探し人は…
天高くそびえ立つ牙城に突き上げられた移民船。
支えである牙城が崩れ去り大河に向かって落ち行く船をミヒトが何とか食い止めた。
悪魔との戦闘と、空中落下の恐怖で皆意識を失ってしまった。
小さな太陽が昇り、それよりも大きな太陽が地平線から顔を出すと、この世界では朝ということになる。
だというのに、大きな日陰に包まれたイェレアスは、双子の太陽が自分の真上に来ていることも知らずに眠りこけていた。
船と言うには余りにも広すぎる。どこまでも続く樹木の歳月が刻まれる床、人が住めそうなほどの帆柱は完全に折れ、その切り株の先からピンと腕よりも太いロープが幾つも上に伸びていた。
切り株に生えた茸の様に隙間を寝床にしていた彼女だったが、赤髪に火を宿すように光が差し込んできた。
「う、眩し…」
身体中に泥でもついているかのような重みがイェレアスを覆った。疲労と睡魔にのしかかられ再び夢現にゆりかごに乗り込まんとする彼女だったが、眠りに再びつくことは無かった。
耳に届いた風を切る音が、モナ、姉の姿を思い出させたのだ。
「モナおねえ…。はっ、何処ですか?!モナお姉様!
不自然に隙間を開けて固まっていた腕、そこに姉がいたはずだったが、いないとわかるや彼女は目を見開いた。
電気が走るように、イェレアスは素早く立ち上がり周りを見渡した。
船の上には人やエルフ達、それから鳥を祖とした獣人たちが多く見受けられた。その中に見知った顔が何百と、そのうちイェレアスが名前まで知っているのは指をすべて使うほどだろうか。
帆柱だったハズの切り株に手慣れた手つきで乗り込み見下ろす。
「モナお姉様…」
この船の板上に姉、モナがいないのは一目見ただけでわかっていたが、それでもすぐそばにいるかもしれないと目を凝らす。
「イェレアス~!そんなまじめに見つめてどうしちゃったの」
「オイオイ、高い所に上っちまってそんなにスギタラが恋しいのかぁ?」
イェレアスの友人や彼女を知る人に声を掛けられる。イェレアスは気恥ずかしさなど捨てて正直に答えた。
「残念、恋しいのはお姉様なの!モナお姉様がどこにいるか知らない?」
「お姉さん?確か船の中で見かけたかしら?ところでイェレアス…」
「ありがとう!またね!」
イェレアスは折れた帆柱を飛び降り、感謝を述べると船内に向かって駆けだした。
船内を目指して駆けていたはずだったが一向に船内への入り口にたどり着かない。ただでさえ巨大な船、ミヒトが大森林の大樹を魔法でもって作り出した箱舟はその船首と船尾にしか船内に入る入り口が無い。
走っているとようやく頭が起き始めた様で、船の構造を思い出したイェレアスはハッと後ろを振り返る。
時すでに遅し、イェレアスが飛び降りた帆柱が立っていた直ぐ下にそれはあった。ただでさえ飾り気のない地味な船だが、船首と船尾だけは一段高くなっていた。
一段高い船尾の帆柱からイェレアスは飛び降り、そのまま目に見えた船首の入り口に向かったため、直ぐ下の船内への入り口を完全に見落としてしまったのだ。
「う、ここまで来ちゃったら前でも後ろでも変わんないわよ。はぁ…」
ため息を吐くイェレアス。ふと後ろを見たついでに船が大きく変わっていることに気が付いた。
上だ。何枚もの布地がかけられ。風を使って進んでいた船の帆が、鈍色の太いロープで一つに束ねられた、まるで網にかかった大鯰の様に変わっていた。
「なにこの、でっかい帆は。変わった形してるけれど、こんな形で本当に進むの?」
疑問に思ったイェレアスは景色を見ようとするが、彼女の耳に聞き知った声が情けなくイェレアスの名前を呼ぶ。
「ぅおぉぉい、イェレアス、その、フフを、見なかったか?」
船の中央に位置する帆柱に爪を立ててしがみつくモウルの姿だった。
いつもは湖畔を反射させたギラつく紺色の毛並みだが、今は汗か涙か、ぺったりとくっついて情けないことこの上ない。
「モウルさ、狩り人長なんだからそんな情けない姿しないでよ!それに息子くらい自分で探しに行けばいいじゃないの!」
