#3 Referee's children
私は、どれくらい眠っていたのだろう。
先ほどまで容赦なく降りかかってきた睡魔は突如私の元を去り、目が少しずつ開く。
狭い所で私は眠っていたようだ。目を開けて一番最初に見えた空はまだ暗く、先ほどの吹雪はなくなりヒラヒラと雪が舞っている、暗い空には小さな星が無数にキラキラしている。
私の唯一知っているオリオン座もその中に含まれていた。
そういえば、私は立花王政と言う日本人の運転する車に乗っていたハズなのに、なぜだかさっきから肌寒い。
立花の姿もさっきから見当たらない。空が見えると言う事は、今私は外にいるのだろうか?
・・・捨てられた可能性が高い・・・やっぱり、信用できない男だったようだ。
仰向けのまま、怒りをこみ上げようとしている私の元に、足音が近づく。
噂をすれば、だ。
「やっと、起きたようだな。ちょっと諸事情でよ、車がオシャカになっちまったから、ここからは徒歩だ。
俺のアジトは目と鼻の先だしよ、もう歩けるだろ?遅れんなよ。」
立花王政は公園で出会った頃よりも、電話ボックスまで迎えに来てくれた時よりも、声が非常に弱っていた。
その理由が、運転による疲労でないものは、私は気づいていた。
しかし、事情を確認できるほど神経は図太くなかった。
立花の歩行はおぼつかない様子だったが、後ろを振り向く事もせず、淡々と歩いている。
気を抜いたら見失いそうだったし、何より寝起きである事を差し引いてもある程度体力が回復した私の歩くペースより彼は早かった。時折小走りになりながら私は必死に後を追いかけた。
確かに、アジトまでの距離はそう遠くはなかった。
1キロにはギリギリ満たないであろう距離を歩くと、彼は路地裏においてある空の棚を押し出した。
棚をどかした先にはそう長くない数段の階段が下に続いている。
「思っている以上には急な段差だから、気を付けて降りろよ!」
ここに来る過程で唯一私の事を心配してくれたセリフだった。
慎重に階段を下る。たった6段だったが、崖を下っているような感覚を与えると同時に、運動不足の私の腰の筋肉にキツイ刺激を与えることとなった。
階段を下りたそばの扉を開けると、一般的な部屋になっている。
広さはスタンダードなコンビニの大きさだろうか。コンビニと違って、商品棚が無い分それ以上の広さにも見て取れる。
立花は台所にあるケトルに水を足し、電源を入れた。
「まぁ、暖かいもん出すからさ、そこ座ってな」
指さした先には3人くらい座れる長さの紺色のソファが付いている。私が腰かけると、掛かった体重がすべてスポンジ記事に吸収され、負担を全く感じない。心地のいいソファだ。
立花は、私がソファに座るのを確認すると、そのまま口笛を吹き始めながら冷蔵庫から食材を取り出し、包丁で切る。
トントントントン・・・と単調なリズムで刃先がまな板に当たっているのが音だけで伝わる。
彼のアジトの中は、家政婦が毎日掃除しているのかと思わせるほどの清潔感が漂っていて、中を改装すれば、バーとして経営できそうな間取りだった。
しかし、営業の場としては一切使っていない様子だ。
周囲の壁には依頼書であろう書類と、標的だろう見知らぬ人の写真がある。
中にはわずかだが、顔を見たことがある程度の偉人や、犯罪者の写真も貼られていた。
その中でも、一際目を引いた依頼書が1枚あった。
年齢からすると小学生と思われる幼い少年・少女の写真が何枚も画鋲で壁に貼られている。
その中にはメイの写真も貼られていた。
余りにも快適な環境でいた為に、私は彼の目的を見失っていた。
立花 王政は'始末屋'でメイの命を狙っている。危険な男だ。
気がかりな点が子供たちの写真に取り付けられている、依頼書の記事に書いてあった。
「・・・審判の子供達」
「お前さんにゃ知らない単語ばっかりだろうな、いい機会だ、俺がみっちり教えてやる
ついさっき、良い教材も手に入ったしな」
そう言いながら、立花はテーブルに暖かいカフェオレとハンバーグとサラダとライスをワンプレートに全て盛り付け、私の前と、その向かいに1人前ずつ置いた。
「ま、食え、おしゃべりはその後にしようぜ」と言った後、立花はフォークでハンバーグを刺し、そのままワイルドにかぶりついた。
こんな思い切った食べ方をする人は私は初めて見た。その割には料理は手の込んだハンバーグ。
ナイフで丁寧に小さく切り、フォークに刺し、口に入れる。なるほど、ブラックペッパーの程よいスパイスが効いてて、美味い。ソースなんて掛けたら蛇足だろう。
沈黙の中、2人は食事に集中する。特に私は、メイと出会ったあの殺風景な建物の場所からブラックコーヒー以外の食事を摂っていない。よく考えると腹が減っていて当然だったようだ。
食事を終えたのは立花の方が一歩早かった。私が食べ終えた食器を台所に運ぶと。
「最後の奴が食器を洗うんだぜ!それがここのルールだから、覚えておけよぅ!」
とても嬉しそうな口調だ。そんなルールがあるんだったら急いで食べたのに!
