妹の戦い
白い風のヴェールに包まれ、世界と隔絶されたモナの声に従い、刃の悪魔、ドールと空で対峙するミヒト。
一方、巨大な木造船、アークと名付けられた船の上では、《泡の津波》の魔法で力を削がれた炎の悪魔、炎華と対峙するモウルがいた。
腕がへし折れていようと、イェレアスは立ち上がらなければならない。唯一の家族を守るため、妹は戦う。
夜空に煌々と輝いているはずの月は、今や暗雲に覆われてその姿を隠している。空に浮かぶのは、白銀のドラゴンと緑の三つ編みを揺らす刃の悪魔、彼ら二人のみが浮かんでいた。
彼らが戦う下、ミヒトに箱船と名付けられた巨大な木船の上でもう一人の悪魔と対峙する男がいた。
狼の獣人、モウルは傷を負って動けなくなったイェレアスに代わって、炎の悪魔と戦っていた。最も、モウルは回避ばかりで、彼が放つ爪は悪魔に何ら傷を負わせていない。
炎華と呼ばれたその悪魔は、赫々と燃え盛っていた髪の毛は今や消し止められた炭の様に漆黒に染まる。力を持て余した拳と比べれば弱弱しく見えるが、その拳でもってイェレアスの腕をへし折って見せた。
決して炎華の拳を喰らってはならないが、今は悪魔が振るう拳や蹴りを躱すことはモウルにとって容易だ。しかし、悪魔が再び炎を宿した時、その攻撃は避けることも、耐えることも許されないだろう。
やっとの思いでドラゴン達と共に放った消火の魔法を喰らわせ、力を削いだのだ。モウルは今自分が成すことは一刻でも多く時間を稼ぎ、イェレアスの回復を待つこと、そしてこの悪魔を再度怒らせないこと、炎を宿してはいけないことだと考えた。
「あんた、いったい誰に育てられた?名前は?親は?生まれた場所は?あんたは一体何なんだ?」
自分の口から出た言葉の意味が、モウルには理解できなかった。ただ、《治癒》の魔法で回復するイェレアスから意識を遠ざければ何でもよいと思い、口走った。
モウルは一人では狩りをしない。それはスギタラの湖に暮らす全ての狩人たちが持つ考えだ。必ず群れで狩りをし、互いを助け、逃げ場を無くす。だから一人で戦うよりもイェレアスを待つことにした。
船にはモウル以外にドラゴン達がいるが、彼らは攻めあぐねている。食べることを必要としないドラゴン達は、当然狩りの方法や鉄則というものを知りはしないし、知る必要もないからだ。
悪魔は攻撃の手を緩めることは一切しない、イェレアスというモウル一粒の希望を叶えようとするかのように、悪魔は質問に答えた。
「私はユウト様に生み出された悪魔の一人、炎華。ほかの何物でもない、唯一の存在だ」
まさか自分が口走った言葉に素直に応じるとは思わなかったが、これを好機と見たモウルは続けて質問を考える。
二足で、四足で、多様な回避で悪魔の振るう攻撃をすり抜けるモウル。付かず離れず、彼女の視線を自分に釘付けしながら、次の質問を炎華にぶつけた。
「じゃあエンカと言ったな、上にいる悪魔は何なんだ?唯一じゃないのか?それともエンカを生み出した、そのユウト様とやらがすごいのか?」
怒らせることのないよう、慎重に、そして相手に考えさせるように質問を繰り出すモウル。
考えなしなのか、それともそれが彼女の性格なのか。炎華は攻撃の手を止め、構えることなくモウルの質問に答えた。
(頼むぞ、イェレアス。お前には俺だけじゃない、息子の命も、この船に乗るすべての者の命がかかっているんだ―――)
―――イェレアスは冷静だった。先ほどのドラゴンと即席でミヒトの魔法を発動した時から、炎華に腕をへし折られる直前まで。いや、へし折られても尚、彼女の心に姉という柱が立つ限り、彼女は気高くふるまうのだろう。それほどイェレアスの中で姉、モナの存在は大きい。