確かに昨夜の事を思い出せば身震いする。いや、治っているハズの腕に激痛を錯覚する程、忘れたくても忘れられないだろう。
悪魔と言う未知の存在、無我夢中で戦った記憶。イェレアスが自分の存在意義を、誰かにやってもらうのではなく、自分でやる、やらなければならないと心に、刻むように。自分一人で変われないなら誰かに変えてもらうしかない。そうでもしないと前に進めないのだから。
ミヒトに魔法を教えてもらったことが、確実に自分を変えたとイェレアスは思う。あのまま自分だけで鍛え続けていたら、ミヒトに会えなかったら、自分の無力さを知る事が出来なければ、誰かに頼る心強さを知らなければ。いつまでも、自分の中で過去の姉の存在が、神様の様に大きくなり続けただろう。
だったら、イェレアスはもっと進むべきだ。情けないモウルを見たイェレアスはこうは成るか、なってたまるかとモウルの腕を引っ張る。
「ままま待ってくれよ、頼むイェレアス!フフを探してきてくれ!おおう動けないんだよ!」
「うっさいわね!だったら私が動かしてあげるわ!」
しつこく四足で床に爪を立てるモウル。イェレアスもこのまま引っ張り続けれっばモウルの必死さに時間をとられてしまうだろう。
ふと、床に転がった千切れたロープが目に留まったイェレアス。程よくほぐし、輪を作る。
両手両足と言うべきか、必死に床にしがみつくモウルの首にさっと輪を通すとおもむろに進みだした。
「うごごいいい!?!?」
「行くわよ!私はモナお姉様を探すのでい・そ・が・し・い・の!」
「おご、せめてこいつ解いてくれ、ひ引っ張らないでくれ!」
モウルの首に巻き付いたロープ、何とか両手で抑えているが口の牙も腕の爪も使えない。ならばと足の爪でロープの切断を試みるモウルだったが爪は食い込めど切れやしない。
大森林の大樹、植物性の蔦のようなロープだが、これもミヒトが魔法で作った物。言ってしまえば鉄が含まれた鉱石と、高度に精錬しきった鉄鋼と言ったところだろう。
事実、純粋な植物では無く、一度大樹をバラバラにして、ミヒトの魔力、魔法でもって作り替えた物のひとつなのだから。
「ぐげえええ?!なんでこのロープ切れないんだ~!」
その事実をモウルは知ることも無く、イェレアスに引きずられて箱舟の船内へ吸い込まれていった。
箱舟の中は温かく、外がいかに寒かったのだと理解する。それをわかるのもイェレアスが薄着で温度の変化をしっかりと感じ取れる人の種族だからだ。
もちろんその変化を感じ取れるのは何も人間だけではない。この船の中にいるエルフたちや、ドワーフたちも温度の変化には気が付くだろう。それでも、人間が温度の変化に気が付きやすいのは体の弱さにある。
ドワーフたちの様に体が丈夫なわけではない。エルフたちは人間に近いが、彼らも人間たちに比べて体が強い。
獣人であるモウルも温度の変化には疎いが、彼としてはわざわざ寒いから移動しなければと思考するほどではない。何処かへ移動するというよりも体が居心地の良い場所を探すというのが適切かもしれない。
そのモウルは船の中に入ると先ほどまで取り乱していた姿は幻の様に消え去っており、いつの間にかロープを解いて周りを見渡していた。
「息子よー!フフ―!どこにいるんだー!」
「そんなに大声出さなくってもいいじゃない。狩り人長ご自慢の鼻があるんでしょ?」
モウルの大声に、船上よりも少しだけ幅が狭まった船内の大通路中に響き渡る。
ドラゴンや多くの獣人はもちろん、人間たちにだって聞こえ、彼らの視線を集めた。
「いや、臭いが多すぎて少しわかりづらいな。せめて昨日の疲れさえなけりゃあ探せるんだがな」
「それは困るわよ…」
イェレアスもただ呆れてモウルを引っ張って来たのでは無い。彼の鼻、嗅覚を頼りにするため引っ張ってきたのだ。
この多くの人々から嗅ぎ分けるのは確かに時間がかかるだろう。それに昨夜の戦いは確かに、自分たちの身体を大きく疲弊させたものだった。
モウルの嗅覚が期待できないとなれば単純に二人で手分けして探すしかない。
「モウル、フフを探してあげるからモナお姉様も一緒に探してくれる?」
