狩人から兵士へ。
水の流れる音が白い作りの建物の間を抜けていく。村と呼ぶには似つかわしくない荘厳でいて、かつ涼しさの溢れる街並みは古代の神殿をイメージさせるよう。
ミヒトの記憶はエーゲ海に浮かぶ島々を彷彿させた。
朝日が差し込んだ真新しい街並みを子供たちが駆け抜けていく。
ほぼエルピスが作り上げたような水路都市だが、今でも昼夜問わずに金槌や鋸の音が聞こえる。今もこのアムレトの町をより住みやすく、より暮らしやすくするためにドワーフや人間たちの手が加えられているのだ。
ミヒトの聴覚が町のだいたいの人たちが朝食を取り終えたことを耳にする。
その白銀の巨体を起こし、《念動力》の魔法を使って自身の巨体を高く持ち上げると、それから翼をはためかせた。
街の外縁部には壁が出来ており、広大な街の敷地と、どこまでも広がる平原を区切っていた。壁にはミヒトがくぐり抜けられるほどの大きな門がつけられており、近くに守衛が寝泊まりできるように施設を建てた。
ただの守衛室というようなものでは無く、軍事境界線を警備するような大げさな建築物を建ててしまい、建設からひと月弱たった今では皆の訓練場として使っている。
周りには皆で建てたトレーニング用具や、狩猟用の馬車が止められており、当初の浮き立った無個性なテンプレートの様相からガラリと変わり、町と、人の色に馴染んでいた。
今日も狼の獣人モウルを先頭に、訓練所から周辺のパトロールという名ばかりの走り込みが始まっている。
目下、襲ってきた悪魔たちから自分たちの生活は守れるようにと、ミヒトが提案した兵士、衛士の案に乗って、訓練に励んでいるのだ。
大まかな役割分担として、悪魔たちと戦える兵士たちと、街を守る衛士と言った具合に役割を分けることから始まるだろう。
すでに彼らの中には闘士や戦士、狩人という概念はすでにある様だが、それらは力に秀でた者を戦士、食糧確保のために集団で狩りをする者達を狩人と呼び分けているようだった。
彼らには兵士と言う概念は無かったにせよ、幸い命令に従って戦うということ自体は狩人衆が実際に行っていた為、兵士については理解して貰えた。
町を守るための衛士に関しては、ミヒトは説明が上手くできなかった。
と言うのも、住まいを襲われるということが今回の悪魔や堕天使となったユウトが初めての事だったから、住まいを守るという発想が彼らから縁遠いものだった。
それほど、彼らは平和に暮らしていて、穏やかな日々を送っていたのだ。
説明するミヒト自身の知識が不足していたのも要因の一つだ。彼は自衛隊などの存在は分かるが、具体的に衛士や警備の人が何を持って警備しているか、どうやって守っているのか、基準や規則、その手段をよくわかっていない為、説明が難航した。
結局、イェレアスの鶴の一声がこれを解決した。
「《ムーの剣》を持って外で悪魔と戦う者を兵士!家や戦え無い子供たちを守るのが衛士!これでどう?」
そのスッパリ言い切った意見に、ミヒトとしても異論は無かった。
物事を考えてばかりでは始まらない。イェレアスが言い放った言葉は、目指すべき目標としてシンプルで、今の彼らにはそれで十分だった。
ひと月前、訓練を開始したばかりの頃。《ムーの剣》を出すだけならすぐに何人か出来た。ミヒト以外に発動に成功したイェレアスも、この魔法自体はすぐに発動出来た。
しかし、問題は発動の有無では無く、その魔法を扱うということにあった。
単調な突きを放つだけで髪や耳が削がれ、あわや足を切り落としてしまう寸前の人が続出してしまったのだ。
元がSF映画の超人騎士しか使えない”最も洗礼された神聖な武器”という位置づけで、なおかつ扱う者の知覚能力が人並み外れていないと十全に扱う事が叶わないのだから、無理もないとミヒトは内心思い耽る。
と言ってもミヒトはシリーズの大ファンというわけでは無く、あくまで彼が見てきた数ある名作映画の中の一つで、特に印象深いものだったため、切断という行動の選択肢として浮かび上がっただけだ。