視界をふさぐ赤髪を退かすと、悪魔の動きを引き止めているモウルの姿が映る。イェレアスはすぐさま《治癒》の魔法を唱え始めた。
姉から受けた《治癒》の魔法はいつが最後だったか、もちろん、イェレアスは忘れたことは無い。
口からこぼれるように詠唱の言葉が落ちると、それらはイェレアスの怪我を結ぶように幼い日に貰った魔法を形作っていく。
「“神よ、愛を与えたまえ。流れる血は家族を。受けた肉は繋がり、在りし日の約束を果たすべく我が身を癒さん”―――」
魔法を行使したイェレアスだからこそ理解できた。これは自分が発動した《治癒》では無いと。
その魔法を一番身近で何度も貰った妹だからこそ分かった。今施されている魔法が最愛の姉、モナが、あたかも自分の隣で魔法をかけているような魔法だと。
彼女は、すぐさま本来姉がいるはずの後ろを見る。月光が雲に覆い隠された夜は、人間にとっては視界の利かない世界。
しかし、船の床で跪き祈る神官としての姉を直ぐに見つけることが出来た。モナの輪郭が白い風に照らされこの夜の世界に拒絶されるかの様にから浮かび上がっていたから。
姉を照らす糸より細い白い風が、イェレアスの腕に絡み、魔法と結びつくように形を変える。悪魔によって一瞬でへし折られた腕はどんどん治っていく。時間をかけて治っていくのではない。まるで、傷を知らないあの時に戻るように、あるべき健全な姿へと戻っていくような《治癒》の魔法だった。
疑問や確認したいことは山ほどあった。何故この風から姉のぬくもりを感じてしまうのか?いつまでも祈り続ける姉は平気なのか?あの悪魔の正体は?だがそれらは後回しにしなければならない。
治った腕は光を宿しているうちに、あの悪魔を打ち倒さなければならないと思うイェレアス。それが今自分の成すべきことだと、姉に、否、姉を介して何か、神のような存在に言われた気がした
気が付けば悪魔を引きつけていたモウルは立ち止まり、悪魔と問答を繰り返している。その問答は苛烈しはじめ、炭の様に黒く染まった悪魔の髪に火の粉が舞い始める。
「ところで俺は森で狩人をしていたんだ。一人じゃなくて何人も何十人も一緒で狩りをしてきた」
モウルがより一層声を張り上げ、悪魔の話を遮って見せる。
今しかないと、彼女はモウルの意図を理解し、船上を駆けだした。
「私を狩るとでも言いたげだな犬!避けるばかりで戦いにもならんな!」
「確かにそうだ。このモウル様一人じゃ戦いにも、狩りにすらならんさ…一人ならな」
悪魔の背後に駆けるイェレアス。モウルが稼いだ時間を無下にするわけにはいかない。
何より、あの人知を超える強靭な肉体を持つ悪魔に対抗する方法を持つ者は、上空に飛んでいる白銀のドラゴンのミヒト。
そして、そのミヒトから魔法を貰い受けたイェレアスだけだ。
「ミヒト―――力を借りるわ!」
イェレアスの頭に過る記憶、ミヒトから受け取ったあの光を、今度は自分で放たなければならない。自分が名付けた魔法、姉を超え守ることが出来るかもしれない力を、憧れ、教えを乞うた魔法。
目前に悪しき存在がいるにもかかわらず、あの時感じた恐怖が体に走り、震えて来る。震える手で光を宿したその腕を掴む。心に感じたそれを、飛び超えるように足に力を入れる。
「私の隣、ううん。もっとずっと近くにお姉ちゃんは入る。私が守るって決めたの、だから―――」
震えた腕では無い、彼女に宿った光を掴み、抜き放った。手は漂う空気と彼女の魔力を吸い込み、白風がイェレアスの思考と魔力を結び付け、空気を焦がす光球を生み出す。
