燃える大森林
炎に包まれたミヒトは痛みの余り思考を放棄してしまう。
ドラゴンを飲み込む《煉獄の炎》は大森林を飲み込もうとしていた。
*
東の大森林、カミシュ大大陸の最東端に位置する広大な樹海、その中で唯一ぽっかりと開いた、樹海の澄み切った湖には赤く渦巻く炎が映る。
スギタラの湖面は、夜空に浮かぶ双月、憎しみにも似た紅蓮の炎に飲み込まれる大樹たちを映していた。
炎は湖の辺り一帯の大樹に広がり、木の上とその中に作られた住居ごと燃やし尽くしていた。
ドワーフとオーガは炎が燃え移らないように枝を切り落として回っている。獣人たちは炎から一目散で逃げ、エルフたちは必死に火を消そうと飲み水を集めては火を消そうとする。
大樹の間にかけられた吊り橋には、炎から逃れようとする様々な種族の押し合いになっていた。
スギタラの住民たちはかつてない感情。理解できない混乱と、本能から湧き上がる死への恐怖が心になだれ込み、理性という船を火の海が飲みこんでいく。
ただ、目の前の何かに、いつもは見えなかった何かがハッキリと見え、それに執着するしか無かった。
自分の安寧の場所を守ろうと必死に火を消そうとする者。死の危険から一刻も離れ、自らの命を、何より子供の命を守ろうとする者。
そして、大切な家族の記憶を、二度と帰ってこない日々に執着する者。
形や行動が違えど、住民たちは種族にとって、何より自分にとって大切なものへと引き寄せられていった。
全ての種族が混乱に陥るスギタラの湖。エルフの猟師であるクストは、友の愛娘を探していた。
クストは、吊り橋を揺らしながら今は亡き友の家が在る大樹へ駆け出す。
彼には父も母もいる、愛する彼女は居なくとも家族としての愛を注ぐ妹だっている。それでも両親、家族の手を払いのけ火中の森へ入っていく。吊り橋は火の手から逃げ出す住民たちで溢れたが、それをかき分けながら自分の後ろへ押しやって進む。
そうして進んだ先はクストが見たこともないような世界だった。
辛うじて吊り橋は使えるが、橋の下は炎の海、上を見上げれば大樹の枝や葉が燃え、紅蓮の暗雲で蔽われていた。
巻き起こる熱風に思わず咳き込み、口を押える。呼吸すら苦しい中、亡き友の玄関を蹴破り部屋に入る。
部屋には赤髪の少女が座り込んでいた。その姿にクストはかつての親友の面影を見るが、それどころではないと頭を振り、彼女に声をかける。
「イェレアス!やっぱり家にいたのか!早く逃げよう!外は炎で満たされている!」
「嫌ぁ!お姉様の・・・モナお姉様との思い出が!」
「それは、モナさんの服か!そんな燃えやすい物、持っていけない!」
「嫌!モナお姉様との思い出があるの!私にとって、大切なものなの!エルフに生まれたクストには分からないわ!」
「・・・それよりも君の命が大切だ!早く、逃げるぞ」
クストはイェレアスの手を掴み部屋から出る。
燃えていく森を、いや、友と過ごした家を見つめた。だが、ただ立ち尽くすことなどできない。
次々と葉が燃え、煤と灰になって落ちてくる。大樹が悲鳴を上げるように枝が折れ、焼け落ちる。
その光景もイェレアスにとっては残酷なものだった。まるで大切な姉を燃やされているかのような錯覚に陥る。
幼い頃に登った木が、駆け出した草土が、幼い自分と姉を焼き払うようなそんな幻覚を。
先ほど見た小さな火はあり得ない大火災に変貌していたのだ。
汗が垂れ、瞳が乾く。咳き込みそうな喉から絞り出した震えた声でつぶやく。
「なんなの、コレ。いったいどこから、大きくなったって言うのよ・・・」
「ユート様とミヒト様が戦っているのよ・・・」
「セレヴェラ?!それは、血?大丈夫なの!?」
イェレアスは驚愕した。傷や痛みとは無縁な天使が、自分の前で力無く立っているのだ。
セレヴェラの純白の服は腹部を朱殷に汚していた。瞳にはいつものような輝きは無く、翼は今にも羽が散ってしまいそうなくらい弱弱しい。
だが、セレヴェラは血の跡を気にせずイェレアスに語り掛ける。
「お願いイェレアス、あなたの力が必要なの!」
*
痛い。ただそれだけの言葉がミヒトの頭を埋め尽くしていた。白銀のドラゴンが紅蓮の炎の中に閉じ込められて、どれ程時間が経つだろうか。
十分か二十分か、攻撃を受けている彼自身は一時間以上に感じているかもしれない。絶え間ない痛みの螺旋。地獄へ沈められるような感覚。
しかし、ミヒトの思考は突然クリアになった。先ほどまで全身の痛覚から危険信号で埋め尽くされた頭は真っ白になり痛みが引いたのである。
痛くない?いったい、どうしたんだろう。
『元気にしてる?お母さん心配だわ・・・』
母さん?いや、母さんはもう・・・
『・・・無理するなよ、それとお盆には帰って来いよ、和尚さんもお前の顔見たがってたぞ』
父さん?駄目だ、ますます分からなくなってきた。
次から次へと聞こえてくる懐かしい父と母の声。
何年ぶりに聞いただろうか。懐かしむ気持ちもあるが正直に言って理解に苦しんでいた。
現実では自分を包む炎に苦しめられているというのに、頭の中では何年も聞いていない父と母の声が鮮明に聞こえる。
この体に生まれ変わって自分の一生を思い返したことはあれど、ここまで綺麗に聞こえる両親の声はなかった。
次第に声は明確な幻影を伴ってきた。
母が床に臥せている姿。父と初めて海に行った光景。叔父に噛みつく幼い自分。ひどく大きく感じる祖父の背中と稲穂。
次々と移り変わる幻、情景といえるそれはどんどん過去へ遡って行く。
若い両親の顔が目の前一杯に広がる。痛みに支配された感覚は解き放たれ、澄み切った感情にその情景は余りにも懐かしかった。人間の瞳に、涙が溢れそうになってくる。
いや、待ってくれ。これは僕の思考じゃない、勝手に思い出してしまっているのか?
