消し止める地獄の炎
堕天使ユウトがミヒトに向けて放った《地獄の炎》
その炎は術者の意に反し東の大森林を飲み込もうとしていた
ある声と、一つの光に導かれ、ミヒトは死の淵から這い上がる
「おい!起きろ!起きろって言ってんだろ!」
ミヒトの頭に男の声が聞こえる。じんわりと開かれる目には、うっすらと狼の親子が映る。服を着た狼に驚き、咄嗟に逃げようとするミヒトだったが体は鈍く、錆び付いているかのように動かない。
辺りの樹海は炎に包まれ、夕焼けの様に夜空を黄昏に染めている。視界が広がり周りの光景を認識し始めると、ようやく思考も正常に回りだし自分に何が起きたのかを把握し始めた。
そうだ、僕はドラゴンだ。目の前にいるのが獣人のモウルさんだ。首が固まったみたいでうまく回らない、体もよく動かない。
確か。探していた堕天使が、ユウトさんが話を聞いてくれなくて。セレヴェラさんが刺されて、僕が怒ってしまって。それで戦いになって、槍で刺されて、落ちた。
僕は・・・・・・。そうだ、やらなくちゃいけないんだ。もう迷わない、ユウトさんを、あの堕天使を止める。それが使命なんだ。
どこからか湧き上がる使命感に満たされるミヒト。衝動に突き動かされ、先ほどまで鈍く動かなかった体に鞭を打つように立ち上がる。
ミヒトは全身に残る倦怠感を無視し、痺れる手足を動かして翼を広げる。
あの夢、先ほどまで見ていた幻想で掴んだ光。そしてそれ以前に自分の迷いを断ち切ったあの声は。疑問を抱くことが多いが、それよりも早く炎を消し止めなければならないという責任感に追い立てられる。
ミヒトの恐るべき聴覚はスギタラの森に響く、幾重にも重なった声を捉えている。悲鳴、泣き声、嗚咽、絶叫、その全てが、誰かの助けを待っているのだと、ミヒトは空へ飛び立つ。
「待ちなさいよ!まだ《治癒》の途中よ!戻って!」
イェレアスの声はミヒトの羽ばたきにかき消され、彼に届くことは、少なくとも使命に包まれた心には届か無かった。天使セレヴェラの力を借りて白銀のドラゴンを治療していたが、その体制は万全ではない。
神官として巨大な傷口を塞ぐなどイメージできることでは無い。それも完全に心臓が分離してしまって死に均しい生物を直すなど想像もできなかった。
魔法を使うということは体の内にあるマナを使うという事、マナだけで体を構成している天使にとって、自傷行為に等しいことだ。故に天使は魔法を使うことはできない。しかし、セレヴェラは体を構成するマナをイェレアスに分け、《治癒》を補助した。
そのセレヴェラ自身、ユウトから受けた致命傷を治されたばかりであり、イェレアスに分け与えられたマナは少なく、十分な治療にはなっていない。気を失いそうなほどギリギリの彼女たちは、突如動き出したドラゴンを止めることはできなかった。
上空に飛び上がったミヒト、上から見える大樹海は考えている以上に火の手が回っていた。スギタラの湖の半周は赤々と燃え、広がっている。途中大きくかけ真っ黒になっている個所が見つかるが、ミヒトとユウトが戦った場所、出火元だろう。
一部はミヒトが消してはいたが、それでも火の勢いが勝ったようだ。ミヒトは落ち着いて消火方法を考える。効果的、かつ安全な方法を。
消火方法、水?いや、僕自身が生み出せる量の水なんてたかが知れている。だったら消火剤?粉?いや待て待て、逃げ遅れた人とかどうするんだ。確かSF映画で泡が噴き出して消火するものが有ったな。酸素を遮断して消すとか、ガスや粉末に比べて人体への影響が少ないとか。いけるか?