震えは消えた。今、この瞬間の彼女に恐れは無く、悪魔に跳びかかった。
「”神よ、我が行動に見守り給え。あなたの名に、相応しい力を貸して!”―――」
両手で構えた光は棒に形を変え、彼女が名付けた、神の名を冠した魔法の名を叫んだ。
「―――《ムーの剣》!!」
光の棒は張り裂け、抑えていた力が拡散する。炎華と名乗った炎の悪魔は後ろを振り向く。不気味に浮きだった棒が弾け、視界を奪うほどの閃光が悪魔の目を焦がす。
咄嗟に出した左腕は、構成する組織を破壊され黒の液体がわずかに漏れでる。
ミヒトが作った魔法そのままに再現しきった光の剣は、悪魔の腕を切り落とした。
「ミヒト、確かに。見て、覚えたわ―――。」
「私の腕が、な!?く、侮った」
重さも、切り落とした感触もない剣に一瞬戸惑うイェレアス。続けて二振り目を繰り出すが、一瞬の動揺を炎華は見逃さなかった。
悪魔は翼を広げ、離脱を試みる。
距離を稼いだものの、イェレアスが振り回した《ムーの剣》に触れてしまったのか、大きく削がれてしまい床を転がる。
「くっ、お前!」
自身の体に大きな負傷を与えたイェレアスを呪うように雄たけびを上げ、黒色に染まっていた悪魔の髪は逆立つ。
髪の芯から火の粉を蒔き散らし己の力を取り戻さんとする。綺麗に焼灼された腕の断面が裂けて中から黒色の液体が垂れていく。
モウルは悪魔に対するように遠吠えで返した。知性のない獣の様に唸り声を上げ悪魔を睨む。
唸り声の中から知性を絞り出したモウルはイェレアスに声を掛け、上へ目線を送った。
「イェレアス、仕掛けるぞ!」
「わかっているってば!」
イェレアスはモウルの遠吠えの意味を知っている。彼の遠吠えをする理由が三つある。一つ、遠くの仲間を呼ぶため。二つ、仲間と喜びを分かち合うため。そして三つ目は、彼が魔法を使うときだ。
モウル達獣人が扱う《回帰》の魔法。回帰というが実際は力を増幅させ、思考よりも早く行動が出来るようになる魔法。匂いや聴覚、視界から得る情報を直感的に処理し、先ほどとは比べ物にならない脚力と腕力を振るう。
モウルの駆ける足は大きく筋肉が膨張し、その爪は船の床を傷つけた。その素早い動きでもって炎華の足に喰らいつき、彼女の肉と共にすぐさま離脱する。
今まで避けることしかできなかった獣人が自分に傷をつけた。そう考えると自分が馬鹿にされたように感じ、炎華は腹の底から激情が湧き上がる。堪えることは無い、それがこの悪魔の力の根源だからだ。
燻っていた黒炭のような髪の毛に炎が宿り、再び燃焼した髪を揺らし始めると、悪魔は炎と翼を広げた。
襲い掛かる炎、しかし怯むことなく悪魔に向かう二人。彼ら二人だけでない、船上に集まったドラゴン達には白銀のドラゴン、ミヒトが施した《火炎抵抗》の魔法によってその身を守られているからだ。
「何故!?私の炎が効かない!」
「そいつはアンタが立つこの船も同じじゃないのか?」
モウルは口からこぼれた炎華に言葉を返すと、四足で木の床を抉りたてながら炎華の首元に襲い掛かる。
爪は空を切り、火の粉だけがその場に取り残された。彼らはすぐさま上を見上げる。
翼と炎を広げ、上空に漂う悪魔は二人を見下ろす。
「ここまでは来れないだろうな!犬風情に遅れをとったが、これで終わりだ!」
「ええ、それで終わりよ」
「俺たちの勝ちだ!」
「何?!」
見下ろしていた炎華だったが、自分よりも上を見上げ勝利を宣言する彼らが何を持って確信しているのか。
咄嗟に空へ飛びあがった炎華が疑問を感じるよりも先に、答えが聞こえてきた。自分の燃え盛る髪の毛が、力の根源が締め上げられ悲鳴を上げている音が聞こえる。