「実体が無いから扱うのは難しいかも知れません。体力を付けるのと並行して、剣の素振りとかでイメージをつかんでみましょうか」
剣や刀の類を扱うよりも投げ槍や弓を扱ってきた人たちにいきなり剣を振れと言うのも酷な話で、こうして訓練開始早々に走り込みに追加して木刀の素振りが訓練メニューに追加されたのだった。
兵士、衛士となるべく集まってひと月、走り込みを終えた訓練生たちを門前の訓練所でミヒトが出迎える。
「今日は皆さんの訓練の成果を見ましょう。危ないと思ったら僕が止めますので、順番に素振りを見せてください」
そう言ったミヒトに抗議の声が一つ上がった。
ここひと月生活してきたミヒトは声が上がる前に予測が付いていたが、いつだって何かにつけて異議を唱えるのはイェレアスだった。もちろん今回もである。
「ミヒト、素振りだけじゃ意味ないんじゃない?私たちは悪魔と戦うんでしょ?打ち込みよ!」
「そういわれると必要な気がしそう」
「魔法で悪魔の人形とか作って、こう。それっぽく出来ない?」
イェレアスが伝えたいのは、より実践に近い形式、人形などへの打ち込み練習が出来ないだろうかと言う話だろう。
ミヒトはすぐに印象が深かったメイド姿の刃物悪魔、ドールの姿が思い浮かんだ。ミヒトの身体から漏れたマナが、すぐさま思い浮かんだ人型を模っていく。
綺麗な人形、メイド服、整った顔に生気の無い宝石のように輝く紫の瞳、毒々しい緑の混じった黒髪に―――。
ふとミヒトは思いとどまり、人型は形を変えて熊の模型に代わった。
「ちょっとミヒト!何で悪魔じゃなくて熊なのよ!」
「いや、さすがに肖像権と言うか個人の権利的なものが侵害されるような気がして……」
「なにがケンリよ!心外なのはこっちよ!意味わからないこと言わずに作れるなら作りなさいよ!」
何のことは無い。作ることは可能だが、現代人の法令遵守精神が大きく働いた。
流石にこの世界で生きている人の実物大モデルを切りつけるのは尊厳を踏みにじっている所業に思えたのだ。
結局ミヒトの意識は変わらず。イェレアスの怒声を無視し、狩りでも見かける熊を模型になる。
熊であれば、身近で明確な脅威だ。モウル達にしても狩りのライバルであり、強力な獲物。現代で言えば畑や果樹を荒らし命を脅かす無法者だ。加減など考えずに済む。
最初に集まってもらったのは千人以上いたが、教えるにも手が回らなくなってしまう為。今集まってもらったのは、ざっと数えて300人程。
素振りを見ていく中で、その集まってもらった半分は素振りの時点で危うく見えた。
半分の中で上手くても、さらにその半数以上がすでに《ムーの剣》を扱えないと辞退し、衛士として訓練させてくれと方針を明らかにしたため、熊模型への打ち込みは《ムーの剣》を扱う兵士候補が約70人、衛士として盾など各々が得意とする方法で立ち会うのが100人程になった。
彼らの傾向にもすでにハッキリしたものがあり、兵士候補はエルフや人間、少数の鬼人などのミヒトの良く知る標準的な人型。
対する衛士候補は獣人やドワーフ大体でそこに鬼人と多少の人間が加わっているような形だ。
モウル曰く、剣を振り回すに、狼の手は不便とのことで、もっぱら走って追いつく、首を噛んで息の根を止める方が簡単だという。
ドワーフたちは走るのが大変で、狩りに赴くのは向いていないというし、どちらかと言えば家、作業場を守りたいという意識が強いようだ。
エルフたちは単純に、初めて見る剣術と言う技能が気になる様子であった。
「ミヒト?早く始めようよ。何か考え事?」
「いや、思ったよりみんな種族ではっきりと分かれるんだと思って」
「ん?そりゃそうでしょ。神がそうあれって定めたんだから。私やモナお姉様も神がそうあれって決めて神官になっているのよ」
「まぁ俺様から言わせりゃ、イェレアスは神官じゃなくて素手喧嘩娘だがな」
「何ですって!!」
ミヒトの質問に答えるイェレアスにモウルがちょっかいを差し込む。
「ははは……。とりあえずは、まずイェレアスからやってみようか」