瞬時にミヒトは自身の記憶をたどり裏付けする。映画で見た光景、テレビで得た知識、所詮他人が言っていた事でしかなく、絶対とはいいがたい。だが、やる価値は十分ある。半分も回復していない自分のマナを使いミヒトは新たな魔法を作り出す。
下には自分を助けてくれた四人が見える。彼らを覆わんと迫る炎に狙いをつけてミヒトは新たな魔法を解き放つ。凛々しくも雄々しく口を開ける白銀のドラゴン。口から勢いよく放たれた白い泡のブレスは薙ぎ払うように燃える樹々に降りかかり炎を包む。
上から降り注いだ泡は木を伝って下へなだれ込み、火元を包んでいく。炎は泡で蓋をされ、しばらくすると火は白旗をゆらゆらと掲げた。ドラゴンが放った泡のブレスは見事に炎を消し止めたのだ。
よし、よし!うまくいった。少しイェレアスさん達に掛かったけど問題はなさそうだ。少し消費が重い気がするけど、この調子で、う。
消火成功を噛みしめていたミヒトだったが、ズクリと胸が締め付けられる。猛烈な痛みと違和感を感じたミヒトは下へゆっくり降下する。
着地するとモウルが子供を抱えて真っ先に駆け寄る。モウルの美しい毛並みは最初に彼に助けを頼んだ時と比べ、返り血でどす黒く染まっていた。自分に刺さっていた槍を抜いてくれたのだとミヒトは悟る。起きて早々飛び上がってしまい感謝を述べるのを失念していたことを思い出し、ミヒトはモウルに感謝を述べた。
「モウルさん、助けを呼んでくれてありがとうございます。お陰で助かりました」
「そんなことはどうでもいい!大丈夫なのか、お前、胸は!」
「ええ、動けます。それに胸だって」
大きな手で自分の胸を触るミヒト。割れたガラスを集めたような鱗、その下にうっすらと張りつめた皮、鼓動がならない静かな心臓。ミヒトがモウルの心配を理解する。
ミヒトが理解した状況を裏付けるように、セレヴェラとイェレアスがミヒトに刺さっていた槍を持ってくる。
「コレ。」
イェレアスは続けて何か言おうとしたが言葉が出なかった。それでも目の前で鼓動を打つそれを見せられれば嫌でも状況を理解できる。ミヒトの心臓は体内に無く、目の前の槍に刺されたままだという事。
成し遂げなけなければならない自身の使命と、今にも襲い掛かるかもしれない死の不安に挟まれたミヒトだったが、何か言わなければイェレアス達を不安にさせてしまうと考える。ミヒトは軽率に嘘を吐いた。
「それなら大丈夫だよ。ドラゴンは死なない。少なくとも、僕は特別だ」
「そ、そうなの?本当に大丈夫なの?」
「ああ、それよりも火事を止めなきゃ・・・」
追及するイェレアスに対して話題をすり替えるミヒト。神から受けた言葉、“堕天しない限り不死身”その言葉に偽りないことを信じる他ない。それに今は大森林を飲み込まんとする火の手を止める方が重要だった。
ミヒトの聴覚は、炎の中で助けを求める声を捉えている。両手では抱えきれないほどの声、助けるためには火を止めるしかない。天使のセレヴェラは助言を出す。
「先ほどの魔法を放てば消し止められるのでしょう?なら私達天使のマナを使って魔法を使えば・・・」
「それは、駄目だ。一度に多く使うからセレヴェラさんたちでも足りない」
ミヒトは静かに《魔力感知》を使いセレヴェラの魔力量を見る。薄暗く映るセレヴェラ。イェレアスに至っては他の色を吸い込むように黒く映り、マナは無いに等しく、いつ気絶してもおかしくない状況だ。そんな二人のから浮き出るように一際浮き出て見えたのがミヒトの心臓だった。
槍に刺さったドラゴンの心臓は、槍を包むように白く映っていた。《魔力感知》の魔法はミヒトの体の色に合わせるようにマナ、言い換えれば魔力を多く含むほど明るく、少なければイェレアス達の様に暗く見える。つまり、この槍に刺さったまま鼓動を打つ奇妙な心臓は現在進行形で魔力を垂れ流しているのだ。
瞬間、閃いたミヒトは辺りを見回す。《魔力感知》に映る樹海の姿は青々と輝いていた。木が、土がそれら一つ一つがイェレアス達以上の魔力を持っていた。
ユウトと戦った時の記憶を思い返すミヒト。杖を自身の魔力で作り出し、それを用いて魔法を行使したユウトの攻撃は強力だった。もし、杖があることで魔法を効率よく、あるいは強力に出来るなら杖を用いて発動すれば良いのではないかとミヒトは直感する。
体に蓄えられている魔力、ミヒトが作り上げた魔法、《ステータス》で表すMPがタンクの水だとすれば、杖はMPを放出するポンプ、ないしホースだ。つまりあの堕天使はミヒトに対し、マナを効率よく放出する専用の杖を使ったと言えよう。
ならばミヒトも杖を使えばよいのだ。それこそこの樹海に余りある水を効率よく汲み取り、放出できる消火用のホースを。目の前にあるものは槍であるが、文字通りミヒトの体のポンプとなる心臓が刺さっている。
消火作業は学生の頃に行った訓練程度しか経験がないミヒトだったが、消火に置いて何が必要かは理解している。ミヒトの中で考えがまとまった。
「ど、どうしたのよミヒト」
「やっぱり、心臓か。俺様が上手くやれなかったせいだ・・・」