上を見上げると自分を押しつぶすように泡の天井が出来ていた。自分から力を奪った憎き魔法。
今まで岩の様に動かなかったドラゴン達が再び《泡の津波》の魔法、その応用を繰り出していたのだ。
「我らに出来ることはこれくらいだ。悪しき者よ、悪いが空への逃げ道は塞がせてもらった」
ドラゴン達が炎華に向かって語りかけているが、当の悪魔はそれどころではない。
泡の向こう、視線の先には白銀のドラゴンの手中に自分と共に生まれた悪魔、ドールが握られていた。動かなくてはいけないとわかっていても、動揺の余りその光景に釘付けになった炎華は下から打ち上げられたイェレアスの攻撃をかわすことが出来なかった。
目の前に映る光景に、ただ怒りを感じることが出来ず、失意に飲まれる。悪魔は体を二つに裂かれ、床に打ち付けられる。
空に光が走った。一拍も置かず轟音が鳴り響く。モウルは身構え床に伏せる。しかしイェレアスは立ち尽くし、何もできなかった。
戦いが終わったと思うと今まで張りつめていた神経がぷつりと切れ放心状態となる。周りの音が遠くに聞こえ、焦点も定まらない。床に転がった悪魔の恨み言や大地を揺らす音にも、降り始めた雨が頬を伝っても気にも止めることが出来なかった。
駆け寄ったモウルに揺すられてようやく意識を取り戻すイェレアス。
気が付けば、手の中から幻の様に光が消えていた。もう役目は無いと、風の様に。
「おい、イェレアス!しっかりしろ!」
「モウル…終わったのよね?」
ぼんやりした視界を振り切り姉を、ミヒトを見る。二人の無事を確認したイェレアスは悪魔に目をやる。
肩から腰に掛けて真っ二つに切断された悪魔を見つめる。動物や人であれば完全に死に至るところだが、火種は完全に消化しきれておらず悪魔の口から絶えず後悔といえる言葉が漏れ出ていた。
「まだ、生きてるの?」
「どうゆうこと知らねぇがそういうことみたいだな」
まだ息のある悪魔に驚きを隠せない二人のもとに、ミヒトが降り立ってくる。
「二人とも、大丈夫ですか?」
「ああ、イェレアスがやってくれた」
「ミヒトに教えてもらった魔法が役にたったわ、あの時教えてもらってよかった」
「それはよかった。でも油断しないでください、北からまだ来ます!」
「ああ、わかってるよ。さっきから全身の毛が逆立って気味が悪いぞ」
「なんなのよアレ…岩が押し寄せてきている?!」
三人は一堂に船上から北の山脈を見つめる。
ミヒトが空で見つけた城の数々、大地を盛り上げて大河に向かって濁流の様に乱立していく。列に並んだ城をまるで万里の長城と連想するミヒトだったが、そんな優しいものでは無かった。
ドラゴンの視界は雨天だろうと闇夜だろうと関係なく、物が何百m、果ては山頂あろうと些細なこと。視界にとらえたものは記録し、時が止まったかと錯覚する思考速度でもって分析できる。
もはや並みのパソコン以上に超越したミヒトの思考速度は視界に映ったものを分析し終えた。とはいっても知識は人並み、一先ず分かったのは、城には過剰なまでに大砲が付いており、濁流の様に建造されていく城の尖端に角を生やし、翼を持った人影が二人いるということ。
不安なのか、イェレアスは思いがけず怒鳴るようにミヒトに問いかける。
「ミヒト!何か見えた?!あんた大きいんだから何か見えるでしょ!」
「見えた、悪魔が二人―――城に乗って来る!」
いろいろあって更新できませんでしたけど、ようやく更新です
次回でいわゆる第一部の登場人物がそろいますかね
第一部とかつけてないですけど・・・




