怒りの渦
この世界を作り上げた自身の前任者ともいうべき男。
堕天使となったユウトという男、と相見えるミヒト。
しかし、ドラゴンとなって転生したミヒトを見た彼は・・・。
「正直言って期待外れだね。僕でも確認できなかったステータスを見れるようにした奴が、この程度の知性の持ち主で、こんななよなよした魔法を作ってるなんてさぁ・・・・」
「え、どういうこと?」
ユウトの発言から察するに彼には恐らくミヒトのすべてのステータスが開示されているのだろう。
さらに、ミヒトに沸き上がった心のざわつきにユウトは追い打ちを掛けてきた。
「まあ、ドラゴンらしいステータスしてるよ、倒しがいがあるよ・・・・」
その一言で、ミヒトは最悪を想定することに切り替え始めた。
事前に想定していたことであったが、ミヒトの頭の中は混乱した。
予想していた事が起こりつつあるが、堕天したユウトの表情は複雑そのものだ。
眉は下がり、瞳孔は開きミヒトの姿を映している。口角が吊り上がって不気味な笑顔になっているが顎にはすでに流し終えた涙が垂れていた。
悲しんでいるのか、怒っているのか。はたまた喜んでいるのだろうか。
目の前の堕天使の表情から何が読み取れるのだろうか。彼の怪奇な表情にミヒトは頭を悩ませた。
一体どう話しかけたらいいんだ?畜生、僕が営業なんかの仕事をやっていれば話術か何かで変わったんだろうけど。
そんな後悔しても無駄だ。セレヴェラさんから聞いていた彼とは全く違う。明るく無いし、優しさは感じられない、それどころか敵意に近い物さえ感じる。
彼の雰囲気からは一触即発な、それこそ話が出来てもその後に殴り合いが起きても可笑しくない映画で言えばそんなシーンだ。
賢かったり、自分が確立された悪役だったら、僕にちょっとした授業のような物を開いてくれるはずだ。
失望した理由や自分の流儀、これからの計画の流れや真の目的なんかを・・・。
ただ前半に関しては簡潔に説明されてるし、後半なんて以ての外だ。
映画で例えれば70分過ぎくらいで出てくる話でしょ?僕はまだこの世界に来て二日だし!まだ10分過ぎ、ポップコーンをちまちま食べてる頃だよ?
いやいやいや、それよりもここから僕が出来るのは二つだ。
一つ、彼へ質問し、話し合いに持ち込むこと。
成功すれば今日だけで問題を解決して無事に異世界観賞に行動を移せる。
そうでなくても彼に何があったのか、どんな問題があったのかを聞いて、その解決を目標に行動できる。
二つ、彼の敵意に応えること。これは最悪のパターンだ。
恐らく話し合いに失敗すれば戦いになるだろう。彼の敵意は、なんというか安っぽくて分かりやすい。
もしかして敵意というより彼が好戦的なだけかもしれないし、何かの狙いで僕を挑発しているのかもしれない。
それにもし戦闘になれば僕が不利だ。
僕の体は彼と比べて大きい。自分で作った魔法で戦闘を想定しても、僕は的として大きい。例え空を飛んで上に逃げても、この“スギタラの湖”に住む住人達を人質にとられれば何もできなくなってしまう。
それに、僕が作った魔法は彼に見られてるみたいだし。初見なら通用すると思うけど、トランプで言えば手札を公開するようなもの。だと思う。
だから彼と戦闘になった時、その場で新しい魔法を作るほかない。彼と戦闘する際は接近戦で間髪入れずに攻め立てなくちゃ、最悪人質を取られるかもしれない。
最悪の場合を想定し終えたミヒトの意識は、再び堕天使ユウトに向く。
そしてミヒトは彼の発言で疑問に思ったことを聞き出す。
敵意はなるべく避け、話し合いに持ち込むために。
「き、期待外れってどうい 「ユート様!なぜ私たちを裏切って堕天などしてしまったのですか!?今ならまだ戻れます!その罪に満ちた穢れた体を癒して、私たちと同じ天使に戻ってください!」
「な?!」
ミヒトが絞り出した発言を押しのけ、隣にいたセレヴェラがユウトに向かって叫んだ。
彼女の声を受けたユウト表情は、不気味な笑みから一転し明確な怒りの表情へと変わった。
ミヒトはまだ一声掛けた程度であったが、セレヴェラの発言で状況が急変した為、ミヒトが想定した最悪な状況が現実となろうとしていた。
堕天使ユウトの顔には青筋が見え、細く息を吐いている。瞼を閉じているため抑えてはいるのだろうが、彼にとってセレヴェラの発言が許せなかったことは火を見るより明らかだった。