しかし、ご馳走を頂いた訳だからルールが無くとも食器を洗うのは礼儀だろう。
特別、悪い気は起きなかった。
私が2人分の食器を洗っている中、立花はソファに座ったまま私に話し掛けてきた。
「さて、気づいた方と思うが、お前が守っている女の子は'審判の子供達'だ。
'達'が付いているって事は、分かるよな?あの女の子だけじゃねぇってことだ。
で、だ。
なんでそんな異名を付けられ、俺の様な'始末屋'が追いかけまわしているかっていう事だ。
さっき言った教材を見ればお前さんもすぐに分かるだろうさ。だからさっさと食器洗ったら、こっちに来な、準備は済ませてあるからよ。」
立花が一通り話している間には食器洗いは終了していた。
なぜなら、洗うべき食器はワンプレート容器とフォークとナイフだけだったからである。
これも彼なりの心遣いなのかと考えたが、その表現はしっくりこなさすぎるのであった。
食器を立て掛け、備え付けのタオルで手を拭いた私は先ほどのソファへ向かった。
立花の用意した教材を見てやろうではないか、私の中のモヤモヤを吹き飛ばしてくれるに違いない。
私が立花の隣に座ったのだが、余りにも距離が近すぎたのか立花は数センチだが遠ざかった。
その後、ポケットからSDカードを取り出し「よかった。無事だ」と呟いた。
どうやらそのSDカードを私が食器を洗っている間に用意したノートパソコンに挿入し、本日付けのビデオファイルを開いた。
読み込みはあっという間に完了し、動画が再生された。
動画の舞台は、車の中か?カメラの隅には車内が僅かに入っている。
これは、ドライブレコーダーの映像で間違いないだろう。
映像の中心には小学生と思われる小さな少年が立ちふさがっている。車の前なのに、何も感じていないようだ。
動画にはクラクションの音が何度も鳴らされる。
「おい!クソガキ!!邪魔だどけ!!」
と叫ぶ声。この声の主はどう考えても、隣にいる男、立花王政のものだ。
・・・子供に対してなんとも口の悪い奴だ。
王政が何度も「邪魔だ!」と声を荒げているのにも関わらず、短い歩幅でこちらに迫る。
2歩・・・3歩・・・4歩歩いたところでまた硬直。
少年の口が開き、何か言葉を発している様に見えた。その口が言葉を発するのを止めた瞬間。
王政が乗っている車にが崩れるような音を発し、爆風が起こった。と言うのが正しいか。
強烈な突風が車を直接襲った。
立花の車は突風に煽られ、いとも簡単に後ろに転がっていき、そこで映像が止まった。
私は余りにも衝撃的かつ、以前にも似た体験をしている為か、冷や汗が止まらなくなった。
私は、声が出なかった。
「・・・俺も、ビビらなかったから嫌な予感がしたんだが。無事でよかったぜマジで
どうだスノウ、これが'審判の子供達'の持つ力だ
唖然としている中で説明しても頭に入らないだろうが教えてやるからよく聞けよ。
ドラレコには音は無かったが、このガキは'吹き飛べ'って言ったんだ。そしたら案の定俺の車が'吹き飛ばされた'ってワケさ。しかし、ツイてたぜ、このガキはお前さんの匿ってた奴と比べりゃ力が弱かったからな。
お前さん、あの女の子がガードマンに打ち殺されそうになった時、何て言ったか覚えてるか?」
「あ、あぁ・・・'やめて'だった。」
「そうだ、'やめて'と言えば、普通は銃を撃つのを指してると思うよな?
あの子は力が強すぎるあまりに'必要以上の意味'を持っているって考えられる」
「ちょっと、力って、さっぱり分からないんだが・・・」
立花は私の顔を見た後、動画を巻き戻し、車を壊した瞬間の時間で停止した。
「共通点は'言葉を発した'時にありえない事が起きているだろ?分かるか?
こいつらの言葉にはテレキネシスが宿っている日本語で言えば'言霊'だな。
例えばこいつが言った言葉'吹き飛べ'は周囲の自然さえ現象を変える'超常系'そしてガードマンの魂を奪った彼女に言葉は'洗脳系'と、俺は呼んでいる」
この説明を受けた瞬間。私はメイと出会ったあの場所から別れたあの瞬間を何度も頭のなかで巡らせていた。
つまり、立花の話を間に受けると、全ての事情に辻褄が合ってしまう。
私が少女の名前が違うのに、メイと思い込んでいる事。そして新聞記事に載っていた指名手配犯のスノウの存在が誰にも認知されていない事。
全て、メイが私に洗脳系の力を使っているのだとしたら、納得がいく。
しかし、なぜ私が選ばれたのだ。
「さて、お前さんの頭の中で今までの苦労が全部あいつの仕業だって気づいただろうな
それでも、あのバケモノを守るか?」
私は、すぐに答えを出す事ができずずっと下を向いていた。
立花は私の事を見つめたまま動かない。またも辛い沈黙が私を襲っていた。
その沈黙を破ったのは、立花の携帯に着信音が鳴ったからだった。
「あぁ・・・なに!?分かった・・・お前は監視を続けろ、決して近づくなよ」
そう言って、立花は電話を切り、リビングに立て掛けてあるスナイパーライフルを担いだ。
「答えはゆっくり出してくれて構わないさ。
それよりも、動画よりも生で'審判の子供達'を観察した方が分かるだろうからよ
俺に付いてきな、ただ、邪魔をしたらお前さんも殺すからな」
私は、頭のモヤモヤしたまま、身体は動かなかった。
立花はしびれを切らし、舌打ちをした後、外へ出て行った。
1人になったアジトの中。私はドライブレコーダーの映像を何度も、何度も再生した。
信じたくなかったのだが、嘘だと証明できるものが一切見当たらなかった。