10話 洗われてしまった
クルルが湖で爆走(?)しつつ捕った魚は、じいさんの釣果よりはるかに大漁だった。木桶の中で泳ぐ魚を見比べて、じいさんが長い耳を下げしょんぼりとしている。
そういえば、湖から上がったクルルは一匹の魚を頭から齧りはじめ、慌てた様子でじいさんに止められていた。すげぇ喰い方だなこいつ。
「お、そうじゃ…」
ふいに体を持ち上げられ、俺はクルルの手に載せられた。なんだろう。
「そやつ、どうにも生臭いぞ。ちょうどいいから洗ってやれ」
こくんと頷くクルル。
う…生臭いと来たか。ちょっと傷つくけど、たしかに今の俺は相当臭い。洗ってもらえるのならありがたい、マズいの我慢して少し毛づくろいを試みたんだが、毛先が少し落ち着くだけでどうしようもなかったのだ。
毛がゴワついて固まっている体を見ながら内心浮き足立つ。
できればお湯がよかったけど、さすがに贅沢な願いだ。このさい水でもありがたい。
クルルは湖の端でしゃがむと、そーっと俺を水面に下ろしてくれる。後ろ足の先が水に…ぽちょん。
「ッギャー!?」
水に触れた瞬間に怖気が走った。
水面から逃げようと無我夢中でもがく、本能的な恐怖を感じ体中の毛が逆立った。なんだこれ、ヤバい俺死ぬ!?
なななな何で?気持ち悪ィー!離せ、助けてくれー!!
絶叫しつつ全力で暴れているが、拘束はゆるがない。暴れる足が水面をかき水しぶきがあがる、そのしぶきも俺の恐怖を倍増させた。ぎゃあああああ死ぬー!
その時一瞬背中に違和感が生まれ、拘束が解かれ体が宙に浮いた。
ぱたぱたぱた…
願いが届いたのか、間の抜けた音とともに俺はなぜか空を飛んだ…と思ったのだが、それは数秒にも満たずすぐに失速。あっという間に小さな水音がして、頭から湖に落ちていた。
なにがなんだかわからず沈んでいきそうになるが、すぐに大きな手が俺を掬いあげた。
「耳は濡らさぬほうがよかろう、手拭いを貸してやるからそれで拭くとええ。どこへしまったかのう?ああ、足の先は念入りに洗うようにな」
クルルの背後からのほほんとした声が聞こえた気がしたが、それから先はなんか覚えてない。俺は気絶したらしい。
気が付けば全身ずぶ濡れでぐったりとした俺を、クルルが布で拭いてくれていた。こ、このやろう…いや、わかってはいるんだ、洗ってくれて感謝するべきなんだろうが…
脱力したまま顔やら耳やらをゴシゴシと拭かれる。…俺、風呂、大好きだったんだけどなぁ…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、失礼します」
報告を終えた隊長が、天幕から出ていく。
ライアットは小さく息をつくと、苦笑しつつこちらへ振り返り、自らの肩をとんとんと叩いた。
「どうにも…大所帯の旅は面倒が多いのー」
ぼやきながら、簡易の寝台の上に腰かけた。
彼はいつも疲れている、ように見える。顔色が悪く髪も艶がなく、エルフは年を取らないと聞いていたが、やはり長く生きていれば多少は老いが見られるのかと納得する。
軽く挨拶をかわし借り物の寝袋へ向かう、すでに熟睡しているジャックを枕の横へ下ろし、布切れでふわりとおおってやった。
「…スピー…」
小さな寝息が聞こえ、腹がかすかに上下しているのがわかる。体を洗ってやったせいかいつもの強烈な臭いはかなり薄くなっていた。
たいして間を置かず、傍らのライアットも寝息をたてはじめた。
目を閉じて無理やり眠ろうとするが、頭の中はぐちゃぐちゃですっかり目が冴えてしまっていた。
天幕の中は、原理はわからないが魔道具の効果でとても暖かくすごしやすい。心地よい暗闇の中、かたわらで眠りこける子猫を見つめる。
…あれはやはり魔物の姿だった。
湖で、ジャックはおれの手から逃れようともがき、一瞬だがその姿を変えたのだ。
身間違いじゃない、大きさは変わらずオレの手のひらよりも小さかったが、黒い羽が生えて羽ばたいていた。まばたきをしたら元に戻っていたが、あれは確かに…
魔物、しかも伝説の魔獣。たとえ今は赤ん坊であっても、すぐに育ち、親と同じ化け物になるだろう。
わかっている、いくらオレが無知でもわかっている、だけど…
あの姿をライアットが見ていなかったのは、良かったと言えるのだろうか?賢者と呼ばれる彼なら、あるいはなんの迷いもなく、苦しませることもなく…
すぐ横で小さく上下している布切れの塊を見つめながら、オレは眠れない夜を過ごした。