計らずもユウトの怒りを買ってしまったことはセレヴェラも感じたようだったが、彼女の表情はその理由を理解したくないようであった。
不味い、セレヴェラさんの事を考えに入れていなかった。彼女がユウトさんに対して強い思い入れがあることは今日散々聞かされたじゃないか。
もうすでに最悪のパターンか?いや、まずは彼女に下がってもらって話を。交渉を続行するんだ。セレヴェラさんもなんとか今の状況を理解しているみたいだし。
ミヒトはセレヴェラにそっと手をかざしセレヴェラを自分の後ろに下げる。
なんとか交渉を続行しようとするミヒトを蔑ろにするように、ユウトは地面に唾を吐き捨て魔法の名を呟く。
「《刀剣制作》。本当に、俺に向かってそんなことを言えるんだな」
彼が魔法を唱えると、黒い刀身が現れる。黒い日本刀を握る堕天使は、ゆっくりと目を開く。
煮えたぎる怒りを研ぎ澄まし、その瞳は白銀のドラゴンを、否、その後ろの天使“セレヴェラ”を捉えていた。
ミヒトは直感した。彼、堕天使となったユウトはセレヴェラを殺そうとしていると。
しかし、幾らそれを理解したとてミヒトには正しい判断など身についているわけがなかった。
平和な日本で育ち、喧嘩とは無縁な性格で常に争いから逃げる男だった。
そんな彼がむき出しの殺意を前に、ただ、ひたすら考えた。現実から乖離した思考速度を持って考える。人並みの頭で一生分の時間を掛けて自分に問い、意見し、反発し、最適を考える。
彼女を守り、なおかつ交渉というカードを捨てない。そんなアイデアを。
ミヒトの選択は堂々巡りになり、結局自らが慣れ親しんだ法に合わせることにした。
この世界に自分の知る法は無くても、ミヒトの、彼の記憶や精神に根付いたものだったからだ。
ドラゴンの体に転生し、時間を超越するほどの思考速度を手に入れても、彼は答えを見つけられなかった。
あまつさえ、セレヴェラの盾になり堕天使から攻撃を貰ったうえで戦う。という正当防衛を適用させようとしているのだ。
自ら攻撃しないことで交渉の意思を示しつつ、彼女を守る。これが常人の、彼が考えた精一杯の考えだった。
ミヒトは深い思考の海から、自分の意識を現実に戻す。
目の前には刀を持ち、セレヴェラを切らんとする堕天使、ユウトがいる。
ミヒトはドラゴンとしてのその巨体を大きく活用する。腰を落とし、翼を広げる。そうしてユウトの視界からセレヴェラを隠すように立ちふさがったのだ。
「話を聞いてくれ!君に何があって、どうしてこうなったのか、堕天したのか・・・理由を教えてほしい!」
だが、目の前の堕天使は鼻で笑い、刀を地面に突き刺した。
「フッ、そっかぁ。それで自分の面子を守ろうとしてるんだ。俺もまだそんなこと覚えているんだなぁ。本当に・・・失望させてくれるよ」
次の瞬間、目の前からユウトの姿が消え、煤焦げた黒い羽が漂っていた。
地面に刺した刀も、堕天使ごとミヒトの前から瞬間に消え去ってしまったのだ。
何が起こったのか原因を調べる為に辺りを見回そうとするが、すぐ後ろから答えが返ってくる。
今にも風の音に埋もれれしまいそうなセレヴェラの微かな声。
そしてハッキリと聞こえるユウトの声を。
「《シャドウスタブ》・・・・。ムカつくんだよセレヴェラ」
「お前も、いや、お前ら天使全員も、あのクソガキ共も!」
「私を、あ、ど、どうして・・・ユウト様・・・・な、ぜ」
「結局、結局分からないんだな。俺のことを、お前たちは俺を!」
ミヒトは恐る恐る首を後ろに振り向く。セレヴェラの背後にユウトが立っていた。
彼女の腹には漆黒の刀が貫かれ止めどなく鮮血が流れ、純白の服は赤い血で染まってゆく。
セレヴェラは力なく地面に崩れ落ちる。ユウトは冷めた目で彼女を見下し、刀を振るい、煤にまみれた黒い翼で血を拭う。
堕天使はふと頭を上げ、ミヒトを見上げる。彼の顔には再び不気味な笑みが張り付き、ミヒトをあざ笑った。
「セレヴェラ死んじゃったぁ。まぁでも、俺はお前に一っつも殴っちゃいないぜ?正当防衛とやらでも立てるつもりだったかい?」
「あ、ああ。ああああああああああああああああ!」
ミヒトは爆発した感情に任せユウトを殴りつけた。
振り向きざまに、全力で。憎い、悪しき、邪悪な、負の塊を一心に殴る。
堕天使は大きく吹き飛び、湖の水面を三度切って対岸まで吹き飛び大樹に激突した。
なんて馬鹿なことをしたんだ僕は!余計なことを考えずにアイツに突っ込めばよかったんだ!僕が前の知識に引っ張られたせいだ。クソ!どうして・・・こんな!