「いえ、何か。良い方法を思いつかれたのでしょうか?」
イェレアスやモウルらが固まってしまったミヒトに声をかける。
その中でイェレアスはミヒトの瞳に宿る強い輝きから大火災を消し止める方法があるのだと察する。
「一つ聞いていいかな、この世界の物はみんなマナを宿しているのかな?」
「ええ、例外なく。すべての物は神の愛たるマナを宿しています」
「最後に一つだけ、それを他の誰かが使うことは出来る?」
「それは、きっと。神の使いたる、あなたになら許されるでしょう」
「なら、やってみよう。この炎を消して、みんなを救って見せる。それが、僕の今できる使命だと思うから」
ミヒトはイェレアスとセレヴェラから、心臓が刺さった槍を受け取ると、夜空へ飛び立つ。今なお燃え続ける大森林。その上空に舞う白銀のドラゴンは、月たちを写す湖を目指す。
湖の半周は炎に包まれており、水を使って消火しているスギタラの住民たちは苦しめられている。
バケツで救い上げた水など、焼け石に水。無力に等しい行為だ。
ミヒトは彼らが哀れで湖を目指すのではない。湖にマナが大量に溜まっており、そして消火に努める彼らを含む多くの人たちが危険である。
《魔力感知》で見れば湖が一際輝いているかのように明るく、周りの木からマナを貰うより湖からマナを供給した方が多いと考えた。それでいて炎が多く、一刻も早く助けなければいけない人たちが、救出しなければならない人たちが多くいた為である。
ただ湖の中心へ、直下するミヒト。手に握りしめられた槍を杖の代わりにして魔法を唱える。その言葉は詠唱というより、誰かに頼み込むような願いだった。
水があって、僕の体のポンプがある。だったら、ポンプに繋がっているこれはホースと言えるはずだ。ユウトさんに作られた槍だけど、お願いだから今だけは杖として力を貸してくれ。
僕だけじゃ力が足りないんだ、僕のありったけを貸すから、水でも森でも、君たちのありったけを今だけ貸してくれ!
「“水よ、森よ、力を貸してくれ。炎を消し止める波を、命を包み込む波を。神が作った世界を守るために、力を貸してくれ《泡の津波》”」
槍に刺さったミヒトの心臓が大きく脈打つ。湖面は心臓と共鳴し幾重にも波紋を作る。岸から波紋が返ってくると波紋と波紋がぶつかり波になる。
波は岸へ行くごとに次第に大きくなり、大波となって炎に向かっていく。波は湖の水を飲み込み高さを飛躍的に増していく。
現実ではありえない、科学では、数学では到底導き出せないほど、ミヒトを飲み込んで余りある巨大な波は炎を宿したスギタラの森へ覆いかぶさる。
波は空気を喰らいながら炎めがけて降りかかる。そうして炎を飲み込むころには泡の大波へ姿を変え、炎を飲み込んだ波はさらなる泡となりブクブクと膨らむ。
炎を飲み込み、逃げ遅れた人々を飲み込む。樹を飲み込み、人間を飲み込み、獣人を、エルフを、ドワーフを、オーガを、妖精を、ドラゴンたちを、このスギタラに住まう種族達を、死にゆく樹々たちを、それらに仇名す地獄の業火すら飲み込み、膨れ上がる。
炎の飲まれかけ、死に瀕するスギタラの住人達を泡で包むと、さらに泡は膨れ上がり勢いを増して大森林を行軍する。
まるで津波の様に、樹々を泡で包み込んでは膨らみ、その隙間を埋めるように泡がなだれ込んでいく。炎は息を吸うことが出来ず、次々と根を上げていく。瞬く間に湖から広がった泡の波は焼け落ちていく樹を包み、燃え盛る炎に白旗を上げさせた。
完全に炎を消火されたスギタラの森。火が鎮火した樹々から、樹を包み込んでいた泡が弾け、消えていく。同じくスギタラの住民たちを包んでいた泡は役目を終えると次々と弾けていく。
ミヒトの聴覚は、先ほどまで悲鳴や助けを呼ぶ声を幾つも拾い上げていたが、今は安堵の声が聞こえてくる。
歓声を上げるドワーフ、安堵する妖精たち、悲嘆に暮れるエルフ、あるいは森が燃えてしまった事に怒りを覚えるオーガや起きた事象を冷静に分析するドラゴンたち。
ミヒトはその全てを耳に収め、理解していたが。堕天使との戦い、そして心臓が体に無いという想像もつかない状況、瀕死の上での消火作業。
はっきり言って満身創痍だった。特に起き上がってから内に感じた使命感だけで消火作業を決行したが、今考えれば何故そのように責任感に燃えたのだろうか、何故心臓もなく動くことが出来たのか。
死の間際ともいえるあの時、あの空間にいたのは自分の半身だったのか、最後に聞いた声は何だったのか。
スギタラの森の火を消し止め、一先ずどこからか湧き上がった使命感から解放されたミヒトはあらゆる疑問を抱えていた。だが、満身創痍のミヒトにそれら是非を考える余地など無かった。
自身に残るマナを使い果たした白銀のドラゴンは、湖の中心で静かに気を失い、そのまま沈んでいった。
予定より遅くなってしまいましたすみません
一応伏線めいたものを散らしましたがいつ回収するかは分かりません
私の腕がもっとうまければ安心してくださいと言えるのですが未だへたくそなもので