「いいわよ、って言っても熊の真似型でしょ?簡単よ」
イェレアスは両手で剣を握るように構えを取る。何も持っていないその手には僅かな光が集まりだした。
「”神よ、我が身を見守り賜え。あなたの名に、相応しい力を今此処に!”―――《ムーの剣》」
光が空気を裂いてイェレアスの前に伸びる。
「行くわ!」
片側に結われた赤い髪が、光の剣に触れることなくイェレアスは熊人形の目前へと飛び出した。
普段のモウルに劣らない俊敏性を少女は発揮し、勢いよく振りぬいた光が三閃。熊模型がある空間にΔ状の光の軌跡が残った。
しかし、熊の人形は引き裂かれることなく、イェレアスの足を払った。
「どういう事!?熊じゃないの?」
疑問と驚きに満ちた表情をイェレアスが浮かべたが、その手元はしっかりとしていた。
剣は光球になって彼女の傍を浮遊し、体をスプリングの様に跳ねて後退したかと思えば再び剣に形を変えて構えなおし、すぐさま前進してみせた。
「ただの模型じゃ練習にならないでしょう。僕が魔法で動かしているんです」
「熊は足払いなんてしないでしょ!」
「熊じゃなくて、熊型の悪魔です。そう言う事にしてください」
熊の模型と戦う。が、動かない人形ではイェレアスの言う悪魔と戦うが実践できない。
その為、ミヒトは《糸繰り劇場》と言う魔法で彼らのひと月の成果を見ることにした。
この《糸繰り劇場》という魔法。もともとはモナに聞かせたお伽噺、昔噺などを子供たちに楽しんでもらう為の人形劇をするために作った魔法だ。
ミヒトの巨体では人形を触れる事すら叶わない。《念動力》でも同様の事が出来るが、この魔法はより繊細で機敏な動きが可能であった。
おかげで目的に合わせて機能を絞ること、特化させるのはより高度な魔法になると発見できた。
そう、魔法は、大は小を兼ねず、小へ足りえない。
イェレアスはモナと一緒に子供たちと人形劇を見ていたはずだが、実物大の熊模型を動かせるのは考えていなかった様子。
さて、ミヒトはより実戦的にするため熊の爪を伸ばし、熊型の危険範囲を剣の半分ほどさらに広げると、イェレアスを迎え撃つ。
熊型が振り回した左腕は、剣道で言う篭手を狙う動きで襲い掛かる。
「それくらいで!望むところよ!」
イェレアスは僅かな腕と手首の捻りで自身の腕を狙う攻撃を捌いた。
篭手狙いの熊型の腕は消し飛び、バランスを崩す。
彼女はすぐさま追撃を仕掛ける。地面に接している足から腰に掛けて狙い澄まし、光を振り上げる。
しかし、相手はただの熊では無くミヒトが操っている模型だ。人形を抱えて持ち上げるように不自然な跳躍を見せて光の軌跡を回避し、残った右腕の爪をさらに伸ばす。
ただ長い爪では先ほどと同じように消し飛ばされてしまうので、魔法で《ムーの剣》と同じような性質を付与する。
爪は炎を巻き付けて赤熱し、イェレアスが構えた光の剣と打ちあった。
「ちょっと!そんなのあり?!」
「相手が悪魔と考えるのならこれくらいはやってくるんじゃないでしょうか?僕の翼も切ってしまうくらいですから」
「確かに、そうだけどっ!」
五本の爪と器用に鍔迫り合いを繰り広げる中、イェレアスは不平を述べながら熊の懐に入り込み、くるりと回し蹴りを入れる。
2mはある巨体を押しのけ、更には大鎌のように伸びきった鋭いかぎ爪の引っ掻きすら、滑るように剣を一周回して防御もこなして見せた。
片側に結んだ赤髪をわずかに散らした程度で、彼女は立て続けに滑り込みながら股下を駆け抜けると、熊型の残った右手と、ついでに右足を切り落とし、さらに首半分までその光を差し入れた。
「ところで、これどこまでやったらいいの?」
余りの早業に周りは言葉を失った。自分にあの動きが出来るのだろうか。いや、出来ないと思ったから出来た静寂。
そのあまりの一体感にミヒトも同調してしまい、すぐ答えることが出来ず息を飲んでしまった。
「驚いたぜこりゃ……イェレアスの奴、いつの間にあんな動けるようになった」
モウルが静かに驚きの声を上げた。