あれだけ考えたのに!どうして彼女をちゃんと守らなかった!
彼と話を・・・・。いや、僕は感じたはずだったんだ、彼から出る不快感だとか憎しみみたいな視線を!そんな奴と話が出来るのか!?
あの顔といい、すぐに殺意を振りまくなんて悪魔そのものじゃないか!
同じ、同じ人間だったから、そんな直ぐ殴るなんて。
いや、そんなことをウジウジ考えていても仕方ないんだ!
その前にセレヴェラさんを!息は!?
「セレヴェラさん!返事してください!」
「ミ、ミヒトさん・・・私は、大丈夫です。周りの、マナで、元に・・・戻ります、から」
「そんな、でも!」
セレヴェラの鮮血は徐々に青い光に変わり空気に溶けていく。
同様に彼女の腹部にできた傷からも光に変わっていく。
彼女の純白の翼さえも力なく萎れている。
ミヒトはこのまま彼女が光になって消えてしまうのでは無いかと、そんな不安が自分の心を埋め尽くしていく。
「そうだ・・・魔法だ。治癒の、治癒の魔法!セレヴェラさんを、治してくれ!」
詠唱というよりは願いであったその言葉はセレヴェラを緑の光で包み込んでいった。
セレヴェラから漏れ出る光は無くなり、傷もふさがった。
無我夢中で発した魔法であったが、しっかりと発動したようだ。
やっぱり、すぐさま突っ込んでいくべきだったんだ。
魔法で治癒できたから良かったけど、これが無かったら、セレヴェラさんは消えてしまったかもしれない。
今ここで彼を止めないと、セレヴェラさん以外の天使も同じように傷つけられるかもしれない。
「ここで、止める!《念動力》」
土煙から這い出てきた、対岸にいるユウトに念力を浴びせる。彼の動きを封じるためだ。
ミヒトは魔法による疑似的な念力でユウトの動きを封じると、翼を翻し湖を突っ切り体当りをする。
高速で飛来してきた巨体によるタックルは、堕天使を砲弾の様に吹き飛ばし、何本もの大樹を貫通する。
貫通した穴には血と黒い羽が付いている。負傷のような物は与えているようにも見える。
大樹に家屋を作って住んでいたスギタラの住人たちが心配そうに見ている。
ある者は蹲り、またある者はミヒトに文句を言う。
ミヒトには彼らの一挙手一投足を正確に見る事が出来るが、狼が二足歩行した、狼男と呼べるような種族、獣人が、吹き飛ばした堕天使の方に向かって威嚇しているのが目についた。
動物的な感覚なのか、彼らはほかの種族と違い、何かを感じているようだった。
森の奥で声が聞こえる。ミヒトの耳がユウトの声を捉える。
どうやら、彼はまだ動けるようだ。
「やってくれるねぇ・・・・。でも、そのサイコキネシスはもう通用しないよ」
ユウトの歩行音が聞こえる。刀を振り回し、風を切る音が、草木を切り払う音が聞こえる。
「俺を吹き飛ばした罪、俺が裁いてやるよ」
そのセリフを聞いたミヒトはすぐさま後ろを振り返る。
すでに背後にはユウトの姿がいた。
背後に来ることは先ほど見ていたので想像できた。
しかし、ミヒト自身予想していなかったことが起きていた。
背後を取ってたはずの堕天使が吹っ飛んでいたのだ。
計らずともミヒトの、ドラゴンの尻尾がユウトを吹き飛ばしていたのだ。
この好機を逃さず距離を詰めるミヒト。
彼は喧嘩などしたことが無かったため体術と呼べるものは何一つなかった。
ミヒトはとにかくグーでもパーでも両手を交互に振りかざしてユウトを追い詰める。
格闘術とは呼べないが、5mを超えるドラゴンが両腕を振り回すだけでも彼にはかなりの脅威であった。
漆黒の刀でミヒトの攻撃を受け流そうとするが、強い衝撃で受け流しきれずに攻撃に移れない。防戦一方となっている。
ミヒトの出鱈目な攻撃に我慢を切らしたのか、ユウトは声を荒げて叫びだす。
「っふざっけんな!ドラゴンテールにクローだと!?いきなりガンガン来やがってウゼェんだよ!」
「《刀剣再制作》!ドラゴンスレイヤァッ!」
魔法を唱えるとスラっとした漆黒の刀は形を変え、腕一本を覆い隠すほどの極大剣へ。
どちらからでも切る事が出来る両刃剣に形を変えた。
「武器を変えても!このまま僕が攻め続ければ関係ない!」
「それは、どうかなァ!」
ミヒトは変化した武器に構わず、ユウトを引っ掻く。
だが、その爪は堕天使には届かなかった。白銀の指が二つ、宙を舞い、そして地面に落ちた。
中指と薬指がスッパリと切れたのだ。
どう、して?ついさっきまでは鱗に傷すら付けられなかったのに。
武器の切れ味が上がった?材質に変化が?
