沈む意識へ射す光明
※“作戦決行” の続き、
前任の転生者にして悪へと、堕天使となったユウトとの戦いに敗れ、強力な槍で意識を失うミヒト。
彼を救うべく、天使セレヴェラの知恵を借り、この森で指折りの《治癒》の魔法を使えるイェレアスを連れミヒトのもとへ駆ける。
*
燃え盛る大森林の中、四足で風を切り、狼は炎の中を走り抜ける。いや、狼の獣人であるモウルは、自分の子供を咥え助けを待つドラゴンの元へ駆けていた。その背に乗せた赤髪の少女がドラゴンを助けると信じて。
イェレアスは狼の獣人、モウルの背中につかまりながら、後方を確認する。颯爽と駆ける彼女らの後ろに、天使のセレヴェラが滑空して追従しているのを確認すると再び前を向いた。
姉、モナと同じ神官として傷を癒すことが出来るイェレアスだが、巨大なドラゴンが空から落ちてしまうほどの傷を癒せるだろうかと不安を抱き俯いてしまう。
ふと、口に咥えられているモウルの子供、フフと目が合う。つぶらな瞳が自分の不安を見通しているように感じ、イェレアスは体がしびれるような気がした。純粋な眼差しにあてられ、しりごみしてしまったのだ。
獣人の子供、フフはそんなイェレアスに声をかける。
「イェレ―は治すのうまいから大丈夫だよ!心配しないで」
「・・・そうね。お姉様みたいに皆の為に働く神官として、しっかりしないとね。それから私のことはイェレ―じゃなくてイェレアスって呼びなさい!」
イェレアスは小さな狼の子供、フフに警告すると少し微笑んで見せた。だが、余裕を見せた表情とは裏腹に、彼女の精神は不安でいっぱいになっていた。
胸に大穴を開ける程の傷、それもただの胸ではない。姉の為に、不器用ながら鍛えた自分の拳をつぶすほどの堅牢な鱗を持つドラゴンの胸。イェレアスの人生の中で史上最高硬度を更新した鱗で覆われたドラゴンの胸に大穴が開いているというのだ。
一応、神官としての治癒を持ったイェレアスだが姉ほどの癒しを与えられるか、その可否を問われると否と答えるしかない彼女だが、それでもこの大森林の中では指折るほどの治癒の使い手である。
彼女の中で不安が大きくなる。自分に姉の代わりが務まるのか、家族として、姉妹として愛している最愛の姉、モナ。姉がいてくれればどれ程良かったか。自分の治癒でどこまで癒すことが出来るだろうか?
拭いきれない不安を押し殺し、姿勢を正す。狼の獣人モウルはイェレアスを背に乗せ、子供を器用に咥えこんでいながらも全速力で駆け抜けていく。
焼け落ちる大木をかわし、炎と炎の間を縫い、ミヒトへ向かって走る。炎に混じって白い輝きが見える。モウルは脚力を最大限まで生かし炎へ突っ込む。先ほどまで大地を蹴り上げていた前足は咥えていた愛する息子抱き上げ、火の手から守る。
次に大地を踏みしめたときには、大樹が裂けてできた森の中でもよく開けた空間に出てきた。迫りくる火の手を尻目に、胸におぞましい槍が刺さった白銀のドラゴンが仰向けに横たわっている。
黒く、殺意を突き立てた邪悪な槍が、白銀の鱗を押しのけてミヒトの胸に突き立てられていた。胸からは止めどなく赤い鮮血が流れ、美しい鱗を赤黒く染めていた。
モウルは狼の獣人としての嗅覚からか、槍から不吉な臭いを嗅ぎつける。モウルは抱きかかえていた子供をイェレアスに抱かせると鼻を塞ぎ、冷静にミヒトの胸に登る。
ついて早々フフを抱きかかえさせミヒトの胸に乗り出すモウルに困惑するイェレアスだが、槍を抜かないことには治癒はできないと冷静になる。そんなところに後ろから追従していた天使、セレヴェラもミヒトのもとに到着する。
「天使さん、それにイェレアス、俺はこの槍を抜く!すぐに治癒をしてやってくれ!いつ死んでもおかしくないぞコイツは・・・」
「セレヴェラ、一緒に来て!いい子よねフフ、ここで待っていられる?」
「・・・うん」