ほかの候補者たちも口々に賞賛の声と拍手を送った。
たったの八回。光の軌跡が駆け抜け、あっという間に熊の模型は左足を残して、その首が落ちかけていた。
「それじゃあ、この熊型から手足の一本を取ったら合格と言うことにしましょう」
「なら私は四人分の合格ね」
光の剣はするりと振り抜かれた。
こうして、悪魔たちと戦う兵士候補の合格者として、まずはイェレアスは一番乗りを上げた。
ミヒトの操る炎のかぎ爪を持つ熊型と対戦して、文字通り一本取ったら合格と言うルールが定まり。70人弱の兵士候補者が戦うことになった。だが。
結論から言って、二本以上取ったのはイェレアスのみ。辛うじて一本取ったのが僅か7名であった。
イェレアスの条件に合わせて、最初から右腕のみ炎のかぎ爪で体術を扱う状態だが、振り下ろし後のかぎ爪に背中を襲われ失格する者が続出。
あわや大惨事になる所を、ミヒトがまた新しく《偏向力場壁》と言う魔法を作り、これを展開することで惨事は免れた。
後続の挑戦者たちはイェレアスの真似をして、受ける際にカウンターで腕を落とす。滑り込んで足を落とす。あるいは意を決して飛び込み頭をカチ割るといった博打に出た者もいた。
そんな70人分の内、何とか成功した7名だった。
触れれば消し飛ばすという、切るという行為に対して望外の結果をもたらす魔法だったが、それを扱えるのは僅か1割程度という結果になった。
「この形式が厳しすぎるのもありますけど、ひと月は短すぎましたね」
「違うわ。よくわからないからよ。今日初めて戦うことを身に覚えたんだから、次のひと月は別物になるわ」
そういうイェレアスは、確かに悪魔と戦った経験があるからこそ、このひと月はほかの者との訓練の想定が違うのだろう。走り込みも、素振りもおろそかにはしない。
彼女には姉を守るという確固たる目標と、それを脅かす明確な敵とすでに対峙したのだから。
「別物と言えば、この魔法だけど。やっぱり使える人はすくないと思う。あの熊みたいに剣に魔法をかけた方が合格する人が多いはず」
そう言ってイェレアスはミヒトを見上げた。
「《ムーの剣》は重さを感じないから遠慮しちゃうのよ。あの熊の奴と同じ感じの剣を出して!そしたら合格する人も多いはずよ!」
「確かに……。」
《ムーの剣》は実体を持たない為、重心を感じない。強力ではあるが、考えなしに振り回せば相手よりも自分の体を消し飛ばしかねない諸刃の剣だ。
少し考えればわかった事であったが、あえて思考を放棄して生活しているミヒトにとっては考えてもみなかったことであった。
事実、魔法を付与した爪も今日の打ち合いを交えたから思いついたことで、やろうと思えばできたことだ。
「そうですね!すぐにやり直しましょう」
そう言って《ムーの剣》を付与した実体剣と《ムーの剣》でもう一度挑む者で再度やった試験をやった所、結果は大きく変わった。
全員で実体剣での再挑戦をしたところ、合格者は50人と増えた。
逆に《ムーの剣》での再挑戦の合格者はイェレアスを含めた8人から、5人へと減ってしまった。
イェレアスは実体剣では比較的苦戦したが、熊型の足を落として合格。
そして《ムーの剣》を使った際は、最初と同じく一度の打ち合いで右手、右足、首を早業で落とし、これまた3人分の合格をつかんだ。
その圧倒的な姿、迷いのアクションを目の当たりにしたミヒトは思わず口に出していた。
「凄い……まさに銀河の騎士だ。」
「キシ?いいわねそれ!《ムーの剣》で合格を勝ち取った私たち5人は、そのキシって奴になりましょう!」
イェレアスは”騎士”というシンプルな響きが気に入ったのか、あるいは自分は他とは違うと誇示したかったのか、その呼び名が気に入ったようだ。
彼女を除く他4人は自分たちが呼ばれることに納得していないが、拍手をした。
彼らに続いて集まった皆が拍手を送り、祝福した。
目標が曖昧だったほかの候補者も、今はその目に明確な目標が映っていた。
意に決したものを守る、今、この異世界での唯一の存在を。




