22話 スライムに敗北しました
「ジャック…腹、減っただろ?」
きゅるるー…
「ま、まだ子供達は、教会に戻ってない、はずだ。今のうちに、食事だけでも」
きゅるるー…
「今朝も飲んでない、お…お願いだから」
「………」
毛布越しにクルルが困っているのがわかる。しかし、俺はここから出る気がおきなかった。
もうやだ、おうち帰る。
こんな怖い世界いやだ、そうだ、もう一度眠れば今度こそ元の世界に帰れるかもしれない。
きゅるるー…
うぐ、腹が減って眠れない。
コンコン、と軽い音が響いた。
「入るぞ」
…じいさんの声だ。
控えめな靴音がして、部屋に入ってきたのがわかった。
「ライアット、どうしよう」
「うーむ、やはりまだ飯を摂らぬか。栄養を取らねば生えるものも生えてこんぞ」
ほっとけよ、もうどうでもいい。
体の一部がスースーと涼しい、毛布に潜っているのに全然あったかくない。
「あの、神父様。ちょっとよろしいでしょうか?」
「ジャクリーン、どうしたんじゃ」
ドア越しなんだろう、小さな声が聞こえた。
女の声だ、昨日子供達から俺を守ってくれた教会のシスターかもしれない。
なんか、三人でぼそぼそしゃべってる…
衣擦れの音がして、毛布越しに俺の背中を撫でる感触。慈しむようなやさしい撫で方は、やっぱりシスターの手だろう。
「ジャックちゃん?貴方に贈り物があるの。気に入ってもらえるか分からないけど、見てもらえないかしら」
………。
もそり、と毛布の中で体を起こす。明るい方に向かってもぞもぞと這っていく。
「ミー…」
顔を半分出して様子を伺う。
穏やかな微笑みを浮かべた、黒い簡素なシスター服に身を包んだ妙齢の女性が俺の背を撫でていた。
フードに隠れて髪は見えないが、そのきれいな卵形の顔に浮かぶ笑みに、ささくれていた心が癒されていくようだ。
もぞもぞと動き、毛布から顔を出す。
シスターの後ろにはじいさんとクルルが立ち、心配そうにこっちを気にしていた。
「採寸していないから、少し大きいかもしれないわね」
優しく撫でられながら、彼女の膝にあるものを見る。
…小さな、紺色の巾着のようなものがあった。
「ちょっと試着してくれるとうれしいわ」
ずりずりと毛布から這い出し、ドアを確かめる。
ドアは閉じていて、辺りは静かだ。あの悪魔共はまだ帰ってきてないらしい。
俺の体が毛布から全て出てくると、クルルが悲しそうに目を伏せた。
昨日、俺はスライムに敗北した。それはもう惨敗と言える。
そして失ったものも大きかった。
具体的に言うと…
背後を振り返り、呪わしい気持ちで自分の尻を見る。昨日から何度も確認しているが、やはりない。一本もない。
尻からしっぽにかけて、丸ハゲ状態にされてしまったのだ。
スライムの消化液で負った火傷はじいさんの魔法で治してもらったから、もう痛みはない。
しかし、溶かされてしまった毛は魔法では再生できないらしく、地肌が剥き出しだ。さらに悪いことに、俺の体毛は黒いんだが、地肌は白かった。
バターン!
「ただいまー!」
「ハゲちゃんここにいるのー!?」
「あはははは、お尻白ーい変なのー!」
うぐ。
「貴方たち!」
部屋に飛び込んできたと思ったら俺を指差して笑い初めた子供達を、シスターが咎めるように睨む。
だがこの悪魔供は全然堪える様子がなく、俺を見て腹を抱えながら、きゃいきゃいと囃し立てる。
ぷぐ…もうやだ、こんな世界いやだ…
目を潤ませ毛布に再び潜り込もうと奴等に背中を向けたら、笑い声がさらに大きくなった。
「…いい加減になさい、貴方達…」
ドスの効いた低音が背後から聞こえた。子供達がピタリと静かになる。
そろーっと振り返り…俺は見てはいけないものを見てしまった。
ムキ…ムキムキキ…
なにかが軋むような音が響き渡る。
皆が無言で固まる中、黒いシスター服が内側から盛り上がっていく。
子供達は顔面蒼白で涙ぐんでいる、俺も目の前の光景に涙目。
そこには、まるで外国人レスラーのような筋肉もりもりのシスターが立っていた。
だ、誰だ、このマッチョ…?