それとも、武器自体に何か効果が付いたのか。となると、このまま戦うのは絶対に不味い。
指を切られたミヒトであったが、冷静に思考の海に沈んでいく。
人並みの頭しか持たないミヒトだが、現実から離れ、長考できるこの頭脳は今かなり役に立っている。
現実では一秒も掛からずに作戦を組み、プランを練り直す事が出来る。
そうやって現状を打破する方法を考える。
「形勢逆転だな!ドラゴンには竜殺しってな・・・終わりだッ!」
「《武器創造》!まだ、終わりじゃない!」
ミヒトが作り出した剣。パッと思いついたのがコンバットナイフしか無かったが、その大きさは異常に大きかった。
5mのドラゴンが持つナイフは人間では大剣に等しい大きさであり、相対するユウトの剣とそう変わらない大きさだった。
ミヒトが振るうナイフはしっかりと相手の極大剣と打ちあう、東の大森林に硬質な金属音が鳴り響く。
問題は無いみたいだ。MPも全然減ってないし余裕はある。このナイフまで切れちゃってたら手の打ちようが無かった。
だけど、これでハッキリした。あの剣は僕を、竜を切る剣だ。
ドラゴンスレイヤーって言ってたし、というか、この武器はもう少しファンタジーぽくした方がよかったかな?
ミヒトは作り上げたナイフで湖の方へユウトを追い詰めていく。
取り回しづらい極大剣を巧みに使うユウトだが、巨体に見合わない高速でナイフを振り回すミヒト。
一瞬一瞬の隙に思考に沈みながら、アクション映画の真似や、ユウトの動きを分析しながら攻撃している。
言わば一時停止を秒単位で繰り返しながら、戦闘を構築しているのだ。
そして、ミヒトの中では作戦もすでに組みあがっている。
この大森林では木が邪魔で飛び立つことが困難なため開けた場所が必要になってくる。
森に住む住人を考えれば、最終的に空に上がり、《熱光線》でユウトを無力化するというのが安全かつ、確実と考えた。
最初の攻撃から体当りなど大きな負傷を受けても可笑しくはないのだが、ユウトにはそのようには見えない。
となればナイフで足か腕を切りつけ動けなくなするか、強力な攻撃で行動不能にするしかないと結論付けたのである。
「このままいけば・・・・」
「チッ・・・そうか、だけどこれで終わりじゃないんだぜ?《武器制作》」
そう言うとユウトは一気に後ろに下がり剣を捨てる。
そうして新たな武器を作り出す。
棒にゴツゴツした鉄塊が付いた武器、形状はメイスに近かった。しかしユウトは作り出した武器を振るうことなく、更に続けて魔法を唱えた。
「《武器再制作》・・・ヘルクリムゾンワンド!」
堕天使が唱えたのは先ほどミヒトの指を切り落とした時と同様に《再制作》と唱え、武器を作り変える。
ミヒトに悪寒が走る。すでに作戦や思考速度で何とかできるラインを切ってしまった。
分析ばかり先に行き過ぎてしまい行動が後手に回ってしまったのだ。
「消し炭にしてやるよ・・・・・《煉獄の炎》!」
赤よりも黒く、黒よりも赤い邪悪な火球がミヒトの前に渦巻く、炎は螺旋を作りミヒトの体を襲う。
咄嗟に両手を前に出し身を守る姿勢になり、反射的に翼も体を覆い防御態勢に転じる事が出来たミヒト。
しかし黒紅の炎は容赦なくミヒトの翼を焼いていく。
炎の中のミヒトの心中は穏やかではなかった。自分に次から次へ、止めどない熱さが襲い掛かっているのだ。
ドラゴンの頑丈な体がミヒトの命こそ守ってはいるが、痛みは和らげてはくれない。
この状況を打破しようにも、激痛の余り肝心の思考に移る事が出来ない。熱いだの痛いという言葉は頭に浮かぶことすら無い。
自分の内へ意識を落とし込む事が出来ず、翼、そして腕や足から発せられる悲鳴、痛覚が激痛という爆音を頭に反響させる。
翼はもはや融解し、鱗だったものが翼膜に焼き付いていく。翼の隙間から噴き出す黒い炎が腕を焼き、保持していたナイフはいつの間にか手放してしまっていた。