23話 幕間 王の名前
窓の外に広がる緑の大地。
太陽の光を浴びながら、汗を拭いつつ鍬を振るう人々。その顔は晴れ晴れと明るく、歌を口ずさむものや口笛を吹く者もいる。
この調子なら今年の豊作はほぼ間違いない、皆がうかれるのも仕方のないことだ。
といって、まだ手放しで喜ぶことはできない。天気が相手の仕事で100%はありえないのだから。
収穫まで無事に漕ぎ着けてから、のんびり喜びをわかちあうとしよう。
私は今現在、ステュリエルト国を治める立場にある。
年が若いせいもあり、まだ王位を継ぐには早いと言われてきた。
だが、父が病に倒れそのまま崩御してしまわれた時、私の心はすでに決まっていた。母は弟を産んですぐみまかっており、もはや弟を守ることができるのは自分一人なのだから。
あれからはや一年。
父が育て上げ、後を託してくれた者達の支えもあり、なんとか今までこの重責を勤めあげてきた。まだまだ至らないところもあるが、皆は「賢王の再来」と誉めてくれる。
いついかなる時も冷静に、公平に、民を不安がらせるような言動は慎んで。上にたつものとして、迷いや悩みは全て捨てて。
そうして生きてきた。
だが、今私が大臣とかわしている会話は…
「いーやーだ!!絶対いやだ!」
「聞き分けてくださいっ!」
「だ、だって最初に約束したじゃないか!お前は嘘をついていたのか!?」
「う…し、しかし」
「陛下、あと少し辛抱なさっては」
「そういってもう半年経ったじゃないか!
このままじゃタイミングを逃して、またずっとこのままになるだろう!?」
くっ、大臣め将軍まで連れてきやがった、だが今日こそは負けない。折れる訳にはいかないんだ。
我が儘を言っているという自覚はある。しかし、男には引いてはいけない時があるのだ。
「複雑な案件が片付いた今こそチャンスだろう!?」
「いーえっ!あー、そろそろ…そうだ、しゅ、収穫祭の準備が始まるではありませんかっ。
昨年の不作もありますし、民の頑張りを称えて盛大な祭りにすべきでしょう、ほら今年は雨量も風もちょうどよく、もう豊作は決まったようなもの。と来たら祭りのスケールもそれに見合ったものにせねばなりますまい」
「そ、そうですぞ!忌まわしい旧魔王派が力を落とした今のうちに、そう!国の内側を強固にすべきです、やるべきことはまだたくさんありますからな」
「ぐ…」
そ、そうだった。
今年も例年通りでいいやって思ってたけど、この豊作に対して普通規模の祭りでは…先一昨年開墾してから問題続きで今年に入ってやっと起動に乗った土地もあるし…あの辺の者たちには苦労をかけたしな。
「さー陛下!お仕事お仕事。ささこちらの書類のここと、ここを確認してくださいますか。こちらはサインでここには判子を」
「ん?あぁそれはそっちの申請書のあれを確認してから…いや待て!まだ話は終わってないぞ!」
「陛下これはどういたしましょうか?」
「んーそれは放っておいていいだろう、あと三年は待たせておけ。すぐに始めると…いや、だから!」
「あーっ、大変ですこれの承認をいただかねばならないのでしたっ!ささ、次はこちらを」
「なんだ、見せてみろ…うん、大丈夫だろう、このまま進めていいぞ。ただし確認作業には必ず専門家を呼ぶんだ、それと…」
「(た、助かった…将軍よ、恩に着る)」
「(いやなに…まぁさすがにワシも慣れて来ましたよ)」
その後、若き王は結局一日中執務に終われ、就寝間際になるまでその話題を思い出すことは出来なかった。今日もまた。
「うがーっ!明日こそ、明日こそ絶対にぃー!!」
王の寝所から聞こえる悔しげな絶叫は、今夜も変わらない。
この声を聞くと城の皆は一日の終わりを実感し、ゆっくりと眠りにつくのだった。
「明日こそ改名してやるーーー!!」
ステュリエルト王、ファーファ七世。
偉大なる初代の王に最も近いと言われる若く賢き王。その名声は高く、年に似合わぬ広く深い知識と用心深さから各国からは畏怖を込めて「賢王の再来」と噂される若者。
彼の悲願は…己の考えた「かっこいい名前」を名乗ることだった。しかし由緒正しいその名前を継いだ彼にとって、それは長く険しい道のりとなる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王の寝所からほど近い部屋、ランプの元で分厚い本を読む少年はため息をついていた。
先ほどの叫び声、あれがここ数年の彼にとって就寝の合図となっている。
いつも通りであったらたいして悩みもせず、さて寝るかとベッドに潜り込むだけなのだが…
漠然と思ったのだ。おかしい、と。
何故あの人は毎晩飽きもせず叫んでいる?