全身が筋肉の塊になった中で、顔だけが穏やかな微笑みを浮かべた華奢な女性のまま。悪夢のようだった。
「さて…頑張った人を笑いものにしたのは、どなたですか?」
子供達がぶんぶんと首を横にふる。
「女神様はどんな行いを諌め、どんな行いを讃えるのでしたか?毎日教えている、はずですよねぇ…」
柔らかな笑顔を浮かべたまま、逞しい腕をゆっくり広げていく。
子供達が咄嗟にじいさんを見るも…目を反らされた。
「さぁ外へ出なさい。悪い子にはお仕置きです」
ガクガク震えながら、それでもドアへ向かって歩き出す子供達。
一列に並び進むその後ろをシスターが付き添い、のっしのっしと廊下へ出ていった。
しばし部屋に無言の時が流れる。
クルルは…というと、瞬きもせず固まっていた。泣かないだけこいつは強いと思う。
「あー、彼女は熊の獣人なんじゃ。言っとらんかったかの?」
動かないクルル、ぶんぶん頷く俺。じいさんが遠慮がちに笑う。
「じゃが、あの子は滅多に怒ることはないから怖がることはないぞい」
いや怖ぇよ。
そう顔に出ていたのかもしれないが、じいさんは小さく手を叩き、ベッドの上にぽつんとあった紺色のものを手に取った。
「さ、さて!さっそく試着してみようか、あの子が夜なべしてこさえた物じゃ。似合うといいのぅ」
え?
あ、そういやさっきも試着って言ってたっけ。
戸惑うクルルに座るよう手で示し、二人して俺のいるベッドに腰を下ろす。
体を持ち上げられ、紺色の布に後ろ足をつっこまれた。しっぽも入れ、袋状になった箇所から引っ張り出される。
最後に背中の部分のりぼんを結び、あっちから見たりこっちから見たりして、うんと頷く。
「さすがじゃ。ぴったりではないか」
俺が履かされたのは、紺色のズボンのようなものだった。
腹から足、しっぽまで覆われているが、窮屈な感じはない。トイレ時のためか股の部分は開いていて邪魔にならないし。
おお、暖かい…毛がなくて寒かったのがこれを履くと全然違う、こりゃいいな。
うきうきとその場で回り、背中やしっぽを眺めた。
クルルが嬉しそうに顔を綻ばせている。
どうよ、これ。似合う?
「可愛いぞ、ジャック」
「ミー!」
どんなもんだいと胸を張る。
出来ればかっこいいって言われたいけど、いいか。
頭を撫でられながら喉を鳴らす。
これで、多少笑われることが減るといいな。黒い体に紺色のズボンだからあんまり目立たないだろうし。
しっぽの先っちょだけ白く見えちゃうけど、デザイン的なものってことにしよう。
「気に入ったようじゃな、うむ」
ほっとしたように笑うじいさん。クルルが不器用にお辞儀すると、手をぱたぱたさせてまた笑った。
「気にするな、じゃがジャクリーン…シスターには礼を言っとくんじゃぞ」
じいさんの言うとおりだ、これやたら手がこんでるし作るの大変だったろうな。
さっきは怖がっちゃって、悪いことしたかな…戻って来たらきちんとお礼しとこう。
その後、クルルに連れられて食事をとろうとヤギが放牧(?)されてる草場に行ったら、子供達がヤギとおいかけっこしていたのだが、まあいい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教会でシスターと色々話をしていたが、どうやら彼女も忙しい身らしい。
俺達は、予定では兵士達と一緒に城下町へ向かうことになっている。俺の正体は混乱を避けるため内緒らしいが、じいさんの言うことにはキマイラの卵が割れていた事実は隠しようがなく、王に報告するしかないらしい。
兵士達は物資の補充と休憩で、数日間はこの村に滞在する。ちらっと見かけたけど皆まったり過ごしていたな。
で、俺達は…とくにすることがなかった。
何も知らない俺達は誰かに色々教えてもらいたいところだが、じいさんは忙しそうだし、シスターもこれから子供達と一緒に家畜の世話や買い出しやら忙しいらしいし。
「ごめんなさいね、本当なら村を案内してあげたいのだけど」
心底申し訳なさそうにシスターに謝罪される。
「…あ、の。何かてつだ」
お!?
そうだな、どうせやることないんだし何か手伝って…
クルルが遠慮がちに言いかけたところで、教会のドアがバーンと開かれた。
「ジャックちゃんまだいるー!?」
でっかい声に思わずビビる、しっぽ膨らんじまった。
ドアを開けてぜーはーと肩で息をしていたのは、あの騒がしい少女キャシーだった。