イェレアスはフフを下ろしセレヴェラと共にミヒトの体に駆け寄る。ミヒトの傍は大地を器に、真っ赤なスープを注いだように血に濡れていた。むせかえるほどの血の臭いが辺りに広がるがこれしきで鼻を覆うほどではない。
狼の獣人、モウルただ一人が槍から漂う死の臭いを嗅ぎつけ、鼻を覆ったのだ。どうすれば良いか困惑するモウルだが一瞬の迷いが彼を殺すことになる。そう考えると自然と槍を抜くべきだと思い立ち、その槍に手をかけ足を踏ん張る。
ミヒトのもとにはイェレアスとセレヴェラがいる。いつでも回復できるとモウルは確認すると、声を張り上げ槍を引き抜く。返り血を浴びるモウルだが、そんなことを気にしていられる状況では無い。
捩れ砕けた白銀の鱗の破片を引き上げながら血肉をかき分け、ミヒトの胸を貫いた凶刃がその全貌を表していく。引き抜く際に重い謎の違和感を感じるモウルだが、自体は一刻を争う。腰に力を入れ、刃先に異常な重心が乗った槍をモウルは一気に引き抜いた。
モウルが引き抜いた槍には彼の子供ほどかと思える大きさの、心臓が一つ刺さっていた。銛にも似た槍はミヒトの心臓を離さず、ミヒトの心臓はその鼓動を止めることは無く一定の間隔で鼓動を打ち続けていた。
ドクン、ドクン。モウルの目の前で心臓が鼓動を打つたび、ミヒトの胸に穿たれた傷から泉の様に血が湧きだしてくる。返り血を浴びるモウルは狼狽し、イェレアスに向かって叫んだ。
「治癒だ!早く!治癒を!」
「わ、わかったわ!“神よ、愛をお与えたください!流れる血を彼に、受けた肉よ繋がれ、神より授かりし使命を果たすべく彼の身を癒さん《治癒》!”」
白銀のドラゴンの体を光が包み、少しづつミヒトの傷がふさがっていく。ミヒトの胸にできた血の泉から、砕けた白銀の鱗が次々と引き上げられていく。傷口の肉は次々に繋ぎ止められていき、引き上げられた鱗はあるべき形に戻りパズルのように戻っていく。
しかし、次第にイェレアスの意識は朦朧とする。全快しきらない魔力で、巨大な負傷を直すべく《治癒》の魔法を無理やり行使する彼女は限界に達する。天使はそっとイェレアスの手を握る。
「しっかりしてイェレアス、あなたの魔法が頼りなのよ」
「でも、セレヴェラ。もう、魔力が。」
「・・・・・・。大丈夫、私を使って」
天使の体は青い光変わり、透き通ってゆく。セレヴェラが握った手からイェレアスに光が解けていく。
*
周りに触れるものも無ければ、体に触れることもできない。空を切る腕、仄暗い奇妙な違和感に包まれるミヒト。視界には暗い世界が映る。星も、暗雲すら見えない。立っているのか分からないが、動きが重く何かに阻害されているようだ。
まるで。暗い水底に沈んでいるような感覚、深海のような暗黒の世界にも感じた。動こうとも、羽ばたこうとも、溺れるようで前にも後ろにも進めない。冷たくも無い、暖かくも無い。ただ、何か足りないような喪失感を抱えて、漂っていた。
ふと、ミヒトは気づいた。広げる翼も無ければ、雄々しい脚も、鉄鋼のような腕も無い。人間だったころの影が、暗闇の中をぼんやりと浮かんでいるだけだということに。
自身の姿に気が付くミヒト。何とも言えない懐かしいような違和感が帰ってきた。右の膝の違和感、じんじんとする足首に倦怠感を背負う両肩。酸素を取り入れることを忘れそうになる胸筋、指先は冷え、きーんと耳鳴りが聞こえるような気がする。
人間だった頃に散々と悩まされた体。懐古に浸り膝を撫でようとするが、触れることはかなわない。通り抜ける体に呆然とする。
疲労をまとったかつての影の体を、ただ、暗闇の世界に漂わせていた。そうやって意味もなく漂っているうちに声が聞こえてくる。大人から子供、低い声や高い声が聞こえるそれは一種の会議をしているようだった。ミヒトはその大小さまざまな声、その中に一つ、聞き覚えがある声が聞こえた気がした。