「ああ、それくらい簡単なもんだ。このモウル様に任せてお…」
いざ探しに行こうとしたところ、人混みの中、人々の足元から小さな子犬が飛び出してきた。
「とうちゃーん」
「フフ!よく分かったじゃないか?!どうやって分かったんだ?」
「とうちゃんのにおいがあったんだ!だからきたんだ!」
「そうか~えらいぞフフちゃん!フフなら立派な狩り人になれるな!」
探すまでも無く、モウルの息子であるフフは父の臭いですぐに分かり、ここまで来たという。
そう語るモウルの瞳には、何処か疲れか、憂いか、その瞳が何を語っているのかイェレアスには読み取れなかった。
「そうだフフ!モナお姉様を見なかった?!白い服と赤、を白で薄めた感じの髪で」
「しってるよ!さっきまでいっしょにいたもん」
「よかった、お父さんより頼りになるね!」
「えっへん!とうちゃんよりすごい!」
「おいおい、イェレアスよぉ。そりゃないぜって」
がっかりして見せるモウルだが、イェレアスはフフを抱えて先を急いだのだった。
人混みをかき分け、小さな狼の子供が指さす先へと向かう。
初めて見る場所、未だにどういう仕組みでこの巨大な船が進むのか、イェレアスの今頭にある知識では到底理解できないが、それも今だけだ。
あの大火災から皆こうして立ち上がり、新たな生活を始めようとしているのだ。この船の様に、ミヒトが自分たちを導いてくれる。自分たちがより強くなれば、それだけ姉、モナの苦労は減っていくだろう。
だが今は、姉に会いたい。フフの指さす先へ。
人混みを切り抜け、大体モウルを引きずった距離程、船の広間に出てて来たフフとイェレアス。それからモウル。
その広間にも多くの人たちがいたが、皆中心を遠巻きに見ていた。
広間の中心、食事が出てくる魔法の皿が乗った卓を挟み、探していた姉、モナ。そして黒緑の髪の悪魔が対峙していた。
「再三言わせないでください。私とそこまでおしゃべりしたいのでしたら、契約して聞けばいいだけだと言っているでしょう?」
「私は、双創神であるムー様とデュー様に悪意を持つ貴女と、そのような悪しき取り決めをしないと何度でも言います!そして、貴女の口からでもいい!イェレ―を傷つけたこと、謝っていただきます!」
モナの穏やかな瞳が、いつになくらしからぬ目で悪魔を睨みつけていた。
そんなモナの視線をものともせず、モナの後ろから見える一向に手を振って見せる。
手を振って見せる姿は、その色彩の欠けた白黒のドレスに合わない気品さ、優雅さというべき姿をイェレアスに感じさせる。
自身の首にぶら下がっている鎖をそっと持ち上げて揺さぶり、ここまで来てみろと言っているようだった。
イェレアスの心に炎が燃え盛る様だった。しかし、それをどこと知らぬ場所に押し込まれる。
燃え、隠され、盛り、押し込まれ。結局小さな不快感にまで抑圧されるとようやく姉の隣に向かって足を踏み出した。
抱えていたフフを父の腕に返し、イェレアスはモナを背に隠し、悪魔と対峙した。
「どうやら、愚かなあなたと違って、イェレアスさんは私とお話ししたいみたいですね」
「今度モナお姉様を愚かなどと言ってみなさい。神様と違って、私はすぐに手が出るわよ」
「お分かりのはずですが、私に危害を加えることはできないと、“契約”されていますよ」
「わかってるわ。だから、アンタも理解できてないその“契約”とやらをよく知っている奴のところまで行くわ」
そうイェレアスが言うと、黒緑の髪の悪魔、ドールの眉が少し沈んだ。“契約”をよく知る者。この悪魔を箱舟縛り付けた神からの遣わされた使者に問いただしてみるのだ。
白銀のドラゴン、神に与えられた名をミヒト。彼にその“契約”を問いただす。
「ところで、ミヒトってどこいるのよ」
姉を探すことに夢中になっていたイェレアスは巨大なミヒトの姿を見つけられていなかった。
お仕事が忙しくて投稿が遅くなりましてすみません
来年の目標は今年よりも多く投稿、月に2回投稿ですね
来年もよろしくお願いします。どうかよいお年を!