フラッシュバック、なのか?この体が、ドラゴンの頭がゆっくり知覚しているのか?
だとすれば、さっき見たのは走馬灯?なのか・・・。父さん。
そうだ、まだ生きている。思考できる自分がいるんだ、大丈夫だ。
痛っ、痛覚か。時間切れも近い、炎、火、消すためには、水。
簡単なことじゃないか、こんなことも思いつけないなんて。
水を出す。その魔法は作ってある。《精水創造》!
ミヒトは思考の中で魔法を唱える。
すると頭上に水の球が生成される。水の球は弾け、滝の様に流れ出す水はミヒトに降り注ぐ。
次々と気化していく水、ミヒトは自分のありったけのMPをつぎ込み水を増やす。
水球は一気に巨大化し大樹を飲み込むほど大きくなる。小さな池の水を球体にしたような巨大な水球。
水は物量に任せて炎を押しのけてミヒトを包み込む。
「クソ!まだ生きてんのかよ!いや、そっちの方が面白いか、次は」
次の攻撃に移ろうとする堕天使、ユウトに水がかかる。
ミヒトを包んだ水球から四方八方から水が噴き出しているのだ。あたりに拡散させるようにぐるぐると放水していく。次第に勢いは強くなりユウトに向けて高速で水が噴き出していく。
ユウトは間一髪で回避する、が、背後の大樹は真っ二つに裂けていた。裂け目には白銀の粉のような物が付着していた。
「ウォーターカッター、か・・・・。そうかよ、そうかよお前は何にもわかっちゃいないんだな!」
水球は破裂し、拡散した水と衝撃で辺り一面の炎は消える。
消化された森には命は無く、空も地面も黒に染まっていた。
ミヒト自身も煤に覆われ、美しい白銀は使い古した鋼の色に変わっていた。
水で無理やり消火したせいで翼膜が腕に溶接された様に張り付いている。
直線に整っていた鱗はドロリと溶けたアイスの様にぐにゃぐにゃに変形し波打っている。
無理やり腕を開き胸を前に突き出すミヒト。翼膜は硬質な音を立てバリバリと剥がれる。
幾らか腕に張り付いたままだが、気に留めなかった。
焦土の中心でミヒトはユウトの目を見る。
次何かしらの攻撃が飛んで来たら本当に不味い。
その前に先手を取りたい。
《念動力》は対策を用意されてるかもしれないから、《発火能力》で動揺を誘って接近戦に持ち込む、さっきの火事で木が燃えて上に飛び立ちやすいから打ち上げて空中戦へ。
いや、翼がボロボロだから飛べるか怪しい。待った、《瞬間移動》があるから問題ない。問題なのは《熱光線》がどれぐらいの威力なのかだ。
誤って彼を殺すようなことだけは避けたい。例え、さっきまで殺されかけたからと言って彼を殺すことがあれば、結局人殺しになるのは自分なのだ。
だが、話をしたくないのは彼だ。なんとか話し合いに持ち込むには彼の動きを封じるしかない。せめて怒りが収まってくれれば。
たとえ話が出来たとしても、核心を突く前にまた戦うことになるだろう。
どれだけ痛み付けられてもミヒトは交渉を考えていた。彼の怒りさえ収まれば会話できると。
死にかけたミヒトはユウトに疑問を投げつける。
「なにもわかっていないってどういう事かな?」
「お前、ドラゴンのくせにファンタジーっぽくないんだよ!」
そう言って堕天使はミヒトを睨みつけた。
ミヒトは自分の外見を見てみる。硬い鱗はトカゲのそれを凌駕し、鋭い爪を持っている。巨体にもかかわらず二足で立ち、翼を有したその姿は現実では考えられない生物だ。
「違う!体じゃなくて行動だ!ブレスは吐かないし、まともな魔法は持たずに超能力で戦ってくる!大体なんだよ熱光線って!SFかよ!」
「あ、あぁ・・・そうか」
「ムカつくな、まぁあのくそったれどもに比べればまだマシな方だがな」
「それはどういうことなの?」
「知りたいか?だったら、力ずくで聞いてみなァ!」
ミヒトが予想した通り堕天使のユウトは杖を振りかざし、魔法を唱えようとする。
事前に考えていた作戦に沿って《発火能力》を発動する。
狙いは杖、もしくは顔であったが、両方に火が巻き起こる。
ユウトは魔法を中断し、あわてて火を払う。だが、眼下には鋼にも似た拳が飛んでくる。
距離を詰めたミヒトからのアッパーだ。