おぼろげな影が円を作り、着席もせず暗い世界に各々の姿勢で漂い、浮かんでいた。人影の円卓。ミヒトは流されるように影たちの円の隙間を埋めるように入っていった。そこにいるべきだと言うように、導かれた。
「まずは立場というものを決めるべきだよ。干渉するべきか、否か」
「自分は舞台に上がっているんだ。スクリーンに映る他人事じゃない」
「まずは神様からの使命を果たすべきなんじゃないか?事はそれからでも」
「僕は一体?何を・・・」
「冷静に、世界を見つめるべきだ」
「どうにでもなれ。は、はは」
「まずはこの世界の人たちに土台となる知識を教えるべきだ」
会議のようで会議では無く。会話が通っていないようで会話をしている。やれ文明だの、やれ社会基盤だの、干渉するべきかだの、既にそんな前提では無いだの。組みあがりそうで組上がらない、芯を1mm間違えてしまったような解決しそうで上手にまとめられない会話が広がっている
そんな人の影の集まりでできた曖昧な円卓に向かって、ミヒトはぼそりと呟いた。ドラゴンの体という非現実的な体、魔法を用いた壮絶な戦い、異常な痛み、吐き気、昏倒、それの確認を求めるように。
「僕は、死んだのか?」
影の集まりはしんと静まり返った。緊張という糸がピンと張りつめたように、空気が固まった様子が目に見えるようだった。誰もが発言を止めた中、聞き知った声がミヒトに尋ねる。
「まさか、ミヒト?夢じゃないのか?」
「・・・エルピスか」
暗雲が固まったような人影に、人間だった時の自分というイメージが差し込んだ。エルピスを皮切りに話が広がっていく。
自分たちは中学生ぶりに生々しい脳内会議を繰り広げているものかと思っていたと。やっと睡眠にありつけ、久々に見ることが出来た夢だと考えていた。なぜだか似たような誤解が次々と溶けていき、話し合いが始まった。
ミヒトは自分の身に起きたこと、堕天使に出会い、戦い、そして今現在大きな傷を負って苦しんでいることを話す。
「つまり、ミヒトは神が言っていた転生者。そのユウトという男を見つけたが」
「話し合いには応じてもらえず、嬉々として戦いを仕込まれた」
「それも命を軽視した極めて悪役らしい挑発で。ということか」
「はぁ、なんとなくわかる気がします」
「それで、そいつから手痛い反撃を食らって死にかけている。ということか」
「でもそれを知ってところで僕らにはどうすることもできなよ」
「ミヒトの話は分かった。それも合わせて二つ、今すぐに考えなければいけない事がある」
エルピスであろう声は、一拍置きこれからの議題を自分自身たちに言い聞かせる。
「ミヒトの言っていた、ユウトという堕天使をどうするか、という事。そしてそれ以前に、今、この状況がどういった物なのか把握する事だ」
暗い空間に人の影がぼんやりと見えているだけで輪郭をハッキリとは確認できないが、辺りを確認する様子が見える。ミヒトもこの状況がどういったものか理解しかねる。魔法か何かで引き寄せられたのか、それとも神の御業によるものなのか。
ただミヒトがわかることは、ここにいる面々は全てエルピス同様、自分という存在がそっくりそのまま増えているという事だ。主張や聞こえる声は違えども、会話を交わしていくと嫌でも見せつけられる自分という存在にミヒトはうんざりして来る。
エルピスの存在が有るように、ミヒトは複数に分裂、分身しているのでは無いかと考えていた。悲しくもミヒトが死に瀕したことで、自分の分身を確認できたのだ。
しかし、ミヒトはこの分身または半身の存在は予想できても、この空間は想像が出来なかった。故にミヒトはこの空間については特に考えず気にしないものとした。自分よりも先にこの世界に転生してきたユウトと戦ったミヒトは、あまり常識的な考えに囚われないようにすることにした。この世界ではこのようなものだと、受け入れ、とりあえず前に進むことにしたのだ。
この異世界に生まれ、分裂してしまった自分。その精神がこの謎の暗い空間に集まっている。そういうものだと、今は考えを置いておくことにした。
