、やはり目を開かない。頬も熱く耳まで真赤に染まっている。おそらくこの方は今日が初めての舞踏会だったのだろう、緊張から失神してしまったようだ。無理もない。
脱力しきった人形のような身体をひょいと抱き上げ壁際に目をやると、使用人らしき青年が目線で示してくれた。
驚いた顔でこちらを見つめる人々に、心配いりませんよと会釈で返し客間へと向かった。近くのソファでもいいだろうがここは人が多い、出来るなら静かな個室で休ませるべきだろう。