自分が望んでも願っても得られず、それが得られるなら何でもするかもしれないとまで思った…何故、それを自ら捨てようとしているのだ?
普段はつとめて考えないようにしているというのに、一度気になりだすと止まらない。
自分の性分だ…手元のランプを見る。
淡く優しい光ながら、散らつきもなく落ち着いた光量をもつそれは、自分の発明した魔道具だ。これを作ったのはいくつの時だったろう。研究に没頭し連日徹夜を続けて、心配した兄にベッドへ叩きこまれた思い出。
これだけではない、自分はたくさんの発明をしそのほぼ全てが大陸中で評価されてきた。
国力の増大にも多大な貢献をしていると言っていいだろう。あの兄と比べても遜色のない…
だめだ、こんなことを考えてはいけない。
たった二人の兄弟なのだ、なにをおいても自分を一番に考えて慈しんでくれる、優しい兄なのだ。
こんなにも思ってくれているというのに、何故自分は…こんなに醜い心をしているのだろう。
父に憧れていたせいだろうか?いや、歴代の王の偉業を寝物語に聞いて育ったせいかもしれない。
幼少時など、立派な王さまになると言っては兄に誉められていたっけ。
兄を尊敬しているし、唯一の家族で大切に思っている。でも、どうにも負けたくないという思いが強い。どうしても、どこかで対抗心が頭をもたげる。
もやもやとした気持ちが頭の片隅にわだかまって、眠気など欠片も湧いてこない。こんな夜には…
分厚い魔法書をばたんと閉じ、誰もいないと知りつつ部屋を見回してから机の奥へそろそろと手を伸ばす。
軽い手応えと共に隠し引き出しを引っ張り出して、その中にぽつんとあった小さな冊子を取り出した。
これを読めば楽しい夢が見られる。
わくわくしながらページを捲る。何度も読み返してきたせいでかなり傷んできた、破けきってしまう前に写本でも作っておくべきだろうか?
自分のとっておきの愛読書。
「知られざる地上の生物~原種動物図鑑~」
ぺらり…
犬、太古の昔から人と共にあり続けている原種動物。その生態は複雑、品種は多岐に渡るが、そのどれもが群れで行動し仲間を大切にする傾向が強い。人と生活を共にする個体は命懸けで主たる人間を守ると言われている。
ぺらり…
猫、はるか神の御代より続く系譜において、ほとんど姿が変わっていない神秘の原種動物。
その性質は自由きまま、周辺環境から影響を受けつつも己を変化させることはほぼない。極小さな体躯ながらしなやかな筋肉と柔軟な思考能力を持ち、あらゆる環境において生存能力はトップレベルであったと伝えられている。
ぺらり…
地上には「人間」が多く存在し、また地下世界と同じく多数の魔物の生息も確認されている。
地上は大気中の魔力濃度が低いため、魔物の性質は穏やかであることが多い。逆に地下世界は全般的に魔力濃度が高く、魔物はより強靭にならねば命を繋ぐことさえできないと言われている、そのため……
すっかり暗記してしまった文章を目でなぞり、挿し絵を眺める。
「…地上世界、か…」
地上にも別の世界があると証明されてから何年たったろう。
旧魔王が地上に進軍し、行方不明になってから今年で10年ほど。
地上世界を征服するなど、そんなことが出来るなどと思うこと自体が愚かと言う他ない。
長らく存在自体が幻想と思われてきた、もう一つの世界。地下世界とはまるで違う生物が数多く生息し独自の生態系を形作る、未知の世界。
それを、なぜ突然攻めこんだりしたのだ?
今でも旧魔王のとった行動には納得できない。そう考える輩は自分だけじゃなく大勢いる。
あんなことをしなければ、あるいは地上の支配者たる人間たちと共生していけたかもしれない。
だが現実として我ら魔人が…そのごく一部とはいえ、人間を大勢殺してしまった。それを踏まえた上で仲良くしようなど、仮に言ったところで信じてもらえる訳がない。
恨めしい気持ちで手元のページを見つめた。
「…可愛い、なぁ…」
自分達の生きるこの世界には、小さく非力で穏やかな性質のイキモノなど…いない。
ため息とともに挿し絵を指でなぞる。
せめて夢の中だけでも、この可愛らしいイキモノを愛でられることを願って。