「聞いてくれ、堕天使へ、ユウトさんへどう行動していけばいい?」
ミヒトはエルピスが二つにまとめた議題を一つに絞り切る。ここで謎をつついて理解もしない空間を追及するのは不毛な時間である。そんな無駄な会話を永遠と繰り返そうものなら三流映画も良い所だ。
エルピスの声を含む三人ほどの自分は多少困惑したが、それ以外の自分たちがそれぞれ意見を述べていく。
「そんなの簡単だ。神様は危険だって言っていたんだから取り押さえることだと思う」
「彼がなぜ危険なのか対話を重ねるべきじゃないか?聞きたいこともあるし」
「でも、諸悪の根源的なものならば最終的には倒さなければいけないんじゃないか?」
「倒す・・・」
倒す。漫画やアクション映画で簡単に使われるが、必ずという事ではないが大体にしてその言葉が持つ意味はすなわち殺す、という意味を持つ。以前の人生では司法に委ねるという解決策があるが、この世界では委ねるべき権力も力もない。唯一対抗できるのは、神から世界を救うとして産み落とされたドラゴン。すなわちミヒト達である。
人間的価値観、現代的道徳心、今まで育んできた心を押し殺すような気持ちがざわりと自分たちの心を撫でる。言い換えてしまえば新しい会社で働いてもらう代わりに、その前任者を殺してください、と。彼を殺すまでちゃんと仕事を始められませんといわれているのだ。
狂気。まともな倫理観を持った現代人であれば殺人などという行為は戦争でもない限りできようもないことだ。それこそ狂い、自分という精神を壊すか、どこまでも非情で冷徹なリアリストならない限り、かつて、自分と同じ人間だったものを殺すことはできない。
ミヒトは、ドラゴンであるが人間の心を、人間として生きた記憶を、人間だった精神を、そして何より人間的尊厳、否、日本人としての誇りというものを確かでは無いが持っている。
人間性を改めて意識し始めたミヒト達の精神には、不安や焦燥、憂いや困惑が渦巻いていた。ただ、自信の第一の使命を殺人と意識し、考えているだけで。今までの人生で育んできた価値観が、言葉では言いようもない恐怖のような感情で心を蔽い孤独にさせた。
いつしか、会話は途切れ、暗黒の空間に相応しい静寂が辺りに広がっていた。
沈黙、淀みの空気を切り裂くように暗い空間に光が射した。女性の、女の子の声が聞こえてくる。声はハッキリとはしない。ただ、自分の価値観、倫理観に悩む心から憂鬱の種をそっと取り除くような、自分の使命を後押しするような、応援というべき声がかかってきた。
暗い深海のような空間は白くまばゆい空気に満たされ美しい白銀へと変わりゆく。天声を聞いたミヒトからは憂いや迷いといった感情は消え去った。自信の中にあった自分のやり方に決心がつく。
円に囲んだ人の影は形を変えてゆく、この世界での本来の姿を取り戻しつつある皆にミヒトは告げた。
「決まったよ。僕は、僕のやり方で使命を果たす。だから、皆はその後の事を任せてもいいかな」
大小様々な白銀は一様にミヒトを見つめる。ミヒトは一人、そして一人と全員の眼を見つめる。そうして、今は確かな決意を、覚悟を胸に抱き、射してきた光へ羽ばたいていく。
どこからか、一つの光がミヒトと射し込んできた光に向かって並走する。光が自分を追っているのか、自分が光を追いかけているのか。いつしかミヒトは光の軌跡を追いかけていた。堅牢な腕を、誰よりも大きな手を伸ばす。
遠吠えが、泣き声が、燃えて逝く森が聞こえる。心の底で湧き上がる使命感に疑問も抱かず、光を切る。そうして、白銀たちを置き去りにし、ミヒトはただ一人、その手で光を繋いだ。
もっと細かく書きたかったのですが、少し表現がくどい気がしてカットしました
自分では有りだなと思ったんですけど、燃える大森林からちょびちょび話飛んでいてわかりづらいですね
そろそろこの大森林の騒動を畳みたいですね