ユウトは空に突き飛ばされ、ミヒトの拳から鱗が剥がれ、その一部だけ白銀の輝きが戻る。
すかさずミヒトは翼をはためかせ上空へ飛び立つ。高度を上げるごとに煤が落ち、鱗は輝きを取り戻していく。
なんとか飛べるな。翼は無事みたいだし、鱗も表面だけが焼けているみたいだ。
脱皮みたいに新しくなるのだろうか?いや、それよりも彼だ。
ユウトさんは何としても戦いたいみたいだけど、殴ってでも止めないと。
たとえ彼が望むことでも、結果的に戦意を喪失させて話し合う事が出来ればいい。
彼に何があって、どういう罪を持ったのか、この世界の為にも聞き出す必要がある。
上空に飛ばされたユウトは煤焦げた黒い翼を開き、その場で滞空する。
手に持っていた杖を投げ捨て、また新たな武器を作り出す。
握りこぶしから漏れ出す赤い光。周りに電撃が走り、地上の大樹に落ちる。
ミヒトは空気が震撼するような震えを感じる。
目の前の堕天使がこの世ならざる物を作り出そうとしていると感じたのだ。
「《伝説の武器》・・・突き、穿ち、捩れ、この世の理を超え、我の前に均しく死を与えよ、刹那を持って絶命を与える猛毒の槍よ。覚醒せよ、現界せよ、我、ユウトが名を授ける・・・」
堕天使の手から溢れる赤い光は収束し、形となっていく。細く、黒い靄を纏った細長い武器。その影は槍の形状に近かった。
ミヒトは背筋の凍るような、冷たい気配を感じる。もし彼が以前の人間の姿であったのならば震え、冷や汗をだらだらと溢していたことだろう。
それほど恐怖を感じる武器を、目の前の男は作り上げているのだ。
「《熱光線》!」
ミヒトは躊躇なく発動した。どれ程の威力なのか、どの程度の範囲なのか、その効果を知らない魔法を。
ただ、ここで彼を止めなければ、今度こそ確実に死ぬと直感したのだ。
光線はミヒトの眼前で放たれた。一瞬で現れた球体に相手が映ると、光に変わり堕天使に直撃した。
ミヒトが威力を抑えようとしたからか、光線は堕天使の羽を貫くだけに留まり、放射され続けている。
ユウトも光線の貫通力に驚くが、彼は口角を歪に上げた。ミヒトはまたしても失態を犯してしまった。
「しまった!」
「武器の名は“絶死の槍、ヴェイノ・スピア”!これは後でプレゼントしてやるよ。まずは《反射》!」
ユウトは魔法がかかった片手で光線に触れる。光線は屈折し、ぐるりとミヒトの方へ角度を変えた。
光線はミヒトの体に当たると貫通はしなかったが拡散し花火の様になる。ミヒトは慌てて《熱光線》を中断するが、直撃を食らった個所は赤熱し、拡散した光線を食らった個所は煤が落ちて白く輝いている。
ミヒトは考える。《熱光線》は効果こそあったが、対策を取られるばかりか、手痛い反撃まで貰ってしまった。
ミヒトに残されたのは《弾丸》と《振動斬》の二つ。再び、深い思考に入る、今度こそ、彼を無力化する方法を。否、仕留める方法を。時間の許す限り。
「危なかったぜ、あのビームはな。だけど、こっちにはもう効かないぜ」
ミヒトの意識は目の前のユウトに向く。手を煽り挑発するユウト。
先ほどまで黒い靄がかかった槍はハッキリとした輪郭を持っていた。黒い槍、その刃先は幅のある刃ではなく、針葉樹の様に幾重にも針が重なって出来た、かえしの塊が付いていた。
敵と戦い交える槍ではなく、一方的に狩猟するための銛のような形状だった。
ミヒトは頭の中で再構築した作戦を打ち出す。
「《紅炎》!」
ミヒトがそう唱えると堕天使の全身は赤い炎に包まれた。
ユウトは最初こそ慌てたが魔法を唱えながら槍を振るい炎を掃う。
「《火炎耐性》!やるね、ここに来て炎の魔法か?面白くなってきた!」
所々炎が付いているが、燃えては消えるを繰り返している。
ミヒトはその光景を静かに観察する。その炎に、彼は自身の作戦、すべてを掛ける。
書き出してみると考えていたものと変わってしまい困惑します
私は暇つぶしでやっていたんですけど結構大変ですね
ブックマークも増えてなんかすごいですね
見てくださる人がいるのであればもっと時間を割いて書いてみます
拙いし更新も遅いのですがよろしくお願いします